我はメディウサ、恐ろしい化け物。
一目で他者を石と凍りつかせる、邪眼の主。
醜い女。
顔の半分が醜く崩れて焼けただれ、長く下ろした前髪で隠しているような不気味な女は、誰もが避けて通るもの。視線が合おうものなら、あからさまに恐怖や嫌悪の表情を見せて、すぐに目を逸らす。いつものことだ。
だが、我はメディウサ。そうやって怯える人間たちを見るのが楽しくて、こうやって人里に現れるのだ。
怖いだろう? 恐ろしいだろう?
本気を出せば、お前たちなど一瞬もかからず殺してやれるのだよ。
騒動になると面倒だから、やらぬだけだけれどもな。
こうして、歩き回っているだけで面白い。これといって目的などないが、我は人ごみの中を彷徨っていた。
そして、その男に出会った。
「こんにちわ」
薬草売りの男は、我の顔を見てもその笑顔を絶やすことはなかった。別段、他の客に対するのと変わらず、我に声をかけた。
「何か、薬草のご入用はありませんか?」
この醜女を恐れて、周りの人間はさっと散った。声をかける相手は我しかいないが、そんなはずはない、という思い込みから、我はただ突っ立って男を見返していた。
「どうしました?」
それでも構わず、男は言葉を続けた。
わずかに、驚いた。
「我に、用か」
「そりゃ僕の台詞ですよ」
どこまでもにこやかに、男――まだ年の若そうな青年は言った。
「何かご入用で来たんじゃないんですか?」
「い、いや」
真っ直ぐにこちらの瞳を見つめられると逆に恥ずかしく、我はあわてて顔を背けた。
「薬草売りなど珍しいと思うてな。最近は、魔法の水薬の方が流行っているのではないか?」
「ええ、そうですけどね」
彼の前に並べられた籠には、どこで採って来たのであろう、この辺りではなかなか手に入りにくいであろう、貴重な薬草の姿も見えた。
「こっちの方が効果が高いものもあるし。僕、こっちの方が好きなんですよ」
「物好きなのだな」
「ははは」
我の言葉を意に介する風もなく笑って、青年は頭を掻いた。
「物好きついでなんですけど、ちょっとお尋ねしてもいいですか?」
「何だ?」
「この辺りにお住まいなら知ってるかと思って……アラリアって薬草」
尋ねながら、ごそごそと自分の荷物を漁る。ややあって、古ぼけた書物が一冊出てきた。
「この辺の山野に生えてるらしいんですけど、僕、実物を見たことがないんで分からなくて」
そう言って眼前に差し出された頁には、あまり上手いとは言えない模写絵が描かれていた。
だが、この草ならよく見かける。
化け物がいるからとこの町の人間たちは近付かないが、山の中腹にある我が棲家の周りに山のように生えている。
「採って来てやろうか?」
ほんの気まぐれから、我は青年に問うた。
「本当ですか!?」
その顔が、ぱあっと明るくなった。無邪気で、真っ直ぐで、迷いも恐れもない顔。
我はまた何故か、顔を背けてしまった。
「数日後に、また来る」
「ありがとうございます!」
嬉しそうな声に背を押され、我は歩き出した。
数日後、約束どおり、青年は同じ場所で我を待っていた。
無造作に摘んできたアラリアの束を差し出すと、またあの時のように、輝くような笑顔を見せた。
「本当に、本当にありがとうございます!」
大した物ではない。だが、彼は薬草の束ごと我の手を握り、じっと我が顔をのぞきこんできた。
こんなに近くで見つめられては、いくら前髪で隠していても、醜悪な様相が丸見えだ。
……怖がらぬ者に見せつけるのは、ただ恥ずかしいばかりの顔が。
「あの、お礼は」
「礼などいらぬ」
青年の、温かく、柔らかな手の中は、妙に居心地が悪い。息が詰まるような思いがする。
「また何か欲しい物があれば言うがいい。我に手に入れられるものなら用立てよう」
「ホントですか」
