双天の剣

終章 双び立つ天の剣

 「シャウラか。久しいな」
 重たげなまぶたが開き、深い琥珀色の瞳があらわになった。
 魔人将軍の称号を与えられた悪魔は、ゆっくりと唇を動かす。低く通る声は、ずっしりと聞く者の腹に響く。声だけで、膝に震えが来てしまうほどに重くのしかかる。
 伏せられていた顔がゆるやかに持ち上げられた。金色にも見える瞳が、ひたとシャウラを捉えた。
 「少し見ぬ間に」
 眉がつり上がる。形相は一変し、怒りと憎しみでその目はさらに妖しい輝きを帯びた。
 「あれと同じ目をするようになったか」
 「何が言いたい」
 シャウラは一言いい捨てて、慣れた手つきで剣を抜いた。ほとばしる星の光に、ウェグラーは目を細めた。
 「それの封印まで解いてしまうとは…ますますライラに似てきおった」
 「……」
 母親の名前を出されて、青年は動きを止めた。
 「どういうことだ」
 「お前の母親は、最期までそういう女だったという意味だ」
 薄く笑って立ち上がる。
 「死ぬまでわしに逆らって、馬鹿な奴だ。親子ともども、な」
 そして、ウェグラーは一瞬で腕を振り上げ、振り下ろした。
 ざくっ。
 空気が切れた。鋭い爪から放たれた衝撃はそのまま真空の刃となり、シャウラを襲った。
 「シャウラ!」
 誰かが叫ぶその目の前で、金色の髪の毛がぱらぱらと宙を舞う。
 それが鼻先をかすめて、ウィーダが顔をしかめた。
 「シャウラ…大丈夫か!?」
 「…油断した」
 向って右側、胸の辺りまであった髪は肩のところでばっさりと切れ、左肩も服が破れてうっすらと赤いものがにじんでいた。
 だが、落ちた髪をさっと払い、シャウラは剣を抜いた。
 「みんな…奴が来るぞ!」
 「おうっ!」
 さらに両手を広げる敵にめがけ、彼らは一斉に身構えた。

 「マナよ、わたしに力を貸して」
 ささやくように彼女はつぶやく。
 わたしが愛する人たちを守るために、心の奥底で眠っていたものを呼び起こす。迷っている時間は、一秒たりともないから。
 広げた両手から波紋が生まれ、水は柔らかな障壁となってみなを包む。霧のように、静かに仲間たちの上に舞い降りる。
 その、優しく涼しげな感覚にタカが振り返ると、彼女は真顔で言った。
 「よそ見しないで!危ないわよ」
 「ああ、悪い」
 思いもがけないしっかりとした答えに、彼はあわてて前を見た。一番強力な太い矢をつがえるため、ボウガンに足をかけてぎりぎりと弦を巻き上げる。
 構えた先には、恋敵の姿があった。
 槍をふるうサファの肩越しに、ウェグラーに狙いを定めて、じっと待つ。奴が隙を見せたその瞬間に、射抜いてやるために。
 「!」
 サファが態勢を崩す。黒い翼が彼を打とうと覆い被さる。
 「この…ッ」
 だが、鋼の矢が狙い過たず、その翼を引き裂いた。
 ほっと胸をなでおろすリィネの息づかいを感じながら、タカは歯を食いしばってまた次の矢をつがえる。翼の動きが止まったわずかな間に、サファはすぐさま立ち上がる。
 「タカ、次は、その矢に魔法をかけるわ」
 「あ…ああ、頼んだぞ」
 リィネは次の魔法を唱える準備に入った。
 わたしは…もう大丈夫。ちゃんと出来る。
 指先からほとばしる水滴が、青い霧となってボウガンに、そして鋭くとがった矢じりを包んだ。

 なんて頑丈な奴なんだ。さすがは、魔人将軍と言われるだけのことはある。
 呼吸を整えるために一歩退き、クザンは額の汗をぬぐった。
 ありったけの拳を腹に叩き込んだのに、相手は少し顔をしかめただけで彼を払い飛ばした。爪がわずかにかすっただけで、胸がざっくりと切れしまっている。三本の真っ赤なラインが、強靭な筋肉に刻み込まれていた。
 「クザン」
 すぐにアンディが駆け寄ってきて、彼の傷を癒すべく両手を差し伸べた。
 「悪いな」
 「いいえ」
 浅い傷口はみるみる塞がれて、それと同時に荒れていたクザンの呼吸も落ち着いていく。彼はすぐに前線に復帰するべく、力強く両の手の平を打ち合わせた。
 何度振り払われても、倒されても、仲間たちは立ち上がり、またそれぞれの力をもって敵に立ち向かっていく。クザンは笑った。
 「よし、行くぜ」
 「少しだけ、待ってください」
 アンディが短く祈りを捧げると、握りしめた拳闘士の拳に白色の光が宿る。
 「普通の攻撃ではあまり効き目がないようですから。神のご加護がありますように」
 「サンキュ」
 頼もしげにその手の平を二、三度握ったり開いたりした後、彼はまた足を踏み出した。
 長い間、たった一人で戦ってきたけれど、今は違う。
 今までにない高揚感がクザンを突き動かす。
 こいつらと一緒なら、相手が何だって負ける気がしねえ。
 「うおおおおッ…!!」
 獣のように一声吠えて、彼は飛び出していった。

