双天の剣

第四章 霧の港(前編)

 魔人将軍ウェグラーの居城はガルダンのはるか西方、アレイアルという小大陸の果て――つまり、辺境にある。人の足で行くのならば、船に乗って行かなければならない。
 だが、一行の中に、船の苦手な人物が一人いた。
 ランディである。
 「あ〜…シャウラ」
 船に乗る、とシャウラが宣言した途端、彼は頭を掻いて口ごもった。
 「な、なぁ。今すぐか?」
 「ああ」
 相変わらず、眉一つ動かさずにシャウラが答えた。そのまま固まってしまったランディを見て、アンディが事情を察した。
 「シャウラさん、一ついいですか?」
 「何だ?」
 「今日は、この町で一晩泊まっていきましょうよ」
 その言葉に、ランディが安堵の溜息をついた。
 「しかし我々は」
 「ガルダンを出てからここまで、ずっと野宿続きです。確かに僕たちは狙われていますけれど、だからといってこのまま強行軍を続けたら、ウェグラーと戦う前にみんなが参ってしまいます」
 「そうだな」
 ウィーダがうなずいた。
 「たまにはいいんじゃないか、シャウラ?子供もいるんだし」
 「あたし子供じゃないもん!」
 「まあまあ…今はそういうことにしとけ」
 クザンが笑ってクプシをなでる。その様子を見て、シャウラは意外と素直に首を縦に振った。
 「みながそう言うならそうしよう。ラードラを泊めてくれる宿屋があるか探してみる」
 そう言い残し、グリフォンを連れてさっさと歩き出す。
 「私たちも参りましょう」
 小さな港町。平和な景色にめいめい散らばっていく仲間たちを見ながら、ランディはまた頭をかいた。
 「あ〜あ…なんか、みんなに悪かったかな」
 「どうしてです?」
 アンディが笑ってたずねると、彼はきまり悪そうに答えた。
 「だってよ。シャウラとウィーダが急いでるの分かってんのによ、オレ一人のせいで、ホラ」
 「いいえ」
 笑顔で否定して、アンディは言った。
 「僕が言った事は間違っていません。クプシなんか特に…彼女が疲れていたのはランディだって分かってたでしょう?」
 彼女は特にシャウラへの依存度が高い。彼が行くと言うなら、クプシは倒れるまで無理をしかねない。ランディはうなずいた。
 「それに、あなたが船が苦手なのも仕方がありません」
 「う…」
 「どうしても乗らない訳にはいきませんけど、一晩あれば心の準備も出来るでしょう?」
 「ま…まぁな」
 図星である。あの日から、情けないことだが船を見るのも嫌になってしまっていたのだ。潮風のにおいをかぐと、足がすくむ。
 「一日休んでダメだったら、僕が魔法をかけてあげますから」
 「……頼む」
 「さ。それじゃ僕らも何か美味しいものでも食べに行きましょうか」
 チリン。
 そして歩き出した二人の後ろで、小さくかすかに鈴の音が鳴った。だが、誰もその音に気付く者はいなかった。

 「船が出せないだって?何故だ」
 船着場を訪れたクザンたちは、そう言って船乗りに突っかかっている青年を目にした。
 「ウェスティア村に戻るには、ここからの船が一番早いんだ。それが、出せないっていうのはどういうことだ!」
 「いや、それが」
 背の高い青年が小柄な中年の男の胸ぐらを掴んでいるものだから、嫌でも状況は一方的に見える。クザン、クプシ、アシルの三人はあわててその場へ駆けつけた。
 「おい、何やってる!」
 「うるさい、今取り込み中だ!」
 「ンだとぉ!?」
 たちまちクザンの頭に血が上る。とっさに割って入ろうとしたアシルが、驚いて振り返った青年の肘に突かれてよろめいた。
 「くうっ!」
 「何だぁ?」
 こちらを向いた青年の目は、完全につり上がっていた。
 「やるのか!」
 「や…やめてよぅ」
 だが、誰ももうクプシのことなど眼中にない。
 「みんな、やめてってば!」
 だから、その一瞬の後、振り返った男たちは、ロクでもないものを見ることになってしまった。
 「やめてって、言ってるでしょう!」
 小さな少女は、両の目に涙をためていた。そして頭上に火球を掲げ持っていた。
 「言うこと聞かない人は…」
 「ク、クプシ!」
 「待て!俺らが悪かっ…」
 遅かった。
 「こうなんだから〜!」
 ゴウッ、という音とともに、火球が風を切った。

