序章〜『それってダメなんじゃない?』
宇宙ステーション・アリストテレスは、約二万人の人口を擁する、連邦の軍事開発用基地である。主な役目は、連邦と敵対する勢力に対抗するために、新しい兵器や戦艦を開発したり、将校クラスの軍人を教育したりすることである。
だが、あんまり仕事しない人たち、というのはどこにでもいる。
広々とした牧草地。たわわに実る果樹園。魚が泳ぐ大きな湖。
人々の胃袋を満たすために作られた、広大な農業地帯のど真ん中。
連邦でもトップクラスの脳味噌が六人分集まって、何もしてない。
それが、彼らである。
小ぢんまりとした二階建ての小さな家に近付いてくる人影があった。
左手はギブスで固定され、首から下げたベルトで吊り下げられている。足も同様、首にはムチ打ち症用の保護パッド、頭にもぐるぐる包帯が巻かれた中年の男性は、一歩一歩のどかな風景の中を歩いていく。だが、その表情はあまりにも険しく、怒りに燃えている。右手にはハンドガン。あからさまに、これはただごとではない。
「おい」
彼の目的地であろう、その家のリビングのソファの上で、長々と寝そべっていた青年が言った。
「誰か来るぞ」
明るい茶色のくせっ毛に、同じ色の明るい瞳。くわえ煙草でテレビを見ていたのだが、彼の足元では外部からの侵入者を知らせるアラームがぴこぴこ言っていた。
「ミザール。見ろ」
「え〜?」
呼ばれて振り返ったのは、腰まで届く長い金髪の青年だった。青く澄んだ瞳、白い肌、きりっとした口元。
とんでもなく美形である。描写がめんどくさい訳ではない。おそらく、100人に聞けば、120人ぐらいが彼の事をカッコいいと言うであろう、そういう顔立ちなのである。
きちんと手入れされた美しい眉を吊り上げ、彼は反論した。
「イヤだ。なんで、いっつも僕なんだよ」
読んでいた雑誌をきちんと閉じて置いて、立ち上がる。
「アクイラはそうやっていつも」
「うるさい」
低い声で一喝し、ソファに寝ていた青年は上半身を起こした。
じっと相手をにらみながら、ゆっくりと口から煙草を離す。そして、火のついたままのソレを、ちょっとだけ、前に差し出した。
「うわああああぁ!」
途端に、金髪の青年は三歩飛び退って、ぶるぶると頭を振った。
「煙が!においが髪につく!やめろぉ!」
「じゃ、とっとと確認して来い」
「う〜…」
思いっきりイヤそうに、恨みがましそぉ〜な目付きで相手を見るが、まるで動じる様子はない。
約二十秒間そうやってにらみ合った後、ふと、ミザールは唇の端っこだけ上げてフッと笑った。
「ま、しょ〜がないなぁ。アクイラはそうやって、僕のこと頼りにしてるんだから」
「じゃかぁしーわ、このボケ!」
次の瞬間、アクイラが煙草を放り捨てた。
「つべこべ言っとらんと、早く見てこねーか!」
「うわぁ〜ん、アクイラが怒ったァ!!」
ぱたぱたぱたぱた…!
