永遠に、君に捧ぐ


 ある日突然、恋人が不治の病であったと聞かされた男の気分というのは、一体如何なものであろうか。
 少なくとも彼は、正気ではいられなかった。
 「どういう事だ、え!?」
 恋人の両親よりも先に司祭につかみかかり、今にも噛みつかんばかりの形相で問いただした。
 「あんたの魔法でも癒せないって? どうしてだ! 一体、何が悪いって言うんだ!」
 「……心臓です」
 気の弱そうな司祭は、胸ぐらを掴まれたまま、苦しそうに答える。
 「生まれつき、悪いところがあったのです。それは、神の定めたもうた事…我々の力では、どうしようもないのです」
 「な、何を……ッ!!」
 「も、もういい! もういいから、やめるんだ!」
 思わず殴りかかりそうになったところに、彼女の父親が割って入った。
 「すみません、司祭様。今日のところは、どうか、お引取りを」
 「ええ」
 義理の息子になるはずだった青年を押し留めながら、父親はすまなそうに頭を下げる。司祭は不満そうに彼らを一瞥し、軽く会釈だけして部屋を出た。その後を、あわてて母親が追った。
 残されたのは、義理の父息子と、目を閉じてベッドに横たわる娘。
 白く――血の気が引いて、透けるように白くなってしまった彼女の顔を見ると、また怒りがこみ上げて来た。
 「お義父さん! どうして……っ」
 「すまない、カシム君」
 父親は、今度は彼に向かって頭を下げた。
 「生まれた時に……言われていた。あまり長くは生きられないと……ここまで、この歳まで、無事に生きてこられた方が、奇跡に近いんだ」
 静かな、淡々とした声。
 「君が……娘と付き合い始めた時に言っておくべきだったな。君には突然のことで……本当に、すまないと思う」
 「お義父さん」
 「すまない」
 両手で青年の腕を取ったまま、さらに深く、重く、頭を下げていく。カシムは首を振った。
 「…………いえ。僕もつい、カッとなってしまって……」
 灯りを落とした、薄暗い部屋の中。
 二人が黙ると、規則正しい彼女の寝息だけが、やけに大きく響いた。
 「ジル」
 呼びかけても、返事はない。
 心臓を引きちぎられるような痛みを魔法で抑え、深い眠りの淵についている彼女に、彼らの声は届かなかった。だが、安心して見ていられるのは、こうやって眠っている間だけで、また目が覚めれば、いつ起こるか分からない発作に脅えながら過ごさなければならなくなる。
 冷んやりとした額をそっと撫で、カシムはうつむいた。
 お金なら、ある。だが、それでも、どうにもならない事だというのか。
 僕に、出来る事はないのか。
 「……また、来るよ」
 「すまないね、カシム君」
 「いえ」
 消え入るような義父の声に応えて、彼は言った。
 「僕は……きっと、ジルを助けてみせます。何か方法があるはずだ」
 自分に言い聞かせるように、小さく、しかしはっきりと告げて、彼は恋人の部屋を後にした。

 「ああ、あるよ」
 老婆は事も無げにそう答えた。
 町外れの古びた薬屋に、青年の望む答えはあった。
 「心の臓の病の薬。それだけじゃない、何にでも効く薬があるよ」
 「ありがたい……それを、頼む!」
 カシムは思わず老婆の両手を握りしめていた。
 「いくらだ? 金なら、いくらでも出す! そちらの言い値で」
 「痛い、痛いぞ、若人よ」
 「あ」
 顔をしかめる老婆に、彼はあわてて手を離した。思わず、強く握りすぎていたらしい。しかめっ面のまま自分の両手を眺めている相手に、カシムは頭を下げた。
 「も、申し訳ない……つい、嬉しくて」
 「いや、ま、若い者に手を握られるのは、わしとしても悪い気はせんからな」
 しかめっ面は笑顔になり、そしてまた、しかめっ面に戻る。
 「しかし、喜んでいるところを申し訳ないが……その薬草、今は使えぬ」
 「……え?」
 喜びは、一瞬で絶望に変わった。テーブルの上に置かれた手が、握りこぶしを作った。
 「そ、それは、一体どういう」
 「裏の山の畑にある。しかしな、まだ育ちきっておらん…使うには、小さ過ぎるのよ。もう少し待たねば、使えるようにならん」
 「もう少しって、どれぐらい?」
 「そうさね」
 笑みとも思案とも取れるような、複雑な表情をシワだらけの顔に浮かべて、老婆は中空を見上げた。少しの間視線を漂わせ、やがて、青年の顔をひたと見据えた。
 「最低でも6年。アレが育つには、それだけの年月がかかる」
 「ろ……6年も」
 それでは、間に合わない。
 ジルの心臓は、持ってあと半年。発作が起これば、その分心臓は弱り、彼女の余命は短くなっていく。とてもではないが、6年などと悠長なことは言っていられなかった。
 「どこかから、取り寄せられないのか」
 「高価いからねぇ。いつも王都の王侯貴族様の予約でいっぱいだよ」
 あくまでもマイペースに、淡々と老婆は続けた。
 「それに、半月で育てる方法が、無いこともないんだ」
 「半月」
 カシムは身を乗り出した。
 「方法が、あるんだな!?」
 「お前さんにやってもらう事になるが……少し大変だよ?」
 「構わない」
 彼女を助けるためなら、どんな事だってやろう。半月で薬草を育てる方法があるなら、必ずやり遂げてみせよう。
 「どうすればいい?」
 目を見開いて迫る青年に、年老いた女性は笑顔を浮かべた。テーブルの引き出しを一つ開け、古びた鍵を取り出す。
 「これが、わしの畑の柵についている錠前を開ける鍵」
 朽ちかけた短い鎖がついたそれを、青年の目の前にそっと置いて、老婆は言った。
 「これを貸してやるから、お前さんは毎日畑へ通え」
 「分かった」
 ちゃり、と小さな音を鳴らして、青年は鍵を握りこんだ。
 「そして毎日、薬草の世話をすればいいんだな?」
 「そう」
 老婆は笑う。シワの中に埋もれていた目が、上目使いに彼を見た。楽しそうに、そして、何かを期待するかのように。
 「ただし、その世話というのが、一筋縄ではいかんぞ」

