「彼女が、そうなのか」
トラリー伯爵は、厳重に縛り上げられた少女を見下ろしながら言った。
「はい」
傍らに控える男達がうなずいた。
「唯一、皇太子エドガーの寝所にまで入ることを許されている、一番お気に入りの女です」
ぼんやりとした顔で、彼女は床を見つめていた。長い黒い髪、赤い瞳。アニタだった。
「いつもそばに置いているようです。彼女が特別な存在であると考えて間違いはないでしょう」
「ふぅむ……」
伯爵は考え込んだ。
残虐非道で知られるエドガーといえども、一人や二人ぐらい愛している人間が…弱点があると思った。だから、綿密な計画の上で、最もそれらしい相手をさらってきたのだが。
まさか、それがあなたとは思わなかったぞ。
その時。
「キース様がおいでになられました」
「むっ」
一瞬、トラリーは迷った。だが、すぐに冷静な顔つきに戻って答えた。
「ご覧になって頂こう。お通ししてくれ」
「はっ!」
入れ違いに、キースが入って来た。
レジスタンスのアジトになっているスラム街の酒場の地下の、さらにその奥の小さな座敷牢。薄暗い中に蝋燭の灯かりが揺れて、濃い影を作り出す。
「トラリー」
まだ若い盟主は小さく声をかけた。
「作戦は成功したの…?」
「いえ。これではまだ半分です」
臣下は主人に前を譲った。
「ですが、あの男の大切な人を奪うことには成功しました。どうぞ…ご覧下さい」
「うん」
キースは蝋燭を掲げ、人質の顔をのぞきこもうと膝を折った。つい、とアニタが顔を背ける。黒い髪が横顔を覆い、その目は伏せられ、今にも閉じてしまいそうだ。
「往生際の悪い」
トラリーが、含みのある言葉を吐いた。
「私には顔を見せても、この方に見られるのはさすがにお嫌ですかな」
「……」
アニタの返事はない。怪訝そうな顔をしたキースの横から、男の手が伸ばされた。
「ほら、あなたの主君に顔を見せるんです!」
前髪をつかむと、それを乱暴に引き上げる。
「あ……!」
小さな悲鳴。
美しい長い髪は、ずるり、と持ち上げられた。
現れたのは、短く刈られた赤い髪。
「ティート…!?」
キースが悲鳴ににも似た声をあげた。
「そうです。どこへ消えたのかと思ったら…まさか、あの男のもとで寵愛を受けていたとはね」
かつらを投げ捨て、トラリーは力任せにアニタ…いや、ティートの顎をつかんだ。
「貴様のせいで国は滅んだ…負けたのならいざ知らず、貴様が自ら剣を捨てたせいでな。答えろ!どうやってあの男に取り入った!?国を売って、己の命を買ってもらったのか!!」
ガッ。
彼に押されて、縛られたままのティートは仰向けに倒れた。鈍い音を立てて、頭が木の床に打ち付けられる。
「貴様をッ…本当の子供のように育ててくれた公王ご夫妻も、貴様のせいで殺されたッ!部下も…私の家族も、みんな!!」
ゴツッ、ゴツンッ!
首を絞めながら、何度も頭をぶつける。
キースはただ、黙って見ていることしか出来なかった。
「どうしてくれるッ…!!」
悲鳴一つあげないティートに激昂し、トラリーの行為はどんどんエスカレートする。とうとうレジスタンスの一人が、トラリーを背後から羽交い締めにした。
「おやめ下さいっ」
「止めるなッ!私は、この売女を…殺してやるっ」
「それは後で!」
その言葉で、彼は我に返った。
「人質を殺しては、計画が!」
「く……そうだったな」
ぐったりと横たわるティートから手を離し、彼は服のほこりを払って立ち上がった。
「申し訳御座いません、キース様…私とした事が取り乱してしまって」
「いや…いいんだ」
キースはのろのろと首を振った。
「お前がやっていなかったら、僕がやっていたかも…しれないから」
あまりにも現実感がなくて、彼は少し混乱していた。
やっぱり彼女は、国を…僕たちを捨てたのか。
そうでなければ…あの悪魔のような男のもとで、のうのうと暮らしているはずもない、そうだろう?