 あたしの声が聞こえる?
 ああ、聞こえるとも。
 燃えるように揺らめく赤い宝玉に触れると、そんな声が聞こえるような気がした。
 クプシは、自分の中に生まれてくる炎の魔力を、ゆっくりと一つの形に整えていく。それは、優しくて力強い炎の巨人。
 「あたしと…みんなと一緒に戦って欲しいの」
 心得た。
 どこかから、返事が聞こえる。
 それでは、我が名を呼ぶがいい。
 うなずいて、彼女は両手を広げた。
 「我は召喚する…我が声に応じよ、炎の精霊王」
 杖の先からほとばしる炎が、たちまち人の形となる。それは、クプシがこうあって欲しいとイメージした姿だった。
 「来たれ、イフリート!」
 「御意」
 この世界とは違う、別の世界から来た者は、ファランキオと同じ姿をしていた。
 「お前が我が主人か」
 「ううん」
 少しいかめつらしい表情のイフリートに、彼女は笑って答えた。
 「主人とかそんなんじゃなくて、友達になりたいの」
 友達になりたかったの。
 その言葉に、精霊も微笑を浮かべた。
 「いいだろう」
 太い腕で彼女を守るように抱き上げ、彼は戦うべき敵を見下ろした。
 「愛しき娘よ、わしはお前のために戦おう」
 「ありがとう…ファランキオ」
 「ファランキオ」
 その呼びかけに、わずかにイフリートは目を細める。
 「それが、お前がわしにくれる名か?」
 「うん」
 見上げる少女に、彼は再び笑った。
 「実にいい名だ。懐かしい響きがする」

 槍の穂先はうなりをあげて左右から繰り出される。剣が  独特の反りをもつ美しい刃が一閃すると、肌の上にさっと紅の筋が浮かぶ。ぱっと、赤いものが散る。
 他のメンバーと上手く連携しながら、少しずつ、だが確実に、彼らの攻撃は繰り返される。誰かが踏み出して一撃を加えると、それに反撃しようとする悪魔の腕を誰かが打ちつける。
 確実に、魔人将軍は弱りつつあった。
 「おのれぇ…ッ」
 しゅうっ、と嫌な音をたてて呼気を吐き出し、ウェグラーはうなった。
 「シャウラ…お、ま、え、は…!」
 金色の目が濁った。眼球の奥底から血が流れ出してきたかのように、それが赤く染まる。
 「ユ・ル・サ・ヌ」
 ぶるぶると音が聞こえてきそうなほどに激しく身震いをし、あり得ないほど大きく口を開けた。喉の奥に光るものが見えたと思う間もなく、ウェグラーは巨大な火球を吐き出した。
 「この程度ッ…!」
 途端に、辺り一面に白い羽根が舞う。みなの前に躍り出た堕天使が、光の障壁をもってそれを食い止める。
 「ミラノ!」
 ウィーダの叫びに、彼女は応えた。
 「私は平気です!それよりも、早くウェグラーを」
 激しい光の明滅でほんの数瞬奪われた視界が戻ると、シャウラは眉をしかめた。
 みしみしという音がする。
 立ち尽くした悪魔の肩から、腹から、さらに新しい腕が何本も生えようとしていた。皮膚が木の皮のようにめくれ、体が一回り、二回りと大きくなっていくのが分かる。
 「父上!」
 みるみるうちに、悪魔の形ですらなくなっていく生き物を見て、彼は叫んだ。
 「いくら姿を変えようと、お前に勝ち目はない!」
 赤い目が細められた。
 「グワゥワァ!!」
 言葉ではない、ただの雄叫びが、とめどもなくよだれを垂らす口から発せられる。
 だが、いくら姿形を変えても、もうこの魔物に残されているものは少なかった。振り下ろす腕もどこか動きが鈍く、深く突き刺された傷口からは薄黄色の体液が漏れ出してしまう。
 そして、ついに腕の一本を切り落とされた時、その動きが止まった。
 「ウィーダ」
 シャウラは、友人の肩を抱いて引き寄せた。
 「これで、終わりにしよう」
 「ああ」
 苦しげな魔物の息づかいを感じながら、ウィーダはうなずいた。
 「グッ…グアアアアッ!!」
 「おっと」
 二人を狙って振り下ろされた別の腕に、アシルがぐっと剣を刺し込んだ。
 「邪魔はさせねえぜ」
 最後を悟ってあがき出す魔人を、ランディが、クザンが、サファが押える。クプシが召喚した炎の精霊に肩を押さえつけられて、ウェグラーは悲鳴をあげた。
 見る影もなく変貌してしまった養父に向い、シャウラは剣を構えた。
 ウィーダも槍を構え、じっと狙いを定める。
 そして、どちらから、という事もなく、二人は跳んだ。

