双天の剣

第二章 街道にて

 アンディは神官である。だから、毎日朝夕の祈りを欠かさない。
 だが、ランディはいつもそれを渋い顔で見ていた。
 「よく飽きねえな」
 「日課ですから」
 握りしめていた聖印を懐にしまい、彼は笑って立ち上がった。
 「飽きるとか飽きないとか、そういうものじゃないんですよ」
 「オレにはよく分からん」
 つまらなさそうにテーブルの上に足を投げ出したまま、ランディはアンディが部屋の中を横切っていくのを眺める。グラスを2つとり、アンディは水差しから水を注いでテーブルの上に並べた。
 「ランディも一度やってみたらどうです?簡単ですから」
 「どうだかなぁ」
 「まあまあ」
 笑いながら、水を飲む。
 その時、部屋のドアが開いた。
 「坊ちゃん!」
 飛び込んできたのはいかつい男。
 「坊ちゃんって呼ぶなって言ってんだろ!」
 「あっ、スイマセン、お頭」
 よく日に焼けた男が困ったように頭をかく。
 「慣れてないもんで、つい…」
 「まあいい」
 ランディは立ち上がった。
 「それで?何かあったんだろ?」
 「あっ、はい。獲物が」
 その言葉に、アンディの表情が曇った。
 「また…ですか?」
 「お前なぁ」
 呆れたように、ランディは神官を見下ろす。
 「ま〜だ自分の立場が分かってねぇだろ。お前は奴隷。オレらは山賊。通りかかった不運な旅人を襲うのがオレらの仕事なんだよ」
 「ですが、それは」
 「四の五の言うな、アンディ」
 右手で壁にかけてあった刀を手に取り、左手でアンディの腕をつかんだ。
 「さあ、来るんだ。援護しろ。いいな?」
 「…はい」
 どかどかと足音をたててあばら家を出て行く山賊に混じり、二人は外へと向った。

 キューオ…。
 夕暮れの街道に、悲しげな獣の鳴き声がこだまする。
 「痛いの?可哀相ね…」
 ラードラは、後ろ足に流れ矢を受けていた。乱戦の村を脱出する時にいつの間にかやられていたらしい。もともとグリフォンは長時間人を乗せて飛ぶ事は出来ない生き物なので、シャウラは村が見えなくなるとすぐに魔獣から降りた。
 「今抜いてやる。ちょっと痛むが我慢しろ、ラードラ」
 「クオォ」
 大人しく主のなすがままになるグリフォン。矢尻はすんなりと抜けた。
 幸い、厚い羽毛にはばまれて怪我はそんなに深くはなかったが、生まれた時からシャウラのものとして育てられたラードラには、怪我をするなどという経験がなかったため、随分と驚いてしまっている様子だった。
 「クプシ。歩けるか」
 「あたしは大丈夫よ」
 「では、ゆっくり行こう」
 二人と一頭は、街道を歩き始めた。その時。
 「待て…ッ」
 後ろから突然声をかけられ、シャウラは咄嗟に剣を抜いて構えた。
 「何者だ!」
 「お兄ちゃん」
 クプシが彼の腰にしがみついた。
 「あれは…大丈夫なの」
 「何?」
 夕陽を背にしているため顔が見えないが、相手は一人。それも、まだ年若い少年のように見えた。クプシは生意気げに肩をすくめて言った。
 「村の人。アシルっていうの」
 シャウラが剣を納めると、その人影は、顔が見えるところまで近づいてきて立ち止まり、肩を落として両膝に手をついた。
 「どうしたんだ?」
 「はぁ…はぁ…はぁ」
 息が切れている。額からはしたたる汗、服や髪には草や木の葉がついている。
 「やっと…追いついた」
 赤毛の少年は吐き出すように言った。
 「クプシのことが…心配、だから…俺も一緒に行く」
 「大丈夫よ。あたしにはシャウラお兄ちゃんがいるもん」
 「それが…心配だってんだよ」
 手の甲で汗を拭き、彼はシャウラを見上げた。
 「いくらマァナおばさんがああ言ったって、俺はお前が信用ならねぇんだ」
 アシルの赤い瞳がじっと彼を見る。だがシャウラは、表情一つ変えなかった。
 「そうか。それなら、好きにすればいい」
 「え?」
 喧嘩を売ったつもりだったのだが、まるで気にした様子もない。拍子抜けしたアシルに背を向け、シャウラは言った。
 「息が切れているがついて来れるか。ラードラに三人は乗れない、ガルダンまで歩くぞ」
 「……平気だッ!」
 返事を聞くまでもなく歩き出すシャウラ。クプシもあわてて彼の隣に並ぶ。その一方で、ラードラがちらり、とアシルの方を振り返った。
 「な、何だよ」
 太い足が歩みを止める。そして突然、魔獣はアシルに向って土を蹴った。