自分に言い聞かせる。
もう、姉ではない。
敵…か。
「ごほっ…」
血の混じった唾を吐き出して、ティートがまぶたを開いた。苦しそうに背中を少し丸めて、じっと何かに耐えている。
キースは彼女の顔の前に膝をついた。
「ティート」
薄く開かれた目が彼を見上げた。
「説明して。一体何があったのか…全部」
返事はない。全てを拒否するかのように、赤い瞳が閉じられる。痛みのせいか、肩がぶるぶると小刻みに震えていた。
「おい、答えないか!」
トラリーが声を荒げた。ブーツの底で、露出しているふくらはぎを遠慮なく踏みつける。相当痛むはずだが、彼女は悲鳴ひとつ上げなかった。
「ティート!」
それで、再び目を開いたティートは、ようやく重い口を開いた。
「あなたたちの見た通り…説明の必要はありません」
「何だと!?」
「それじゃあ…」
キースは泣きそうな顔になった。
「わざと負けて…エドガーに付いたっていうのか!?僕たちを裏切って、あんな男に!!」
「皇太子殿下のことを悪く仰らないで下さい」
「なっ……!」
目の前が真っ白になった。
好きだった。
無意識に、キースの腕が伸びた。
あなたのことが、好きだったのに…!
白い肌に、首筋に触れた指が、憎しみに突き動かされていた。
爪を立て、引き裂いてやりたい衝動に駆られる。
「どうして…ッ!」
首を絞めると、さすがにティートも顔をしかめた。
何か理由があると信じて、仕方がなかったのだと信じていた。それなのに。
「キース様」
トラリーが声をかけた。
「一発ぐらい、殴ってやったほうが」
それは、悪魔のささやきだったかもしれない。
キースは無言で手を上げた。
皇太子エドガーは不機嫌だった。
一人メイドが欠けただけで、意外と不便なものだ。アニタなら、おい、と一言かけるだけで何でも思った通りにしてくれるのだが、他のメイドではそういう訳にもいかない。
「…仕方がない」
半日過ごして、彼は予定を変えることにした。
ワインに染まって薄紫にそまった紙切れを一瞥し、放り投げる。
「メイドの命が惜しければ、昼の二時にスラム街の広場、か…面倒くさいことを」
黒いマントを羽織り、剣を帯びて、彼は立ち上がった。たった一人で敵の真ん中へ飛び込むのは好きな事だ。ただ、それが誰かのために、というのは、どうにもむかついて仕方がない。
さらわれるだなどと、どん臭いことを。
取り戻したら、一体どんなお仕置きをしてくれようか。
「…そうだな」
それを考えると、少し楽しくなった。
見送る者もない、静かな廊下を歩いて、暴君は出ていった。
一晩で、ティートはさんざんな暴行を受けた。キースはもちろん、レジスタンスの男達に殴られ、蹴られ、いたぶられて、身体はぼろぼろになっていた。だが、その赤い目の色が変わることはなかった。
「私なんかを人質にとっても…あの方はいらっしゃらない」
約束の時間が近付くと、彼女は言った。
「何だと?」
「私はただのメイド…殿下の愛人なわけがないでしょう」
クスッ。
傷だらけになった顔で、おかしそうに笑う。
「うるさい!」
トラリーがティートを蹴飛ばした。
どんなに殴っても、泣いたりしなかった。許しを乞うこともなく、泣き声の一つもあげず、ただ淡々と屈辱の全てを受け入れて、今また、こうして笑っている。
誇り高い武人だったあなたは、一体どこへ行ってしまったのか。これでは…あまりにもキース様が可哀相ではありませんか。
時計が二時を告げる。太陽が、スラム街の広場に影を落とす。
「約束の時刻です」
傍らの青年が静かに言った。レジスタンスの面々は物陰に隠れて、横暴な君主の到着を今か今かと待っている。
「キース様は?」
「大丈夫、ちゃんと後方にお隠れです」
「うむ…万一のことがあってはならんからな。いいか、私を代表とすること、忘れるなよ」
その時。
