ブラッド・スター・ルビー


 聖都ウラネリアに眠れぬ夜が訪れた。
 悪夢は毎夜毎夜誰かの家に忍び込み、罪のない人々を次々と毒牙にかけた。朝になって見つかるのは、無残に切り刻まれた亡骸と、金銀財宝が根こそぎ奪われて閑散となった部屋だけである。
 辛うじて一命を取り留めた人たちは、誰もが口を揃えて言った。
 赤い髪、赤い鎧、赤い仮面の盗賊が、赤い刃の剣を持ってやって来るのだと。
 赤い仮面は返り血を浴びて嬉しそうに笑い、赤い刀身は血を吸ってますますその赤みを増す、と。
 街の人々は二人組の殺人鬼に恐れおののき、街の実力者たちも様々な手段を使ってこの盗賊を捕らえようとした。二人の首に高額の賞金をかけて各地から戦士をつのり、赤毛の人間は片っ端から取り調べを受けた。
 しかし、赤の盗賊は捕まらなかった。彼らは何事もなかったかのように盗み続け、殺し続けた。
 手がかりはただふたつ、彼らが赤毛であることと、男女のペアであることのみであった。

 その晩、一家の主ディオザール・ノアールは、先日襲われた家の見取り図を手に、食後のお茶を飲んでいた。彼はここウラネリアでも一番の実力を持つ魔術師で、赤の盗賊をどうやって捕らえるかを考えていたのだ。
 「今まで連中は、魔法を使ったことがないようだな…」
 「噂では、そうらしいですね」
 彼の傍らにいた娘がおっとりと答えた。
 「おそらく、魔法は使えないのではないかしら?」
 「そうだろうな。盗賊ギルドにも属していない者が、きちんとした魔法が使えるとは思えん」
 その言葉に、妻も隣でうなずいた。ノアール家は代々魔術師の家系で、当主ディオザールはもちろんのこと、妻も二人の娘も相当の魔術師であった。おのれの力と剣のみに頼る力押しの輩など、ディオザールの敵ではない。
 「いっそ連中がうちに入ってくれれば、手間が省けてすむというものなんだが」
 「怖いこと言わないで下さいな、お父様」
 姉娘ディアナが微笑んだ。
 「いくらお父様がお強いとはいえ、そのような盗賊に来て欲しいだなんて…やっぱり怖いですわ」
 「うむ、そうか」
 満足そうに笑って、ディオザールはティーカップを口に運び、一口すすってソーサーに戻す。その時、居間のドアがそっとノックされた。
 「失礼いたします、旦那様」
 声はいつものメイドのものだった。しかし、その声がかすかに震えているのを、彼は聞き漏らさなかった。
 「アイリか、入れ。どうした、また花瓶でも割ったのか?」
 主人が言うと、ゆっくりとドアが開いた。まず、おずおずと若いメイドが、それから自室に戻っていたはずの妹娘ディルラが続けて入ってくる。そして、二人の後ろに、見たことのない青年が立っていた。
 「お招きにあずかって光栄だ、サー・ノアール」
 男が言った。
 「…何だと?」
 「さっきご自分で言ったではありませんか。いっそ、うちへ入ってくれれば、とね」
 赤毛の男は、不気味な笑顔を浮かべた真っ赤な仮面を付けていた。着けている鎧も真っ赤に染められていた。
 「そうではないですか、サー・ノアール?」
 男の声には嘲笑が含まれていた。さしものディオザールも、我が愛娘が人質に取られていては手出しが出来ないと分かっていたからだ。ディルラは後ろ手に縛られ、青い顔でうつむいていた。
 「……何が欲しい、赤の盗賊」
 父親は、言った。悔しさが、彼の表情をゆがめた。
 「貴殿の一番大切なものをもらおうか」
 男は答えた。
 「この娘かな?それとも姉の方か。妻か?それとも、自分の命か?」
 彼の手に握られた剣が、娘の細い喉にそっと添えられる。ディルラは恐怖に脅え、震えながら言った。
 「……お父様……わ、わたしが、大切だとおっしゃって」
 「ディルラ!そんなことを言えば、あなたが殺されるのよ!」
 母親が悲鳴を上げた。しかし、それには構わず、娘は続けた。
