双天の剣

序章 魔物の公子

 「あれをご覧下さい、シャウラ様」
 黒いローブに身を包んだ人影が言った。
 差し伸べられた杖の先には、数軒の家が見える。小さな村か何か――とにかく、人間が集まって暮らしているところだ。
 「今回の儀式を行うのはあそこでございます」
 「…うむ」
 グリフォンにまたがった青年がうなずいた。まぶしいほどの陽光に、長い金の髪が輝いて揺れる。
 「あの村の住人を、一人残らず血祭りに上げてくださいませ」
 「一人でか?」
 「はい」
 小柄な人影が振り返る。老人、と呼ぶにははあまりにも干からび過ぎていた。ほとんど頭蓋骨も同然のその顔におもねるような笑顔を浮かべ、魔物は告げた。
 「今回は、シャウラ様の成人の儀。立派な魔族に成長あそばされたことを父君に示さなければなりません。ですから」
 二人が後ろを振り返ると、ゴブリンだのオークだの、低級な魔物たちの一群が控えていた。
 「この者たちなしで、あの村一つぐらい潰して見せてくださいませ」
 「ラードラはどうする」
 シャウラは、自分が騎乗している獣をなでた。名前を呼ばれ、グリフォンは嬉しげに目を細める。
 「それはシャウラ様専用の騎獣。お連れ下さっても構いません」
 「分かった」
 彼はうなずき、腰の剣を抜いた。
 華奢なつくりの鞘に似合わぬ、漆黒の刃が空を切った。
 「ラードラ。行くぞ!」
 「クアッ!」
 主に応えて一声鳴くと、力強く翼をはためかせる。
 「それでは、ご武運をお祈りしております」
 老人が手を振る。
 太い後ろ足で土を蹴り上げ、魔獣が飛び上がった。ラードラの翼なら、崖の下、遠くに見える村までも一瞬だ。
 みるみる小さくなる青年の後ろ姿を見送り、魔物はつぶやいた。
 「上手く行けばいいが…な」