 「そうか…まずいな」
 宿屋の主人から町の現状を聞いて、シャウラとウィーダはお互いの顔を見合わせた。
 今、この港から船は出ない。船を出そうとすると、たちまち海から濃い霧が立ち込めて、視界をふさぐのだという。
 「…どこかで聞いた話ですね」
 傍らに控えていたミラノがそっと言うと、シャウラがうなずいた。
 「ロザリエラの仕業に間違いない」
 幻王ロザリエラは海の魔女、セイレーンである。思うがままに幻影を生み出し、人々を翻弄しては楽しむ魔物。
 「あれは」
 いつもよりもさらに重い口を開いて、シャウラは続ける。
 「男癖が悪い。私は…」
 それ以上言いたくなくなったのか、珍しく憮然とした表情で彼はウィーダを見た。
 「よく知っているみたいだな。仲が良かったのか?」
 「…向こうは私のことが気に入りの様子だったが、とにかく何を考えているか分からん。苦手だ」
 ぷ。
 急にミラノが吹き出す。笑いをこらえ切れなくて、彼女は主人達に背を向けた。
 「何故笑う」
 「いえ…その、シャウラ様にも苦手がおありかと思いまして」
 「私にだって、嫌なものはある。そんなにおかしいか?」
 さらに憮然として彼は答えた。
 「いいえ。ただ、シャウラ様は普段は表情がほとんど変わりませんから、そういうお顔をなさるのは珍しくて」
 「そうか?」
 「はい」
 楽しそうにうなずくミラノ。その一方で、ウィーダは不思議そうな顔をしていた。
 「そんなにシャウラの表情って変わらないのか?」
 「え?ええ…まあ」
 「私には、シャウラがどんな顔をしているかは分からないけれど」
 にっこりと微笑んで、彼は言った。
 「怒ったり、笑ったりしているのはちゃんと感じる。だから、あの時も君を信頼出来たんだ」
 何も知らなければ、あまりにも非情に見えたろう。シャウラは、眉一つ動かさないまま、ウォルド王子を殺したその剣でみなに指示を出したのだ。
 だが、その声に含まれていた思いを、ウィーダは聞き逃さなかった。
 「…ウィーダ様の方が」
 ミラノがぽつり、と言った。
 「見えない分だけ、シャウラ様のことをよくお分かりなのかもしれませんね」
 「まあ、そんなことは今はどうでもいい」
 照れているのか、いないのか。またシャウラは無表情な顔になり、話を元に戻した。
 「この港にロザリエラがいるかもしれないのだ。いつ仕掛けてくるかもしれない…みなを集めろ、ミラノ」
 「はい、今すぐに」
 ミラノは一礼して、すぐに宿屋を出ていった。

