終曲
「それから僕は、彼女と共に世界中を旅して回ったよ、大地がどうなったかを見るためにね。トゥティアはもちろん…ラシェード帝国は完全に廃墟になって滅びていたよ。辺りは魔物だらけになっていた。そして、辛うじて生き残っていた人たちが、今のドラコリーラを作り上げたんだ」
シャライは長い話を終え、私を見た。
「信じるかい、ファリドー?学院に帰って報告するかい?古の王国を滅ぼしたのは、他ならぬ我らの神、十三の神龍ですと」
私は、彼とハーピィとを代わる代わる見つめ続けていた。真実を知った喜びと、神龍の力の恐ろしさに、私の体は震えた。この話を、みんなに聞いてもらわなければ、と切に思った。
「シャライ……一緒に学院に来て、老師たちの前でその話をしてくれないか?あなたとアイティーアを見れば、必ずみんな信じてくれる」
「それは無理だ」
しかし、シャライは寂しそうに笑った。
「もう、人間の好奇の視線にさらされるのはたくさんだ。君以外の人間と話をするのも、ね」
ずっと手に持っていながら、一度も弾くことのなかったリュートを両手でもてあそびながら、彼はうつむいてしまった。
「…シャライ」
しまった、と思った。
私は興奮して、すっかり忘れてしまっていたが、シャライにとっては、自らが犯した罪を告白している事に他ならない。自らがこの世界を壊したのだと、数多くの魔物たちを生み出したのだと、そう言っているのだ。そんな辛い話を、私にだからこそ、話してくれたというのに。
「すまない」
私がうなだれると、彼は顔を上げて優しげな笑みを浮かべた。
「いや、いい。久々に人と話せたからね。楽しかったよ」
シャライは、リュートを置いて立ち上がった。
彼の妻は、塔のバルコニーに立って朝の風を浴びていた。意味のない言葉の羅列を繰り返して、楽しそうに鳴き続けている。
「さ、そろそろ帰らないと。みんなが心配しているはずだ、どこへでも送ってあげるよ」
「…そうだな」
だが、私が帰った後、シャライはどうするのだろうか。これからも、魔物となった妻とずっと二人で、永遠に暮らしていくのだろうか。
うなずいたものの、私には帰る場所を告げることは出来なかった。
「僕たちのことなら、心配はいらないよ」
黙ってしまった私の様子に気付いて、シャライは言った。
「今までも、ずっとこうして生きてきたし、これからも同じさ。それに、僕にはやらなければならないことがある」
部屋の片隅にある古びた書物に視線を移し、彼は微笑んだ。
「もう二度と、龍が目覚めさせられる事がないようにしなければいけないからね。大切なことさ」
だが、その笑顔は、作り笑いでもないのに無味乾燥な色をしていた。喜びも、未来への希望も、何もなかった。
「しかし」
私は、詰まりそうになる声を絞って反論した。
「それでは、あなたたちが、あまりに可哀相だ」
彼に比べれば、私はほんのわずかしか生きていない。彼の苦労など何も知らない、その様な者が、口にしてもよい言葉ではなかったかもしれないが、でも、それでは、あまりにも哀れ過ぎる。
「いくら一人じゃないと言っても…彼女は、あれでは」
これから先、今までよりもずっと長く永遠に続いていく人生の伴侶として、共に生きていく相手として、あれでは、あまりにもむごい。
「いいんだ」
私の言葉を遮って、シャライは答えた。
「ああなっても、生きている。私を愛してくれているし…私も愛している。このまま、永遠に二人でいられる。だから、後悔はしていない」
そのまま、バルコニーに出る。彼の足音に気がついて、ハルピュイアは振り返り、鳴くのをやめて笑顔を見せた。
「シャライ」
アイティーアはとても嬉しげに、そう言った。
そして一息大きく吸い込んで、また口を開いた。今度は、その澄んだ声は旋律となり、歌となった。
繊細で美しいメロディにのせて歌う、切なく優しい愛の歌。永遠を誓う、恋人に捧げる歌。
それは。
人ならぬ身に歌えるような、簡単な歌ではなかった。
「アイティーア」
聞きながら、シャライは息を飲んだ。
「これは、僕が昔歌ってあげた…」
そのまま、彼は言葉を失ってしまった。だが、アイティーアは彼の台詞にうなずいて、ぽとりと涙の雫をこぼした。
「……あなたの話を聞きながら、少しずつ、戻って来れたの」
はっきりとした人の言葉で、彼女は答えた。
「全部思い出した。あの時何が起こったのかも、この二百年の間に何があったのかも」
シャライが私に語ってくれた話は、アイティーアの心にも届いたのだろう。神の力で魔物へと姿を変えられてしまった彼女が、自分を取り戻していた。奇跡だった。
「シャライ…わたし、わたし」
声を詰まらせる恋人を、シャライは声もなく抱きしめた。
二百年という年月は長かっただろうが、これからはもう大丈夫だろう。私は、私がここへ来た偶然を、誰に、という訳ではないが、感謝した。
私は、その後、二人に別れを告げ、一人クランナスへ戻った。
そして、この吟遊詩人の話をみなに聞かせた。何度も何度も繰り返し、古代王国を滅ぼした真犯人の名を挙げた。
だが、やはり、誰一人として信じてくれる人はいなかった。
証拠を求めて、何人かの冒険者がシャライの塔へと派遣されたが、もう彼は愛する妻と共にどこかへと去った後だった。そして、私は神龍を冒涜する反逆者として、学院から追放された。それでもこの話を繰り返すうちに、今となっては私を狂人扱いをする者までいる始末だ。
当たり前だ。一体どこの誰が、神龍こそが世界の破壊者だという話を信じるというのだ。この世界が、罪人の牢獄に過ぎないという事実を認められるというのだ。
それでも構わない。私は、この話を語らずにはいられない。
いつか、また会える日を信じながら、私は語る。まるで、吟遊詩人のように。
では、最後に一つだけ聞かせて欲しい。
君は、私の話を信じるか?その答えは………