花咲き阿修羅


(薄暗い舞台の上には、阿修羅一人。ちなみにこちらは、もう一人の阿修羅、阿修羅2である。)

阿修羅2  昔、絵を描きました。小学生の頃、図画工作の時間に絵を描きました。遠足で行った動物園の動物を描いてご覧なさいと言われて、僕は、一生懸命に、一羽のオウムの絵を描きました。赤い羽、灰色のくちばし、真っ黒な瞳の、大きなコンゴウインコ、金網の中に入れられて、外から来た雀たちは自由に出たり入ったりしてそのオウムの餌を食べているのに、そんなオウムを描きました。何故と言われても、そのオウムが何だか目をくりくりさせて、僕の顔を見て、それでも何も言わずにまたよそを向いてしまった、その肩すかしな気分をいつまでも覚えていたからです。その絵は実にうまく仕上がりました。校内絵画コンクールで、何と一等賞を取ってしまいました。オウムの色がきれいに描けているからよ、と先生は言っていました。それなら。…それなら僕は、一等賞はいらないと。いらないと言えばよかった。いらないと言えばよかった…阿修羅、僕はまだ、絵を描き続けているのかい?その一等賞に、もう一度なりたくて、きれいな色で絵を描いているのかい?阿修羅、僕は何をしている?阿修羅?阿修羅!
阿修羅1  誰か、呼んだか!
(舞台明るくなる。阿修羅1、イーゼルについて絵を描いている最中。)
教授 誰も呼んでないよ。突然そんな大声を出すな。びっくりするじゃないか。
阿修羅1 すみません、教授。
教授 まあいいさ。それより、課題は出来たかね?出来てないのは後お前だけだが…お前はいつも期限どおりに出しているからな。多少の遅刻は許してあげられないこともないとは思うが。
阿修羅1 回りくどい言い方は止してください。許してくれるんですか、くれないんですか。
教授 ま、あせらずに描くんだぞ。
阿修羅1 はい。
教授 (絵を覗き込んで)おや。ちっとも出来てない。珍しいな、お前が白紙とは。
阿修羅1 あーっはっはっは。(大口を開けて笑う。その口の中を教授が覗き込む。)いいえ、たいしたことじゃあないんですが、ちょっと、体調が悪くて。
教授 頭が悪いのか?
阿修羅1 教授?
教授 頭が痛いのか、と言うつもりだったんだよ。こうして見たところ、悪いところといえば、下の右側、前から数えて5番めの歯に、C3の虫歯があるぐらいだ。それが痛いのか?
阿修羅1 いえ、この辺り、喉から胸にかけて、なんだか僕の胸の奥へ、心臓の鼓動と合わせて、ちくっ、ちくっと何かが進んでいくんです。そんな痛みなんです。
教授 それは、お前の良心の痛みだ。
阿修羅1 まだ、課題が出来ていないからでしょうか。
教授 お前が両親を邪険に扱うからだ。お前の両親は知っているよ。ちょっと過保護じゃないかとも思わんこともないがだが、まあ、いい親御さんだな。
阿修羅1 どうせうちの親は過保護です。ベタベタのヌトヌトのギトギトです。
教授 誰もそんなこと言ってない。
阿修羅1 僕、歯医者に行ってきます。
教授 すねるな阿修羅。その痛みは、昨日食べた魚の骨が刺さってるんだ。私には分かる。昨夜の食事は、鯛のアラのすまし汁だったろう?
阿修羅1 先生、何故、それを。
教授 鯛のアラのすまし汁の香りがするんだ。口を開けてご覧。
(阿修羅、教授にむかって口を開ける。教授、おもむろにピンセットを出して阿修羅の口に突っ込んで、魚の骨を摘みだす。)
阿修羅1 いでででで。
教授 取れたようだ。これで、絵が描けるな。
阿修羅1 ええ、多分…どうもご心配をおかけしました。
教授 誰もお前のことなんか心配してないぞ。さあ、さっさと絵を描かんか。
阿修羅1 もう出来ました。
(教授こける。)
教授 絵の具を溶いてもいないくせに。えい、見せてみろ。
(さっきまで真っ白だった紙には、きれいな色使いの絵が描いてある。阿修羅、さらさらとサインを入れる。)
阿修羅1 課題、出来ました。それでは、これを提出します。いいですね?
教授 それはいいが。
阿修羅1 何でしょう?
教授 (言いあぐねて)いや、まあいい。少なくとも、これでお前の単位は無事だったわけだからな。
阿修羅1 僕、帰ります。歯医者行くから。

