水銀の涙


 ご主人様、質問があります。
 戦闘用に――人を殺すために作られた機械人形であるわたしが、このようなことを質問するのはおかしいのかもしれません。しかし、分からないのです。
 何故、人は殺し合うのですか。
 誰も、ただの一人も人間がいなくなるほどまでに殺し合い続けて得られるメリットは何ですか。利権ですか、宗教ですか、それとも他に何かもっと重要な理由があるのでしょうか。
 わたしには、分かりません。
 だからお願いです、ご主人様。どうか答えて下さい。
 もはや生体反応も失せ、まったく動かなくなったあなたに問うのは意味のない行為だとは分かっています。しかし、分からないのです。
 どうか、答えて下さい。教えてください。
 誰もいなくなってしまったこの街で、わたしはこれから、一体どうすればいいのですか。

 瓦礫で埋め尽くされた街に、朝陽がのぼります。しかし、それと共に動き出すものは、ありません。
 最後の爆撃があってから二週間、わたしは同じ光景を見つめ続け、そして確認しました。
 この街では、人間も、犬も猫も烏も鳩も、何一つとして生き残りませんでした。この街だけではありません。レーダーの探索網を広げてみましたが、この街はおろか、この周辺には何も、生き残ってはいないのです。
 だからといって、無人となったこの国を支配下に置くために訪れる人間も、いません。この土地が欲しかった訳ではなかったのでしょうか。
 では、一体、何のために、人は人を殺したのでしょう。
 わたしは最高級の人口知能を積んではいますが、それでも類推し、導き出せる結論の中に答えは見つかりません。ただ考える事によって、バッテリーを消費してゆくだけです。
 このままでは、いつかわたしのバッテリーは切れてしまうでしょう。
 しかし、守るべき対象であるご主人様が、すでに守られるべき状態にないのは明白です。それならば、自身の保全を最優先とした行動パターンに移行するのが最も自然であると考えられます。移動許可命令は出ていませんが、エネルギーを補給するために、わたしはこの街から移動する必要があります。
 ご主人様、わたしは行きます。
 どこまで行くのか、戻ってくるのか、一切の予定は分かりませんが、この街を出ます。

 街の外は砂漠でした。
 この辺りは閑静な住宅地であったと記憶していますが、メモリーにある風景と、現在の光景はまったく一致しません。人々の暮らす家はひとつもなく、瓦礫と砂だけが風に吹かれるままになっています。しっかりと服を着込んでいたから良かったようなものの、そうでなければ関節部に砂粒が入って動けなくなってしまうところでした。
 そんな光景が視界の果てまで続き、ようやくたどり着いた、次の街だったはずの場所も、やはり同じような廃墟になっていました。
 ビルは倒壊し、生物の姿は何もない。わたしと同型の人型機械がいましたが、それも壊れていました。ただ、バッテリー残量はわたしより多かったので、充分量を補給する事が出来ました。
 辛うじてエンジンのかかった車に乗り、さらに次の街を目指しましたが、そこも、さらにその次も、ずっと同じでした。
 どこまで行っても、砂漠と廃墟の繰り返しです。
 わたしの中に内蔵されているコンパスが狂ってしまっているのでしょうか。もしかして、わたしは方向を見失って、同じ場所をぐるぐると回っているだけなのでしょうか。
 否――ご主人様が技術の粋を集めて作ってくださったわたしなのです。そんなはずはありません。その証拠に、あの爆撃の中でも、崩壊の中でも、こうして無傷で残ったのですから、大丈夫。
 いつか、誰かの生きている場所にたどり着けるはずです。
 この星は大きく、わたしが通ってきた道のりは、それに比べればまだまだ短いのです。
 次の街でガソリンスタンドを見つけて燃料を補給し、また走り続ければいいのです。

 ご主人様を失ってから一ヶ月。わたしは同じ光景を見つめ続け、進み続けました。
 山があったはずの場所を越え、川があったはずの場所を越え、ただひたすらに前進しました。
 しかし、それでも、見つかるものは砂と瓦礫と鉄屑だけ。
 やはり、わたしのコンパスが狂っているのでしょうか。そう考えて、夜になる度、澄んだ空を見上げて星をたどり、緯度と経度を計算しました。
 その度に導き出される結果は、明瞭にして簡潔。
 わたしのコンパスに異常はなく、計算に間違いはなく、歩いてきた道のりには虫一匹いませんでした。
 何故なのでしょう。どうしてなのでしょう。何が起こったのでしょう。
 人は、この星のすべてのものを滅ぼしてしまうほどに憎み合い、殺し合ってしまったのでしょうか。
 この地上をここまで変えて、一体、誰が得をしたというのでしょうか。
 わたしは答えを求めて進みます。
 必ずどこかに、爆弾のスイッチを入れた人間が生きているはずなのです。そうでなければ、説明がつかないのです。
 もしも本当に誰も生き残っていないのならば、その時は結論を出すしかありません。
 人間は、自らを滅ぼした愚かな生き物なのだと。