 「う、うわああああぁっ!」
 少年の悲鳴と、野太い男の悲鳴。
 ラードラの跳躍の一瞬後、二つの悲鳴が同時にあたりに響いた。
 「どうした!」
 シャウラが振り向くと、アシルは地面にしりもちをついていた。グリフォンは近くの茂みに飛び込み、その尻尾を激しく振り回している。
 「クアーアッ!」
 よく見ると、茂みに潜んでいた何者かを前足で押さえつけている様子だった。
 「な、何…?」
 「魔物か」
 三人と一頭は、いつの間にか十数人ほどの人影に囲まれていた。
 クプシを引き寄せ、彼は剣の柄に手をかける。アシルも慌てて立ち上がり、腰のショートソードを抜いた。ラードラは相手を押えたまま、主人の命令を待っていた。
 「何者だ…?」
 シャウラの問いに、覆面をした男たちからの返事はない。代わりにアシルがけっ、とつぶやいて答えた。
 「山賊だろ。最近出るって噂だったから」
 「人間か?」
 「え?あ、ああ…ま、確かに人間だな」
 間の抜けたやりとりだが、シャウラは真面目な表情をしている。
 「では、殺してはいけないのではないか?」
 「……」
 クプシとアシルが顔を見合わせた。
 魔物の中で暮らしている間は、人間はシャウラにとってただ殺す対象でしかなかった。だが、人間として魔物との縁を切ろうとしている彼は、逆に人間は全部殺してはならないという正反対の考えに至ってしまったのだろう。
 「いいんだよ、こういう奴らはな」
 「…よく分からないが」
 魔剣を抜く。
 「つまり、敵ということだな?」
 その時、ようやく山賊達が動いた。包囲の輪をすっと割って、小柄な人影が前に進み出てきた。
 「剣を捨てて、仲間を放せ」
 リーダー格らしい、その人影は告げた。
 「それから、金目の物を全部出すんだ。そうすりゃあ、ここは通してやる」
 「その必要はないぜ、シャウラ」
 アシルがささやく。
 「殺さない程度にぶん殴ってやればいいんだ。出来るだろ?」
 「ああ」
 「何ごちゃごちゃ言ってんだよ?」
 イライラした様に山賊の頭は叫んだ。
 「言う通りにするのか、しねぇのか!」
 「そのような要求には従うつもりはない」
 アシルに促され、シャウラが答えた。
 「我々は急いでいる。そちらこそ、命が惜しければ立ち去れ」
 三人対十数人。数ではどう考えても山賊のほうが勝っている。だが、彼は相変わらず無表情で、あっさりと言ってのけた。
 「私は手加減が出来ない。なるべく殺したくはないが、死ぬかもしれない」
 「何だとォ〜!?」
 これにはさすがにむかっ腹が立ったのか、山賊の頭は剣を抜いた。
 「分かった、もういい!やっちまえ、お前ら!」
 「おうっ!!」
 野太い声が一斉に返事をする。山賊たちは、シャウラに襲いかかった。

 数瞬後、勝負はあっさりとついていた。
 黒い刃で切り裂かれると、傷口を引き裂くような痛みが襲う。大した怪我でもないのに、男たちは苦痛にのたうちまわり、地面に伏していた。
 「あとはお前だけか」
 片膝をついた山賊の頭に、シャウラは魔剣を向けた。
 「くそうッ…」
 まだ若そうなその男は、まっすぐな目でシャウラを見上げる。押えた肩口から一筋の血が流れ出ていた。
 「オレの負けだッ!さあ、とっとと殺しやがれ!」
 「分かった」
 シャウラは一言答えて剣を構えた。
 「お兄ちゃん!?」
 「あ、おい、シャウラ!」
 クプシとアシルが止める間もなく、剣が振りおろされ、血の雫が円の軌跡を描く。
 「待って下さい!」
 その時、少し後ろにいた青年がシャウラと山賊の間に割って入った。
 咄嗟に止めた切っ先が、彼の前髪を少しだけ切った。だが、怯える様子も無く彼は覆面を取り、まるでかばうかのように両手を広げた。
 「どっ、どうか…この人を助けてあげてください!」
 丸っこい人のよさそうな顔つきの彼は、山賊という感じではなかった。
 「何だよ、お前は?」
 尋ねるシャウラに青年は答えた。
 「僕はアンドリュー・クレイトンと申します。このような所におりますが、一応…神に仕える神官をしております」
 「神官?神官様なのか!?」
 思わぬ返事に、アシルは驚く。
 「なんで神官様ともあろう人が、こんなところで山賊なんか」
 「オレが」
 山賊の頭が答えた。
 「“ものじち”取ってたから。しょうがなかったんだよな」
 彼も覆面をむしりとり、嘲笑を浮かべた。懐に手を入れ、そこから一冊の書物を取り出す。
 「返すぜ、アンディ。これでお前は自由だ」
 ぽん、とそれを地面に放り出した。古びた書物は草の上、アンディのすぐそばに落ちた。
 「もうオレの命乞いなんかしなくていいんだぜ。さっさとどっかへ行きな」
 「いいえ」
 しかし、本には目もくれず、アンディはシャウラの前に両手をついた。
 「お願いです。どうか、この人を許してください。山賊をしていたのには理由があるんです。だから、どうか!」
 「おい!何言ってんだよ?」
 驚く彼の前で、神官は深々と頭を下げる。
 シャウラはその様子をしばらく眺めていたが、ややあって口を開いた。
 「話があるなら聞かせてもらおう。お前たちに興味がある」