スリッパの音を高らかに鳴らして、ミザールはリビングを突っ切り走っていく。そして、煙草を捨てたアクイラは、というと。
ぽかっ。
「駄目じゃありませんか」
叩かれていた。
一歩、また一歩。
痛みをこらえて、彼は歩みを進める。
ぼろぼろの体を突き動かしている原動力は、怒りか、それとも恨みなのか。
目的地はもうすぐ。もうすぐ、彼の望みはかなう。
「フローリングにはすぐに焦げ跡がついちゃうから、煙草をポイ捨てしないようにってあれほど言ってるじゃありませんか」
「何ばばくせぇ事言ってんだよ」
不満たらたら、といった顔でアクイラは傍らの青年を見下ろした。
吸殻を拾い、ウェットティッシュで丁寧に床を拭っている青年は、絶滅したと思われる人種の特徴をこれでもかと言わんばかりに見せつけていた。
きっちりと横分けにした硬めの黒い髪、濃いめの茶色の瞳、低めの鼻に眼鏡をかけ、部屋の中だというのにカッターシャツにネクタイを締めている。身長168cmとやや小柄な彼は、お世辞にも、足が長いとは言えない体型をしていた。
そう。見事なまでに、ニッポンジン。
今年は星歴3046年だが、まだいたのである。マニアが見たら剥製にされてしまいそうなほどの純血の日本人である彼は、ちょっと黒くなった床を神経質そうにこすった。
「あ〜あ、やっぱりちょっと焦げちゃった」
「ま、細かいことは気にすんな」
アクイラは笑って立ち上がった。
「それよりも、誰か来たみたいだぜ。見ないのか?」
「ここが綺麗になったらね」
あっさりとそう答え、彼は掃除道具を取りにリビングを後にした。その後ろ姿を見ながら、はっと気が付いてアクイラは尋ねた。
「おい、ザーウィン。お前、もしかして、床板全部変えるつもりか?」
目の前には、ちょっと変わった形の小さな家。
贅沢な自然を独り占めにする、とてもわがままな家でもある。
彼は右手のハンドガンを握り締めた。ゆっくりと持ち上げて、狙いを定める。
ガラス窓の向うで、カーテンがゆれている。
彼は少し身をかがめて、ミザールの肩越しに外をのぞいた。219cmという長身のため、そうしないといけないのだ。
「あれか」
「うん」
ポーチからはなだらかな芝生の斜面が続いている。その中腹辺りに、一人の男が立って、こっちをにらんでいた。
その手には、銃が握られている。
「物騒だな」
「うん」
狙われているのに、この会話。二人は顔を見合わせ、そしてまた、不思議そうに外を見た。
こう見えても、このガラスは二重構造の防弾ガラスである。あの程度の銃ではどうということはない。
「何か言ってるみたいだね?」
「うん」
男はハンドガンを構えたまま、何か叫んでいるらしい。だが、二人の耳にははっきりとした言葉として聞き取ることは出来なかった。
「ところでエディ、あの人、誰?知ってる」
ミザールは傍らの青年を見上げて尋ねた。
見るからに温和そうな、褐色の肌の青年は、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「ああ、もう忘れたんだ」
「え?」
青い目を見開いて、青年は驚く。
「僕、あんな人知らないけど」
「別に知らなくていいよ」
「でも、エディが知ってるとなると、ちょっとだけ気になるなぁ」
「じゃあ説明しよう」
エディはにこっと微笑んだ。
「俺も名前は忘れたけど、先週の水曜日、一日だけ」
「うん」
まだ少し驚きを残した顔のまま、ミザールはうなずく。
ふふふ。奴ら、驚いている。
それはそうだ。
このわたしが、わざわざここまで、こうやって来てやったのだからな。
言いたい事を全部言い終えて、彼は大きく一呼吸し、返事を待った。
「シィクさん、シィクさん」
ザーウィンは厨房をのぞいて声をかけた。
小さいながらも充実した施設のキッチンには女性が一人。青みがかった美しいプラチナ・ブロンドの髪をふわりとひるがえし、彼女は振り返った。
怒っていた。
「仕事の話じゃないんなら後にしてくれる?今、すっ………」
手にはボウルと泡立て器。
「………ごく、忙しいんだけど」
「あの」
微妙に及び腰になった彼が次の話を切り出す前に、彼女は手元のスイッチを入れた。ボウルを傾けながら、丁寧に卵を泡立てていく。
つられてザーウィンもその作業を見守る。
しばらくの時が流れた。
「で?」
一息ついて、シィクは顔を上げた。
「用事って何?」
「………」
ザーウィンは小首を傾げ、そして、答えた。
「いや。また今度でいいや」
イライラして待ってみたが、一向に彼らからの返事はなかった。
彼は、ぐっと唇をかみしめて、最後通告を行う事にした。
「お前たちッ!」
ハンドガンの照準を窓ガラスの向うの青年に合わせる。
「最後にもう一度だけ言う!今すぐ、その家から出て、わたしの命令に従え!」
だが、やはり返事はない。
「わたしの言う事が、聞けないのかッ!」
わたしは…わたしはっ、お前たちの上官だぞ!?
