第5話 次元監査官マリー(後編)
次元監査官と言うのは、和馬の言う通り、SFチックなアレである。
時間と空間を超えてさまざまな時代と場所を渡り歩き、歴史に間違いがないか、時空に歪みがないかを監視するのが職務である。そして、藤井真理ことマリー・フィジィと、猫型の未来宇宙人ムーニャは、現代の地球に赴任して、その責務を果たしているのであった。
当然のことながら、異界からの住人を受け入れた中河家は、監視の対象になっている。定期的に訪れては、アレックスたちがこちらの世界に与える影響を調査しているのだ。
「そうか、仕事なんだ……その格好も」
「あたしが生まれ育ったところじゃ、みんなこんな格好なの」
ボディースーツに素足で座布団の上に座り、どこかやさぐれたように片肘をついてマリーは答えた。
「あたしにとっては、セーラー服の方が恥ずかしいんだけどね」
もう片方の手で、中空に浮いた、コンピューターとおぼしきメカのパネルをぽんぽんと叩きながら言う。
「さて……今回も、特に変わったことはなし、と。魔物さんたちも別に悪さはしてないし、時空のひずみの大きさも前回と変わらずね」
「え?時空がひずんでんの?」
ここに来て、和馬が初めて驚きの反応を見せた。
「それってどの辺り?」
「見えるワケないでしょ、普通の人間に。この装置で測定してんのよ!」
うんざりした、といった様子のマリーは、和馬に向かって左手を突き出した。どれもこれも非常に小型で軽量化されているが、確かにSFチックな機械装置が色々とまとわりついている。それで計測した結果が、目の前のバイザーに映し出されているらしい。
「変なところで理系くさいんだから……ん?」
ふいに、それを見ていたマリーの目が細められた。
「あれ?おかしいわね」
「どうした、マリー」
毛づくろいをしていたムーニャが立ち上がる。次元監査官の少女は、今までとは打って変わって真面目な顔つきで、中空にモニターを広げた。
「ここと……これ。魔力反応が異様に高いわ」
「ほう。今日はアレックスがおらぬのにな」
和馬や萌黄にはさっぱり分からないが、何やら難しい事態に陥っているようだ。一人と一匹は額を寄せ合い、ひそひそと言葉を交わすと、やがて意を決したように和馬を振り返った。
「萌黄。ちょっと、この青年借りるわね」
「ええっ?」
「大したことないわよ、ちょっと調べるだけよ」
そう言って立ち上がったマリーは、一瞬で元のセーラー服姿に戻った。
「さすがに、この事態に対応出来てるだけあって、彼も普通の人間じゃないみたいだわ」
「え……ええええッ!?」
その台詞は、さすがに効いた。和馬は目を丸くして、マリーを見上げた。
「俺……ごく普通の人間の両親から、ごく普通に生まれたはずなんだけど」
「時々いるのよ」
少々引きつり気味の彼の両肩をぽんぽんと叩き、彼女は立ち上がれとジェスチャーした。ゆっくりと立ち上がる和馬の背中を伝って、ムーニャが肩に飛び乗る。
「そう案ずるな。別に人間であろうとなかろうと、そなたという存在に何ら変わるところはないであろう」
「そりゃそうだけど」
猫越しに見下ろすと、萌黄はいつもと同じようににこにこしていた。ムーニャが言う通り、和馬が人間であろうとなかろうと、この人も全然気にしないだろう。
「萌黄の影響のないところで調べたいから、あたし達行くわね。ケーキ、美味しかったわ」
「うん、また買っとくね」
のほほんと手を振る萌黄。マリーは意気揚揚と手を振り返し、和馬の腕に自分の腕をからませた。
「また何かあったら来るわ。そんじゃ!」
「バイバーイ」
そのまま、和馬は引きずられるように萌黄の部屋から連行される。
「も、萌黄さん、俺……」
最後に何とか振り返った和馬に、萌黄は言った。
「晩ご飯までには帰ってね」
そういう問題じゃないんですけど……!
無情にも、ドアはバタンと閉められた。
マンションから少し離れた喫茶店で、三人は顔を付き合わせ、コーヒーを飲んでいた。男二人はコーヒーだけだが、女の子はパフェとケーキも目の前に並べていた。さっきケーキを食べたばかりだというのに、よくもまぁ甘いものばかり、そんなにたくさん食べられるものである。
「調査の結果は」
満足いくまで食べたのか、唇のチョコレートを拭い、ようやく女の子が口を開いた。
「やっぱり普通の人間だったわ」
がっくり。
和馬は肩を落す。隣にいた青年が微笑を浮かべてその肩を叩いた。
「良かったではないか。異界の者であると言われて、強制送還になっても困るであろう」
「そりゃま、そうだけど」
「そなたの故郷はここであることに間違いはない。安心するがよい」
尊大な口調で言って、青年は一口コーヒーをすすった。ちなみにこの、喫茶店中の視線を集めまくっている美青年は、猫のムーニャである。あまり長時間は持たないらしいのだが、普通の店に入るために人間の形になっているのだった。
「でもね」
ポケットからリップクリームを出しつつ、マリーが口をはさむ。
「魔力があるわ。この世界の住人は、基本的に持ってないんだけどね」
「魔力?」
「ゲームとかであるでしょ、魔法を使う力。いわゆるMPってやつよ」
細かく説明するのは面倒くさいのだろう。明らかに簡単に言い切って、彼女はリップを塗った。
「でも、安定してないわね。測ってる間中も、高くなったり低くなったりしていたわ」
「じゃあ」
身を乗り出しかけた和馬は、少し落胆したような顔を見せた。
「俺は、魔法は使えないのか」
