花咲き阿修羅


(両親登場。)
母親 まあまあ、阿修羅。教授は一体どうなさったの?あんなに淋しそうに帰ってしまわれて。まるで教授が女性に振られたみたいねえ。
阿修羅1 どきぃぃっ。
母親 どうしたの阿修羅。何をドキドキしているの?
阿修羅1 いいや母さん、何でもないんだ。ただ、ちょっと、考え事をしていただけ。
母親 阿修羅が考え事ですって、あなた!
父親 なんてことだ、私の可愛い阿修羅がくわんぐぁえぐぉとどぅあっとぅぃえぇぇ(考え事だって)!阿修羅ー!悩み事は、なぁーんでも父さんに相談してご覧!
阿修羅1 実は…今日、学校で…
父親 何っ、お向かいの勝久君と3軒向こうの新太郎君に、ウエスタンラリアートのうえ卍がための連続攻撃を受け、あまつさえ殴る蹴るの膀胱炎にかかったって!ええい、うちの可愛い阿修羅に、何てことをするー!
阿修羅1 父さん。それは、僕が小学生の頃の話です。
父親 えっ、小学校。
母親 まあ懐かしいわねえ。阿修羅の小学生の頃といえば、まあ、お勉強はともかくとして、絵を描かせれば天下一品、学校内はおろか、町でも市でも、県でも、いえ、全国コンクールでもまごうことなき一等賞を、いつもいつもいつもいつも取ってきたものねえ。
阿修羅1 それが忘れられなくて、今でも絵を描いているんだ。
阿修羅2 きれいなだけの絵。確かな技術と美しい色が、テキストに書いてある順序そのままに作り上げていく絵。早くやめればよかった。描いても描いても、今はもう、ただの落書にも満たない。隣の壁に描いてあるどこかの子供の落書は、荒削りだけどなんていい線で描いてあるんだろう。僕には、もう出せない。僕には、もう、描けない。
阿修羅1 やめるんだ、そういう話は。聞きたくもない。僕は、こうやって絵を描いてる。それのどこが不満だ?教授も時々誉めてくれる。色がきれいだって誉めてくれる。筆の運びが美しいって誉めてくれる。この間も、県の美術展に、入選はしなかったけれど、惜しいところまで入ったじゃないか。何が不満だ?
母親 阿修羅?阿修羅。何をさっきから、一人でぶつぶつ言っているの?何か言いたいことでもあるの?
父親 阿修羅、そんなに悩むのはおよし。人生、なんとかなるってもんだ。魚の骨が引っ掛かっても、ご飯を呑めば治るじゃないか。そんなもの、カルシウムを食べたと思えばいいじゃあないか。
阿修羅1 そうだね。
母親 今日は疲れてるのよ。もう寝たらどうかしら。
阿修羅1 そうだね。そうしよう。
父親 嫌なことは、みんな忘れてしまえよ。覚えていても、お前が辛いだけだ。
阿修羅1 父さん。
父親 何だ?
阿修羅1 おやすみ。
父親 ああ、おやすみ。
(阿修羅、そそくさと去っていく。)
母親 ああ、何があんなにあの子を悩ませているのかしら?
父親 他人ごとじゃないから、余計、いや、なおさら、いやいや、とても、そうだ、とてつもなく心配だな。
母親 何を台詞を模索しているんですか。
父親 今日、何があったか、結局何も言わなかったなあ。
母親 何がまずかったんでしょうねえ。
父親 昨日の夜の鯛のアラの澄し汁に決まっている。あれ以来、阿修羅の喉に魚の骨が引っ掛かって、ずっと取れていないじゃないか。
母親 きれいに取れなかったらどうしましょう?
父親 俺と、お前とで、きれいに治してやるんだ。それが親の務めだ。大丈夫、ちょっと痛むかもしれないが、必ず取れる。
母親 痛むの?
父親 麻酔をかけようか。
母親 痛そうだわ、かなり、いや、ひどく、いやいや、とても、そうだ、とてつもなく痛そうよ。
父親 お前こそ、何を台詞を模索しているんだい。
母親 でも、取れてくれなきゃ困りますものね。あたしたちの、可愛い阿修羅。喉から胸にかけて、彼の胸の奥へ、心臓の鼓動と合わせて、ちくっ、ちくっと進んでいく、そんな痛みは早く取ってあげないとね。
(両親、去る。場面転換――暗転したら、舞台には教授がぽつん。)
阿修羅1 教授。また振られました。
(阿修羅、2、3枚の絵を持ってくる。)
教授 お前は、馬鹿か。この前インテリアコーディネーターの桃子嬢に振られたばかりだろうが。
阿修羅1 今度は、緑ちゃんっていうんです。
教授 お、分かったぞ。その子は、いつも緑の服を着ているだろう。
阿修羅1 どうして分かるんです?
教授 大方そんなこったろうと思ったんだよ。
阿修羅1 でも!でもですね教授!僕、少し進歩したんです!
教授 しなくていいことを。
阿修羅1 この絵、見て下さい。
(阿修羅、自信たっぷりに2、3枚の絵を取り出す。)
教授 どれどれ?
阿修羅1 この間振られたあの悔しさと淋しさを、絵に表してみました。
教授 あ、そう。
阿修羅1 どうです?自信作なんです。
教授 あ、そう。
阿修羅1 教授?
