仮面


 豊満な薔薇の香りが、辺り一面を覆うようにして漂っていた。季節に相応しい、むっとした空気が其れを助長しているようでもある。
 男は、中途に伸びた金髪をもてあまして、微風に吹かれるに任せていた。目の前にいる女は飾り気がなく、長く伸ばした髪も一つに結わえているだけだった。それでも艶やかな黒髪と芯のある瞳は、女を美しく映えさせていた。死霊使いであることを示すローブは、黒地に銀糸という質素な布でしかなかい。だが、それが覆う肢体は眩しく感じられる----これは主観による錯覚だろう。
 迷うことなく、女は口を開いた。返答の内容は予測していたため、男は女を正面から見ることが出来ずに、わずかに視線を下げた。その視界の端で、薄く紅をさした唇が優雅に動く。
「私が愛しているのは、貴男では…」
「冗談ですよ、マダム。兄を宜しく御願いします。」
 結婚を控えた女性は、彼を射るように見つめていた。その視線に耐えることが出来ず、逃げるように男は踵を返す。足早にその場を立ち去り、もはや誰も彼の独白を聞き取ることが出来ぬところで立ち止まると、男は彼女と色違いの魔導士のローブの裾から、白磁の仮面を取り出した。
「さよなら、アンネローゼ。愛しい人。」
 己は決して彼女のことを忘れることは出来ないだろう。この愛おしさを消し去ることも出来ないだろう。
「…ならば、この仮面で隠しましょう。貴女への愛おしさを悟られぬよう、侵されぬよう…」
 白磁が覆うのは、彼自身なのか、外界なのか。
 封じられたのは、感情なのか、変化なのか。
 浮かび上がった自答を、男は深淵へと沈めた。

