クリストバルは山間の小さな村である。何もない、本当に小さな村に、ある日一人の青年がふらりと現れた。
「いいですねぇ、この辺の土は」
「え?」
野暮ったい格好に、眼鏡をかけた色白の青年は、猫の額ほどしかない小さな小さな畑を世話している村人に声をかけた。
「土?ここのか?そんなことはねえ」
村人は大袈裟に首を振った。
「固くて耕しにくいし、地味も悪くて粘土みてえだ。こんなところで野菜は育たねえよ」
「いえいえ、最高ですよ」
ひょろ長いという形容が似合いそうな細い体を二つに折って、彼は足元の土を一掴み取った。
「きめ細かくて、重みがあって…僕、こういう土壌の場所を探していたんですよ」
青年は腕で額の汗をぬぐった。濡れた額に、べったりと泥の線が描かれる。
「僕、この村で暮らしてもいいですかね?」
「…それは構わないと思うけど、あんた、一体…?」
「あっ、すみません。自己紹介、まだでした」
青年は、また顔をぬぐった。今度は、頬に泥がつく。しかし、それには全く構わない様子で彼は笑った。
「僕はサイモン・コンコード。ゴーレム職人なんです」
ゴーレム職人とは、あまり魔力を持たない下位錬金術師が選択する職業である。自分の手で土を掘り、捏ね、焼き上げて石の人形を作り上げる。それに魔法をかけて魔道人形(ゴーレム)を生み出すわけだが、その用途はほとんどの場合、農作業や土木工事の手伝いである。
戦争などにも使われる事があるが、そのような高級なゴーレムを作る錬金術師は自らを人形使い(ドールマスター)とか傀儡師(パペッティア)と呼び、職人などという言葉は絶対に使わない。
だが、サイモンはゴーレム職人だった。
決して太くない、むしろ、ほっそりとした体つきで毎日毎日土を掘り、真っ黒になって土をこねる。擦り傷や切り傷を作りながらなんとか拾ってきた薪を焚いて、汗だくになりながらゴーレムを焼きあげる。
最初は胡散臭い奴だということでサイモンの工房を遠巻きに見ていた村人たちも、一月とたたないうちに彼のことを気に入っていた。
「サイモン先生、今度うちにも一つ、作ってくれないかね?」
「いいですよ」
誰が工房に来ても、サイモンは笑顔で迎えた。
「どんなタイプがいいですか?」
「小さい奴でいいんだ、薪を割ってもらうだけだから。あっ、もちろん急がないよ、他の仕事があったらそれを先に済ませてからでも…」
「いえいえ、同じ村に住んでるんですから、サービスさせてもらいますよ。お値段もね…そうだ、これぐらいで、どう?」
サイモンが提示した金額は、銀貨一枚。笑えるほど、安い値段である。これでは、一日分の食費にも満たない。
「いや…そんなに安くしてもらわなくても…」
「いいから、いいから。僕はゴーレムを作ってるだけで満足なんだから、本当はお金なんてどうでもいいんだよ」
いつも変わらず泥だらけで、屈託のない笑顔。一事が万事、この調子なので、もちろん儲かるワケがないのだが、それでもサイモンが飢え死にせずにすんでいるのは、村人たちがそんな彼を見かねていつも差し入れしてくれるからだった。
特に、ベルにとっては、サイモンは気になる存在になりつつあった。
「先生!差し入れ持ってきたよ」
「ベルかい?…いつも悪いね、僕がもらってばっかりじゃないか」
「いいんです。先生、また昨日も何も食べてないでしょ。ずーっっと窯の前に座ってたでしょう?」
「だって、焼物から目を離すわけにはいかないし、それに火の粉が飛んで火事にでもなったら大変じゃないか」
「もう!言ってくれれば、わたしが簡単なものを作ってあげるのに!ご飯食べる間ぐらい、わたしが火の番をする事だって出来るんです!」
「だって…それじゃ頼りっぱなしで…君に悪いじゃないか…」
「悪くないの!」
しゅん。
母親に叱られた子供か、あるいは、下手をすると、飼い主に叱られた小犬のように。
サイモンは目をしょぼしょぼとさせて、うなだれてしまった。