手を振り払われても、顔を背けられても、青年は笑顔を絶やさない。
一体、何がそんなに嬉しいのだろう。
我には、まったく分からない。
「じゃ、何かあったらお願いしますね。あなた……えっと、お名前は?」
「わ、我は」
我はメディウサ。
だが、何故か答えられない。
答えることを拒むかのように、我が唇は凍りついた。
「僕はジーク」
狼狽する我が様子を知ってか知らずか、薬草売りの青年はそう告げて、重そうな籠を担ぎ上げた。
「これを整理しなくちゃいけないから、今日は帰ります。それじゃ」
にっこりと笑って、ただそれだけ言い残し、我に背を向けた。
何故。
何故、我がこんなことを。
何故、この我が、たかだか一人の男のために、こんなことを。
友人など要らぬ。あれは関係のない、ただの通りすがりの人間に過ぎぬ。
そうは思う。そうは思うが、何故か気が付くと、ジークのことを考えている時間が多いような気がするのだ。
そうでなければ何故、この我が、アラリアの世話などしているのだ。
今度会う時には、もっと質の良い薬草を渡してやろう、などと……向こうからしても、余計なお世話かも知れぬのに。
だが、持っていけば喜ぶ。
その顔が見たくて、またつまらぬ草の手入れなどしてしまう。
我としたことが、これは一体何の真似か。
これではまるで、片恋に頬を染める人間の小娘と同じではないか。馬鹿馬鹿しい。
ジークにとっては、我は珍しい薬草をただで持って来てくれる得意客に過ぎない。
我は、化け物。この醜い顔で、一体何を期待しようというのか。
そう。
関係ない。彼と我とは、何の関係もないのだ。
それが証拠に、それからしばらくして、ジークは町に姿を現さなくなった。
数日おきに通ってみたが、薬草屋の露店を出していた雰囲気さえもない。
そう……少し考えれば分かることだ。我が、アラリアの在庫を十分に渡してしまったからだ。
そうとなれば、このような女に付き纏われてまで、この町で商売をする必要はない。新しい場所に行くのは当然のことだ。
彼がいなくなり、我には今まで通りの生活が戻って来る。
戻って来る、はずだった。
彼は愚かだから。
珍しい薬草を手に入れるためなら、こんな化け物とでも交渉するような男だから。
だから、どこか危険な場所へ――命さえも落しかねない恐ろしい場所へ行ってしまったのではなかろうか。
そう思うと――いや。そんなことを、我が心配する必要などまったくないはずなのに。
どこか遠い国で、命を落としているのではあるまいか。
もう二度と、あの顔を見ることは出来ないのではあるまいか。
そう思うと、心の底から震えが来る。
心臓が冷たく凍るような思いがする。
これが、恐怖。
彼を失うことがこんなに恐ろしいことだったとは知らなかった。そして、我が彼をこんなにも必要としていたということも。
これが、愛情。
なんと甘美で、絶望的な感情。蜜の味のする罠。
季節は巡る。
やがてまた、アラリアを収穫する季節がやってきた。
それでも、ジークは戻ってこない。
空虚になった我が心は、ただ彼だけを追い求めているというのに。
けれども、再び会って、何とする?
この顔で……この姿で、臆面もなく、愛しているとでも告白するのか?
そして拒絶されて、今より深い絶望の淵に沈むというのか?
我は顔を隠して、以前露店があった場所へと足を向けた。
もはやこれは、毎日の日課のようなものだった。現れもしない人を待つために、それでも我は歩む。何度となく繰り返した道を通る。
今日も無駄だと思いながらも、もう諦めようと思いながらも、それでも一縷の望みを抱いて。
角を曲がる。
「お久しぶりですね。お元気でしたか?」
懐かしい声、その姿。
「えっと……そう言えば、まだお名前を聞いてませんでしたよね」
我はメディウサ。
ただの、女。