◆◇◆◇

「ねぇ、なぜ仮面をしているの。」
 栗色の長髪と金の眼をした少女は長い睫毛の下から、隣に座した青年を見上げた。彼は白磁の仮面をしている上、金糸のような前髪が顔にかかっているため、表情は全く窺えなかった。ただ仮面の下にある蒼い眼が、寂寥感を増したように見えたのは、気のせいだろうか。
 ロイド・ナタライト。それが目の前にいる男の名前である。
 数年前にこの神殿へやって来た。類い希なる魔導士としての能力を買われて、神殿を守備するために配属されたのである。その時点で、すでに仮面をしていたために神殿では誰も彼の素顔を見たことがなかった。
 さらに彼は寡黙でもあり、彼自身について語ることは皆無といって良いほどだった。そのために余計に謎めいた存在となっていた。神殿内でもゴシップ好きの女の間で、様々な憶測が囁かれている。しかし本人は全く気にする様子はなく、沈黙を保ち続けているために、余計に女たちの興味の対象となっていたのだった。
「…私は弱気な男ですからね。こうでもしていないと、弱さを隠すことが出来ないんです。」
 その声は苦笑しているようだった。彼の言っていることは、真実なのだろうか。
 否、彼女は結論を下した。
 たかだか数年とはいえ、ともに生活しているのだ。その程度ならば分かっているつもりだった----分かるほど見ているつもりだった。
 彼は弱気と言うにはほど遠い、何処かしら情熱的な素振りを見せることがあった。とはいえ、それを証明するものは何一つとしてない。
「それでも、私はあなたの御陰で、こうして神殿の巫女を務めているわ。人を強くしておいて、ただ弱いなんて…」
「サラディーン。あなたは生来、強いお方です。私の存在の有無など、関係ありませんよ。」
「…はぐらかしたわね。」
 青年はしばらくの間をおいて、短く答えた。
「……えぇ。」
 神殿の巫女で在り続けることは、容易なことではない。巫女は膨大な力をコントロールすることが出来る能力を有しており、その力によって神をなだめることが役目であった。農業によって成り立っている世界において、天候を操ることは最も重要なことであった。
 だが、そうした平和的なものだけではなかった。神の力を借りることが出来るということは、巫女が私欲で神を動かすことも有り得るのである。その際は、神殿の建物の構造が巫女の力を封じることもできるように設計されてはいた。
 能力を制御するための修行は、人格形成において良いとは言い難い。ふとしたきっかけで、巫女の精神が暴走することや、私欲に走ることは史上稀ではなかった。
 現巫女である彼女も、かつて一度だけ力を暴走させかかったことがあった。そんな彼女が、いまだに巫女を続けられているのは、やはり彼の存在があったからに他ならない。
 この人と過ごせる穏やかな日々を失いたくない。たったそれだけの願いで、彼女は神殿の巫女としての役目を確実に果たしていた。彼自身も、彼女が暴走することを嫌い、世界が穏やかにあればよいと願っていた。彼の願いを、いつのまにか彼女も共有している。
 そうしてこの日も、暖かな風に撫でられながら通り過ぎてゆくのである。
「さて、と。少しくらい外に行っても良いわよね?」
「また、馬で平野を駆けるのですか…以前、夢中になって神殿の結界から出てしまいそうになったときは、ヒヤリとしたものですが。」
「もうあんなことはしないわ。行きましょ!」
 言うや否や、彼女はロイドの手を引いた。一瞬、女性の柔らかな肌に躊躇する。それはアンネローゼのものよりも、滑らかで、それでいて引き締まった手だった。
 それは、心地よさをもたらした----求めて止まぬ、アンネローゼのものよりも。
「…どうか、したの?」
「……いえ。」
 動揺したこをに感づかれぬよう、そっと彼女の手を離すと一人で先へと歩く。
「あ、待ってよ!」
 慌てて追いかけてくる彼女に、仮面の下で口の端を引き上げた。それは自嘲でった。だが仮面に隠されて、本人以外には気づくことはなかったようであった。
 草原で、二人は馬を走らせた。サラディーンが自由奔放に駆け回り、それに振り回されるという形でロイドが従っている。
 サラディーンは目の端で、彼の顔を見た。顔と言うよりは、わずかな隙間から覗き見える瞳を、そして全体から漂うものを見たといったほうが正しい。彼は幾分か憂鬱そうに見えたが、しかしそれが本当なのかは分からないことだった。
 彼女は馬を止めて、馬ごと方向を転換させた。すぐ後ろに付いていたロイドを正面から見る。彼は困惑しているようだった。
「…ねぇ、本当に此処にいて良いの?」
 ロイドは唐突な質問に、しばし沈黙した。だが俯くことなく、口を開いた。
「私はこの神殿に仕えることが出来て、光栄だと思っていますよ。民人としても、魔導士としても、これ以上名誉なことはありません。」
「そういうことではなくて」
 サラディーンは頭を振った。
「あなた、会いたい人が…いるんじゃない?」
「それは、あまりにもプライベートな話題ですね。」
 この話題はお終いだ、とでも言うようにロイドは馬を歩かせ始めた。だがサラディーンは立ち止まったまま、固く閉じていた唇を動かした。
「いつか、此処から去ってしまうとき…私に挨拶くらいしてくれる?」
 彼女の瞳は力強さを秘めていた。今は、それが少々揺らいで見える。
(…アンネローゼとは違う強さ、だな。)
 何となく、そんな独白を胸中で呟く。
 アンネローゼは咲き誇る赤い薔薇のようであり、人を焼き尽くすほどの情熱そのものだった。だが目の前の少女----まだ幼さを残しながらも、時折見せる女の色香を漂わせる女性は、ハイビスカスのような華麗さも持ち合わせていた。
 逆光のためか眩しく感じて、ロイドは眼を細めた。
「神殿から去るなんてことは、ありませんよ」
 安心させるために微笑むことを、わずかに良心が咎めて、少々言葉が固くなる。そのためか、妙に仮面の冷たさが気になった。
 サラディーンは彼の思いを察したわけではなかったが、胸が苦しかった。

