最期の歌



 序曲

 私の名は、ファリドー・スカラ。東クランナスの学院で、歴史を研究していた者だ。今はご覧の通り、ただの流れ者だがね。
 何故か、だと?
 それは、私が学院から追放されたからだよ。いや、学院の賢者たちの、あまりの愚かしさに愛想が尽きたからと言った方が正しいか。老師たちは、真実を知る勇気というものを持ち合わせていないのだ。
 私が追放された罪状は、このドラコリーラの大地を統べる神々――十三の聖龍を冒涜した、というものだった。それはそうだろう、誰だって、私の話を聞いた者は、必ず最後に私に石を投げたものだ。
 そうとも、私は神龍を悪魔と変わらぬように言う。それでもいいなら、話をしよう。聞きたいならば、教えてやろう。
 この大地に栄えた、古の国々を滅亡させたのが誰か。何故、神龍は永き眠りから目覚めないのか。
 破滅の話を、聞かせてあげよう。

 このドラコリーラには、今から約二百年ほど昔、大陸全土を支配するに至った強大な国が存在していた。その国家は今の私たちと比べると、非常に高度な文明を持っていた。そして、たった一日にして何もかが滅びて廃墟と化した。このぐらいは、誰もが知っている有名な話だ。
 だが、何故滅びたのか、それが全く分からない。私は十六年間学院で学んでいたが、その間中、老師たちの意見はちっともまとまらなかった。
 無の世界からの化け物の来襲、神龍の怒り、大いなる天変地異、そして高度な魔法力による最終戦争。さまざまな説が学院中を、いや、世界中を飛び回っている。私もその中の一つが正しいと思って、必死で証拠を捜し求めていた。
 そんなある日の事だ。
 私は北方の山中にある遺跡に調査に出かけ、途中で仲間とはぐれてしまった。遺跡が迷宮のようになっていて、ちょっと横道にそれてしまったら最後、戻れなくなってしまったのだ。私は学者であって、冒険者ではないから、仲間を探してさ迷ううちに、思ってもいなかった場所から外に出た。
 外とはいえ、そこは木々がうっそうと生い茂る森の中だった。磁石の一つも持っていなかったから、とにかく麓へ下りようと、私は地面の傾きに従い歩き始めた。しかし、半日休まずに進み続け、くたくたになってたどり着いたのは、四方を尾根に囲まれた、山中の窪地だった。
 食べる物もない、足も傷だらけだ。疲れ果てた私には再び山登りをする気力もなく、とりあえずそこで休む事にした。持っていたマントに包まると、たちまち眠り込んだ。
 しばらくして目を覚ました時、私は腰を抜かさんばかりに驚いたよ。目の前に、化け物がいたんだ。それも、最も醜悪でけたたましいと言われる怪鳥、ハルピュイア。それが、息を殺して私の顔を覗き込んでいた。鳥独特の臭いが漂ってきて咳き込みそうになったが、私は懸命にこらえ、彼女と見つめあった。
 噂に聞いていたのとは違い、顔は美しかった。輝く金色の髪はきちんと梳いてあり、あまつさえ可愛らしいリボンでまとめてあった。ほっそりした首に、白く豊満な乳房。だが、人間らしいのはそこまでで、肩からは翼が、腹から下も鳥のそれになっていた。
 悲鳴を上げたりすれば、ハルピュイアは驚いて襲いかかって来るだろう。とりあえず腹は減っていないようだし、このままじっとしていれば、私を眺めるのにも飽きてどこかへ飛び去るに違いない。
 そう考えて、私も息を殺してじっとしていたのだが、予想は外れた。