 「お願い、お父様。わたしと一緒にこの男を焼き殺して。そうしなければ、街の人々が殺され続けるわ!そうでしょ、お父様!?」
 「うるわしい自己犠牲の精神だな、お嬢様」
 男がバカにしたかのように鼻を鳴らした。
 「いいだろう。君がお父上の一番大切なものというのがよく分かったよ」
 ディオザールはうつむいた。
 「……この、賊め!」
 その唇からののしりの言葉が漏れた。
 「ディルラを殺せ。そうすれば、この私が、貴様を骨も残らぬほどに焼き尽くしてくれよう!」
 「ありがたいお言葉だ」
 くっ、と喉が鳴った。仮面の下で、男が笑っている。
 「それでは遠慮なくいただこう」
 喉にあてがわれていた剣が、何のためらいもなく娘の腹に突き立てられた。
 「う…っ」
 青ざめた唇から、一筋の血が流れ落ちた。
 「おのれえぇぇッ!!」
 その瞬間、ディオザールが叫んだ。
 どんな者をも必ずや焼き尽くすという雷撃の呪文を、瞬時に紡ぎ出す。
 「覚悟、赤の盗賊!」
 力強い指先が彼を指し示した。強力な魔力が津波のように部屋の空気を震わせる。
 ――だが、雷撃が赤の盗賊を撃つことはなかった。真っ赤な旋風がディオザールの頭上をかすめたかと思うと、彼の身体はゆっくりと倒れ始めていた。
 当主がさっきまでいた場所には、腰まである長い赤毛に、炎のようなゆらめく赤い刀身の剣を手にした、もう一人の赤の盗賊が立っていた。だった。
 明らかに女性とおぼしき小柄な姿は、何のためらいもなく切り捨てたディオザールの身体に足をかけ、今度は当主の妻、レイルラーハの方へと顔を向けた。
 「くっ…よ、よくも、ッ」
 レイルラーハはとっさに魔法を唱えた。いくつもの光球が弧を描いて女に襲いかかる。
 しかし、それらはひとつも命中しなかった。赤の盗賊が炎の剣を一振りすると、すべての光球は跡形もなく消え去った。そのまま、まるで何事もなかったかのように、炎の剣をふりかざす。
 「わたしの魔法が…効かないの!?」
 一体、何者なの?
 「や…やめて、来ないで」
 彼女はじりじりと後退した。女盗賊は何も言わず、ただ剣のみをかかげて彼女を追いつめる。
 姉娘ディアナも、メイドのアイリもその恐ろしい光景に立ちすくむばかりだった。
 「…あなたの望みは何?欲しいものなら何でもあげるわ!」
 ついに壁際まで追いつめられたレイルラーハは引きつった笑顔で持ちかけた。女盗賊は、答えた。
 「わたしは、お前の血が見たい」
 赤い剣が一閃した。
 彼女の望みのものが、辺り一面にまき散らされた。
 「……お母様!」
 数瞬の後、ディアナがようやく気を取り直したように悲鳴を上げた。
 「お母様あァ!!」
 母はすでに息絶えていた。その身体は真っ二つに分かれ、上半身だけが空しく女盗賊の足元に横たわっていた。
 「ディアナ様、お逃げ下さいませ!」
 そう叫んだメイドの首を、まるで小虫でも叩き潰すかのようにやすやすと片手でなぎ払い、盗賊はディアナの前に立った。男の方もディルラの体を放り出し、ディアナの方へと歩いてくる。
 ディアナは、両の眼からとめどもなく涙があふれているのに気がついた。命乞いなどするだけ無駄だった。呪文を唱える時間も残されていなかった。
 あるのは、ただ、絶望のみ。
 黒い柄に毒々しいほど真っ赤なルビーのはまった、炎の刃を持つ剣。その刀身は、彼女の愛して止まなかった家族の血を吸って、これ以上はないという程に、深く、濃い赤に染まっていた。
 「ブラッド・スター・ルビー…?」
 古い文献で読んだことがあった。
 戦を司る男神シルトが持つ神話の聖剣に、目の前の剣はあまりにもよく似ていた。
 でもまさか、何故、こんな盗賊風情が…
 考える間もなく、彼女の呼吸は止まった。
 赤い剣は新たなる血を吸い、前にも増して赤く、凶凶しく輝き始めた。

