第三章 王都ガルダン
ガルダンは、このジルアールス大陸のほぼ三分の一を占める巨大な王国である。鉄や銅の多く取れる鉱山を多数持つこともあり、強力な武器を多く生産できる軍事国家でもあった。そのような国柄だからか歴代の国王はみな武勇を好み、王城には奴隷剣闘士が命をかけて戦う剣闘場まで備え付けてあるほどである。
クザン・ディ・ガルダンもその奴隷剣闘士の中の一人だった。
『ガルダンの』クザン。本来の名を捨てさせられ、国の所有物として扱われる彼は、無敗を誇る最強の剣闘士である。少なくとも、戦に負けて捕らえられた後は、一度も負けたことがなかった。
それほどの男が、その夜は何故か眠れなかった。
妙な胸騒ぎがする。
ベッドの上に座ったまま、彼は自分の拳を見つめた。それは、毎日を戦場で暮らす戦士の、半ば本能的な勘だった。
何かが…起こりそうな気配がする。
数日前に同室になったばかりの新入りは、気持ちよさそうにすうすうと寝息を立てている。彼を起こさないようにそっと立ち上がると、格子のはまった小さな窓から外を見た。
ウオォォォン…。
どこかから、狼の遠吠えのような声が聞こえてきた。
ウオオオン!
近い。近過ぎる。
クザンはぞっとした。
町の中に、何かいる。下手をするとこの王城の中に。
ウオォォン!ウオォン!
一匹の声に呼応するように、次第に鳴き声が増していく。明らかにただの野獣ではない、聞いたことのないような咆哮もそれに混じっている。
魔獣だ。それも、相当数の。
「ギャリィ、起きろ」
クザンは新入りを叩き起こした。
「え…?何…?」
「死にたくなければ目を覚ませ。外で何か起こってるぞ」
「?」
目をこすって青年が半身を起こす。その時、誰かの悲鳴が響いた。窓の外が赤く染まる。
「え、火事?」
「それだけじゃねえだろうな」
石の壁にはめられた鉄の扉。それを指差して、クザンは宣告した。
「あれを開ける方法を考えろ。そうでなきゃ、俺たちは間違いなく死ぬ」
「何だ、これは?」
明け方近く、ガルダンにたどり着いたシャウラたちは思ってもみない光景を目にしていた。
町が燃えている。赤々と染まる空に、異形の影が飛び交っている。人々は悲鳴と共に、町から逃げ出そうとしていた。
「おいっ」
アシルが近くにいた若者を捕まえて尋ねた。
「何があった?一体どうしたんだ!」
「魔物が…ッ」
息を切らして青年は答える。
「城から出てきたんだ!あんたらも逃げた方が」
完全にうろたえて、視線が泳いでいる。その目がラードラを捕らえた途端。
「う、うわあああぁぁっ!後ろ、後ろッ!」
アシルを突き飛ばし、もと来た方向へと走っていってしまった。
「あっ、いけません!」
「ほっとけ!わりぃが助けてる暇はねぇ」
思わず追いかけようとするアンディの腕をつかんで、ランディが言った。
「それよりも、おい。これからどうすんだよ、シャウラ?」
「私は城へ向う」
剣を抜いてシャウラは答えた。
「こういう類の魔物を使役する男を知っている」
「…っていうことは」
「父上の…ウェグラーの手の者だ。私の事を知っている者だ――私は」
ラードラに手をかけ、彼は続ける。
「私が何なのか、知りたい」
彼の表情は相変わらずまったく変わらない。だが、その目は目的を見つけたかのようにしっかりと城を見据えていた。
「だからお前たちは」
ここに残れ。
「お兄ちゃん」
しかし、次に続くべきシャウラの言葉はさえぎられた。言葉の先を察したのか、クプシが彼にしがみつく。
「あのね、あたしね、お母さんから魔法を習ってたの」
「?」
「お兄ちゃんの…足手まといにはならないから。あたしも連れて行って。絶対役に立つから!」
「何だ、置いてくつもりだったのかよ?」
ランディも不満そうに応える。
「オレはあの女を倒すんだ。それまでは何があってもお前から離れねぇぜ」
「それに」
アシルが付け加えた。
「ウェグラーを倒すには仲間がいるってマァナおばさんが言ってたろ。それなのに、いきなり一人で行くつもりかよ。大体お前、クプシのお守りも頼まれてるだろ?」
「………」
一人で何でもしてきた。誰も助けてはくれなかったから。
だから、何故彼らが好んで危険の中に飛び込もうとしているのか、シャウラにはよく分からなかった。
ただ、自分が彼らを必要としているらしいことは漠然と理解した。
「ついて来たいのなら好きにしろ」
それが、精一杯の答えだった。
