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「巫女姫、あなた自身に力はないわ…抵抗はおよしなさい。その方が、あなたにとっても最良の選択ではないかしら?」
目の前にいる女は台詞の内容にもかかわらず、優越感を感じさせることはなかった。彼女は自らの力を知っており、実力に基づいた発言をしているに過ぎないのだ。
確かに、彼女の言うことは正しかった。魔力の紐によって拘束された身体は軋み始め、そして精神にも揺さぶりがかけられていた。追っ手に対する魔法も絶大ではあったが、それは彼女自身にとっては遊びも同然の範囲であったのだ。胸中で、絶望的に呻く。
「私は、ちょっと神の力を借りたいだけ。別に世界を破滅にもたらすつもりはないわ。」
「で、では…何を…」
「あなたには関係ないわ。」
艶やかな黒髪を振り乱して、女は言った。だが、すぐに気を変えたようだった、。
「まぁ、話して協力してくれるなら…教えてあげる。私はある人を生き返らせたいだけ。死霊として呼び寄せるのではなく、彼の肉体を伴って生き返ってほしいだけよ。」
「そんなことしたら…開きすぎた冥界の入口から死霊が大量に流れてくるわ!」
愕然として呟くと、女は平然とした表情で答えた。
「…私の知ったことではないわ。冥界に送り返せば良いだけでしょ?」
「場合によっては魔物が復活してしまうかもしれないのよ!?」
神の力は大きすぎるのだ。一個体にのみ働くのではなく、その余波は他にも影響してしまうだろう。かつて英雄たちが滅したはずの竜や、メデューサ…多くの魔物が流れ込む可能性は多大だった。彼らは、死霊となっても、復活を求めて冥界が開くのを心待ちにしているのだ。
「世界がどうなろうと、私には関係ない。」
最初の台詞と矛盾することを口にしながら、そのことに彼女は気づいていないようだった。
「…力なんて、貸せない…絶対に…」
「それはどうかしら?あなた、以前に暴発させたことあったわよね。確か実弟が侵入してきた者によって殺されて…」
「絶対に貸せないっ」
拘束されて塞ぐことの出来ない聴覚を、悲鳴で隠そうとした。しかし女は秘やかに笑みを浮かべて、残酷なことを口にした。そうすれば巫女の精神に隙が生じて、一瞬だけでも操れると踏んだのであろう。
「私はね、死霊使いなの。あなたの弟……いえ、あなたが暴走したせいで死んでしまった神官でも呼んであげましょうか?」
「それでも…貸さない…絶対…」
「…意外にもしぶといわね」
小さく舌打ちをする。それを合図にしたかのように、魔力の紐が身体を締め付けた。
「…くっ……」
(ロイド…私、絶対に…力を暴走させない…)
気を失わない程度に止めているのか、痛みは途切れることがなかった。
そのとき、唐突に凛とした声が響いた。
「サラディーンっ!」
「招かれざる客…ね。」
施錠の魔法が解除された時点で彼の存在に気づいていたのか、大して驚くこともなく女は呟く。そして呪文の詠唱を始めた。
「…大気よ奮えよ、我が命によりて震えよ……」
反撃のために女へ向かって手をかざし、同じく詠唱を始めようとしたロイドだったが、女の姿を見て一瞬動きが止まる。直後、女が呪文を完成させた。
「風の鉄槌。」
「…ぐあっ!」
視覚では視ることの出来ない大気が大きく蠢き、衝撃波となってロイドの身体を吹き飛ばした。壁に打ち付けられ、そのままずり落ちる。その衝撃に耐えきれなかったのか、彼の顔を覆っていた仮面が真っ二つに割れた。
その下から、細められた碧眼と苦しみに歪んだ唇、血色の良い肌が露わになった。金髪が幾分か乱れてはいたが、彼の眼光の鋭さを遮ることはなかった。
「…アンネローゼ…」
仕方なく、といった風に呟く。しかして、それは彼が口にしたいと願っていた名であるかもしれなかった。このような状況であっても、その名は彼に甘美さを感じさせるに充分だった。女は仮面の下から現れた顔に驚きながらも、すぐに平静さを取り戻していた。
「ロイド……久しぶりね。」
「何故、このようなことを…」