 夜が白々と明けていく。
 ラジュアとウリーラの兄妹は肩に担いだ荷を下ろして一息ついていた。場所はウラネリア郊外にあるちょっとした林の中。人気は少なく、二人の姿を見咎めるものはいなかった。
 「さすがにちょっと重いな」
 兄ラジュアが適当な石を見つけて腰を下ろした。ウリーラも並んで座り、凝った肩を片手でもみほぐし始める。
 兄妹ではあるが、二人は赤毛であること以外は全然似ていなかった。背の高いラジュアは顔立ちも精悍で、優しげな茶色い目をしていたが、ウリーラの方は小柄で丸顔、美人というよりはやや童顔で可愛らしい顔立ちをしていた。大きな瞳は緑色で、笑ったら人懐こそうな印象だったが、彼女はにこりともせずに言った。
 「でも、まだ残ってる。取りに戻らないと」
 「そうだな」
 ラジュアはあごに手を当てた。
 「いつ行こうか…どうせ誰もいないだろうから、昼間に行こうか?」
 「それでいい」
 ウリーラが微笑んだ。案の定、その笑顔は可愛らしいものであったが、緑の目は全く笑っていなかった。
 「夜は次の仕事をしなくちゃいけないからね」
 その言葉にはうなずかないまま、ラジュアは尻をはたいて立ち上がった。
 「俺はちょっと戻って様子を見てくる。ウリーラ、お前はこのお宝、適当な場所に隠しておいてくれ」
 「分かった」
 彼女の返事を聞くやいなや、兄は軽い足取りで駆け出した。
 「ラジュア、ヘマするなよー!」
 「分かってるって」
 声だけ残して、ラジュアは去った。
 彼の姿が完全に見えなくなるのを確認して、ウリーラは投げ出された荷物を広げる。中に入っていたのは、山ほどの金貨に宝石、装飾品だった。
 「ちょっともらっとくか」
 彼女は金貨を数枚自分の懐に押し込み、それから隠し場所を探しにかかった。
 そう、この兄妹、盗賊を生業としているのである。

 ノアール家嫡男、ディアス・アルシアラ・ノアールがその報せを受け取ったのは、魔術学校の図書室だった。魔法の研究に没頭するあまりに学校に泊り込み、図書室で居眠りをしていたところへ、街の衛兵たちが血相を変えてやって来た。
 「ディアス・ノアール様でいらっしゃいますね?」
 およそその場の雰囲気とはかけ離れた、揃いの鎧兜に長槍という完全武装で身を固めた戦士たちを前に、寝ぼけ眼のディアスは驚いて硬直した。
 「な、何だ?何しに来た、お前たち?」
 「落ち着いてお聞き下さい、ノアール様」
 衛兵たちの声は沈んでいた。
 「ご自宅が、賊に襲われました」
 「……賊に?」
 坊ちゃん育ちのディアスと言えども、赤の盗賊の所業は聞き知っていた。賊、という言い方に、眠気はすっと引いていった。
 「まさか、赤の盗賊」
 「おそらく…いえ。そうでないはずが、ありません」
 襲う者全てを皆殺しにする恐ろしい盗賊。もはや殺人鬼と呼んでも差し支えない輩が、自分のいないうちに我が家を襲った。そして、衛兵たちがわざわざこんな場所まで神妙な顔をして出向いてくる、ということは…答えは、一つしかない。
 ディアスの背に、寒いものが走った。
 「父上は?母上は、どうなったのだ?」
 聞きたくはなかった。
 しかし、まがりなりにも彼は長男、家を継ぐ者だった。誇り高き大魔術師の息子だった。
 「お亡くなりになりました」
 衛兵は、おごそかに言った。
 「姉上様のディアナ様、ディルラ様も、召し使いも下僕も、庭の番犬に至るまで、皆ことごとく…」
 「殺されたのか」
 「……はい」
 ディアスは衣服の乱れを正して立ち上がった。
 「家へ帰る」
 つぶやくように言うなり、歩き出す。それはすぐに、駆け足に変わっていた。

続く

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