深夜、突然の呼び出しに、二人の若者はかしこまっていた。
「お前たちに来てもらったのは他でもない」
国王の声は重い。
「時間がないので単刀直入に言うが、今すぐ、マリアを連れて城を出ていってもらいたい」
「え?」
二人は驚いて顔をあげた。
騎士キンブルと、魔術師ランディス。将来、王女の側近となるべく育てられた若者たちである。だから、国王が彼女を城外にも出さないほどに溺愛していることをよく知っていた。そして、その理由も。
「それは一体どういう事でしょうか?」
キンブルが尋ねた。レムラードの紋章のついた銀色の鎧兜に、親衛隊の隊長であることを示す赤いクレスト。しかし、顔の大部分は面頬で隠され、口元しか見えない。
それは隣にいるランディスも同じだった。手入れのなっていない黒く長い髪が野暮ったく彼の顔を覆っている。
国王はそんな二人の顔をしばらく眺め、それから小さくため息まじりに告げた。
「マリアが…戻ってしまいそうなのだ」
「えっ」
今度は、キンブルとランディスは揃って間抜けな声を上げた。
「戻るって…まさか」
キンブルがつぶやいた。
「本当に……人形だったのですか!?」
「何だ、信じていなかったんですか?」
ランディスが隣を振り返り、少しバカにしたように言う。
「だって、どう見たって人間にしか見えないじゃないか」
「では陛下のおっしゃった事をウソだと思っていたという事ですね」
「なにぃ?そんなこと…」
「お前たち!」
国王が今にも喧嘩を始めそうな二人を厳しく叱咤した。
「今はそんなことで揉めている場合ではない!とにかく、こっちへ来て、その目で見てみるがいい」
王は立ち上がり、彼らを自分の私室へと招き入れた。
「どうだ。そちらの支度は出来たか?」
「はい、何とか」
そこにはリーシャと、年老いた宮廷魔術師カシムが立っていた。二人の足元には床の絨毯が見えないほど本だの木片だの金属片だの石だのが転がっており、王の私室ではなく錬金術師の工房のような散らかりようだ。
「これは、一体…?」
二人の青年が驚いて辺りを見回す。やがて、その視線は吸い寄せられるように、ある物体のところで止まった。
椅子に腰掛けている巨大な人形。
それは鎧を着けた戦士の姿をしていた。プレートメイルが隙間なくその体を覆い、ところどころ見える関節の継ぎ目にはきっちりと包帯が巻かれていた。ぴくりとも動かないその姿は、丁度、戦に負けて傷だらけになった傭兵の亡霊のように見えた。
そして、その無骨な体の上に乗っているのは。
「……姫!」
柔らかそうな金髪、大きくて青い瞳。
不安そうに唇を震わせる、マリア王女の顔があった。
「…キンブル、ランディス」
二人に気付いて、うつむいていた彼女が顔を上げた。
「ごめんなさいね、急に呼び出したりして」
「いや、それは構わないのですが…」
キンブルが尋ねようとした時、老魔術師が目を細めて彼を見た。
「急ごしらえで作った体じゃ。姫様が一番我慢しておられる、お前らが文句を言うでない」
「では、それはお爺様が?」
「そう」
孫の質問に、祖父は不服そうにうなずいた。
「ほんの数刻ではこれが限界じゃ…本当に申し訳ございません、姫様」
「いいのよ」
マリアが言う。
「とりあえず人間に見えるし、普通に動けるから…これなら、外へ出られるでしょう?よいしょっと」
ゆっくりと椅子から立ち上がる。身長は軽くキンブルの頭一つ分高かった。見下ろされた二人が、唖然として口を開ける。
国王もしばらくの間、言葉もなく娘の変わり果てた姿を眺めていたが、やがて、青年たちを振り向いて言った。
「キンブル、ランディス」
「はっ!」
「はい」
「分かっているとは思うが、お前たちは、マリアが好きになったという男を探さねばならん」
「はい」
二人が一様に口を真一文字に結んでうなずく。
「本来ならそのような人探し、国を挙げて行えばよかろうと思うだろうが、なにしろマリアがこうだからな。内密に事を運ばねばならない」