 空を横切る不穏な影に、村人達はすぐに気がついた。
 「ま…魔物だッ!」
 「魔物が来たぞ!」
 小さな村だが、王都から離れている分、山賊だの魔物だのの襲撃は時折あった。戦える者たちはすぐに武器を取り、老人や子供は素早く家の中に入る。
 「どれぐらいだ!?」
 「一匹…いや、二匹だ。でも」
 村の中央、小さな広場に降りたった敵を見て、村人達は身構えた。
 「…でかい」
 鷲のような頭と翼に、獅子のような体。このように大きく、美しい毛並みの魔獣は見たことがない。そして、その背に乗っている魔物も。
 金色の髪をなびかせ、背中の魔物はひらりと地面に降りた。
 「何者だ!?」
 尋ねると、魔物はぐるりと辺りを見回して答えた。
 「私か…」
 どう見ても人間にしか見えなかったが、青年は誇らしげに村人達を見下して言った。
 「私の名前はシャウラ・ルディン・ターク。魔王に仕える魔人将軍、ウェグラー・ラディア・タークの息子だ」
 魔王。魔人将軍。
 その名前に、村人達がざわめく。
 全ての魔物を統べ、魔界の主である魔王と、その手足となって地上に君臨する三人の魔人将軍。この青年は、その息子だ――その血を引く者だと言うのか?
 すらりとした体つきに良く似合う細身の剣は、太陽の光を浴びても漆黒の色を変えなかった。それどころか、軽く切っ先を払うと、どこからともなく血の雫が滴って、青年の足元に朱い模様を描いた。
 「さあ、かかって来い、人間ども」
 言われても、誰も動く事など出来なかった。
 下手に動けば、間違いなくあの魔剣の餌食になる。そうでなければ、グリフォンのエサか。
 「何だ…来ないのか。それならこちらから」
 「待って」
 青年が剣を差し上げたその時、村人の輪の後ろから声がした。
 「みんな、やめて…あなたも」
 そう言って現れたのは、子供を連れた若い女性だった。
 母親マァナと娘のクプシ。父親はとうの昔に亡くしてしまって、母娘二人で暮らしている。
 マァナはまるで臆する様子もなく、武器を構えた村人達の間を抜けて、シャウラの目の前に立った。
 「何だ、女。お前から殺して欲しいのか」
 「いいえ」
 「では何だ」
 少しイラついたように言う魔物の青年に、彼女は優しい眼差しを向けた。
 「シャウラ…あなた、シャウラって言ったわよね」
 「そうだが?」
 「わたしの顔に、見覚えはない?」
 唐突な質問。
 「……は?」
 シャウラは虚を突かれた様子だった。言われるがまま、彼女の顔をのぞきこむ。
 「……」
 「何か、思い出さない?」
 「何か…」
 振り上げた剣を下ろし、彼は首を傾げた。
 「言われてみれば、確かに…お前の顔、どこかで見たような…?」
 マァナはじっと青年を見つめ続けている。村人達は、動けないまま成り行きを見守っているしかない。
 「ライラ」
 彼女が言うと。
 「!」
 シャウラの眉がピクッ、とつりあがった。
 「それは…母上の名だ。何故、お前が知っている?」
 「わたしはマァナ。あなたの伯母…わたしはライラの妹なの」
 「伯母…」
 何かを思い出そうとするように、彼は額に手を当てた。
 「妹…お前と、母上が」
 「思い出して、シャウラ。あなたは小さい頃、わたしと一緒にいたのよ!」
 たたみかけるように、マァナが続ける。
 「一緒に遊んだでしょう、わたしと…ライラと。ここじゃないけど、同じような小さな村で…一緒に暮らしていたじゃない」
 「だが…私は」
 きつくまぶたを閉じ、シャウラは大きく息を吐いた。
 「父上の城で…生まれ育ったのだ…何故、人間と」
 「あなたは人間だもの」
 間髪入れずに答える彼女。
 「あなたが十歳になった日に、魔物が村を襲ったのよ。あなたとライラはさらわれ、村は滅んだ…あなたの本当の父親を殺したのは、ウェグラーなのよ!」
 「な…?」
 「シャウラ、思い出して!あなたは、魔物じゃない…人間なのよ!」
 人間。この私が、人間?
 激しい耳鳴りがシャウラを襲い、彼は頭を抱えて天を仰いだ。
 その視線の先には。
 「シャウラ様」
 いつの間に、黒いローブを身にまとった死神がいた。宙を漂いながら、青年を見下ろす。
 「そのような女の戯言に耳を傾けている暇はございませんぞ。早く殺しておしまいなさい!」
 「く…ッ」
 しかし、彼は動かなかった。耳鳴りが頭痛になる。激しい痛みに苛まれながら、シャウラは口を開いた。
 「前から思っていたのだ。何故、私は父上に似ていない?」
 「それは…」
 「角もない。牙もない。爪も翼も…肌の色さえ、あまりにも違わないか。瞳の色も、何もかもだ。私は」
 死神が、苦虫を噛み潰したような顔をした。
 「何だ。魔物か、それとも人間か!」
 そう叫んだ途端、ぱきん、と鈍い金属音がした。
 青年の額にはめられていたサークレットがいくつかの破片に分かれて、ゆっくりと宙を舞う。太陽の光を反射しながら、それらは地面に落ちることなく、砂のようにさらさらと風に溶けていった。
 それと同時にシャウラは苦痛から解放されていた。
 「…そういう、ことかッ!」
 自分に起っていたことを理解する。青年は、今まで仲間であった魔物をにらみつけた。
 「お前たち、私をたばかっていたのだな!?」
 「ほう…よもや、封印を自分で解くとは」
 杖を強く握り、死神が薄く笑う。
 「それでは仕方がない」
 骨だけの指が天を指す。
 「ここで、そやつらと一緒に死ぬがよろしいでしょう」
 「何ッ!?」
 パチン。
 乾いた音が辺りに響く。それと同時に、あちこちから恐ろしい声があがった。
 低俗な魔物が獲物を求めて上げる声。村人が叫ぶ。
 「ま、魔物だッ!」
 「取り囲まれてる!」
 グリフォンが、興奮したように金切り声を上げて棒立ちになった。
 「やってしまえ、お前たち!その男はもう公子様ではない。ただの人間だ!殺せ!」
 死神の号令で、ゴブリンやオークが物陰から飛び出してくる。村人達が応戦する。たちまち辺りは乱戦の様相を呈してきた。
 「大丈夫か!?」
 母娘に襲いかかってきた魔物を魔剣で切り捨て、シャウラは叫んだ。
 「くそ、どうしてこんな事に!」
 「説明してる暇はないわね」
 マァナはそう言い、棒立ちのまま固まっているラードラを指差した。
 「あの魔獣はまだあなたの言うことを聞くの?」
 「おそらく」
 「それなら」
 胸に抱いた娘を半ば強引にシャウラに押し付ける。
 「この子を連れて、あなたは逃げなさい」
 「何だと?」
 「この程度の魔物なら、村の者だけでも何とかなるわ。わたしも魔法ぐらい使えるし」
 「だが」
 反論しようとした彼を強い視線で押え、マァナは続けた。
 「あなたにはおそらく強力な追っ手がかかる。ウェグラーは、意地でもあなたを殺そうとするでしょう。だから、助けを求めなさい」
 「助け?」
 「山道を越えたら、ガルダンの王都があるわ。強力な戦士がたくさんいるはずだから」
 「だが!」
 「一人じゃ無理よ、仲間を募りなさい。あなたは人間なんだから」
 ぴしゃり、と言われて、シャウラは黙らざるを得なかった。
 魔人将軍である父親の強さは、彼自身が身をもってよく知っていたから。
 「…分かった」
 彼はうなずき、託された少女を見下ろした。クプシは彼を見上げ、怯えるどころかにっこりと微笑んで見せた。
 「お兄ちゃん」
 「…確か」
 記憶の糸をたぐって、彼は彼女の名を呼んだ。
 「名はクプシだったか?」
 「よく覚えていたわね」
 マァナが笑った。
 「まだ十二になったばっかりなの。あなたの従妹なんだし、優しくしてあげるのよ」
 「…分かった」
 そして、彼は天に向って剣を差し上げた。
 「ラードラ!」
 呼ばわると、騎獣は素直に主にすり寄り、腰を落とした。
 「ようし、いい子だ」
 シャウラとクプシがその背に乗ると、ラードラは大きな翼をはためかせた。
 「気をつけて、シャウラ。クプシを頼んだわよ」
 「ああ」
 表情は変わらなかったが、彼はマァナを見て応えた。
 「伯母上もご無事で」
 「ありがとう」
 風が巻き起こる。
 乱戦を背に、二人と一頭は空に舞った。


続く

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