 ナイフを片手に、裏山に登る。
 薬屋の老婆に言われた通り、カシムは毎日畑に通った。厳重に張り巡らせてある柵の扉を開け、青年は目的の一角に向かう。そこには、細かいぎざぎざに縁取られた葉を持つ、一本の草が生えていた。
 「よし、異常はないな」
 土の上に膝をつき、葉の裏表を何度もためつすがめつして、虫がついていないのを確認する。周りに生えかけている雑草を一本ずつ丁寧に抜いて、彼は最後の仕上げに取り掛かった。
 持ってきたナイフで、指先を薄く切る。力をこめて指をしごくと、赤い線が広がり、やがて大きな血の雫となる。
 「さあ……今日もしっかり吸ってくれよ」
 薬草の葉を優しく持ち上げると、わずかに地面の上に根が露出しているのが見える。そのすぐそばに、カシムは自らの血をなすりつけた。
 「人間の生き血を与えて育てると、半月で大きくなるんだよ」
 老婆は、彼にそう告げた。
 「なに、そう沢山はいらない。ほんの数滴でいいんだが、その代わり、毎日やる必要がある。お前さんに、それが出来るかね?」
 出来る、とカシムはうなずいた。むしろ、彼女を助けるためならば、とても簡単な事だと思えた。
 毎日切られる指先はすぐにぼろぼろになったが、そんなもの、彼女の心臓を思えばどうという事はない。この痛みも、彼女の苦しみに比べれば。
 赤く染まりつつある地面に、青年の血は吸い込まれていった。これで、今日の世話は終わりだ。傷口を押さえて、カシムは立ち上がった。
 まだ一週間しか経っていないが、確実に、目に見えるほどの速さで、薬草は育っている。最初は半信半疑だったが、初めて見た日よりも、根元の周りがふた回り以上太くなっているという事実が、老婆の言葉が真実だったと証明してくれていた。
 大丈夫、上手くいっている。
 カシムは、もう一度青い葉に目をやって、畑の扉を閉めた。
 「ジル……あと少しだけ、待っててくれ」
 そうすれば、君を助けられる。僕が、必ず、助ける。

 半月後、老婆は満足そうにうなずいた。
 「昨夜、畑を見に行ったけど、ずい分と太くなっていたね。もう、いつ収穫しても大丈夫だ」
 「そ……そうか」
 嬉しさのあまり、カシムは声を詰まらせた。色々と聞きたいこともあったが、上手く声が出ない。
 「急ごしらえにしては、なかなか質も良いようだ。いい薬が出来るだろうよ……って、どうしたね?」
 胸を押さえて黙ってしまった青年に、老婆は尋ねた。
 「いえ……ちゃんと、薬草が育ってくれたのが嬉しくて」
 「そうかい、そうかい」
 シワを細めて老婆が笑う。しかし、その目は笑っていなかった。
 「しかし、肝心なのはここからだよ。抜くのがまた、一仕事なんだから」
 言いながら、またテーブルの引き出しを開けて、何かを取り出した。ことり、と小さな音を立てて目の前に置かれたのは、一対の耳栓と、銀色の細い笛。
 「これから、あれの抜き方を教えるからよくお聞き。言っておくが、失敗したら命がないよ」
 「え……?」
 「死病を治すんだ、ただの草じゃない。いいかい、ちゃんと覚えるんだよ」
 そして、青年は、一匹の犬と共に、薬屋を出た。

