機械人形王女


 むかしむかし、小さな王国があって、優しい王様と美しいお妃様がいました。
 しかし、王様とお妃様には、いつまでたっても後継ぎの子供が生まれませんでした。王様もお妃様も、そして国民もみんな困っていました。
 そんなある日、一人の妖精がお城にやって来ました。
 『お二人に子供を作ってあげましょう』
 妖精は言いました。そして、木の人形から、可愛い女の赤ちゃんを作り出しました。
 王様とお妃様は大変喜び、その子をお姫様としました。
 『ただし』
 と、妖精は言いました。
 『決してお姫様に恋をさせてはなりません』
 『それはどうしてでしょう?』
 王様とお妃様が尋ねると、妖精は不気味に笑って答えました。
 『恋をしたら最後、お姫様は人形に戻ってしまいまいます。冷たくて堅い、ただの木の人形にね……』

 レムラード王国の王女、マリア・ヴェルヴェット・ファルスターは、母親である王妃がよく話してくれたこのおとぎ話が大好きだった。だが、人形になった王女がどうなるのか、その結末は知らなかった。
 小さい頃から仕えているメイドのリーシャは、恋を貫いたお姫様は本当に人間の体を得て幸せになったのだ、といつも言い張っていた。
 「だってそうでしょう?じゃないと、おとぎ話じゃないですもの」
 「そうよねぇ」
 マリアもその意見に賛成だった。
 「人形に戻っちゃうだなんて可哀相過ぎるわ」
 「さ、お休みの用意が整いましたわ、マリア様」
 話をしながらでもリーシャはてきぱき仕事を済ませる。シーツを整え、ピロケースを取り替え、王女の髪を梳いて、一丁上がり。最後に、窓を閉めた。
 「それでは、よい夢を」
 「あ、待って、リーシャ」
 珍しく王女はメイドを呼び止めた。
 「今夜は窓を開けておきたいの」
 「え?どうしてでございますか?」
 今日はそんなに暑いわけではない。リーシャは首をひねりながら窓を開けた。ちなみに、箱入りお姫様であるマリアの部屋は搭の最上階にあるため、賊が侵入する心配はない。
 「今日は月が綺麗でしょう?眺めながら眠りたくなったの」
 マリアの笑顔に、リーシャはうなずいた。それなら分かる、今夜は美しい満月の夜だ。
 「分かりました」
 ついでに風をはらんで美しくカーテンがひるがえるように上手く整えて、彼女は頭を下げた。
 「では、マリア様が寝付いた頃にまた伺って、窓を閉めておきますわ」
 「そうして頂戴。それじゃ、おやすみ」
 「はい」
 リーシャが静かに扉を閉める。マリアはベッドの上に座り込み、夜空を見上げた。
 金色の満月、銀色の星。
 恋って、どんなものだろう。
 外の景色を眺めながら、最近、時々そう思う。物心ついた頃からずっと、彼女は城の中で暮らして来た。近くにいる男の人といえば数えるほどしかおらず、それも皆、父親だの大臣だのといった年上すぎる人ばかりだった。二人だけ年頃の釣り合う男性がいるにはいるが、恋に恋する王女の眼中には入りようもない。
 親衛隊長のキンブルはいつも鎧兜で身を固め、一度も顔を見たことがないし、宮廷魔術師の孫ランディスはボサボサの長い髪の毛がいつも顔にかかっていてだらしない事この上なかった。
 もちろん、あんなんじゃ、ダメ。
 王女はあと一月で十七歳の誕生日を迎える。恋に恋するこの年頃の少女は、理想が高いのだ。
 こうもっと、ハンサムで背が高くって、声だってとろけるように甘くって。
 「どこかに素敵な人、いないかな…」
 それとも、このまま顔も見たことのない貴公子と、お見合い結婚するのかな。
 夜の風がゆるやかに吹き込んでくる。ぼんやりとする、楽しい一時。
 その時、カーテンがふわり、と一際大きく舞った。
 トン。
 続いて、軽い足音を立てて、誰かが王女の部屋の窓際に降り立った。
 「えっ…?」
 マリアは自分の目を疑った。
 一体、どこから…?
 突然の侵入者に悲鳴を上げる事も出来ず、王女は驚いてうつむき、体をすくませる。そんな彼女を見て、相手はくすっと笑った。
 「心配しないで」
 男が言った。それは、とても優しくて、甘い声だった。
 「あなたを傷つけに来たわけではありません」
 「…本当?」
 生来の素直な性格からか、マリアは脅えながらも顔を上げた。
 蝋燭と、月の光に照らされて、一人の青年がそこに立っていた。艶やかな銀髪、すらりと長い手足、そして、微笑みを浮かべた顔の美しいこと。
 細身の体にぴったりとフィットした黒い衣装は盗賊風で、とてもよく似合っていた。
 彼は、にっこりと笑って言った。
 「ただ、この搭に、美しい王女様がいると聞いたので、是非一度そのお顔を見たいと思っただけです」
 とんでもなく気障な台詞だった。
 だが、マリアには、初めての経験だった。
 「噂通り美しい…こんな所に閉じ込めておくのは勿体無い」
 そう言いながら、彼はすっとベッドサイドに片膝をついた。右手から、魔法のように一輪の薔薇を取り出す。銀の腕輪が、蝋燭の光を反射してきらめく。
 「どうぞ」
 「あ…ありがとう」
 王女がそっと手を伸ばす。彼は、その瞬間を逃さなかった。
 細い手首をぐっと掴み、力強く彼女の体を引き寄せると、あっという間もなく抱き締めて唇を奪った。
 一瞬のキスの後、そっと顔を離す。男の緑色の瞳が優しく王女を覗き込んでいた。
 「ご無礼をお許し下さい」
 「あ……っ」
 「ですが」
 呆然とするマリアを元通りベッドの上に座らせて、彼は再び窓際に立った。
 「あなたの唇、確かに頂きました」
 そして。
 月明かりの夜空へと、男はその身を躍らせる。
 「あっ、ま…待って!」
 せめて、名前を…!
 そう思った瞬間、マリアは生まれて初めて、自分の胸がいつもと違う鼓動を刻んでいる事に気が付いた。
 切なくて、苦しい。これは、一体…?
 だが、その直後。
 ミシッ!
 不吉な音が、静かに響き渡る。
 ミシッ…パキッ、ボキッ……
 王女は倒れた。