教授 ボツ。
阿修羅1 何故?
教授 お前、緑ちゃんとやらと別れるときに、言われなかったか?8月はじめの夏の空、植物園で言ったわね。あたし、もう、ダメかもしれないって。
阿修羅1 教授もダメになっちゃったんですか?
教授 ダメなのはお前だよ。やっぱり進歩は見られない。本当に進歩がない奴だな、お前は。もう少し考えてみろ。それが宿題だ。
(教授、去っていく。)
阿修羅1 教授はそう言いましたが、やっぱり僕には分からない。僕の絵の、一体どこが気に入ってもらえないのか。それでも彼女は出来ましたが。
雪子 阿修羅君、また考えてるの?
阿修羅1 うん。
雪子 それで、結論は出たの?
阿修羅1 いいや。どんなに考えても、ちっとも分からないんだ。ねえ、僕の絵、何がいけないんだろう?
雪子 何も描いてないのがいけないんだと思うわ。
阿修羅1 何も描いてない?そんなわけないだろ。ちゃんと対象を定めて、きっちりデッサンして、精密に計算した構図の中に風景や、ガラスのコップや、かごの中のオウムをはめ込んでいるんだ。僕の絵は完璧だ。誰に見せても恥ずかしくはない。それなのに、何がいけないんだ?
雪子 あなたの絵は、無口だわ。
阿修羅1 無口。
雪子 何も訴えるものがない。黙ったっきり、何も訴えてこないわ。ぱっと見て、ああ、きれいな色、上手な絵だねって言って、それだけで終わりよ。
阿修羅1 そんなもんかな。
雪子 あなた、この絵を描くときに、一体何を思いながら描いたの?
阿修羅1 さあ…
雪子 忘れちゃったの?
阿修羅1 忘れたな。そういえば、他の絵を描いたときも。
阿修羅2 でもたった一つ。たった一つ、あの絵だけは、何を思いながら描いたのか覚えている。
阿修羅1 はっきりと鮮明に。
阿修羅2 記憶がそこだけ見えている。
雪子 阿修羅君?何を、独り言言っているの?
阿修羅2 僕は何も考えていない。
雪子 え、なんですって?
阿修羅1 僕は、何も言ってないよ。
雪子 そう?何か変だと思うんだけど。
阿修羅1 大丈夫さ。
阿修羅2 大丈夫じゃない。助けてくれ。
(阿修羅の背中からもう一人の阿修羅が顔を出す。)
雪子 ああっ!阿修羅君が、もう一人いる?
阿修羅1 どこに?僕がもう一人いるって?
雪子 後ろよ!
(阿修羅、後ろを覗こうとするが見えない。背中に張りつくもう一人の阿修羅。)
阿修羅2 もう一人、ここにいる!あの日のことを覚えている阿修羅が!
雪子 あの日って?
阿修羅2 昔、絵を描いた。小学生の頃、図画工作の時間に絵を描いた。遠足で行った動物園の動物を描いてご覧なさいと言われて、僕は、一生懸命に、一羽のオウムの絵を描いた。赤い羽、灰色のくちばし、真っ黒な瞳の、大きなコンゴウインコ、金網の中に入れられて、外から来た雀たちは自由に出たり入ったりしてそのオウムの餌を食べているのに、そんなオウムを描いた。何故と言われても、そのオウムが何だか目をくりくりさせて、僕の顔を見て、それでも何も言わずにまたよそを向いてしまった、その肩すかしな気分をいつまでも覚えていたかったから描いたんだ。その絵は実にうまく仕上がった。校内絵画コンクールで、何と一等賞を取った。オウムの色がきれいに描けているからよ、と先生は言っていた。それなら。…それなら僕は、一等賞はいらないと。いらないと言えばよかった。いらないと言えばよかった…阿修羅、僕はまだ、絵を描き続けているのかい?その一等賞に、もう一度なりたくて、きれいな色で絵を描いているのかい?阿修羅、僕は何をしている?阿修羅?阿修羅!
雪子 阿修羅君?何を言っているの!大丈夫?大丈夫なの?
母親 いいえ、大丈夫じゃありません。阿修羅、早く寝なさいと言ったのに。
阿修羅1 母さん。
母親 この子は誰なの?
父親 出て行ってもらえ。こんなところにいてもらったんじゃ、困る。
雪子 困る?
父親 せっかく何も悩むことがないように育ててきたのに、こんな無神経な女の子が相手じゃ可愛い阿修羅の胸が痛む。君、出ていってくれ。
雪子 阿修羅君。
阿修羅1 ごめん。うちの親、言い出したら聞かないんだ。
阿修羅2 だから僕は、こんなになったんだよ。分かるかい?
雪子 阿修羅君?
阿修羅1 何?
雪子 まだ、絵を描き続けるの?
母親 もちろんですよ!あなたなんかの言いなりにさせやしません。
雪子 あなたの喉に刺さった骨を。
父親 抜いてやるのは君じゃないんだ。さあ、どこかへ行ってくれ!
阿修羅1 何かが見えていたのに。
母親 見なくていいのよ、阿修羅。さあ、行きましょう。
(両親、阿修羅を連れて去る。)


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