細い肩、細い腕。ベルは、彼がいつも土を運んだ後にばったりと倒れて、数時間眠らなければ体力が回復できないぐらいに疲れてしまう事を知っていた。自分用の小さなゴーレムは、サイモンの半分も土を運べないのだ。しょっちゅう転んで、結局主人の仕事を増やしたりしている。
ベルには、彼を放っておくことなど出来なかった。
「サイモン先生、わたし、先生の助手になるね」
「ええっ!?」
今度は、緑色の目を真ん丸にして彼女を見つめる。細面で、結構いい男である…泥にまみれてさえいなければ。きちんと洗ってさえあれば細くて柔らかそうな銀色の髪も、いつもバサバサである。切るのが面倒臭いのか、バンダナでぐしゃっとまとめてあるその姿を見る度、ベルはため息をついた。
「でも…給料、払えないよ」
「払えるようになるぐらい、働くんです!」
「…はぁい」
クリストバル村の一家に三体ずつぐらい、ゴーレムが行き渡ると、サイモンの生活は次第に楽になり始めた。丁寧な作りが受けて、近隣の町からも注文がくるようになったのだ。
ベルは今日も工房の掃除に忙しい。放っておくと、サイモンは足の踏み場もないくらいに部屋を散らかしてしまう。三日ほど覗きに来なかった翌日は、ごみ箱よりひどい有り様になっていたりもした。
コン、コン。
「はーい!」
ノックの音に、ベルは返事をした。サイモンは夢中でロクロを回していて全く気付いてないようである。ベルは箒を置き、エプロンの端でさっと手を拭いて、ドアを開いた。
「どな……た?」
尋ねた声が、思わず止まってしまった。
「あの……」
いつものように、町からの注文を伝えに来る男の子ではなく、見慣れた村の人でもない。彼らは、異様な姿をしていた。
真っ黒いローブで全身をすっぽりと包み、顔にも覆面をつけている。わずかにのぞく目だけが、黙ってベルを見返していた。
「ゴーレムの注文に来た。サイモンはいるか」
「あ…あの…ちょっとお待ち下さい」
ベルは、それだけ答えるのが精一杯だった。くるりと振り向いて後ろ手にドアを閉めると、転がるようにサイモンの元に走った。
さすがの彼も気付いた様子で彼女を振り返った。
「ベル?どうしたんだい、そんなに慌てて…」
「外に…変なお客さんが」
「変なお客さん?」
だが、サイモンの笑顔は変わらない。
「いいじゃないか、入ってもらえば。君がいつも言ってるだろ、お客さんは大事にしろって」
「…それはそうですけど」
「…そんなにおかしいのかい?」
コンコン。
二人の会話に割って入るように、またノックの音がする。そして、怒鳴る声が。
「サイモン!ここにいるんだろう!」
「また逃げるつもりか!?」
ベルは不安げにサイモンを見た。
やっぱり、にっこりとしている。
「ほら、お客さんを待たせすぎだよ。お通しして」
「……はい」
彼女はうなずいた。立ち上がる彼女の背中に、サイモンは言った。
「それからね」
「はい?」
振り返って見ると、やっぱり彼は笑っていた。だが、その次の言葉は、少し優しくなかった。
「それが済んだら、今日はもう帰りなさい…っていうか、帰って欲しいんだ。いいね?」
やんわりと、念を押す。
ベルは、思わずうなずいた。
「…は、はい…先生…」
もちろん、ベルは大人しく帰ったりしなかった。工房の事はサイモンよりよく知っている。彼女は玄関を出た後、家の裏側に回ってサイモンたちの声が聞こえる所にそっと落ち着いた。
「…どういうことだ」
三人組みの来客は、どうやら怒っているらしい。
「お金なら、返したじゃありませんか」
それに比べて、サイモンの口調はいつも通りである。おそらく、いつもと変わらぬ笑顔で応対しているのだろう。
「金の問題ではない!我々は、仕事を完成させて欲しかったのだ!それを途中で投げ出して…」
「納得のいく仕事が出来ないと思いましたから。でも、あなた方は無理にでもやれという…出来ない事は出来ないんです、僕には無理だったんですよ」
「無理なものか」
荒々しい口調は変わらない。
「それでは貴様がそれまでにやってきた仕事は何だったんだ。ちゃんと出来ていたじゃないか!」
「………」
しばらくの沈黙。
「…もう、やめたんです」
「やめただと!」
ドン!