「そうですね…」
ランディスが神妙にうなずいた。
国王にはサウザント公という少し年の離れた弟がいる。これが非常に野心的な男で、マリアが生まれるまでは虎視耽々とレムラードの王位を狙っていたのだ。王女が出来て大人しくなってはいたが、諦めたとは思えない。
今、マリアが人形である事が彼にばれれば、どういうことになるかは容易に想像出来た。
「マリアの願いでもある。お前たち、マリアを連れて城を出よ。そして、何としてもその男を見つけ出すのだ」
「はいっ!」
二人は揃って頭を下げた。
『親愛なるサウザント公爵様へ。
報告致します。マリア王女は、閣下の思惑通り恋に落ち、見事に壊れました。その後、宮廷魔術師カシムの手により、少々不格好ではありますが歩いて動ける形となり、私を見つけるために旅立つこととなりました。おそらく、城の方では急病とでもいう事になるのでしょうね。
行くあてはないはずなのですが、とりあえず東へ向かうことになりました。数日の間はファデッカに滞在する模様です。
また、何か動きがあればご連絡致します。
あなたの忠実なる下僕、マクレーンより。』
王女マリアが急病に倒れたという知らせを受けたその日の昼過ぎ、サウザント公は一通の書簡を受け取っていた。
「ふふふ…計画はうまく動き出したようだな」
ほくそ笑みながら二度ほど読み返した後、灰皿の上で火をつける。手紙はみるみる燃え尽き、わずかに白い灰を残した。
これで、証拠は何もない。あとは、忠実な下僕に前金を払ってやるだけだ。
小さな革の小袋に、懐からつかみ出した金貨を無造作に入れる。そして、それを窓辺で待っていた伝書鳩の足にくくりつけた。
「さあ、早くあやつの元へ帰るのだ…次の知らせを期待しているぞ」
小さな鳩は、クーッと一声鳴くと、翼を広げて飛び立った。くるりっ、と一回弧を描き、そのまま真っ直ぐ東の空に消えていく。
サウザント公は、その様子を満足そうに眺めた。
それから、彼は手を叩いて小姓を呼んだ。
「馬車の用意をせよ。今から王女の見舞いに行く。王城へ向かうぞ!」
楽しみだ。
兄が、一体どんな顔をして面会を断るだろう。さぞかし困っているだろうから、チクチクといじめてやるとするか。
そうだ。
「花屋へ寄って行こう。たくさん花を買って行くのだ。そうすれば、王女もさぞかし気分が良くなられるだろう」
兄の大事なお人形が完全に壊れるまで、あと少し。必ず、化けの皮をはいでやる。 王と王女が、国民を騙していた事を必ず白日の下にさらけ出し、そして、私がこの国の王になるのだ。
サウザント公は高らかに笑った。
「うわぁ…すごい、人が沢山いるのねぇ」
ファデッカは大通りには、今までに見たことがないほど沢山の人があふれていた。生まれて初めて見る庶民の生活という奴に、マリアはとても驚いていた。
「マリア様、あまりよそ見をしていると転びますよ」
リーシャがマリアの腰にしがみついて言った。恐ろしく身長差があるので、くっつこうとするとそうなるのだ。
「ここへ来るまでに何回転んだと思ってるんですか?」
「もう大丈夫よ。この体にもだいぶ慣れたもの」
ニッコリと笑って、マリアが両手を広げた。
美しい金髪にも、鎧にも泥があちこちついている。重たい体と長い足をうまく扱えなくて、街道の途中で何度も彼女は倒れたのだ。その度に起こすのがまた大変で、リーシャも、キンブルもランディスも一緒に泥だらけになった。
それでも、マリアはめげなかった。次第に上手く歩けるようになると、自然と笑みがこぼれる。そして、ちょっと油断する。
「あっ、見て、あれ……あっ?」
石畳の小さな段差につまづいて、鉄の体が傾いた。
「わあっ、危ないっ!!」
キンブルが叫んで飛びのいた。一度やってみて彼は思い知ったのだが、倒れていくマリアを支える事は出来ない。手なんか引っ張ると一緒に倒れるし、うっかり下敷きにされると怪我をする。
だが。
ドン!!