「……よその世界に行って、勉強してくる?」
「……遠慮しときます」
マリーの笑顔は、本気とも冗談ともつかない。首を振る和馬に、彼女は言った。
「でも、これだったら、萌黄の隣の部屋に住んでても特に問題はないわね。むしろ理解があって望ましいわ」
それは、アレックスやリリアにも言われたことでもあった。
確かに、悪魔だの不死者だののファンタジー世界の住人のみならず、次元監査官や宇宙猫なんていうSF世界の住人さえもあっさり受け入れてしまえる柔軟な性格は、そう簡単に培えるものではない。この世界では、貴重な人材と言えるだろう。
だからといって。
「将来、次元監査官として働く気はない?」
それはないだろう。
「訓練をすれば、魔力だって安定すると思うわ。そうしたら、本当に魔法が使えるようになるかもしれな」
「おほん」
やたらと目がキラキラしてきたマリーを制するように、ムーニャが大きく咳払いをした。
「確かに監査局は慢性的な人材不足ではある。だが、今は、その話をしている場合ではなかろう?」
「そうね」
ちょっと決まり悪そうな顔をして彼女はうつむき、それからまた顔を上げた。その表情は、先ほどまでの雰囲気とは変わって、どこか深刻さを漂わせていた。
「これからもあの部屋で暮らすつもりなら、ニ三、聞いといて欲しい話があるわ」
やや声量を落とし、辺りをうかがいながらマリーは言った。
「ただし、萌黄には絶対にナイショよ。あのコにバレると、色んな意味で大変なコトになっちゃうから。分かるわね?」
うなずくと、彼女はさらに顔を近づけてきた。
「実はね、旦那さんの祐一くんの話なんだけど――」
次元監査官だからこそ知っている真実。彼女は、低い声で話し始めた。
四年前のことだ。
萌黄の夫、中河祐一の乗った飛行機は爆発事故を起こし、墜落した。乗客、乗員あわせて722名は全員死亡した、と発表されている。あまりにも激しい爆発だったため、機体の損傷はひどく、遺体や遺品はもちろん、機体の残骸も満足には回収されなかった。
したがって、機体が爆発した原因は不明、とされている――現代の科学では。
しかし、マリーたち次元監査官にはその原因が分かっていた。
飛行機は爆発したのではない。空中で千切れたのだ。
唐突に次元の歪みが発生し、飛行機内部の空間は急激にねじれた。圧縮され、三次元的に歪んでいく空間に耐えられず、機体は千切れる。それに伴いエンジンが火を吹く。その上、間の悪いことに、爆発物を隠し持ったハイジャック犯まで同乗していたため、それまでもが爆発した。
「次元の歪みの原因を調査するために、過去に遡って飛行機にモニターをつけたの」
マリーは苦しげに言った。
「原因はまだ調査中だけど、少なくとも、あたしたちは事実を確認してる。祐一くんを含めた……乗客乗員全員が、間違いなく死んだこともね」
「な…………」
絶望的なのではない。もう、望みは完全に断たれているのだ。
口を半開きにしたまま、次の言葉が出てこない和馬に、彼女は告げる。
「アレックスには言ったわ。でも、彼も半信半疑……仕方ないわよね。だって、あたしたちが確認出来てるのは、人間だけなんだから」
「あ……!」
そういえば、と思い出す。
祐一には、二匹の魔物も同行していたはずだった。そう思って顔を上げた和馬に、マリーはうなずいた。
「ゴールドドラゴンのシビュレーと、ハーピィのエステル。この二人は、完全に行方不明」
モニターで捉えた映像には、その姿は一切映っていない。そして、何の痕跡も残さず、その場から消滅した。
現在に至っても、その足取りは全くつかめていないのだが、もし死んだとしたら、必ず異世界に戻されるため、召喚者である萌黄に何らかの異変が現れるはずなのだ。
「あたしの予想ではね」
もう無くなったアイスコーヒーの氷をずず、とすすって、女子高生風の未来人は言った。
「歪んだ次元に穴が開いて、どこかへ落ちたと思うの」
「落ちた?」
「この世界のどこかか、次元の狭間か、どっちかね。魔力の反応がないから、狭間の方だと思うんだけど」
眉間に皺が寄る。
「狭間って言ってもあり得ないぐらい大量にあってね。調べてるけど、ホント、手一杯」
それで人手不足か。
和馬は妙に納得した。
「でもさ」
疑問は残る。
「その二人が戻ってきても、もう、旦那さんは戻ってこないんだろ?」
「少なくとも、待つ必要はなくなるであろう」
「あ……」
視線を合わせないまま、ムーニャが腕組みをして答えた。
「新しい人生を見つけるも、絶望して死を選ぶも、いずれにせよ、終わりを見つけられねば、彼女の次は決して始まらぬであろうよ」
そのまま、彼は立ち上がる。
「そろそろ気力が切れてきた。一旦外へ出て元の姿に戻らねばならぬ」
「そうね」
マリーも軽く息を吐いて立ち上がった。
「理解のある隣人が出来て嬉しいわ。これからも」
そう言って、にっこり微笑む。とびきりの笑顔で、和馬の手を両手で握りこんだ。
「ヨロシクね。そして、萌黄の支えになってあげて。お願いよ?」
「あ、ああ」
「それじゃッ!」
くるり、とセーラー服のスカートが翻る。女子高生らしい女の子は、女子高生らしいカバンを持ち、美形の男にさっと腕を絡ませて歩き出した。
和馬の手の中には、丸められた伝票が一枚。
「ちょ……ちょっと待て、マリー!」
俺か?俺が払うのか!?
もしかして、それほどに次元監査局の給料って安いのか?
「冗談じゃないぞ!」
絶対に、監査局には就職しないッ!
そう誓って、和馬は財布の中を確認し始めた。