「貴様があの仕事をしなかったせいで、何人の兵が死んだと思っているんだ!我が軍は大敗を喫した、貴様のせいだぞ!」
たくさんの人が死んだ…軍隊が負けた?
そういえば、ここに来るまで、先生がどこで何をしていたのか聞いた人は誰もいなかった…ベルは、口元を押さえて考え込んだ。
クリストバルは山の中にある小さな村だからあまり関係ないと思っていたが、この村のある国は戦争をしていると聞いた事があった。半年ぐらい前に、兵士になるんだと言って一人の青年が村を出ていった事もあった。彼はいまだに帰ってこず…戦争はまだ続いている。
サイモンは、そこから来たのか。
「今なら国王陛下も許して下さるとおっしゃっている。我々と共に王都に戻り、またゴーレムを作るんだ。そうすれば我が国の勝利は間違いない!」
「こんな所でゴーレム職人など、貴様には似合わんぞ。もっと華やかに傀儡師として活躍できるんだ」
本当は、パペッティアだった。
ベルは息を殺し、彼らの会話を聞いていた。
正確には、サイモンの返事を。
甘い言葉、脅迫めいた台詞、高額の報酬、王国での地位と名誉。さまざまなものを使って彼らは、サイモンを連れ戻そうとしていた。それほどに、彼は、優秀なパペッティアだったのだ。
が、返事はやたらと簡単だった。
「嫌です」
サイモンは、おそらく、いつも通りの笑顔なのだろう。
「壊されるためにゴーレムを作るのは嫌なんです。だから、やめたんです。僕は職人でいい。今の生活が、気に入っているんです」
「…言ったな」
「はい、言いました」
怒る客と、笑っているサイモン。
「貴様…ここで切り捨てられたいのか」
「やりたかったら、やればよろしいでしょう」
ギリギリと歯ぎしりする音が聞こえてくるかのようだ。どんなに怒ってみても、サイモンには全く効いていないのだ。
「やめだ。また後日、来る」
立ち上がったのか、どかどかと床を鳴らす音がした。
「いいか、ここから逃げようと思うなよ。貴様が逃げたら、この村の人間を一人残らず処分する。それでも良ければ、逃げるがいい」
「貴様は国を裏切った罪人なのだ。その事、忘れるなよ」
「はい、はい」
そして、客人たちは足音を鳴らして部屋を出ていった。
残されたサイモンは、小さくため息を一つ。それから、またいつものようなにこやかな笑顔に戻って言った。
「もういいよ、ベル。こっちへ来なさい」
「はい…あっ、えっ!?」
壁越しに返事をしてしまってから、ベルはしまったと舌打ちした。返事をしてしまっては、逃げようもない。彼女はおずおずと作業場の方へ入っていった。
「あの…先生」
怒っている?いや、やはり、サイモンはにこにこしていた。
「分かってるよ。僕の事を心配して、そこにいてくれたんだろう?」
だが、次の瞬間、彼はごくわずかだけ、眉をひそめた。
「でも、聞いてしまったよね。僕の、昔の話…」
「はい」
ベルはすとん、とサイモンの正面に座り込んだ。
「聞いての通り、僕は戦争の道具を作っていた。たくさんの人を殺してきたんだよ」
「でも、先生はそれが嫌で逃げてきたんでしょう?だったら、もう…いいじゃないですか」
「でも、村のみんなが人質に取られちゃったよ」
また笑顔に戻る。
「困ったなぁ……」
ぼりぼり。
頭を掻くと、乾いた泥の破片がフケのようにぽろぽろこぼれた。
どうにもこうにも憎めないこの人を、戦争に引っ張り出すなんて許せない。ベルは、決心した。
「分かりました。それじゃ、村の人全員で、ここから逃げましょう!」
ぐっ、と拳を握り締めた。
「え?」
「みんないなくなれば、誰も殺されたりしません。わたしがみんなを説得しますから」
「うーん……」
サイモンは顎に手をやった。考えているような顔を見せているが、結論は出ている。
「やっぱり、ダメだよ。みんなで逃げ出したら、それこそ目立ってしまう。みんな目をつけられて、どこへ行っても追いかけられてしまうよ」
「……そう?」
「そうだよ」
そして、彼は笑った。
「それより、大きなゴーレムを作ろう。この村のみんなを守るためにさ」