 神殿内に戻ると、サラディーンはロイドを神官たちとのティータイムに誘った。最初の頃こそ交流に消極的だったロイドだが、巫女の命令に従わないわけにはいかないと渋々付き合っていた。それは知らず知らずのうちに交流を求めていた自分を納得させるための理由かもしれないなどとは、微塵も思わずに。
 巫女の努力の賜か、ロイドもわずかであれば他の神官たちとの会話をするようになっていた。己について語ることは拒否していたものの、談笑する彼が見られることが、サラディーンにとっては嬉しい。
「では、私は午後の祈りを務めてくるわ。」
「あっと、もうそんな時間でしたか?」
 本来ならば彼女を促すはずの神官が慌て、思わず笑みがこぼれる。そして同じように立ち上がってティータイムを中断しようとした彼らに言った。
「まだお茶してていいわよ。みんなまで私に付き合うことないでしょ?」
「しかし、それでは神官として不謹慎でしょうし…まぁ、お茶会をしている時点でそうなのですが…。私たちだけで続けていては申し訳ありません。」
「本当に頭固いのか、柔らかいのか…分からないわね。祈りが終わったら、私も混ぜてもらうから、ね?」
「は、はぁ」
 そうは言うものの、彼女が祈りを終える頃には日が暮れているのが常であった。そうしてティータイムに再び加わることなく、夕食の時間となるのだ。
 反論しようとした神官だったが、背筋を伸ばして歩き去っていく巫女を見送るしかできなかった。
「やれやれ。こんな怠惰なことしてて、いいのかなぁ」
「そう言いながらも、しっかりとティータイムを続行していらっしゃいますよ。」
「はは、ロイドも言うようになったな。」
「お誉め頂いて、恐悦至極に存じます。」
 小さく頭を下げる。金髪が仮面にかかり、日光を弾いて煌めいた。
 それを見て、神官の一人がくすくすと笑う。
「お前、ただのムッツリだと思ってたが……かなり嫌味なお調子者だったとは。」
 他の者もそれに同意した。
「全くだ。」
「最初の頃は、本当に無口だったからな。金髪といい、女にとっては最高のネタになってたよな…まぁ、今もか?」
 からかうようにロイドを見る。
「どうなんだよ、巫女姫様とは…?」
 一瞬呆れて黙ると、返事に窮したのだと思ったらしい。神官はにやけながら腕を組んだ。
「確かに巫女姫様は綺麗だしなぁ。少々オテンバなところもあるとはいえ、最近は大分お優しくなられた…一時期は荒れていたんだがな…」
「…あのとき、か…」
 誰かが小さく呟いた。
 自分が来る前に起きた事件のことは、多少ならば知っていた。神官ら数名が、神の力が暴走したことで死んでしまったという事件である。巫女の力を悪用しようと何者かが侵入し、それを止めようとした巫女の実弟が殺されてしまったのだ。それによって巫女が我を失い、神の力を暴走させた。まずは侵入者、そして止めに入った神官ら数名が巻き込まれた。神殿の結界によって被害は小さなものとなったが、巫女の精神が侵入者によって操られ、結界外でその力を発揮させたなら危険なことになっただろう。
 そうした侵入者を防ぐために、彼は神殿に配属されたのである。
 白磁の仮面を、指先でこつこつと叩きながら考えに耽っている彼の肩を、神官が叩いた。
「まぁ、巫女姫様を不安にさせるなよ。力がどうこうじゃない。私たちの愛しいサラディーン様の泣き顔なんて、二度と見たくはないからね。」
「…おいおい。ロイドにそのつもりがなかったら、どうするんだよ。お前もどうなんだよ?」
 黙ったままのロイドに、若い神官が話を振った。だがロイドは無言のまま、相変わらず仮面を爪弾いていた。

 夕食も済ませ、各自は部屋へ戻って就寝した。
 サラディーンは質素ではあったが、専用の個室の寝台の上に寝そべっていた。
「……」
 無意識のうちに、吐息が漏れる。息は、湿り気と、人肌の温もりを徐々に減らしながら、部屋の中へ拡散してゆく。
(…ロイド…)
 己のせいで死なせてしまった実弟や神官のことを忘れられるはずはなかったが、それでも彼の名前を呟いてしまう。そんな自分は不謹慎なのだと思う。
 いまだに覚えている鮮血の感触。其れは掌に残ったままだった。怒りと悲しみと恐れ、それ以外のことを何も考えられなくなった瞬間、空間が湾曲して周囲に破壊を招いた。
 人は死んでしまう。なのに何故、世界では時が流れているのだろう。生きているのだろう。
 瞼をおろすが、映像は消えることなく漂っていた。
(…それでも人を好きになるのは、どうしてだろ。)
 彼が離れていくとき、止めることは出来ないだろう。彼を縛り付けて、翼をもぎ取ることなど考えられないのだ。せめて、彼が助けを必要としているときに、力になれればいい。自分は充分、彼の存在に助けられた。彼のために何かが出来ればいい----それによって彼が自分から離れることになるのだとしても。