鎧の音を高らかに響かせ、さっきまでキンブルがいた場所にマリアはばったりと倒れた。
「大丈夫ですか、姫」
改めてキンブルは彼女の傍に膝をついた。慣れたもので、すぐに反対側にランディスがひざまずく。
「どうします?ここは地面がしっかりしているから、自分で起きてみますか?」
「……うん」
マリアは返事をして、地面に両手をついた。三人がはらはらしながら見守る中、上半身を起こす。ミシミシと体のきしむ音をさせながら、彼女は意外と早く立ち上がった。
「ほら、大丈夫でしょ?」
だが、ほっとしたのも束の間だった。
「何が大丈夫なもんか!」
突然の罵声に振り返ると、数人の男達がマリアたちをにらみつけていた。
「あら、どうなさいました?」
「何だとォ?」
低い声でドスを効かせ、ねめつけるようにマリアを見上げる。
「ぶつかってきといて、挨拶もなしかよ、エ!?」
「それは申し訳ございませんでした」
しかし、彼女はその意味を全く理解していなかった。ニッコリと微笑み、軽く会釈をする。
ごろつき達のはげた頭に、見る間に血が昇った。
「テメェ、この大女が…ナメるんじゃねぇぞ!」
「!?」
驚くマリアの目の前で、彼らが剣を抜く。たちまち辺りは険悪な雰囲気になり、周りの野次馬たちがさっと場所を空けた。
「これは、一体…?」
「姫、お下がり下さい」
キンブルが剣を抜いた。
「このような下賎な者どもに、姫が煩わされる必要はございません。こんな輩など…!」
だが。
「キンブル殿」
ランディスが、彼らの間にすっと割って入った。右手を伸ばしてキンブルを制し、静かに言った。
「剣を収めて。ここは私に任せて下さい」
「だが…」
「おう、何をゴチャゴチャ言ってるんだ?」
しぶしぶ、騎士は剣を収めた。三人が見守る中、魔術師は男達に向き直る。その口元が、にっこりと微笑んだ。
「どうもご迷惑をおかけしました」
「謝ったぐらいですむと思ってんのか!」
「オレたちはなぁ」
猫背のランディスは、たちまち取り囲まれた。
「あの大女に、どう落とし前つけてくれるかって聞いてんだ。エェ!?」
キンブルがぎりっ、と唇をかむ。リーシャとマリアは、不安げに互いの顔を見合わせた。
しかし、ランディスはしれっと言ってのけた。
「あの大女、とおっしゃいますが、あれは人間じゃないんですよ」
「ヘッ?」
男達の驚きの声。
そして、立ちすくむマリア。
ランディスは微笑みを浮かべたまま、彼女を振り返った。
「あれは私の作ったゴーレムなんです。まだ試運転中なので、みなさんにはご迷惑をかけてしまいましたが…」
言いながら、懐から小さな皮袋を取り出し、一人に手渡した。
「どうかこれで穏便にお願いします。私もあれを壊されては困るんですよ、ね?」
男達は巾着を太い指でそっと開いた。そこには、金貨が数枚入っていた。
「おおっ……!」
おそらく、そんなものは見たことがないのだろう。金色の照り返しを受けた彼らの顔が驚きに染まり、そしてみるみるうちに嬉しげに崩れていった。
「いや、こっちこそ、大人げない事言って悪かったな、兄ちゃん」
「そうか、ゴーレムじゃしょうがねぇよな。それにしても、よく出来てるじゃねぇか」
「分かって頂けて、こっちも嬉しいですよ」
ランディスも笑った。
「では、私たちはこれで」
「ああ。この街で何かあったら力になるぜ」
「困ったら声かけてくれよな。それじゃ」
男達が手を振って立ち去っていく。野次馬たちも散らばり始めた。