「貴男なら、分かると思ったのだけれど…違う?」
「…否定は出来ませんね。」
溜息混じりに言う。
彼女が何をしているのかは、容易に想像できた。兄を甦らせる、そのためであれば犠牲を恐れないのだ、この美しく聡明な女性は。その燃えたぎる情熱と、妖艶さに彼は惹かれたのかもしれなかった。
再び溜息をついて、割れた仮面を手にする。結局其れは、もっとも顔を見られたくない相手の前で砕けたのだ。しかし、意外にも焦りや落胆はなかった。
目を逸らされたことは気にせず、アンネローゼは艶やかな唇を動かした。
「私に逆らうなんてことしないわよね。私に適わない以上、それこそ愚行に過ぎないわけで…そもそも貴男には私を殺すことは出来ないのでしょう?」
「…確かに。貴女に勝てたことは一度もありませんからね。」
その言葉にアンネローゼはくすっ、と笑った。
雷が彼らを照らす。そのときになって、彼女の格好が最後にあったときと同様のローブであることに気づいた。何となく呆けたような、厳しいような----両極端の表情を混在させる。
「……ロイド…知り合い、なの?」
恐る恐るサラディーンは口を開いた。
「えぇ。義姉です。兄の、結婚相手です。」
ロイドの苦々しい笑みに、不意にサラディーンは気づいた。彼女----アンネローゼは、彼の想い人なのだ。
ならば彼はその情熱的な感情のままに、アンネローゼのために身を尽くすのだろう。己の愛おしさは、ロイドに届いていたとしても拒絶されるのだ。
「…そう。」
サラディーンは弱々しく返事をした。それでも、女に抵抗する意味が崩れ去ってゆくのを、何とかして止めようときつく目を閉じる。
「ロイド、相変わらずお人好しね。」
「えぇ。」
苦笑のために俯き、しかしすぐにその顔を上げてサラディーンを、アンネローゼを見つめる。
「…5年あまりも仮面をしていましたが……私は仮面によって貴女への愛おしさを忘れまいとしていただけのようですね。」
「ご苦労なことね。でも、そのことに干渉する気はないわ。」
「私もそのつもりはありません。」
油断も隙のないアンネローゼだったが、ロイドの様子に疑問を持って首をかしげた。
「どうも……仮面が砕けて、隠し続けていた心を見つけてしまったようです。愛おしかった女性と、護りたい方が別になってしまったみたいですね。」
「…ロイド…?」
彼の名を呼ぶ巫女へ向かって、微笑する。余裕を持たせたかったが、状況だけにそれは無理なようだった。
壁に打ち付けられはしたが、ローブで身体への創傷は免れたようだった。少々の痛みは無視して、割合普通に立ち上がる。そして手にしていた仮面を捨てた。
「私とやるつもりなの…馬鹿ね?」
「貴女こそ…兄が貴女の愚行を望むとは思えませんが。」
一度言葉を切る。無駄と分かってはいるが、それでも彼は伝えた。
「私は貴女と…争いたくはない。」
「あの人と私のことよ、口をはさまないでっ。大体…なんであの人が死ななければならないの!?」
冷静な顔に、一転して怒りが渦巻いた。
「邪魔するなら、排するだけよ…集え生命の泉よ、鋭さと冷酷さを以て此処に集え…水刃の舞」
もはや止められないのかと、ロイドも詠唱を始めた。
「…貫け意志、汝が翼を以て飛び立て…炎刃の舞。」
二人がほぼ同時に呪文を完成させると、塔の中に水の刃と炎の刃が出現し、無数の揺らめきを発して空を舞った。そして衝突し、互いの威力が相殺される。
「っ」
反動で、互いに一歩退く。だが衝撃は魔力において勝っているアンネローゼの方が小さかった。ロイドが体勢を戻す前に、再び魔法を放つ。
「風の鉄槌っ!」
「護りの…」
咄嗟に唱えた防御魔法は、未完成のままだったが幾分かは衝撃を和らげたらしい。腕で顔を覆うようにしながらも、2,3メートルほど後退するに留まる。即座に意識を防御から攻撃へ切り替える。そして腕を大きく振るいながら叫んだ。
「…炎帝の剣っ!」
虚空に赤い炎が迸り、一振りの太刀となる。ロイドはその柄を握りしめ、駆け出した。
(詠唱には時間がかかる…直接攻撃の方が有用かっ!?)