 ごく近くの部屋で、同じように横になっていたロイド・ナタライトもまた息を吐いていた。さすがに四六時中仮面を付けている気にもなれず、今は外している。そのため、滅多に視ることの出来ない素顔が露わになっていた。仮面のためか肌は妙に白かったが、血色が悪いようではなく、若者らしい精悍さも感じられる。
 彼は碧眼の焦点を定めずに、ぼんやりと天井を眺めていた。古ぼけた天井に、女の姿が浮かびあがる。長い髪、力強い瞳----
(…?…)
 その髪が栗色に、瞳は金に。そして微笑みが妖艶さではなく、危うげな強さを翳らせていることに気が付いて、思わずロイドは空を手で掻き乱した。
(…誰、を……私は誰を見ていた?)
 彼は、少々高まった鼓動を沈めようと肩で息をした。そして置いていた仮面を汗の滲んだ手で取った。
「……アンネローゼ……」
 その名前の響きを封じるようにして、彼は再び仮面で顔を覆った。

 翌朝。ロイドとともに廊下を歩いていると、慌ただしい足音が聞こえた。自然と振り返る。使者とおぼしき者が血相を変えて、近づいていた。
「失礼致します、巫女姫。」
 礼儀正しく一例をする使者に、サラディーンも会釈を返す。だが用事があるのは彼女に対してではなかった。使者は仮面の男に向き直った。
「ロイド・ナタライト様ですね。」
「そうだが?」
 聞き返すと、使者は顔つきを固いものにした。
「実は兄上がお亡くなりになったと…」
「!」
 彼は体を強ばらせた。
「明日、葬儀とのことで…」
 手短に日時を告げて、使者は仮面の男を気味悪そうにして足早に去っていった。サラディーンは、立ち尽くしたままの彼を見上げる。
 仮面の上からは、なにも見ることが出来なかった。
「…すぐに発って。馬を飛ばしても、半日はかかるはずですから。」
「……しかし、その間の警備は…」
 意味深な間に、内心、サラディーンは小首をかしげる。もちろん表情に表すことなく、彼の台詞を遮った。
「数日の間くらい、大丈夫でしょう。他の者もいます。」
「……そう、ですか。では、お言葉に甘えて…」
「気を付けて」
「…サラディーンこそ。」
 そうして、彼は真っ直ぐに伸びた背に、幾分影を滲ませて神殿を去っていった。サラディーンは、栗色の髪を風に吹かせながら彼を見送ったのである。
 事件はこの数時間後、彼の不在を狙ったかのように起こった。

 ロイドは、正直なところ葬儀に出席するつもりはなかった。兄のことは尊敬している。人としても、魔導士としてもである。だが、それとこれとは別問題だった。
「…アンネローゼ…」
 かつて兄の恋人であり、配偶者になり、いまや未亡人となった女の名を無意識に口にしていたことを苦笑する。ロイドは馬の背の上で、頭を振った。両親亡き後、唯一の肉親である彼が葬儀に出ぬわけにはいかなかった。サラディーンの側にいられないことが不安でもある。だから尚のこと、用事を手早く済ませて彼女の元へ帰りたかった。
 いつの頃からだろうか。兄と義姉から離れたいという願いだけではなく、彼女を護りたいと願い始めたのは。
(……妹、のように感じているのだろうか…?)
 自問してみるが、なんとなく答えを導き出す気がせずにロイドは己の発した問を無視した。
 そして仮面を取らぬわけにはいかないことが、一層彼を憂鬱にした。