 「悪かったなぁ、こっちの早とちりだ」
 少し霧の出てきた桟橋に、二人は並んで座っていた。
 クザンと、例の背の高い青年。彼は、サファと名乗った。
 「いや、まあ、ちょっと俺も気が立ってた…あんまり時間もないもんでな」
 「時間?」
 「ちょっとワケありなんだ」
 そう言って、サファは空を見上げた。さっきまではよく晴れていたのに、雲と霧が出て、次第に太陽の光が弱くなっている。それと同じように、青年の声も少しトーンダウンしていた。
 「でも…もう間に合わないかも」
 「どういうことだ?」
 クザンが身を乗り出した。
 アシルとクプシは少し離れたところで、また喧嘩ともじゃれ合いともつかない様子でばたばた走り回っている。話の腰を折られる心配もなさそうだと、彼は続きを促した。
 「俺はファネルっていう村から来た。アレイアル大陸の端っこの村だ。大したとこじゃない。だけど、今は…存亡の危機にさらされている」
 「存亡?」
 「大袈裟に言ってるわけじゃない。本当なんだ…魔人に襲われてるんだ」
 「魔人」
 思わずクザンは繰り返す。金髪の青年の顔が頭に浮かんだ。
 「どんな奴なんだ、そいつは?」
 「ヴァンパイアだ。病気を撒き散らして、村の者は、ほとんどが死んだ」
 ぎりっ、と唇をかみしめ、サファは続けた。握り締めた拳に血管が浮いている。
 「そいつを倒すために、俺はこっちへ傭兵を探しに来たんだ。だが、誰も来てくれない…帰るにも、船も出ない!」
 うなだれる頭。栗色の髪をかきむしるかのように両手で頭を抱え、そのまま彼は動かなくなった。クザンは、そんな彼を眺め、少しだけ考えて答えた。
 「俺たちも似たようなコトしてるんだが…良かったら一緒に行こうか?」
 「何?」
 サファの頭が跳ね上がった。
 「今、君、なんて」
 「俺らのリーダー、無愛想なんだがイイ奴でな。事情を話せば、たぶん一緒に行くと言ってくれるはずだ」
 「君たちは、一体…?」
 青年は目を見開く。目の前にいる屈強な男と、そばではしゃぎ回っている少年、少女。最初は兄と弟妹だと思ったが、そういうわけでもないらしい。サファには、その関係も分からなければ、なぜそんな話になるのかも分からなかった。
 「悪い魔物を倒したいんだろ?」
 「それは…そうだが」
 あっけに取られるサファに、クザンは自分の拳を握って見せた。何度も皮がめくれては再生したのであろう、やや浅黒く色素の沈着したそれは、生身の体でありながら、硬く強そうな一個の武器として存在していた。
 「ワケありの連中が集まってるんだ」
 にやり、と笑う彼。サファはその拳とクザンの顔を見、そしてクプシをアシルを見た。
 確かに、喧嘩を止めるために彼女が放った炎の魔法も、なかなかにすさまじい威力だった。わざと外してはくれたのだろうが、直撃していたら大変だったかもしれない。
 「本当に、君たちに頼んでもいいのか」
 目の前に、ようやく光が見えた気がした。思わず、クザンの拳を握りしめた。
 「すまない…!」
 「まあ、まだ絶対行くと決まった訳じゃないけどな」
 その背後に、いつの間にか、人影が立っていた。
 「あ」
 振り返ると、ミラノが、手を握り合う男二人を無言で見下ろしていた。
 「…ミラノ」
 「別にどなたを口説こうがあなたの自由ですけれど」
 クザンが間の抜けた声を出すと、彼女はぷいと背中を向けた。
 「今は、シャウラ様がお呼びですから。すぐに宿屋に戻ってください」
 「誰が男なんか口説くか!」
 クザンが立ち上がる。サファもあわててそれに習い、ミラノの背に声をかけた。
 「すみません。あの…クザンさんを口説いてたのは俺の方でして」
 「え?」
 驚いて振り向くミラノの肩を押し、クザンは歩き出した。
 「話は後にしよう。サファ、一緒に来い。そこの二人も!」
 はーい、とクプシが手を振る。その時、ミラノはある事に気がついた。
 「ところでクザン。ランディとアンディはどこにいるの?一緒ではなかったの?」
 「知らねえよ。そっちと一緒じゃ…なかったみたいだな」
 クザンは彼女の顔が強張っているのに気がついた。
 人影のない静まり返った町並。桟橋に、薄く、霧が出始めていた。