 青い瞳の美しいハルピュイアは、たどたどしいが、確かに人間の言葉で話しかけてきたのだ。
 「おマエ、困っている、か?」
 私は驚いた。化け物だというのに、彼女は私を助けようとしている様子だった。考えて見れば、両手が翼になっているハルピュイアに、リボンなど結べるはずがない。もっと知能の高い化け物、もしくはおそらく人間が彼女を手懐けていると考えるのが妥当なところだ。
 化け物でも慣らせば言う事を聞くのだな、と感心しながら、私はうなずいた。
 「ああ、困っている」
 答えると、ハルピュイアはにっこりと笑って、私が次に何か言うのを待った。おそらくあまり理解出来ないであろう人語を聞き逃すまいとしているようだった。
 「この近くに、人間はいるかい?」
 こう尋ねると、彼女はかなり長い間考えたあげく、にまっ、と笑って言った。
 「ニンゲン、おマエ、ニンゲン」
 そして、訳の分からないことを早口でまくし立てた後、甲高い声でくけけと笑った。想像していたよりも、はるかにけたたましい声だった。
 「ニンゲン、ね、ニンゲン!ニンゲン!!」
 彼女は嬉しげに繰り返し、羽根をばたつかせた。
 こんなのを飼っているのは一体誰だろう、と思った丁度その時、ハルピュイアの主が空からやって来た。
 「こら、アイティーア!うるさいぞ、何があった?」
 私は耳を塞いだまま上を仰いだ。凛とした張りのある声に、ハルピュイアはすぐさま口を閉じる。
 青い髪、青い目の青年は、飛行の術を解いて化け物の隣に降り立ち、深々と頭を下げた。
 「失礼した。僕のハルピュイアが迷惑をかけた。うるさかっただろう」
 彼はそう言って微笑んだ。
 その笑顔には見覚えがあった。私はここまで来た経緯を彼に話しながら、必死で思い出そうとした。記憶の片隅に、確かにこの優しげな男性の面影があったが、妙な違和感が私の心の中でわだかまっていた。
 「それでは、一晩僕の家で休んでいくといい。粗末だが、食事もある。朝になったら送ってあげるよ」
 その言葉で、思い出した。違和感の正体も分かった。
 「あなたは、シャライ」
 私が言うと、彼の笑顔は一瞬にして凍りついた。
 「やっぱり、シャライだったのか」
 「い、いや、僕はそんな名前じゃ…」
 シャライ・ヴェイダ・リストーク。十五年前に、同じように迷子になっていた私を助けてくれた恩人。だが、その顔を見て、私は何とも言えない恐怖感に駆られていた。
 十五年という歳月を経ても、シャライは全く老いていなかった。
 「私は、ファリドー・スカラ。あの時は、まだ八歳の子供だった」
 「!!」
 覚えているようだった。彼は、打ちのめされたように、ため息をついた。
 「そうか、あの時の子供…君だったのか。大人になっていたから、全く分からなかったよ」
 青ざめた主人をハルピュイアが心配するように見つめていた。シャライはしばらくの間うつむいていたが、やがて顔を上げて私を見た。
 「不思議なんだろう?僕が昔のまま変わらないのが。そうなんだろう、ファリドー?」
 「ええ」
 しばらく考えた後、彼は笑って手を差し伸べた。力なく笑って、まだ地面に座り込んでいた私を立たせた。
 「すまない、忘れるところだった…道に迷って疲れているんだったね。食事にしよう。話はそれからだ」
 こうして、私は、呪われた賢者の住まいに招待される事になった。