 ムーンシェイドは、十字を切った。
 用意されていたかのようにあっさりと、ウェグラーの両目を奪い去り、そのまま細い刀身は眉間へと吸い込まれていった。

 シャイニーフェイバーは、一直線に獲物に喰らいついた。
 自ら望んで求めるかのように深く深く左胸に埋まり、貫き通してその穂先は背中へと抜けた。

 棲み家を失って、異形の鳥たちが高い声を上げて飛んでいく。
 魔城はゆっくりと、重力に身を任せつつあった。
 「急げ!崩壊に巻き込まれるぞ!」
 気の遠くなるような階段を駆け下り、通ってきた部屋を走り抜ける。地響きを立てて揺れ動き、崩れていく城から逃げ出さなければならないのは、人間も魔物も同じだった。つまずいて倒れた者は、とにかく起こす。自分で走れない者は、誰かが担ぎ上げて連れて行く。
 気がつけばみんな一緒くたになって、城が消えていく様を見上げていた。
 「ああ…」
 クザンの肩に乗っけられたまま、クプシがつぶやいた。
 「綺麗なお城だったのに…」
 「結構、な」
 彼が答えると、反対側の肩に担がれていた少年が言った。
 「へえ、人間にもあれって綺麗に見えんのか」
 「まあまあだ」
 「ハハハ、まあまあか」
 笑って少年はふわりと宙に浮いた。尖った耳、青い肌。魔物に類する少年は軽く一回転して地面に降り立った。
 「運んでくれてアリガト。すっげー楽チンだったよ」
 「どういたしまして」
 「だが」
 もうもうと舞い上がる風と埃の中、ミラノに支えられながらウィーダが問う。
 「お前たちはこれからどうするのだ?」
 小石が足元に転がってくる。ブーツに当たる小さな音が、彼にも城の状況を伝える。
 「私たちには帰る場所がある。だが、お前たちは…」
 「心配しなくてもいいさ」
 一匹が口を開いた。
 「オレたちはオレたちで、適当にやるさ。城がないのはあんまり問題じゃない」
 「それに、公子が気に病むからな」
 そうそう、と口々に声があがった。
 「人間にはなるべく騒動起こさないようにやってくつもりさ」
 「そうか…それならば私たちもありがたい」
 ウィーダはうなずいた。
 世の中にいるのはこんな魔物たちばかりではない。むしろ、彼らのような者は数少ないだろう。だが、それでも、これなら安心してここを離れる事も出来る。
 「シャウラ」
 自然とほころんでしまう口元で、彼は友を呼んだ。
 「いつまでもここにいても仕方がない。そろそろ帰らないか?」
 「ああ」
 だが、帰ってきた返事は、相変わらず気のない声だった。
 無表情のまま、ゆっくりと降り注ぐ瓦礫の雨を見ながら、シャウラは答えた。
 「ウィーダ」
 「何だ?」
 「私は…ここに残る」
 みんなの口が、えっ、という形に動いた。だが、みなの疑問がきちんとした言葉になる前に、シャウラはベルトから剣の留め具を外し、鞘ごとクプシの眼前に差し出した。
 「これを伯母上に返してくれ」
 「で、でも、お兄ちゃん」
 「何も、二度と会わないと言っている訳ではない」
 かすかに、その顔が微笑んだ。
 「これが必要になる時が来れば取りに行く。ただ」
 呆然と見つめる少女の前で、彼は告げた。
 「まだ当分の間、人間としては生きていけそうにない」
 苦笑ともとれるような微妙な表情になって、シャウラはさらに剣を突き出した。クプシがそれを受け取ると、彼は小さくうなずいた。
 「では、またいつか」
 必ず、とは言わなかった。
 「シャウラ、君は」
 ウィーダの言葉を遮るように背中を向ける。
 「みなには礼を言う。本当に、色々と世話になった――感謝、する」
 それが最後だった。
 「シャウラお兄ちゃん!」
 「おい、待てよ!」
 クプシの声も、制止の声も聞こえないふりをして、彼はラードラにまたがる。
 そして、現れた時と同じように颯爽と、彼は姿を消した。

 「何だ、もう泣いてないのか」
 長い長い帰り道、クプシはすぐに泣くのをやめた。
 アシルがからかうように言うと、彼女はにこっと笑って答えた。
 「うん。だって、きっとまた会えるもん」
 「そうだな」
 隣を歩くウィーダがうなずいた。
 「私もそんな気がする。それに、私たちにはやらなければならないことが山のようにある」
 失われた命は戻らない。だが、それでも、残った者は生きていかなければならない。村を、町を、そして国を立て直していかなければならない。
 「バスラムが落ち着いたら、ガルダンへも遊びにいらっしゃるといいですわ」
 ミラノの微笑みに、少女は喜んで飛びついた。
 「ええっ、いいのぉ!?」
 「もちろんですわよ。約束の指切りを致しましょうか?」
 「うん、する!」
 その様子を見ながら、アシルも、そして他のみんなも微笑んだ。
 「ま…気長にいきゃあいいよな?」
 これからの事も、シャウラの事も。
 そう、帰り道すら長いのだ。まだまだ、旅は終わらない。




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