最期の歌



 不協和音(2)

 一歩外に出ると、今までの静けさが嘘のようだった。あちこちから、悲鳴が、怒号が聞こえてくる。瓦礫の崩れる音、剣と剣がぶつかりあう金属音、そして、断末魔の悲鳴。
 辺りは神龍を呼び出す前と全く変わっていないように思えた。
 「まだ戦は続いているのか?」
 シャライはあわてて瓦礫を踏み越え、傾いた扉を押しのけた。がらんとした廊下を通り抜け、アイティーアを探すために走った。
 「アイティーア!どこだ!どこにいる?」
 その時目の前で瓦礫を踏み砕く音がしたかと思うと、一つの影が彼の前に現われた。それは、人ではなかった。
 「な……何だ、これは」
 顔は見覚えのある貴族のものだった。しかしその頭は半分砕け、腕も片方ちぎれていた。どう考えても生きているはずのない姿になった人間は、彼を見つけると真っすぐ彼の方に向かってきた。
 血塗れの腕が、彼に向かって伸ばされた。
 「やめろ!どうしたんだ、レナード侯爵!僕だ、分からないのか!?」
 シャライの呼び掛けにも全く顔色一つ変えず、貴族は襲いかかってきた。とっさにリュートを突き出すと、木製の胴はやすやすと相手の頭を打ち砕き、どす黒い血しぶきが飛び散った。
 だが、それでも、首を失った侯爵の体は、動くのをやめない。
 そんなことは…あり得ないのに。
 「う……うわああああああっ!!」
 シャライは悲鳴を上げた。侯爵ごとリュートを放り出し、めくらめっぽうに走り回った。だが、どこに行っても現われるのは人間ではなかった。
 馬と人間が腰のところでつながっていたり、三つも頭のある犬がいたりした。髪の毛がすべて蛇になっている人間に呼び掛けられたが、シャライは恐怖のためにその場から走り去った。町は廃墟と化し、そこにいるのは全て、龍の力に耐え切れず、姿を変られ、心を変えられてしまった人間や、生き物たちのなれの果てだった。その魔物たちが様々にわめき散らしながら、果てしなく殺しあいを繰り広げているのだ。
 「お前の愛する女なら」
 風の龍カーフ・レスートの歯切れの悪い言葉が、悪夢のようにシャライの頭にこだましていた。
 「ここから逃げだす事は出来た。少なくとも生きてはいる」
 だが、生きていても…一体、どうなっている?
 姿形を変えられてしまったのか、それとも、人としての心を失ってしまったのか。
 おぞましい想像だけが、彼の心を支配する。
 「アイティーア…アイティーア!!」
 愛する人の名前を呼びながら、シャライはただ、地獄の中をさまようばかりだった。