 「申し訳ございませんッ!」
 十数分後、シャウラとウィーダの足元にひれ伏すミラノの姿があった。狭い町ゆえに、余所者がいればすぐに分かる。それなのに、ランディとアンディはどこにも見当たらなかった。
 「頭を上げよ、ミラノ。お前一人の責任ではない」
 冷静な声で告げるシャウラと、不安げなミラノの頭をなでるウィーダ。
 「その通りだよ。わたしたちも、離れるのではなかった」
 クザンたちも、神妙な顔つきでテーブルを囲んでいた。
 「やっぱり…攫われたんだろうか?」
 「その可能性が大きい」
 シャウラの青い瞳が、ひたとクザンを見据える。
 「ロザリエラという魔物は、一度狙った獲物は必ず手に入れる。ランディがわたしと共にいるとなれば、なおさら彼女にとっては都合がいいだろう」
 港町を閉ざす霧も、彼女の仕業に間違いない。主人である魔人将軍ウェグラーにたてつくシャウラを倒し、さらにお気に入りの青年ランディを手に入れる。まさに、一度で二度美味しいシチュエーションだ。
 「とにかく、この港のどこかにロザリエラはいるはずだ」
 作戦をたてようと、視線を落としたその矢先。
 シュッ!
 すさまじいスピードで、ウィーダの右手が繰り出された。
 「!?」
 シャウラの眼前ほんの数センチの辺りで、彼の拳はぴたりと止まった。
 「ウィーダ様、何を…!」
 さすがに驚いたのか、シャウラの目が丸くなる。が、すぐにその目がウィーダの手に向いた。
 指の間から、昆虫の羽根のようなものがはみ出している。そんなものは、いなかったはずなのに。
 「うまく取れたみたいだ」
 ウィーダは言った。
 「ゆっくり手を開くから、ちゃんと見ててくれ。いいね?」
 「ああ」
 全員が、彼の手をのぞきこんだ。
 ゆっくりと指が開かれる。そこには、勢いよく握られて、硬直して目を白黒させている小さな妖精の姿があった。
 シャウラは指を伸ばし、妖精の娘を捕らえた。机の上にそっと下ろすと、ようやく大きく息を吐き出してへたり込んだ。
 「何の用だ」
 「うっ…」
 きつい口調に、口元が泣きそうに曲がる。
 「ダメだよ、お兄ちゃん。もっと優しくしてあげなきゃ」
 「しかし、これはロザリエラの配下だ」
 「なんだってぇ?」
 驚きの声の中、妖精は顔を上げ、シャウラとウィーダの顔を代わる代わる見つめた。
 「シャウラ様…ごめんなさい」
 「謝っている暇があったら用件を言え。そのために使わされたのだろう?」
 「はい」
 彼女がうなずくと、胸元についた鈴が小さくちりん、と鳴った。
 「本当は、シャウラ様だけに伝えるように言われていたんですけど…見つかっちゃった」
 「鈴の音がしたから」
 ウィーダは事も無げに答えた。
 「手を出したら君が取れたんだが」
 「聞いてた以上にすごい方です、ウィーダ王子。だから、ロザリエラ様は、シャウラ様だけにって言ったんですね…」
 しょぼん、と肩を落とし、妖精は続けた。
 「でも、見つかった以上は、みんなに言うしかないですよね?」
 「そうだ。さっさと言え」
 「はい。では、言われた通りに伝えます」
 ちりん、と鈴を鳴らして彼女は困ったように告げた。
 「ランディと神官は預かった。彼らの命が惜しければ、明朝、夜明けと共に一人で桟橋まで来い。…以上です」
 「つまり、シャウラ一人で来いって言いたかった訳だな?」
 アシルが補足すると、妖精は激しく何度もうなずいた。
 「そうです、そうなんです!」
 「でも、一人で、って事は、みんなが一人一人別々で行ってもいいって事だな?」
 彼のの質問に、彼女の笑顔がそのまま固まる。
 「ええ…まあ…たぶん」
 「いいだろう」
 シャウラは小さくうなずいた。
 「お前はこのままロザリエラの元に帰り、我々に捕らえられて全員に伝言を聞かれたと伝えろ。そして、我々は全員で二人を助けに行く、とな」
 「はい、分かりました」
 ちりん。
 小さな鈴の音とともに、小さな姿がテーブルの上に舞う。そのまま、ふっと姿を消して、彼女は主人の元へと戻っていった。
 「ランディたち、大丈夫だろうか?」
 その後を追うかのように宙を見ていたウィーダが、ふとシャウラの方を振り返って尋ねた。
 「殺しはしまい。少なくとも、命は大丈夫なはずだ」
 シャウラはそう答えて立ち上がった。
 「みなも、聞いての通りだ。明日の朝は早い。今のうちにしっかり休んでおけ」
 「シャウラ」
 さっさと部屋に戻ろうとする後ろ姿に、ウィーダはさらに声をかける。
 「大丈夫か?」
 「……私の心配か?ウィーダ」
 肩越しに振り返り、シャウラは薄く唇の端を上げる。
 見えてはいないはずだが、それにつられるように、ウィーダも微笑んだ。


続く


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