ある程度であれば、具現化した炎の剣は魔法を砕くことが出来る。水魔法の数撃程度であれば、相殺されながらも彼女の懐へ飛び込むまでは保つはずだった。
一太刀さえ与えられればいいのだ。
しかしアンネローゼは乱れた黒髪をそのままに、焦る様子もなく口を開いた。
「大気よ奮えよ、我が命によりて震えよ…」
「なっ!?」
思わずロイドは悲鳴をあげた。
彼女が放ったのは風魔法である。本来、風は炎の勢いを強くするだけだった。炎の魔法を打ち消せるのは水でしかないのだ。たった一つの例外を除いて。
大きく上回る威力の風魔法で、相手の魔法を砕くこと。それは互いの威力を消し合うことなく、純粋に力と力のぶつかり合いとなる。しかし成功しなければ、風は炎の威力を強めるだけだった。
「…っ」
構わず、ロイドは床を蹴った。タイミングを見計らったように、風魔法も完成する。
「風の鉄槌っ!」
「はぁっ!」
向かってくる衝撃波を見極める。大気を束ねる魔力の狭間へと、太刀を振り下ろした。炎の尾がロイドの顔を掠め、彼の両脇を衝撃波が通り過ぎた。
炎の剣はレイピア程度までに細くなっていたが、気にせずに飛び込んだ。アンネローゼが瞳を鋭くして、手をかざした。その意図するところを察して、ロイドは剣に重ねて魔法をかけた。
「風帝の壁!」
「炎帝の剣!」
アンネローゼの周囲に張られた風の壁と、ロイドの荒々しいまでに炎をいきり立たせた太刀が衝突した。瞬間。双方の魔力の衝突で、光が弾けた。
(…硬い、がっ)
柄を握りしめた手からは血が流れ出ていたが、ロイドはさらに強く握りしめて風の壁を押した。甲高い音ともに壁が砕ける。光で見えない視界を無視して、光の中へと躍り込む。
そして人影へと剣を突き立てた。
「…ぐっ」
しかし呻き声を上げたのは、ロイドだった。
頬に大きな切り傷をつくりながらも、彼の刃を辛うじて避けたアンネローゼは、小さな短刀を彼の腹部に突き立てていた。魔法の衝突による反動で手は傷つき、短刀の柄からは血が滴る。
アンネローゼはさらに短刀を深く押し込めた。
「が…は」
喉元を血が逆流し、ロイドは血を吐き出した。その血が彼の金髪を深紅に汚した。同時に鉄の臭気が辺りを満たす。冷徹にそれを見下ろして、アンネローゼは短刀から手を離した。そしてトドメの一撃を放った。
「大気よ奮えよ、我が命によりて震えよ…風の鉄槌!」
「…護りの…」
防御魔法は間に合わずに、衝撃波が間近から身体に叩き込まれた。腹部から鮮血を迸らせながら、ロイドの身体はサラディーンのすぐ横の壁に打ち付けられた。
「ロイドッ!」
崩れ落ちた身体の側へ、拘束されながらも何とか近づく。その瞳に、ロイドは口の端から血を流しながらも優しく説いた。
「…サラディーン……ダメです。神の力を攻撃に使ってはダメです…」
「けれどっ」
「その力は大きすぎます…一人を殺生するどころではないこと、ご存じでしょう?何よりも…あなたに人を殺してほしくないんです。」
我ながら恥ずかしい台詞だ。胸中で呟く。だが本心でもあった。
ロイドは再び立ち上がった。
「サラディーン、少々熱くなるでしょうが…申し訳ありません。」
蹌踉めく身体を、壁に手をついて支える。ロイドはすべての魔力を集中させた。下に向けたまま緩く開いた掌に、熱が集中した。同時に体内の血が沸騰したかのように、身体も火照りだす。やがて掌が赤く光り出した。小さく、囁くように、詠唱を始める。
「…炎の和、炎の環、炎の羽。廻り廻りて、其れでも前へと歩む力を以て…」
「そ、其の呪文は…っ」
アンネローゼが、初めて狼狽えた。
彼が唱えているのは、火属性の魔法の中でも最高峰に位置する物だった。魔力と生命を燃焼させることで、自らの力を超えた魔法を行使するのだ。彼が勝つにはそうするしかなかった。
己を護るためにも、彼女は攻撃魔法を繰り出そうとした----攻撃は最大の防御、である。
「大気よ奮えよ、奮えよ。我が命によりて震えよ…」
「…ダメ、ロイド、ダメよ…あなたが死ぬなんて…許さないわ!」
サラディーンの悲鳴にかかわらず、二人は呪文を完成させようとした。
「風の…っ!」
「不死鳥の…っ」
空間が魔力による干渉を受けて、不自然に蠢こうとした。それを感じてサラディーンは叫んだ。
「だめぇぇぇぇぇっ」
唐突に、空間のゆがみが閉ざされ、その余波で大気がチリチリと音をたてた。