静まり返る広場に、緊張が走る。斥候が、戻って来て叫んだ。
「きっ…来ました!」
「何っ!?」
レジスタンスたちが固くなる。
「人数は?」
「一人です!」
「え……?」
その答えに、レジスタンスたちは喜んだが、逆にティートは驚きで目を見開いていた。
「殿下が…お一人で!?」
「ああ。やっぱりお前、愛人だったんだな」
「そんな」
あからさまに彼女は動揺していた。その首筋に剣をつきつけ、トラリーが勝ち誇ったように告げた。
「我々の作戦は成功だ。お前を人質に、皇太子にはこの場で死んでもらう…もちろん、すぐに後を追わせてやる。心配するな」
「あ……」
捕らえられてから初めて見せる、ティートの落胆した表情に、トラリーはようやく胸のすく思いを感じた。
「…みんな、殺されてしまうだけなのに」
だから、ぽつりと彼女がもらした言葉など、誰も聞いてはいなかった。
彼が広場に踏み込むと、数人の人影が彼を出迎えた。
思ったより少ないが、小さくてガラクタの多い場所だ。きっと、あちこちにもっと大人数が隠れているのだろう。
そう思いながら、エドガーはずかずかと広場の中央まで進み出た。
強い陽光を受けて、金の髪が銀色に透けて見える。
「さて」
面倒臭いのは嫌いだから、皇太子はすぐに口を開いた。
「どこのどいつだ、私のお気に入りの玩具を勝手に持っていったのは」
「我々だ」
中年の男が答えた。その男が持っている剣は、かつらをはがれたアニタの顎をしっかりと捕らえていた。
「皇太子殿下。要求があります」
中年の男が言った。
「知らん」
次の瞬間、きっぱりと。
迷う素振りもなく、エドガーは否定した。そして、顎の先でアニタを指し示すと、自分の言いたいことだけを言い放った。
「それを返せ。大人しく言うことを聞けば、楽に死なせてやる」
「何を…おっしゃいますやら」
ぐっ、と剣を握る手に力をこめて、男が言った。
「彼女を殺されたくなければ、我々の要求を飲んで頂きますぞ」
相手はじっとエドガーを見つめている。それが、命取りになるとも知らずに。
「……」
エドガーは右の眼に力を込めた。金の瞳が細くなる。
「どうなさるんですか!?」
剣が揺れた。アニタの首筋が薄く切れて、赤い血が一筋、涙のように伝わっていく。そのまま、剣がすっと動いて、人質をいましめる縄をさくっと切った。
「…!?」
男は、驚いたようにその様子を見ていた。
邪眼の皇太子が不敵に微笑む。
その目の前で、男は、ゆっくりと剣を引いた。
「なっ…!?」
みなが見守っているそのど真ん中、男は剣を逆手に持った。
その切っ先が向けられるのは、己の喉元。
「トラリー伯爵!?」
誰かが叫んだ。
「何をしている!」
「手が……私の、手が、勝手にっ!」
絞り出すような悲鳴。
エドガーは笑った。
「愚か者の末路だ」
「や…やめろ…っ!!」
ゆっくりと。
鋭い刃が、自分の首に突き刺さる。
ごぼっ。
鮮血があふれ出す。それは激しく噴き出して、傍らにいる女性にシャワーのように降り注いだ。
「そんな…」
傍らにいたレジスタンスの青年がつぶやいた。
「これは、一体?」
「エドガー様に逆らうから、このような事になるのです」
彼女は身体をほぐすように伸びながら立ち上がり、顔にかかった血を払った。
「アニタ」
悪魔の声が彼女を呼ぶ。
「はい、エドガー様」
満面の笑みで、メイドが答える。
「お手数をおかけして、申し訳ありませんでした」
「馬鹿者」
そう言って、主人は手を伸ばした。ティートは転がるように彼のもとへ駆けつける。
「え…ええい、逃すかっ!」
残された青年がとっさに動いた。ティートの手首を掴んで、自分の方へ引き寄せる。同時に、レジスタンスたちが飛び出して来た。
「殺せっ!皇太子を殺せ!!」
総勢二十人ほどが、あっという間にエドガーを取り囲んだ。