 あれから半年。
 何とかメンテナンスを繰り返しながら使ってきた車が、酷使に耐えかねて動かなくなってしまいました。これからは、また自分の足で歩かなければなりません――が、それもいつまで持つことでしょう。
 相変わらずの砂漠と廃墟を進むうちに、わたしは自分が何のために歩き続けているのか分からなくなってきました。
 ロボットなのに、です。
 達成すべき目標はなく、従うべき主人もなく、ただひたすら歩くだけのわたし。おそらく、いつまでたっても何も見つけることが出来ないまま、いつかエネルギーも切れて、ただの鉄屑に変わるわたし。
 この、何もかも失ってしまった星の上で、錆びるままに朽ち果ててゆくわたし。
 これが、絶望というものなのですね。
 それとも、そんなことを考えてしまうということは、ついにわたしの人工知能がおかしくなってきたということなのでしょうか。
 まあ、それも無理のない事でしょう。植物を失った地表は太陽光で毎日熱せられ、日に日に気温が上がっていくのです。これ以上の暑さが続くようなら、CPUがオーバーヒートするのも時間の問題かも知れません。
 でも、それでもいいのかも。
 前に進みながら、熱に浮かされたわたしはふと、思います。
 どこにも誰もいないことを本当に確認してしまうよりは、どこかに希望を残したまま、焼き切れて最後を迎える方が、よほど……よほど、しあわせ。
 否――機械が、幸せを感じるなんて。やはり、あり得ません。
 いよいよわたしは壊れてきたようです。
 それ故に、前進を止めることが出来なかったりも、します。

 熱と、服の隙間から忍び込む砂粒のせいで、左腕のアクチュエーターに破損が起こっています。肘が動かなくなってきました。
 どうせ、そんなには使わないからいいのですけれども、動かないものをぶら下げているとバランスが取り辛いのも確かです。丁度通りかかった場所は工学の研究室だったらしく、工具が揃っているのが見て取れたので、わたしは修理を行うために廃墟に入りました。
 コンクリートで遮られた室内はわずかに涼しく、外よりははるかに快適でした。バッテリーを工具類につないでみると、それらは思った以上によく動いてくれました。これなら、腕と言わず、全身のメンテナンスも可能です。
 砂避けのために着ていた服を脱ぎ、滞りなく修理とチェックを済ませたわたしは、何となくその場を立ち去りがたくて、壊れかけた研究室を見回しました。ご主人様がわたしを作ってくれたラボと似ています。機能性を重視すると、どの国のラボも同じような作りになってしまうのでしょう。
 そうだとすると、こちらにも何か部屋があってもおかしくありません。
 わたしはコンクリートの下をくぐってみました。予想した通り、そこには扉がありました。
 上からの過重に耐えかねて歪み、わずかに開きかかった鉄の扉。その向こうに、わたしは見ました。
 かすかに漏れる、LEDの明かり。静かにモーターの回る音。
 生きている、動いている機械が、ここにあるのです。
 初めての出来事でした。わたしは直したばかりの腕が軋むのも構わず、扉に手をかけて、それをむしり取りました。
 果たして、部屋の中にあったものは――

 ご主人様は仰いましたよね。この世に、神などいないと。地上を支配するのは人間なのだと。
 ですが、その人間は愚かにも、この星の支配はどころか、果てしなく争いあい、殺しあって消えてしまいました。
 たった一人だけを残して。
 奇跡的に無傷なままで残されたコールドスリープのポッドの中には、人間の男の子が一人、静かな寝顔を見せていました。
 生きている。
 世界がこんなに変わり果てても、彼はまだ生きている。
 そう思った瞬間、彼を守るガラスの上に、ぽたりと雫が落ちました。
 水銀です。わたしの体の中を、血液の代わりに循環している液体です。どこも壊れてなどいないのに、スコープの隙間からあふれて止まらないのです。
 こんなに零れてしまっては、バランサーや関節の動きに支障をきたしてしまいます。それなのに、止まらないのです。
 どうして、今、こんなところで。
 まだ壊れたくないのに。
 やっと見つけたのに。
 わたしは祈りました。そう――神に。
 機械人形であるわたしが、存在しないはずの神に。
 彼を守りたいのです。すべてを失ってしまったこの地上に残された、最後の人を。
 どうか、人ならぬこの身の願いを叶えてくださいと。

 小さな窪地に、わずかな緑。けれど、人が暮らしていくためには、本来その程度で良かったはずなのです。
 長い長い旅の果てに辿り着いた場所で、眠りから目覚めた少年は笑ってくれました。
 「ねぇ、ロボ!これは何?」
 草むらには小さな花。ここにはまだ、生命があります。彼を生かすに足る、力が。
 「これが、花?へぇー、そういうんだ」
 いつか、誰かがここを見つけて、訪れてくれますように。それまでは、わたしが彼を守ってあげられますように――なんて、願い事が多すぎるでしょうか、神よ。
 でも、お願いなのです。
 「コレ、ロボの頭につけてあげようか」
 わたしの寿命も長くはなさそうですから。原因不明の故障が直らないから。
 「ロボ……泣いてるの?」
 ただ、彼の笑顔を見ているだけで、今日もまた、理由も分からないのに、水銀が漏れてしまうのです。




Novel Menu   Main Menu