 夜半過ぎ、メイドのリーシャは約束した通り、静かに主人の部屋のドアを開いた。
 カーテンがゆるやかに風に舞い、窓の向うに星空が見える。蝋燭はもう燃え尽きて、月と星の灯りだけが部屋をぼんやりと照らしている。いつもと変らない光景に、彼女は何も考えず中に入ってドアを閉めた。
 「……リーシャなの?」
 王女が、小さく声をかけた。
 「あっ、そうですけど…まだお休みになってなかったのですか?」
 「うっ…ううっ…」
 リーシャが答えると、突然、マリアは泣き始めた。
 「マリア様!?どうなさいました?」
 「あたし……」
 ベッドとは明らかに違う方向から王女の泣き声がする。リーシャは薄暗い部屋の中をきょろきょろと見回した。
 「どこです?どこにいらっしゃるんです?」
 「…あたし、壊れちゃった」
 「え?」
 突拍子もない言葉が、すぐ近くから聞こえる。
 恐る恐る、自分の足元を見下ろしたリーシャは、とんでもないものを発見した。
 「ヒッ……!!」
 それは、マリアの首。
 首だけがカーペットの上にちょこんと立っていた。
 「や……マ、マリア様……」
 リーシャは腰が砕けたようにその場にへなへなと座り込んだ。悲鳴も出ない。
 二人はしばらくの間、声もなくお互いの顔を見つめ続けた。
 「リーシャ」
 やがて、涙をこらえながら、マリアが言った。
 「あたし、一体どうなってる?」
 「お……おっしゃった通り…壊れて、ます」
 首の向こうには、バラバラになってしまった手足や胴体が破片となって転がっている。それは、人間ではありえない光景だった。
 王女の瞳に、また涙があふれた。
 「あたし…人形なの?」
 「そんな……バカな」
 あれはおとぎ話だと、二人とも信じていた。だが、マリアの体はまぎれもなく、人形のように壊れて転がっている。
 リーシャはそっと手を伸ばし、マリアの首を拾い上げた。
 「痛くないですか、マリア様」
 「うん……」
 長い髪をそっとなでて、リーシャは主人の頬に頬擦りをした。
 「あったかい……あったかいです、マリア様。それに、とっても柔らかい…」
 「リーシャ…?」
 「マリア様は人形なんかじゃありません、大丈夫です!」
 そして、彼女は王女の首を抱え、すっくと立ち上がった。
 「とりあえず、王様のところへ行きましょう。きっと何とかして下さるでしょう」