いくら一騎討ちでは無敵とはいえ、多勢に無勢では勝ち目はない。こちらには、人質も居るのだ、と誰もがそう思った。
だが。
「下がれ、無礼者め!」
よく通る声が広場に響いた。
エドガーは剣を手にすることもなく、ただそれだけ言うと、ぐるりと頭を巡らせ、辺りを睥睨した。
それで、全ては終わった。
トラリーの後を追うように、彼らは手に持った武器で、己の喉を、心臓を、腹を突き刺し、えぐった。
呪詛のうめきが辺りに満ちたのも束の間、すぐに静けさが戻ってくる。
動く者はたった二人だけ…冷酷な主人と、忠実なメイド。
「不快だ。戻るぞ」
「はいっ!」
ティートは…いや、アニタは急いで主人の後を追った。
死臭の漂うスラムの広場。
キースは、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
トラリー伯爵が、自刃したところまではこの目で見た。だが、その後、飛び出そうとした彼を、レジスタンスたちが力ずくで止めた。
咄嗟の行動だったのだろう。そして、それはたった一つの正しい選択肢だった。
「みんな……どうして……!!」
握り締めた拳から、うっすらと赤いものが滲み出す。たった数人になってしまった仲間たち。
「どうして…どうして奴に逆らえない!!」
あの時も、今も。誰も、エドガーに逆らえない。
剣に長けた剣士も、魔力の強い魔道士も、そして立派な精神を持つ武人でも。
何故…皇太子は、ただ、みんなを見ただけなのに。
「え…?」
その時、何かがキースの頭の中に引っ掛かった。
「見ただけ…」
口に出して言ってみる。
「どうなさいました?」
「いや…」
そうだ、あいつは見ただけなんだ。それだけで。
それだけで、良かったのか…!!
静かな城内。戻って来た、平穏な日々。
侵略のための戦争は相変わらず続いているが、アニタは幸せだった。
もうすぐだ、もうすぐ。あと少しで、エドガー様の夢が叶う。
図書室のドアの前に座り込み、彼女は鼻歌を歌いながら待っていた。エドガーが調べ物をするときには、彼女は邪魔をしないよう、ドアの外で警護しながら待つのがいつものパターンだ。その間、彼女は楽しい物思いにふける。
その時、軽くかすかな足音が近付いてきた。
「……アニタ嬢」
「皇帝陛下!」
あわててアニタは立ち上がった。
いくら全ての実権をエドガーが握っているとはいえ、一応サマランカの皇帝とされる人物だ。一礼し、彼女は微笑んだ。
「どうなさいました、今日はこんな所へ…お体の調子は大丈夫なのですか?」
「うむ…」
老人は、小さくうなずいた。皇帝とはにわかに信じがたい質素な服に、弱々しい姿。権力は剥奪され、ただいるだけの存在だ。
その彼が、今日はなにやら真剣な顔付きで、アニタに近付いて来た。
「エドガーは、この中か?」
「…はい」
老人の質問に、アニタはうなずいた。
「調べものをなさるとかで、しばらくはお出でになりません。無理に入ると、叱られますよ」
「うむ…」
数瞬の後、皇帝は表情を緩めた。
「丁度良い…今日は、お前に話があって来たのだ」
「殿下ではなく、私にですか?」
「ああ」
それからふう、と大きく溜息を吐くと、老人はよっこらしょと廊下に腰を下ろした。あわててアニタも傍らにしゃがみ込むと、皇帝は彼女をじっと見た。
「あれの、本当の両親の話だ」
「えっ?」
聞き返すアニタ。老人の、しわの中にうずもれた目が、精一杯大きく見開かれる。
紫色の穏やかな瞳。
「あれの母親は、もちろん我が妃…アグネスだ。あれの腹から出て来たのだからな、これは間違いはない。だが」
あの頃。
四人目の妻を娶ったサマランカ国王は、最後の望みを抱いていた。
どうか、世継ぎが生まれますように。願わくば、世界を手に入れられるような、強い子供に。
年老いてもまだ子宝に恵まれなかった、弱小国の王ならば、誰もが抱くような望み。それは、日を追うごとに強くなっていった。