ガルダン王城は燃えさかる炎に包まれていた。塔の窓から赤い炎が吹き出し、その周りを楽しげに魔物たちが舞う。
彼女は焦っていた。
早くしなければ、あの方が危ない。
「おい、ミラノ」
彼女の後をついて走るクザンが言った。
「助けてもらっといて悪いんだけどよ、この状態でもう一度城内に戻るのは危険だぜ?それに、この有様じゃ、そいつもとっくに逃げ出してるだろ」
「いいえ」
ミラノは焦りの表情も濃く、首を振った。
こんなことになるのなら、一瞬でもお傍を離れるのではなかった。
彼女の仕える大事な主人は、こんな夜に運悪く目を覚ました。そして、喉が渇いたから水が欲しいと彼女に告げたのだ。
はるか高いあの塔から厨房まで、水を取りに行っている間に、惨劇は始まってしまった。
「あの方は目が見えないのです」
「何だってぇ?」
クザンはすっとんきょうな声をあげた。
「天下のガルダン王国の王子が、盲目だと?そんな話は聞いてないぜ?」
「ええ。公にはされておりませんが」
襲ってくる雑魚モンスターを簡単になぎ払いながら、ミラノは続けた。
「このガルダンには、本当は二人の王子がいるのです」
ウォルド王子は父王に似て勇猛果敢、時には剣闘場の試合に出るほどの強者である。公式行事にもいつも父と共に出席し、彼が唯一の後継ぎであると国王も公言してはばからなかった。
だが、一つ年上の兄王子、ウィーダは違った。
生まれつき目が見えない王子。しかも彼を産んだせいで王妃を失った国王は、彼を疎んだ。新しく娶った後妻が男の子を生んだ途端、父は長男を塔に幽閉した。
「けっ」
それを聞いて、クザンは唾を吐いた。
「いけすかねぇ野郎だと思ってたが、よもや実の息子にそこまでするとはね」
「ですから、どうしてもお助けしたいのです」
「そういうことなら、付き合うぜ」
己の拳で魔物を殴りつけ、奴隷は笑う。
「お前とは、知らねぇ仲じゃねぇしな」
「ですが」
しぃ、とミラノは指をたてた。
「どうか、ウィーダ様の前ではそのことは内密に」
「ああ、いいぜ」
二人は剣闘場の地下を抜け、回廊から城内に駆け込む。
「そのかわり、どうしてその王子さんに仕える事になったのか、今度ゆっくり聞かせてくれ」
「構いませんわ」
そして、二人は大広間の扉を開けた。そこには、思ってもみなかった光景が広がっていた。
巨大な魔獣がそこにいた。
大広間の玉座を太い後足で踏み砕き、獅子と龍と山羊という三つの頭をもたげて、それは君臨していた。
そして、その眼前に立つ青年の姿は、それと比べるとあまりにも小さく、頼りなく見えた。
「ウィーダ様!」
大広間に入るなり、ミラノは悲鳴に近い声をあげた。
王子は完全に魔物どもに取り囲まれていた。魔獣、そして獣人。あの巨大な魔獣が一声発すれば、たちまち八つ裂きにされてしまう。
「待て」
思わず駆け寄ろうとした彼女の腕を、シャウラがつかんだ。
「きゃっ!?」
「早まるとお前も死ぬ。落ち着け」
ウィーダのことしか眼中になかったため、ミラノは目を丸くしてシャウラを見つめた。
「あ……あなたは?」
「説明すると長くなる。それよりも」
彼は、魔獣と王子を指し示した。
「今はあちらの方が大事だろう」
「……」
出かかった言葉を飲み込んで、彼女は大人しくうなずいた。この一団が何故ここにいるのかは知らないが、少なくとも敵ではなさそうだ。
ミラノが落ち着いたのを見て、シャウラも手を放した。
「賢明な判断だ、公子よ」
その時、中央にある獅子の口が開いた。
「そしてそこの女。お前、今この男をウィーダと呼んだな?」
「え…ええ」
「やはりそうか」
満足げに笑った口元から白い牙がのぞく。二匹の獣人に左右から腕をつかまれたウィーダが、堅くまぶたを閉じたまま後ろを振り返った。
「さっきから何度聞いても何も答えぬ。かと言って、公子も何も知らぬ。だが、これでこの男がウィーダ王子だと確認できたわけだ」
「ウィーダ様に…何をするつもり?」
「クックック」
魔獣は笑った。
「女よ。恨むなら、お前の隣にいるその男を恨むがよい」
「私をだと?どういうことだ」
いぶかしがるシャウラの顔を見て、相手はますます嬉しげな顔をする。
「お前はもうウェグラー様の役に立たぬ。そこで、お前の代わりとしてこのウィーダ王子をご所望になったのだ」
「私の代わりだと…?」
「そう」
そして、魔獣はふと真面目な顔に戻った。