(阿修羅、イーゼルをたたんで片付ける。そこへ、恋人・桃子ちゃんがうおおおーっっとばかりに走ってくる。)

桃子 あっしゅらくーん 
阿修羅1 ああ、桃子ちゃん。
教授 阿修羅、その子は。
桃子 インテリア・コーディネータークラスの桃子ちゃんでーす。
教授 桃子ちゃんだから桃色の服を着ているのかな?
桃子 そうでぇーっす。
教授 ふざけんなぁっ!(桃子をどつく。)
阿修羅1 なんという安易な設定。
桃子 (ぱっと正常に戻って)ところで阿修羅君。今日は、大事なお話があるの。聞いてくれる?
阿修羅1 うん。
(教授もじっと耳を傾ける。)
桃子 阿修羅君だけに聞いてほしいの。
阿修羅・教授 うん。
桃子 阿修羅君だけに聞いてほしいの。
教授 (耳をふさいで。)うんっ!
(桃子、めこっと教授をひじで組み敷く)
桃子 前から言おうと思っていたんだけど…阿修羅君。あたしたち、別れましょう。
阿修羅1 へ?
桃子 あたしたち、別れましょう。と言ったの。
阿修羅1 何故?
桃子 そう台本に書いてあったから。
阿修羅1 嘘だ!
教授 いや、まんざら嘘でもないようだぞ…阿修羅、ほら、ここを見てご覧。
(みんなで台本を見る。)
阿修羅1 桃子、阿修羅を振る。(阿修羅、スローモーションで、間抜けな形に口を開ける。桃子、それを覗き込む。)何故?どうしてぇ!
桃子 それは8月はじめの夏の空、動物園で言ったわね。あたし、もう、ダメかもしれないって。
阿修羅1 そんなことあったっけ?
桃子 自分で作る部屋の形が、実は自分のものじゃなかったって気が付いて、ただ他人の理想の形を追い求めてただけだってことが分かって、あたし、あの日、海よりも高く、山よりも深く考えたわ。どうすればいい、って。
阿修羅1 そんなこと、あったっけなあ。
桃子 あなたに相談したのよ。そうすると、あなたはそこで言ったのよ。
阿修羅1 腹減ったなあ。
桃子 って。
教授 それで君は、どうしたんだね?
桃子 この男と別れる決心をいたしました。
阿修羅1 何故?
桃子 口を開けてご覧。
(阿修羅、桃子にむかって口を開ける。桃子、おもむろにピンセットを出して阿修羅の口に突っ込んで、魚の骨を摘みだす。)
阿修羅1 いでででで。
桃子 やっぱり。魚の骨が刺さってたわ。気が付かなかった?
阿修羅1 変だなあ、さっき教授に取ってもらったと思ったのに。
桃子 魚の骨がこの辺りに刺さって、喉から胸にかけて、胸の奥へ奥へと、心臓の鼓動と合わせて、ちくっ、ちくっと何かが進んでいく、そんな痛みにも、そんなことにも気付いてなかったようじゃあ、あたしたちもおしまいね。
阿修羅1 なんでや。
桃子 もうあなたにはついて行けないってことよ、さよなら!
(桃子、足音高く去っていく。ぽかんとしている阿修羅。)
阿修羅1 教授。
教授 うん?
阿修羅1 彼女、何だって?僕のどこが気に入らないって?
教授 お前がただの馬鹿だから、気に入らんようだ。
阿修羅1 ただの馬鹿以外に、他の種類の馬鹿ってあるんですか。
教授 さあなあ。
(場が白けるほど淋しい雰囲気に盛り下げて、教授、去っていこうとする。)
阿修羅1 教授。
教授 うん?(振り返る。淋しい。)
阿修羅1 …いえ。いいです。
教授 そうか。(去る。とても淋しい。)


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