 山賊の頭は、シャウラたちには理解できない、とても長い名前を名乗った。
 「で。こいつがそれじゃ長くて呼べないって言うんで、略してランディ」
 短く刈った鋼色の髪を揺らして、彼は笑った。
 「倭、と言って分かるか?こっからず〜っと東の方にある国だ。オレはそこで生まれて育った。三ヶ月前までな」
 テーブルの上に紙を広げ、アンディがざっと世界の地図を描いた。
 「僕も良く知らないんですけど、大体この辺りじゃないかと思うんです」
 指差した先は東の果て、はるか大海を越えた向こうだ。
 「三ヶ月?船で来るのならもう少し時間がかかりそうなものだが」
 「普通はな。だが、普通じゃねぇ方法でこっちに来たから、所要時間はたったの半日だった」
 由緒正しい名家の跡取息子だったランディは、部下たちと共に、小さな船で内海を航海していた。父親に頼まれて、親書を届けるだけの短い旅のはずだった。
 しかし、帰り道、彼らの船は突然深い霧に包まれた。すぐ近くにある小島の影もまるで見えない程の薄紫色の霧の中から現れたのは、一人の女。
 『あなたのコト気に入っちゃったわ』
 海の色のような青く長い髪は、しっとりと濡れているようにつややかに光っていた。薄物一枚まとっただけで、体の線が否が応でも目に入る。唇だけが妙に赤くて、男たちの目を惹きつけた。
 『アタシのモノになるってお言いなさい。そうしたら…飽きるまでは可愛がってあげる』
 その女は、そう言ってランディをおちょくった。彼が怒ると、女は口元だけで笑って答えた。
 『あら、アタシにそんなコト言っていいの?フフフ、いいわ…後悔させてあげる』
 ふいに、船が傾いだ。急に風の音、波の音が変わった。いつの間にか、ランディたちは嵐の真っ只中に放り出されていた。
 『アタシの助けが欲しければ、いつでも呼べばいいわ。迎えに来てあ・げ・る』
 霧と共に女は消えた。
 彼らの船は嵐に砕かれ、半数の命が波間に消えた。何とか岸辺に打ち上げられたランディたちも、ここがどこかはしばらくの間分からなかった。
 ただ、故郷でないことは分かった。あまりにも遠くに着いてしまったことも、やがて分かった。
 言葉の分からない者もいる。みすぼらしい姿に近隣の町からも追い出され、頼るあてもなく、彷徨ううちに倒れた者もいる。
 彼らが山に住みつき、通りかかる者を襲うようになるまでに、さほど時間はかからなかった。
 「一瞬で東国からここまで船を持って来ちゃったの?」
 怯えたように言うクプシの頭をなでて、ランディはうなずいた。
 「人間じゃねぇよ。あれは魔物だ…間違いねぇ」
 「その女、名は何と?」
 「ロザリエラ」
 シャウラの問いに、ランディは即答した。
 「例え死んでも、その名前だけは忘れるもんか。絶対に、許さねぇ!」
 握り締めた拳が震える。力のこもった手の甲に、青く血管が浮き出した。
 「殺してやりてぇよ、今すぐにでも…でもよ」
 クプシとアシルがそっと顔を見合わせた。アンディも静かに顔を伏せる。ランディは続けた。
 「どうしたらいいのか…分からなくて」
 「ロザリエラは」
 だが、シャウラは平然とした声で応えた。。
 「魔人将軍ウェグラーの腹心の部下の一人だ」
 「お前ッ…奴を知ってるのか!?」
 「ああ」
 うなずくシャウラ。
 「私と共にいれば、そのうち会う事になるだろう」
 ウェグラーが彼を殺そうとしているのなら、いつかは戦うことになる相手に間違いはない。シャウラの説明に、ランディとアンディは力強くうなずいた。
 「オレを一緒に連れてってくれ。頼む、お願いだ!」
 「僕も、是非!お願いします、シャウラさん」
 仲間を募りなさい。
 マァナに言われた言葉を思い出し、シャウラはうなずいた。
 「では、共に行こう」
 相変わらずにこりともしないが、手を差し出す。その手を握って、ランディもしっかりとうなずいた。


続く

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