「話は終わりだ。さあ、ウィーダ王子よ、わしと共に来るがいい」
「くッ…」
シャウラが覚悟を決めて、剣の柄に手をかけたその時。
「断る」
今まで一言も口を聞かなかったウィーダが、凛とした声をあげた。
「私の目が見えないからといって、お前たちのことが分からないとでも思っていたのか?この魔物どもめ」
腕を押えられてもまるで動じる様子はない。
「手を離せ。私に触るな!」
「ええい、うるさいっ!」
魔獣が吼えた。
「そのような生意気な事を言って、後ろにいるお前の仲間たちがどうなってもいいのか!?」
「ふふっ」
自信ありげに王子は微笑んだ。
「後ろか。では、遠慮はいらないということか」
にこっと笑ったその顔で、彼はつぶやく。
「我が吐息は凍てつく白刃、悲嘆に哭く風の音」
「何ッ?」
相手の顔色が変わった。
「銀涙をもって貫け!アイスジャベリン!」
冷たい風が吹き抜ける。どこからともなく、何本もの鋭い氷柱が降り注いで魔物たちを襲う。
「ミラノ!どこだ!」
「こちらです、ウィーダ様!」
束縛から逃れたウィーダは、侍女の声を頼りに彼らの方を目指して駆け出した。氷の魔法を浴びてひるんだ魔物たちが体勢を立て直すよりも早く、ミラノは王子を抱きとめていた。
「よし、今だ」
シャウラが剣をかざした。
「みんな、かかれ!」
「OK!」
「俺も手伝うぜぇ」
アシルたちが飛び出す。クザンも豪快に笑ってそれに続いた。
「キュオーオゥ!」
ラードラの羽ばたきが起こす風にあおられて、ウィーダは不思議そうに顔をあげた。
「誰かは知らないが、共に戦ってくれる者がいるのだな」
「はい」
「こうしてはいられない、私たちも行くぞ!」
「はい!」
目が見えないとは思えないほどウィーダの槍の腕前は素晴らしかった。ミラノの的確な指示とまわりの物音を頼りに、確実に敵を貫いていく。
シャウラも剣をふるい、みるみるうちに魔物たちを倒していた。ミラノの剣、クザンの拳も見事だし、ランディも東国の技をもって流れるように刀を使う。アンディとクプシの魔法に、アシルも奮起して戦っていた。
「ほほう、これはこれは」
だが、自分の手下たちが次々倒されていくというのに、獣王ザカリスは悠然と笑ってそれを眺めていた。
「みな素晴らしい腕前だな。まったく見事な事だ」
「何、余裕ブッこいてんだよ」
ランディが刀を拭きながら応えた。
「まったくだ。次はてめぇの番だぞ」
ぱきぱき、と指を鳴らしてクザンが笑う。
「それはどうだろうな」
あくまでも、小さな人間達を見下しながら魔獣は言った。
「後ろを振り返ってみろ。それを見ても、平気でいられるかな?」
「何だと?」
獣人たちの苦しげな鳴き声に包まれた大広間。そこには、倒してきた魔物の死体が横たわっているはずだった。
だが。
「これはっ…!?」
人が倒れている。
「まさか」
シャウラがうなった。
今、まさに最後の一呼吸を吐き出して息絶える獣人。完全に動きを止めると同時に、その姿が次第に人間のそれへと変化していく。
とっさに、アシルはクプシの頭を抱えて自分の胸に押し付けた。
「呪いを…かけていたんですね」
怒りを押えて、アンディが言った。
「まあな。だが」
ザカリスは答える。
「それを殺したのはお前たち自身だ」
「なんて卑怯な!」
ミラノが叫ぶ。その声を振り返り、ウィーダがたずねた。
「ミラノ、みんな…一体、何があったというのだ?」
彼の手に握られた槍は、一人の男の心臓を刺し貫いていた。豪奢な衣装、立派な体躯。知らない者にでも一目で分かる。
「ウ…ウィーダ様ッ!」
ガルダン王だ。
もはやぴくりとも動かない父親の亡骸から槍を抜いて、息子は不思議そうな顔をした。
「どうした、ミラノ。説明してくれ」
「あ……」
彼女は、いつも彼の傍らにいたから、王子が父王を恨んでいなかった事を知っていた。
ただ、愛されたがっていた。だから、一生懸命武器を、魔法を習い、少しでも強くなろうとしていた。父が満足してくれるように。息子として認めてもらえるように。
「どうした、女。説明出来んのか」
ザカリスが笑った。
「それならば、このわしが説明してやろうか」
「やめて!」
彼女の答えは悲鳴に近かった。だが、もはや魔物の口を塞ぐことは出来ない。
「自分を幽閉した憎い父親を、その手で殺すことが出来たのだ」
しん、と辺りが静まり返る。
「お前から王位継承権を略奪した弟も、隣の男が殺してくれたぞ」