あとには、マリアたちだけが、人の流れに取り残されるように、立ち尽くしていた。
「お前ッ…あんな事を言って、一体何様のつもりだっ!!」
キンブルはランディスの胸座をつかみ、ぎりぎりとその首を締め上げていた。
「姫が…姫が、どんな思いをしたか分かってるのか!?」
宿屋の部屋に入るなり、騎士は荷物を乱暴に投げ捨てて魔術師につかみかかったのだ。
ランディスは顔をそらさず、真っ直ぐに答えた。
「では、君はあそこで喧嘩をするつもりだったのですか?殿下はまだ満足に動けないのに、何かあったらどうするのですか」
「だからって、あんな言い方はないだろう!」
二人は、にらみ合った。だが、お互いに表情のつかめない相手では長い間続かない。キンブルは手を離した。
「とにかく…姫は人間だ!人形じゃない」
「それは私だってそう思っていますよ」
ランディスは不機嫌そうにローブを直す。
「ですが、やはり、あそこで目立つのは得策ではありません。私たちの目的は人探し…それも、殺すためなんですからね」
「それはそうだが……!!」
キンブルは黙り込んだ。
そこへ、控えめなノックの音が響いた。
「キンブル様、ランディス様…失礼致します」
そっとドアを開けて、リーシャが滑り込むように静かに入って来た。
「どうした?」
「マリア様が、少しの間、一人になりたいとおっしゃって、それで」
そう言って、ちらっと魔術師を見る。リーシャの表情は曇っていた。
「きっと……私のせいですね」
ランディスはうつむいた。
「当たり前じゃないか!」
「キンブル様っ」
また、つかみかかろうとする彼の腕を、リーシャがとっさに止めた。
「あのっ、喧嘩はやめて下さい!」
「それじゃリーシャ、お前はこいつを許せとでも言いたいのか?」
「いえ、その……私、今は、そういう事を言いに来たんではないんです」
彼女はおろおろと手を引っ込めた。そして、首にかけていた袋を胸元からそっと取り出した。
「マリア様のいないところで、お二人にお話しておかなければならないことがあるんです。それで、今が丁度よくって」
リーシャは大事そうに袋を開き、中に入っていたものを丁寧に自分の手のひらの上に出した。それは、彼女の握りこぶしよりも一回りほど小さい、楕円形の金属塊だった。
「ここをご覧ください」
リーシャがそれをそっと裏返すと、鈍く光るその表面に、ぽつぽつと小さく赤錆が浮いていた。
「鉄で出来てるな…これは一体何だ?」
「マリア様の心臓です」
彼女の答えに、それに触ろうと手を伸ばしかけたキンブルが動きを止めた。ランディスが驚いたように口を開く。
「何ですって…?そんな大事なものを、どうして君が?」
「出発する前にカシム様から預かったんです。これをマリア様に渡すわけにはいきませんから…」
「どうして?」
「これが全部錆びてしまった時、マリア様は完全な人形に戻る……そう、カシム様はおっしゃいました」
手のひらで優しく心臓を包み込み、彼女は静かに言った。
「マリア様に残された時間はこれだけ。これが完全に錆びてしまう前に、あの方を見つけなければいけないのです」
そして再び、丁寧に袋の中に仕舞い込む。主君の心臓を自分の胸に納めたその時。
「ああああっ……!!」
隣の部屋で、悲鳴があがった。
「い……いやあああああっ!!」
マリアの悲鳴。
三人ははっ、と顔を上げた。
「今のは…?」
「姫の声だ!」
「何かあったんでしょうか!?」
「とにかく、すぐに行かなくちゃ!」