 日が沈みかけた頃、彼は数年ぶりの郷里の土を踏んでいた。久々の郷里は、郷愁を感じさせた。だが心地よいものではなく、むしろ触れたくない過去を思い起こさせたという方が正確ではある。屋敷に踏み入ると、長年ここに仕えていた執事が彼の姿を見つけて、駆け寄った。
「ロイド様!お久し振りでございます!」
「…あぁ、長らく帰ってなかったからな…」
「この度は、まことに…残念なことで…」
「…そうだな。」
 あの頃よりも伸びた金髪を翻し、奥へと入る。
「義姉上は?」
「それが、余程ショックだったのか、お一人で自室にお入りになったまま、まだ…」
「葬儀の準備は?」
「そちらは、私どもが済ませてあります。」
 短く労いの言葉をかけ、ロイドは兄との最後の対面のために、遺体の安置場所まで案内させた。いよいよ部屋に入るというとき、執事が耳元で告げた。
「実は、自然死ではないと…人望と魔導士としての力量を妬んだ輩によって、毒殺されたと…。すでに犯人は捕らえてあります。」
 告げるタイミングを心得ない執事に失望を感じながらも、言葉で非難せず、頷きだけを返して部屋へ入る。
 兄は部屋の端に体を横たえられていた。顔にかけられた白布を摘んだ指先は、小刻みに震える。兄の顔は毒のためか、不自然に変色していた。だが苦しむことはなかったのか表情は穏やかであり、整った顔立ちと見事な金髪だけは美しいままである。とはいえ生前の美しさではなく、塑像のように無機質な美であることは否定し得なかった。苦しまなかっただけでも、幸いと思うべきなのだろうか。
 そうすべきなのかもしれない、と結論に達しながらも、口からは恨み辛みが漏れ出た。それを嗚咽にしないだけが、彼に出来た精一杯の抵抗であった。
「…兄上……アンネローゼを幸せにすると、あなたならばそれが可能だと…私は諦めたのに…何故、死んだのですか…?」
 かつて彼の前にそびえたっていた兄は、固い肉を動かすことなく瞼を閉じたままだった。
 ロイドは兄の顔を白布で覆い、踵を返した。そして扉のノブに手をかけたとき、唐突に廊下から執事が悲鳴のような声をあげて彼の名を呼んだ。
「…どうした?」
「た、たった今…神殿の巫女姫が…何者かに攫われたと…っ」
「何ッ!」
「神殿の者でも太刀打ちできないほどの魔法を行使するとのことで…」
「何処だ、何処へ行った!?」
「それが神の膝元…」
 狼狽える執事を突き飛ばすようにして、ロイドは駆け出した。
 神の膝元とは神の力と最も近いとされる平原のことであった。そこには一つ塔があり、天との距離をわずかだが縮めている。巫女の力を最大限に生かすことの出来る場所である。
 巫女の力を悪用したいものであれば、力を封印されることなく、そして最大限に生かすことが出来る其処へ向かうことは道理に適っていた。
「サラディーン…どうか、どうかご無事でっ」
 内に渦巻いた衝動に任せて、、彼は馬を駆けさせた。自然と手が仮面をつける。緊急時ではあったが、すでに癖となっているようだった。
 主人の思いが伝わっているのか、馬も必死に大地を蹴っていた。硬い土が蹄に抉られ、踊るように空を舞う。其れが落ちることには新たな土塊が多数、宙を舞った。やがてその土の中に雑草の根が混じり初め、ロイドは神の膝元にいた。
 平原は、ただ何処までも地平線の弧を描くようにして広がっていた。その中でただ一つだけ、突起物がある。塔だ。
 夜空に、一瞬紫の光が煌めく。直後、咆哮のような雷の轟きが平原を揺るがした。まるで神の声のようではないか、額の汗を拭うことすらせずに再び馬を走らせる。
 遠かった距離は、みるみるうちに縮まっていくのだが、それでも焦る気持ちは強まるばかり。ようやく塔の前へ着いたロイドは、馬を下りた。古ぼけた塔の扉へ手をかざす。
 微かな静電気のような刺激。施錠の魔法だ。
「ッ」
 魔法を解こうとした彼の指先に、痛みが走る。彼の魔力が跳ね返されたのだろう。衝撃で爪にヒビが入り流血している。彼は本気で魔法を解こうとしたわけではなかったが、それは術者が彼と同等以上であることを意味していた。
(…強い…)
 ロイドは気にせず、集中して魔力をぶつけた。甲高い衝撃音とともに、眼前の空間に魔力の衝突が光となって現れる。
(…ここだっ…)
 わずかに綻びた施錠の魔法の隙をつく。魔法を破壊したことによって、旋風が巻き起こった。それと呼応するかのように、雷鳴が再び轟く。
 呼吸をおくこともなく、塔の内部へと侵入する。細長い塔には幾つかの階層があり、その中央を突き抜けるようにして螺旋階段が続いていた。相手が何処にいるのかは、全く関知できない。だが、もし巫女の力を無理矢理に引き出して、神の力を思いのままにしようとするのであれば、塔の頂上が最適だった。脇目もふらずに、風魔法も行使して、人外の速度で頂上まで一気に階段を駆け上がった。


後半へ――

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