 どれぐらい歩いただろう。
 一睡も出来ない恐ろしい夜を越え、太陽だけがいつものように静かに姿を見せた。だが、シャライはまた、トゥティアの城跡に戻ってきていた。
 この場から逃げ出さなければならないことは分かっていた。このままここに残れば、いつか魔物に襲われ命を落とすだろう。それでも、まだ、彼女を見つけられない間は、ここから離れられない。
 彼は瓦礫を踏みしめて、バルコニーの残骸に登った。
 「シャライ」
 その時、ふいに、聞きなれた声が彼を呼んだ。
 「生きていたの…無事だったのね!?」
 空耳ではなかった。高く澄んだ少女の声は、間違いなくテュリアのものだった。
 振り返ろうとして、ふと、シャライは思い出した。王女は、確かに、瓦礫の下敷きになって血を流してたはずだった。死んでいてもおかしくはない状況だった。
 それでは、この声は一体?
 「ねえ、シャライ。どうしてこっちを向いてくれないの」
 こんな凄惨な場所で、似つかわしくないほどに明るく屈託のない言葉に、シャライは懐に忍ばせた短剣を握りしめた。そして、ゆっくり振り返る。
 「テュリア…姫」
 紫の髪、アメジストの瞳。愛らしく美しいその容貌はどこも変わることなく、彼女はそこにいた。だが、破れたドレスの裾からのぞいているのは、人間の足ではなかった。
 つやつやと紫に濡れる大蛇の体が、腰の下、足の代わりについていた。
 「嬉しい…あたしを迎えに来てくれたのね」
 自分の体が変わってしまった事に気付いていないのか、それとも気付かないふりをしているだけなのかは分からなかった。ただ、いつものように満面の笑みを浮かべて両手を伸ばし、テュリアだった魔物はシャライに近づいてきた。本物の蛇のように素早い動きで、あっと言う間に距離を詰めると、白い腕を彼の首に絡ませた。
 それと同時に、不気味にうねる下半身がシャライの足に巻きつき、動きを封じた。しまった、と思った時には身動きは取れず、彼は至近距離で笑うテュリアの顔を見せつけられることになった。
 彼女の口元からは、白い牙がのぞいていた。
 「うふふ…探したのよ、シャライ。もう、二度と離さないんだからね」
 今まであれば、その言葉も普通に受け止められただろう。
 しかし、かわいい台詞とは裏腹に、魔物はぎりぎりと力を込めてシャライの体を締め付けはじめた。それは、殺すためとしか思えない力だった。
 「は…離せ、化け物ッ!」
 辛うじて動かせた右手で、シャライは蛇の胴体を突いたが、その程度ではびくともしない。鋭い爪の生えた両手で、彼女は青年の顔を挟み込んだ。
 「ダメよ、絶対に離さない…あなたはあたしのモノ。あたしだけのモノにするんだから」
 「くッ…!」
 人間の言葉は通じても、もはや心も体も人間ではなかった。締め上げられた体がみしみしときしんで、骨が悲鳴を上げた。
 圧倒的に力が違い過ぎた。このままでは、体中の骨を粉々にされて、絞め殺されてしまうだろう。
 だが――それも、自分が蒔いた種、だった。
 アイティーアに会えないまま死ぬのは心残りだったが、彼女もこんな風に変わってしまっているのなら、会えずに死んだ方がましかもしれない。
 シャライは、あきらめて、まぶたを閉じた。

 しかし、彼は死ななかった。
 呼吸さえも出来なくなり、もうダメだと思ったその瞬間、頭上で甲高い鳥の鳴き声がした。そして、羽音と共に、一羽の鳥のような生き物が二人の頭上に舞い降りてきた。
 優しい色合いの茶色の翼に、まぶしい金色の長い髪。自分を目指してまっすぐに飛んできたその魔物の顔は、間違いなく彼女のものだった。
 「ア…イティーア」
 苦しい息で名前を呼ぶと、魔物はちらりとシャライに視線をやった。が、すぐにテュリアに向き直り、一際高く叫んで翼を羽ばたかせた。
 「邪魔するなッ!」
 蛇の魔物が一喝しても、アイティーアはひるまなかった。
 もはや、二人は主従でも何でもない、ただの二匹の魔物なのだ。舞い降りてきたアイティーアは、鋭い爪を繰り出して、容赦なくテュリアの顔面を引っ掻いた。そのおかげで、締め付けていた胴体がゆるみ、シャライは瓦礫の上に放り出された。
 「くッ…おのれぇッ!!」
 にじんだ血が目に入り、視界を失ったテュリアがうめいた。バランスを崩したところに、さらにアイティーアの蹴りが入り、彼女は悲鳴を上げながら瓦礫の斜面を転げ落ちていく。
 「キーィ…」
 やがて、おぞましい悲鳴も聞こえなくなり、ずっと様子をうかがっていたアイティーアがほっとしたように小さく鳴いた。
 「アイティーア」
 シャライは、変わり果てた後ろ姿に声をかけた。
 胸の辺りまでは、普通の人間と変わりない。だが、両腕は肩のところから鳥の翼となり、下半身も腰から下は鳥類のそれだ。
 それでも、自分のことを、守ってくれたというのか。
 「……あなた、なのか」
 アイティーアはゆっくりと振り返った。
 そして、にっこりと笑うと、よくなついた小鳥のように羽ばたいて、彼に頬を寄せてきた。
 「ピィ、ピィ、ピィーッ!」
 人としての言葉は、もうなかった。シャライの言葉も、理解できてはいないだろう。
 しかし、心の奥底にある思いは、何も、変わらなかった。


続く

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