怒りに震える彼の眼前で、あろうことか、部下たちは…笑っていた。
「上官?」
ミザールはきょとんとした顔でエディを見上げた。
「ああ…そういえば、何かそんな話を聞いたこともあったような気がしたな」
「何だ。その話、ヤメになったんじゃなかったの?」
ちょこん。
いつの間に、エディの背中にしがみつくように、一人の子供がぶら下がっていた。
「お〜ぅ、ニーナァ♪」
ミザールが満面の笑みで両手を広げた。
「ニーナ、こっちへおいで」
「にゃ」
猫みたいな声で返事をし、彼女はぷるぷる頭を振った。背も低いし、男の子みたいな格好をしているが、一応女性である。しかも大人。
「ああ。彼は、その一日のみ俺たちの上官だったんだよ」
彼女を勝手に背中にぶら下がらせておいて、エディは答えた。
「とっくに解任されたはずなんだけど、どうしてこんな所にいるんだろうね?」
「ね?」
一緒になってニーナが笑う。
「もしかして、解任されたの、まだ知らないとか?」
「まさか」
ミザールも笑う。
だが、ふと、エディが真顔になった。
「その、まさか、みたいだな」
もう許さない。命令違反もはなはだしい。
何が何でも引きずり出して、軍法会議にかけてやる!
彼は、引き金にかけた指に、力を入れた。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
背中にニーナを背負ったまま、一歩踏み出す間に窓を開け、エディはバズーカ砲を構えていた。
何が起こるかを察したミザールとニーナは即座に耳を塞ぐ。
元・上官が引き金を引くより早く一発のロケット弾が射出され、その反動を利用して一歩後退したエディは、そのまま部屋に上がり込んでさっと窓を閉めた。
「おい」
アクイラが振り返った。
「何かあったか?」
「ううん、何も」
大きな背中で楽しげにニーナが答えた。
だが、実際は大変なことになっていた。
厨房にて。
ランチャー発射の衝撃で、ザーウィンの眼鏡がズレた。そのせいで、泡立て器のコードに引っ掛かって、まるでお約束のようにすっ転ぶ彼。
おかげでシィクの手からボウルもろとも泡立て器が吹っ飛び、辺りに卵が飛び散っていた。
「もぉ〜ッ!ど〜してくれんのよ〜ッ!?」
「…とまあ、これが今回のレクサス少将の着任に関する全騒動の概要です」
「これだけか?」
「これだけです」
補佐官が差し出した実に薄っぺらいレポートを見て、アリストテレスの総責任者であるデイル・ランドルフ・コルト首将は小さく溜息をついた。
「比較的被害は少なかったと思いますが、どうでしょう?」
すべての任務において彼をサポートするカンティ・ウムシュラーク補佐官は、にっこり笑ってお茶を差し出した。淡い緑の水色が美しい、ジャパニーズグリーンティーだ。
「まあな。あいつらと来たら、このアリストテレスに来てからもう半年経つというのに」
ふぅ、と湯気をふいて、お茶を一口すする。妙にじじくさい。
「そろそろ正式に上官を決めてもらわないと、仕事にならん」
連邦でトップクラスの能力を持つ彼らを集めたのは、他ならぬコルト首将だった。だが、彼らが一つの部隊として任務に就くためには、六人をまとめて指揮できる上官が必要だ。
「やっぱ、アレをいっぺんにどうこうするのは、無理かな?」
今までに、彼は16人の将校を送り込んだ。そのうち、辞意表明が9人、病院行きが5人、脱走1人、そして最後の一人は…あろうことか行方不明。もみ消すだけでも一苦労だ。
「誰一人として、三日も持たないのは…やっぱりコンセプトからして無理だったのかな」
さらに溜息をつく首将に、補佐官は微笑んだ。
「い〜え、彼らには荷が重すぎただけです。だって、あの6人自体は仲良くやってるじゃないですか。部隊として、ちゃんと機能することはするんですよ…多分」
「多分って言うな、多分って」
頭を抱えながら、モニターにくるりと背を向ける。
「あ!駄目じゃないですか、ちゃんとリスト見てくださいよぅ」
「もういい。今日はやめた」
そして、彼はゆっくりとした動作でまたお茶をすすり始めた。
が。
ふと振り返り、一人のプロフィールに目を止めた。
「………」
こいつは…もしかしたら、使えるかも。
眉を寄せる彼の後ろからモニターをのぞきこみ、カンティはぽんと手を打った。
「ああ、その人ですか?僕、会った事ありますよ。でも」
ちょっと首を傾げて、彼は続けた。
「何か理由があって、昇進は見送られてるらしいんですよ」
「理由アリか。面白いじゃないか」
にやり、と首将が笑った。
「二階級特進だ。こいつの上官と話をつけて、すぐにでも来てもらえ!」
こうと決めるとてこでも動かない人である。補佐官は八の字眉毛になりながら笑った。
「分かりましたよ。少し待っててくださいねぇ」