 シャライは古代王国の遺跡の一部である、古びた塔の最上階に住んでいた。塔の入り口は地中に埋もれており、私は飛行の術をかけてもらって、入り口であるバルコニーに降り立った。
 私が食事をしている最中、彼は何も言わなかった。じゃれついてくるハルピュイアに餌を与え、その美しい髪を丁寧に梳いてやっていた。彼女は喜んで鳴いていたが、ほどなく主人の膝にもたれて眠り込んでしまった。
 「それで、何が聞きたい?」
 シャライは静かに尋ねた。私が食べ終えて、一息ついた時だった。
 私には、言葉を選ぶ心の余裕はなかった。
 「本当に、あの時から少しも老いてないのか?幻の術じゃないのか」
 愚問だった。
 この大地に暮らす全ての人間は、十三の神龍の子として、十三の属性に分かれている。そして、そのそれぞれに使える術は限られている。氷の龍の子である私がいくら努力しても、決して火を起こす術が使えないように。
 風の術である飛行を使えるシャライが、幻の術を使えるはずはなかった。
 「幻か。そうか、変装の術を使えば、こんな苦労はしなくてもすむな」
 彼は嬉しそうな顔になった。
 「こんな苦労って…」
 「僕は、見ての通り、不老不死の体だ」
 私は耳を疑ったが、同時にそうだったのかとどこかで納得もした。
 「だから、目立ってしまって町には住めない。しばらく時間が経てば、僕が普通でない事がばれてしまう。そうなれば、錬金術師の餌食だ」
 彼はため息をついた。
 「錬金術師だけじゃない。誰もが不老不死になりたがって、僕への態度をころっと変えた」
 そんな事が何度もあったのだろう。うつむいていたシャライが次に顔を上げて私を見た時、その目にはあからさまな悲痛と、あきらめの色があった。
 「ファリドー、君もそうなんだろう?私の話を聞いて、不老不死になりたいと思っただろう」
 だが、私は違っていた。
 「もう少し眠って疲れが取れたなら、翼をつけてあげるから、それで山を越えて麓まで下りるといい。それがいいよ」
 「シャライ…待ってくれ」
 私の言葉に、シャライは目を逸らした。
 「気休めはよしてくれ。不老不死に興味がないと言いながら、眠っている間に僕の血を舐めようとした奴もいる。みんな、同じだ」
 「私は違う!」
 思わず大声を出してしまった。その途端、気持ち良さそうに眠っていたハルピュイアが驚いて飛び起きた。
 「ピキイィィ!!」
 彼女は狼狽して翼をばたつかせ、凄まじい声をあげた。
 「す、すまない!驚かせて悪かった!」
 もう化け物に対する恐怖はなかった。私は泣き喚く彼女を止めたい一心で、その体を抱きしめてやった。ハルピュイアは、一瞬きょとんとしたが、すぐに鳴き止んでくれた。
 「すまない、君が寝ているのを忘れていた。私が悪かったから、落ち着いてくれ」
 手を離すと、ハルピュイアは理解したかのように、にっこりと微笑んだ。ふと見ると、シャライの表情も和らいでいた。
 「アイティーアが怖くはないのか?一応…化け物だぞ。よく、抱けたな」
 「いや…とっさの事だったから」
 私は正直な感想を述べた。
 「それに、彼女はあなたによく慣れている。怖いとは思わなかった」
 「彼女、か…」
 シャライはふっと息を吐いて、笑った。
 「君も変わってないようだな、ファリドー。子供の頃の純粋な心が、まだ残っているとみえる」
 そして彼は手を伸ばし、ハルピュイアの頭を撫で始めた。
 「誰もがアイティーアを恐れる。どこへ連れて行っても化け物呼ばわりだ。僕がいなければ、とっくの昔に殺されていただろう…もちろん、彼女だなどと呼んでくれた人など、いない」
 アイティーア。それが、このハルピュイアの名前なのだろう。シャライは彼女を抱きしめ、言った。
 「友よ、紹介しよう。彼女こそが、僕が生涯をかけて愛すると誓った、愛しい妻、雷のアイティーアだ」
 私は、愕然とした。
 妻?ハルピュイアが?それも、雷の龍の種族?
 私の属する氷の種族は、冷淡な無表情で名高いが、この時ばかりは目に見えて表情が変わったらしい。シャライは私を見て、優しく哀しげに笑った。
 「分からないだろね。説明不足だからな」
 「……ええ」
 呆けている私を残し、彼はハルピュイアを抱いて立ち上がった。
 「今日はもう休もう。明日から、少しずつ話してあげるよ。二百年前、アイティーアがまだ人間だった頃の話を」
 二百年前と言えば、古代王国が滅んだ時。
 「シャライ、まさか、あなたは」
 「今日はもう休もう、友よ」
 追いすがろうとした私の目の前に、一本の白いバラが差し出された。
 「おやすみ」
 甘い香りが私を包み、私の意識は急速に遠のいていった。
 何故だ?風の属のシャウラに、どうして木の術が使えるのか…?疑問を抱えたまま、私は眠りについた。
 そして、何も知らなかった幸せな私は、ここで終わった。


続く

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