その欲望を満たすため、運命の日はやって来た。
蝋燭の火が、ぞっとするような蒼い炎に変った時、その男は国王夫妻の寝所に音もなく入って来た。
「お前の願い、叶えてやろう」
青い髪、青い瞳の若い男は、悪魔だと名乗った。
「王妃を俺に抱かせろ。そうすれば…生まれる子供は地上で最強の男になる」
青い翼をはためかせ、笑う男に、国王はうなずいた。
「では、そこで見ていろ」
膨れ上がる野望を抑えることが出来なかった。大陸を統一し、皇帝となる…その夢を見ずにはおれなかった。
彼は、期待に胸を膨らませながら、悲鳴をあげて犯される王妃をただじっと見つめていた。
悪魔に犯される…あまりの恐怖に王妃は狂った。それでも、国王は喜んだ。血が繋がっていなくとも、それを知る者は誰もいない。だから、我が子として立派に育てていこうと、心に誓った。
そして、月は満ち、母の死と引き換えに、左右の目の色の違う子供が生まれた。
片目は父親と同じ、深い青。そして、片目は呪いを込められた、邪眼の金。
「それが、エドガー様…」
アニタはつぶやくように言った。
王となるために、愛を失って生まれた子供。
生まれてくることを望んでいた養父にさえ、今は疎まれている。
だから、あんなに寂しそうな瞳の色をしているの。
「アニタ嬢」
後悔に苛まれる皇帝は、静かに言った。
「あれのことを想ってくれるのならば、お願いだ。あれを…」
「殺してくれ、とでもおっしゃるのですか」
アニタの返事は冷たかった。彼女はすっと立ち上がり、図書館に扉に背中を預けた。
「何故です?陛下の望みは叶おうとしている。殿下はもうすぐ世界を手に入れるのですよ。いいではありませんか!」
「だが、あれのして来たことを、お前も見ただろう?」
老人は訴える。犯した過ちを償うためなのか、両手を広げ、必死の形相で。
「お前だってさんざん非道い目に遭って来ただろう…それなのに、何故、お前があれをかばうのだ。お前だけがあれの呪いにかからぬ唯一の人間だというのに、何故だ!?」
「私だけが」
アニタは答える。
「確かにあの方の邪眼に支配されない。私だけがあのお方に逆らうことが出来る人間なのでしょう…だからこそ、この私が、あのお方の傍についていて差し上げなければならないのです」
一騎討ちをしたあの時、彼女は真っ向から金色の瞳を覗き込んだ。一瞬だけ、後頭部の方がちりちりとする感触に包まれたが、それもすぐに過ぎ去り、ティートは剣に集中した。勝てる相手だと踏んだ。
それなのに、剣を捨てたのは。
少し驚き、それから、震えるように揺らめいた青い左目に囚われてしまったから。
本物の王者の瞳に出会ったから。
「何を捨てても、ついていくべきお方であると信じていますから」
彼女がそう言った時、扉が音を立てて開き始めた。暗がりからぬっと大きな手が出て来て、ぽん、とアニタの頭に載せられた。
「あっ、エドガー様」
ぱっ、と彼女の顔が輝いた。見上げた主人の顔は、冥かった。
「アニタ、下がれ」
「はい」
静かな声に、殺意がこもる。その意味を悟った上で、にっこり笑ってメイドは主人の後ろに下がる。
そう、彼女は彼の意のままに。
老人が、目を見開いた。
「お前…わしを」
息子の変化に気が付いた皇帝が、一歩、後退した。
「話は全て聞いた」
エドガーの手が剣にかかる。
「どうせそんなことではないかと思っていた。貴様は甘い…秘密を持つなら、墓場まで持って行け。助けなど…」
金色の目が細くなる。少し悲しげに眉がひそめられたように、アニタには見えた。
「助けなど、求めるな!」
「ま、待てっ…」
きらめく刃を前に、老人は情けないまでにうろたえ始めた。
「これも、お前のためと思って…」
「見苦しい」
エドガーは剣を振り上げた。
「一応父親だと思って遠慮しておいてやったのだ。だが、もはやその必要もない」
ザシュッ!