 ――まず、とにかく耳栓をする。これが一番最初にやらなければならないことだった。
 自分の耳をきっちりと塞いだら、今度は本格的に掘り出す準備に取り掛かる。薬草の周りの土を少しだけ掘り下げて、根の回りにしっかりと紐を結びつける。その紐の端は、犬の首輪につなぐ。
 「よーしよし……いい子にしてるんだぞ」
 青年はポケットから干し肉を取り出して、犬の目の前に置く。老婆が用意しておいてくれた老犬は、大人しく肉を食べ始めた。その頭を軽く撫で、彼は畑に背を向けた。
 犬が肉を食べている間に、自分はなるべく畑から離れる。山道を抜けて、畑の柵が見えなくなるまで、十分に遠く。
 そうしたら、銀の笛を吹く。
 これは犬笛といって、人間には聞こえないが、犬にだけ聞こえる音を出す笛だった。この音を聞いた犬は、一目散に吹いた相手のものへ駆け寄ってくる、という代物だ。
 カシムは息を大きく吸い込み、強く、笛を吹いた。
 何が起こるのか、よく分かっていないまま。

 あああああぁぁぁぁぁ……!!!
 耳栓をしていても、それはかすかに耳に届いた。
 痛く、哀しく、辛く、長く長く続く叫び声。
 例えようのない寒気が青年を襲った。思わず自分の肩を両手で抱いて、彼は畑の方に目をやった。
 「な、…………な、何……だ……?」
 もう声は聞こえないが、何故か膝が震える。
 恋人の声に、似ていた……あの悲鳴。
 「くそ、しっかりしろ」
 笑う膝を叱咤して、彼は歩き出した。通い慣れたはずなのに、異様に長く感じる山道を登り、下り、ようやくのことで畑の入り口にたどり着く。
 犬は死んでいた。
 薬草は抜けていた。
 「これは……」
 口の端から血の混じった泡を吹いて倒れている犬の傍らに、青々とした緑の葉と、その下に続く白っぽい根が転がっていた。
 だが、これは、一体?
 「ジル」
 カシムは、そっと手を差し伸べた。
 きめ細やかな白い根は、土の水気に濡れてしっとりとした人の肌のような様相を呈していた。
 色だけではない。その形は、人だった。
 目を閉じた顔の造作、なめらかな肩、細い両腕、ふっくらとした胸の双丘に、しなやかな足にいたるまで、それは紛うことなく、恋人の姿そのものだった。
 悪い夢か。冗談か。
 ただ小さいだけで、これは、ジルの死体ではないか。
 僕が育てていたのは――これか。
 拾い上げた草の根は、冷たかった。あまりの冷たさにたじろぎ、暖めるようにそっと掌に包み込む。
 その時、ジルの瞳が開いた。
 草なのに。
 両手を差し延べ、すがるように恋人を見つめ、小さな口を動かした。
 タスケテ。
 とても小さな青い瞳。
 ツライノ。クルシイノ。オネガイ、タスケテ。
 愛する人が、そう言っている。
 「大丈夫か、ジル」
 カシムは顔を寄せた。
 「心配するな……僕が、助けてあげる」
 そのまま、彼女が望むがままに、唇を――

 老婆が畑を訪れたのは、その日の夜遅くだった。薬草を採りに行かせた青年は、夕刻になっても帰ってこなかった。
 「十分だと言っておいたのにな」
 カンテラをかざし、彼らを見つけて、老婆はわずかに目をしばたたかせた。
 犬と、草と、青年が、仲良く横たわっていた。どれも夜の闇に沈んで冷たく、動かない。老婆は、青年の顔に手を伸ばした。
 幸せそうな老人の顔が、そこにはあった。
 「吸い尽くされた、か……」
 あれは魔の生き物、人型の草。
 本来ならば、長い時間をかけて大地の精気を吸い、ゆっくりと成長していくものなのだが、今回は時間がなかった。それ故に禁断の方法を用い、人の血を用いて育て上げた。そして、それ故に。
 「ただ抜いて、持ち帰るだけで良いと言うたのに」
 もう、何も与えなくて良いと言うたのに。
 彼は、自らの血と共に、あふれる想いさえも過ぎるほどに与えてしまっていたようだ。
 かさかさに乾いた手に握られた草をそっと抜き取る。桜色に上気した肌のような、つややかな色を見せる根は、目のように見える小さなくぼみを、虚ろにさまよわせていた。
 「これならば、人の宿業さえも治せような」
 人間一人の、血も、精も、生命すらも吸い尽くした薬草ならば、心臓の病どころか、老化や死さえも凌駕するほどの薬が作れよう。
 恋人は助かる。
 青年の望みは、叶うのだ。

 数ヶ月後、彼女は健康な体を取り戻した。
 健康ばかりか、倒れる前よりもその容貌は美しく、魅力的になっていた。薬と引き換えに姿を消してしまった恋人を思う、憂いを帯びた表情は他の男たちを捕らえて離さない。
 やがて、彼女は失った恋人を忘れ、新しい恋人を得るだろう。他の男と結婚し、子供を産み、暮らしていくことになるだろう。
 だが、彼はいつもそこにある。
 その心臓に、生命と共に――永遠の愛と共に。


終わり

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