 「…うん」
 国王と王妃は、変わり果てた娘の姿を見て絶句した。
 「お父様……あたし」
 「……うーむ」
 不安そうなマリアの声に、王は眉を寄せた。
 「これが心配で、若い男は絶対近付けぬようにしておいたというのに……マリアよ」
 「はい」
 「好きな男が出来たのだな?」
 リーシャに抱えられたまま、マリアはぽっと頬を染めた。それ以上、聞くまでもない…王女は確かに恋をしたのだ。
 だが、その後に聞かされた国王の話は残酷にも、マリアの希望を打ち砕いた。
 『恋をしたら最後、お姫様は人形に戻ってしまいまいます。冷たくて堅い、ただの木の人形にね……』
 おとぎ話は事実だった。幼い頃から何度も聞かされていたこの物語は、マリアに対する両親からの忠告だった。
 搭のてっぺんに部屋があったのも、城から外に出さなかったのも、お付きの若い男性がみな顔を見せなかったのも、すべては彼女を守るため。
 それが、今、無駄になろうとしていた。
 「そんな…」
 言葉を失ったマリアの代わりに、リーシャが言った。
 「では、マリア様は、このまま……?」
 「いや、助かる方法が一つだけある」
 途端に、少女たちの顔がぱっと明るくなった。
 「それは!?」
 「それは……」
 国王は少し口篭もり、そして重々しく告げた。
 「相手の男を探し出し、その心臓をお前自身の手で貫く事だ」
 「!!」
 「お前を作ってくれた妖精が言ったのだ。相手の血を受ける事により、お前に真の血肉が出来るのだと」
 マリアは蒼白になった。
 「そ、そんなこと……」
 「やらねばならぬ」
 父親は厳然と言い切った。
 「お前は、このレムラードの女王となる身。何があっても死んではならん…分かるな?」
 「う……」
 それは分かる。分かるけれど。
 初めて好きになった相手を自分の手で殺す。その血を浴びて、人間に戻る。
 そんな恐ろしい結末が待っていたとは誰が予想しただろう。
 青い瞳に涙があふれた。
 「……出来ません」
 「では、この年老いたわし達を残して、人形になってしまってもいいと言うのか?」
 「……それも、嫌です」
 「マリア様……」
 リーシャがぎゅっとマリアの首を抱き締めた。
 「王様。お言葉ですが…これでは、あまりにも、マリア様が可哀相すぎます!」
 「うむ……」
 国王も顔を曇らせてうつむく。
 「分かっている…分かってはいるが……」
 重苦しい沈黙が、国王の寝室を支配する。誰も、何も言えないまま、しばらく無駄に時間が過ぎた。
 そして、長い時間の後、父は決断を下した。
 「その男を、探しに行ってみるか」
 「え…っ?」
 「殺すか、殺さぬかはいずれにせよお前次第だからな。とにかくもう一度、会ってみるがよかろう」
 「お父様…!!」
 みるみる少女達の顔が明るくなった。
 「ただ、その男の顔を知っているのはお前だけだしな…探しに行くとしても、何か方法を講じなければ。今のままでは満足に歩けもしないだろう」


続く…

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