「……呪文が……はじかれた…?」
呆然としてアンネローゼが自らの手を見下ろした。先程まで魔法を繰り出そうと熱を高めていた身体には、余熱しか残っていなかった。
ゆっくりと顔を上げて、栗色の髪を乱した巫女を見る。
魔法を----それも超一流の魔導士が放とうとした魔法を阻むことなど、常識では考えられなかった。だが、彼女の仕業だとしか思えなかった。見れば彼女が施していた魔法の紐も消滅している。
サラディーンはそのことに気づいたのか、気づかなかったのか、脇目もふらずに床に座り込んだロイドへと駆け寄った。そして頬を平手打ちした。された方は、わけが分かたなかったのか呆けている。
「ロイド…っ死んだら…死んだら……ヤダ…」
「…サラディーン…」
泣き出しそうな彼女の目尻を、血の滲んだ指先で拭う。逆に血が白い肌に付いてしまったのだが、彼女は気にした風ではなかった。彼が流血していることの方が辛い、とでもいう表情をしている。
アンネローゼはしばらく二人の様子を見ていたが、我に返った。ロイドを倒して、巫女の精神に付け入るのに絶好のチャンスだった。
「…大気よ…っ!?」
ふと肩を掴まれた気がして、思わず呪文を飲み込む。それは懐かしい雰囲気だった。自分が震えていることに気づかず、泣き出しそうな眼になって振り返る。
其処に、彼がいた。
「…あなた…」
その声に、ロイドも気づいたようだった。目を見開いて呟く。
「……兄上……」
生前の兄の姿がモノクロの色彩になりながらも、立っていた。幾分か不安定にゆらめいていたが、言葉を紡ぐのを妨げることはなかった。
(アンネ…もう良いんだ…)
「……でも……私……」
(そこに…)
死霊となった者は、ぎこちない動作で----それは死霊となったからというよりは、単純な気恥ずかしさからであるようだった----、アンネローゼの下腹部を指し示した。
「…まさか…」
(うん、子供がいるんだ。蘇生が成功しても、魔物が現れれば……君だって無事には済まないよ。)
だから、と言葉を紡いで----押し黙った。それ以上のことは微笑めば分かってしまうことだったのだから。微笑まれて、アンネローゼは堪えきれなくなった涙を一筋、頬につたわせた。彼は女の嗚咽を漏らす姿を、透き通った腕で優しく抱擁して、天空へと溶け込んでいった。
「……」
不謹慎だとは知りながらも、ロイドは隣で座り込んでいるサラディーンの手を握りしめた。一瞬驚いた彼女だったが、すぐに顔を崩すようにして微笑むと、その手を握り替えした。
やがてアンネローゼが眼を赤くしながらも、凛と顔を上げると、ロイドはその視線を正面から受け止めた。
「お気を付けて。貴女が取り乱すと、兄上は心配で寝てもいられないのでしょうよ。あまり苦労をかけないで下さい…さよなら、アンネローゼ。」
「…えぇ。ごめんなさい……さよなら。」
彼女は巫女が気づかない間に、回復魔法をロイドにかけた。透明な水が身体を包み、腹部の傷が癒される。あれだけの魔法を放っておきながら、と完敗の意を表して苦笑する。
疲れ果てているようではあったが、彼女は強い眼光を取り戻して、塔の階段を下っていった。サラディーンは、不安げに隣の男を見上げる。
「……いいの?」
その問に答えることなく、ロイドは彼女の手を引いて立ち上がらせた。
「サラディーン…私と、平原を駆けませんか?下に馬を待たせてあります。」
「…ロイド、またはぐらかす気?」
「あの…私、こう見えてもロマンチストでしてね。一度…一度で良いから愛しい方と馬に乗ってみたかったんです。」
今まで見たことのなかった彼の頬は、恥ずかしさのためか赤く染まっていた。顔をこれ以上見せまいとしたのか、彼女の手を握りしめたまま先を歩く。
「……怪我は…」
「私とでは、嫌ですか?」
ロイドの言葉に、サラディーンは大きく頭を振った。
「いえっ、嬉しいわ!」
背後から彼に腕を回して、彼女もまた頬を赤く染めた。
辺りには朝露の香りが、日光とともに満ちようとしていた。
終
2003/03/22 宙人
宙人さまの創作小説サイト「土の双唇」でキリバンの4000Hit…のニアピン(笑)4008Hitを踏んだ記念にいただいた小説です。
リクエストのお題は「仮面」。そしたら、こんなに素敵なラブロマンスが♪しかもボリュームたっぷり!本当に、どうもありがとうございました〜☆