ウォルド王子も、いつしか物言わぬ骸となりはててシャウラの足元に横たわっている。黒い剣の切っ先からは、とめどなく赤い雫が滴り落ちている。
「どうだ、ウィーダ王子よ?さぞかし満足だろう」
哄笑。
誰も、動けない。自分の血に塗れた剣を、拳を見て、黙りこくるばかりだ。
だが。
「惑わされるな」
金色の髪を揺らし、シャウラが言った。
「例え自らの手で父を殺したとしても、それを悔いるのは後からでいい。今は」
血飛沫が飛び散る。
「このザカリスを倒すのが先ではないのか!?」
はっ、としたようにみんなが顔を上げた。
この魔獣を野放しにしておいていい訳がない。
彼らは、シャウラの魔剣が示す先を見た。
「弟を殺した者の言葉を信じるのか、王子よ?」
「黙れ!」
槍を構えて、ウィーダが叫ぶ。
「私は彼を信じる!だから、みんな」
見えない目で仲間を見て、彼は言った。
「私に力を貸してくれ。私は、こいつを倒す!!」
わっ、と賛同の声があがった。
まぶしい朝の光がガルダンの帝都を照らし出す。
焼け落ちた家並み、崩れ落ちた王城。魔物の気配こそ消えたが、人々の嘆きの声は止まなかった。
ザカリスは倒した。だが、素直に喜べるはずもなく、ウィーダは浮かない顔でいた。
「シャウラ」
半壊したテラスに立ち、自分の傍らにいる青年にたずねる。
「君はこれからどうする?」
「………」
返事はない。シャウラは黙って人々が荒れた町の片付けをするのを見つめていた。
「ウィーダ様」
二人の後ろから、そっとミラノが声をかける。
「城の者で、生き残ったものが…ウィーダ様のご指示を待っております」
「あ…ああ」
気の抜けた声を出してウィーダは振り返る。しばらく考えて、彼は言った。
「ミラノ。私は…ここを出ようと思う」
「えっ?」
「ザカリスの策略とはいえ、私は父上とウォルドを殺した。そんな私が次の王となっても、納得してくれる者はいないだろう」
閉ざされた瞳からは何の感情を読むことも出来ない。だが、声には有無を言わさぬ響きがあった。
「シャウラ、君がもし魔人将軍ウェグラーを倒すというのなら、私も一緒に行く。行って、父上たちの仇を取らなければならない」
「ウィーダ様!」
「でも…君は?君はどうするつもりだ」
その問いかけに、シャウラは振り向いてウィーダを見た。
「魔物とはいえ、一応父親なんだろう…?」
「だが今は違う」
きっぱりと彼は答えた。
「ザカリスも言っていたが、ウェグラーは私を利用しようとしていた…記憶まで封印して。それが駄目となると、今度はお前に目をつけた」
「私たちには何の共通点もないはずだが」
「ああ」
もしかしてマァナなら、何か知っていたのかもしれない。しかし、戻って確かめる暇があれば、今は前進したかった。
「その理由を確かめに、私はウェグラーに会いに行く。理由の如何によっては――いや、もはや確かめるまでもないのかもしれないな」
ウィーダが少し心配そうに眉を寄せる。硬い表情のまま、シャウラは続ける。
「すでにこれだけの事をしでかしているのだ。私は、奴を倒す」
「………」
そして、重苦しい沈黙。傍らのミラノも、ただ拳を握りしめ、じっと二人を見つめるしかなかった。
その時。
「お兄ちゃん!王子様ー!」
明るい声が二人の顔を上げさせた。
「キューオ!」
ラードラの背に乗って、クプシがテラスの下から顔を出した。
「ねえ、行かないの〜?」
「クプシ」
シャウラが見ると、階下にはアシル、ランディ、アンディの三人がいて、彼を見上げていた。
「よう」
そこに荷物一つ持ってクザンが現れた。
「俺の方も用意はいいぜ。どうせ、私物なんか何も持ってなかったからなぁ」
「その声は、クザン?」
ウィーダも身を乗り出す。
「何故だ?父上は死んだ…君は自由だ」
「ああ」
明るい声でクザンは笑う。
「俺は俺の自由な意思で、王子についてく。ここに残ってもあんまり役に立ちそうにねぇしな」
「ウィーダ王子のことが気に入ったそうですよ」
「余計なこと言うんじゃねぇよ!」
わははは、と笑い声があがった。シャウラがウィーダを見ると、彼はにっこりと微笑んだ。
「そうか…私たちにはこんなに仲間がついて来てくれるんだな」
「………」
無言でうなずき、シャウラはきびすを返した。
「行こうか。長居をしては、また魔物を呼び寄せることになる」
「ああ」
歩き出す二人に、ミラノがあわてて従った。