序章 『サンクチュアリ』
アルテミス連邦国家は星暦3256年現在、宇宙で最も多くの人口と領域、そして強大な軍事力を持つ、月を中心とした国である。宇宙全域に広がる知的種族の暮らす星の約三分の一はアルテミスの領域である。しかし、人間や、また人間以外の知的種族の中にはアルテミスの傘下に入ることを嫌うものも多い。そしてそういった勢力は辺境の領域を襲う脅威となった。
そこで、連邦の首脳部は辺境に五つの軍事ステーションを設置した。そこには優秀な軍人が多く集められ、様々な研究開発がなされた。関係者たちが集まって住む立派な町並みの都市も作られた。
…と、ここまでは漢字も多くて面倒くさいので、とりあえず読み飛ばして結構。
とにかく、五つある同系統の宇宙ステーションのうち、四つまでは何もかもがうまくいった。
しかし、五つ目の宇宙ステーションでは、首脳部の思惑はことごとく外れることになる。最も危険な地域に、最も優秀な軍人を。その考えは間違ってはいなかった。ただ、集められた人材が優秀すぎた。
そのステーションはアリストテレスという名前である。
最も危険で、最も安全な地域。
アリストテレスは、やがて、最終的に、そう呼ばれるようになる。
「おいしいっ。やっぱりシィクさんの作るご飯はおいしいっ」
円形の広いテーブルいっぱいに様々な料理の皿が所狭しと並べられていた。あらかた食べ尽くされて空になったものがほとんどだが、テーブルについている六人のうち、三人は顔も上げずにひたすら食べ続けていた。
典型的な日本人――黒髪の七三分け、茶色い目に黒ぶちの眼鏡――という顔立ちの青年が最後の一個の唐揚げに箸を伸ばした。
「いやー、本当においしくっていくらでも食べられる……」
ぐさ。
箸よりもわずかに早く、一本のフォークが唐揚げに突きささった。自分の皿に料理をてんこもりしてがつがつ食べていたはずの奴が、瞬時に手を出して彼の唐揚げを横取りしてしまったのである。
「おい、アクイラ。それは俺のだ」
「早いもん勝ち」
フォークの主は上目遣いに彼を見て言った。箸で挟むよりも、フォークで刺して引っ張るほうが圧倒的に有利である。唐揚げは奪われた。
「アクイラ!」
「汚い。唾を飛ばすな」
敵はすまし顔で答えた。黒髪の青年は箸を両手で握り締めた。
「食い物の恨みは恐いぞ」
「おまえに恨まれても恐くないもんね」
そして、次の瞬間、唐揚げは敵の口の中に消えた。赤茶色のぼさぼさの巻き毛が満足そうに上下にゆれる。彼は頬をぷっくり脹らませたままうなった。
「んん、んまい」
「貴様…ッ!」
日本人青年は立ち上がった。アクイラ以外の四人も、それにつれて彼を見た。
「けんかはするなよ、ザーウィン」
紺色の髪、褐色の肌、物静かな顔立ちの青年が静かに言った。
「どうせ勝てないんだから」
「そうそう」
目の醒めるような美貌の青年も、にこりともせずに付け加えた。
「いいじゃないか、唐揚げの一個や二個ぐらい。シィクに頼めばまた作ってくれるよ。何なら僕から頼んであげようか?」
「エディ…ミザール…」
黒髪の青年、ザーウィンは今度はその二人を見た。
「おまえらだって、いっぱい、いーっぱい食べたじゃないか!」
「俺たち恨まれるほど食べたかな?」
エディが問うと、ミザールが、美しく、長い金髪をさらさらと振りながら答えた。
「さあ。覚えてる限りじゃ僕は九つぐらい食べたな」
「俺、十五個」
アクイラがぼそっと言った。
「俺は十二」
エディが続ける。すると、その隣に座っていた愛らしい少女が顔を上げた。オレンジ色の髪に、緑の瞳。
「あたし、三個食べたよ」
「ニーナはいいの。小食だから」
ザーウィンの表情が和らいだ。一方、アクイラたち三人の興味は最後の一人に向かっていた。
「んで、シィクは何個揚げて、何個食った?」
「五個食べたわ」
わずかに青みがかったプラチナ・ブロンドをゆらしながら彼女は言った。
「それで、揚げたのは確か全部で四十五個だったから……」
「ザーウィン、一個しか食ってないのか」
アクイラがにまっと笑った。人をおちょくる時に見せる可愛い笑顔だった。
「かわいそーに、もっと食わなきゃ背が伸びないぜ」
ザーウィンはいまどき珍しい、純系日本人だった。身長は168センチ。実は、女性であるシィクよりも、微妙に背が低い。そして、典型的なニッポンダンジ(絶滅危惧種)として、そのことを彼はいつも気にしていた。
「うるさーい!」
ザーウィンが机を叩きつけると、皿同士がぶつかりあってかちゃかちゃとかすかな音を立てた。
「おまえが三分の一も食うからいけないんだ!大体おまえは……」
彼のこぶしが振り上げられたとき、彼の両隣にいたシィクとミザールが素早く立ち上がった。ニーナはまだ中身の入っていた自分の皿を取り上げて抱え持った。アクイラはすました顔で腕組みをした。
用意が整うのは一瞬の間だった。
そして、エディが静かに行動を起こした。
全て天然の木材で作られた、約120キロ強あるダイニングテーブルは、エディによって持ち上げられ、凄まじい音をたててひっくり返った。
逃げ遅れたザーウィンは皿やソースと共にテーブルの下敷きになった。
「勝てないんだから、喧嘩はやめろと言ったはずだ」
エディは静かに宣言した。
こうして本日の夕食も、比較的平和的な解決を見た。
これが彼らの日常である。決して、仲が悪いわけではない。