双天の剣

 第五章 天の翼と闇の爪(2)

 家の中には、中年の女性をはじめ、数人の人々がいた。みなサファの顔を見ては喜び、共にいる仲間たちの存在を喜んだ。ただの歓迎というだけではない喜びようである。
 「失礼ですけど、あなた方は一体…?」
 アシルが尋ねると、彼らは口々に、ファネル村から逃げてきたのだと答えた。
 「それじゃ、ファネルの生き残りはここにいるだけですか?」
 「おそらくな」
 壮年の男性が重たげに口を開いた。
 「…リィネは?」
 「わしらも…逃げ出すだけで精一杯だった。途中ではぐれても、探しに戻ることは出来なかった…すまない…」
 すがるようなサファの視線を避けるように、男性はうなだれる。
 「…いいえ」
 彼らを一人一人確かめるように見つめ返してサファはうなずいた。
 「…そう、ですよね」
 ああ、と後ろの方で嗚咽が漏れた。それにつられるように、女性たちが泣き崩れる。
 わずか数人になってしまって逃げ込んだこの港町でも、まだ恐怖にさらされ続ける村人たち。
 「俺は、ただの傭兵で、何か大きなモンスターでも倒して名を上げようと思ってた」
 彼は泣きじゃくる人々の背をなでながら、そう言った。
 「だから、辺境の村に行ってたんだ。まさかそこに、運悪く魔人が来るなんて思ってもなかった」
 もともと若い人間の少ない田舎の村で、満足に戦える者など数が知れていた。だからこそ、サファは彼らの希望とならざるを得なかった。次第に増えていくゾンビたちと、先頭に立って戦い続けた。
 しかし、限度というものがある。
 サファは、村人たちに村を捨てるように告げた。そして。
 「すまないが、少しだけ待っていてくれ。俺は大陸に行って、仲間を連れて戻って来る。必ず、必ずだ!」
 そう約束して、彼は村を後にしたのだ。
 だが、帰ってきたことを一番に知らせたかった相手は、いなかった。
 サファは大きな溜息をついて、椅子に座り込んだ。
 「サファノート」
 シャウラが声をかけた。
 「顔色が悪いぞ。少し休んだ方がいいのではないか?」
 「いや、すぐにでも行こう」
 彼はうなだれたまま首を振る。
 「少しでも早く行かないと…まだ、生きてる人がいるかもしれないんだ」
 可能性は低くても、どこかで助けを待っているかも知れないのだから。
 もう無理だ、と頭では分かっていても、サファは立ち上がらずにはいられなかった。
 「ジリアスさん」
 「大丈夫ですよ」
 笑顔を見せて、彼は応えた。
 「必ず、ベルフォードは倒します。この人たちは強い…みんなの無念は必ず晴らしてみせます」
 その言葉に、シャウラとウィーダもうなずいた。
 その時、家の扉が激しく打ち付けられる音がした。
 「クアーッ!!」
 それと同時に、けたたましいグリフォンの鳴き声が響く。二度、三度とぶつかる音が聞こえるところをみると、どうやら、家の前で暴れているらしい。
 「ラードラ?」
 「まさか」
 サファが慌てて剣を抜いた。
 「生き物の気配を感じて、ゾンビが集まってるんじゃ」
 「仕方ない、窓を開けろ!」
 シャウラは叫んだ。
 「戦えない者は二階へ上がれ。部屋に入ってしっかり身を守っていろ、いいな!」
 たちまち村人たちはすくみ上がった。
 「おい、しゃきっとしやがれ!ビビってる場合じゃねえだろ!」
 魔法の使えないメンバーが、ともすれば恐怖で動けなくなりそうな彼らを階段の方へと連れて行く。剣や拳だけではゾンビたちにとどめを刺す事は出来ないからだ。
 シャウラとアンディがカーテンを引いて、窓を開く。案の定、外には嫌になるほどの腐臭が漂い、何体かのゾンビがラードラに襲いかかろうとしては、蹴り飛ばされていた。
 「ラードラ、大丈夫か」
 シャウラが声をかけると、グリフォンは嬉しそうに一声鳴いて、大きくはばたいた。力強い翼の起こす突風にあおられ、不死者たちはよろよろとあとずさる。わずかに出来た隙間めがけて、彼らは窓枠を飛び越えた。
 「哀れなる魂よ」
 古びた聖書を取り出し、アンディが凛とした声を上げた。
 「その呪縛から放たれて、母なる大地へ還れ!アセンション!」
 銀色の光に包まれて、何体かは塵と化していく。それでも、まだ、彼らはこちらへと向ってくる。
 「我が怒り、雷よ、黄金の刃もって罪を裁け」
 「我が嘆き、吹雪となりて汝らを抱く」
 シャウラとウィーダも同時に呪文を唱える。その後ろで、クプシも杖を掲げた。
 「我が力、赤く燃えよ、地獄の業火ともならん」
 「サンダーフラッシュ!」
 「ブリザード!」
 「ファイアストーム!!」
 三人の魔法が次々と不死者たちを撃破していく。集まっていた魔物の群れがみるみるその数を減らしていくのを見ながら、サファは複雑な表情になっていった。
 もう少し。あとほんの少しで良かったから、早く彼らに出会えていたら…。
 彼女は、助かっていた…!
 窓枠をつかむ手に無駄な力がこもる。彼はまたうなだれてしまっていた。
 「…これで全部ですか?」
 「一応な」
 あっさりとした声に顔を上げると、シャウラがけろりとした顔でサファを振り返っていた。
 「どうした、サファノート。気分でも悪いのか?」
 「あ…いや」
 「では、少しクプシを休ませてやってくれ。疲れている」
 無表情なまま彼は少女を抱き上げ、窓枠越しにサファに預ける。
 「あたしは大丈夫だよ、お兄ちゃん」
 「あれだけ魔法を使えば誰でも疲れる。お前は小さいのだから無理はするな」
 「でも…」
 「シャウラの言うとおりだよ」
 さっさときびすを返して通りの後片付けに向うシャウラの背を見ながら、サファは少女に言った。
 「これからはもっと大変になる…本当なら、君のような小さな子は、俺たちが守ってやらなきゃいけない立場だけど、残念ながらそれが出来ない。俺は…どうしても君に頼る事になる。だから、休める時ぐらい、ちゃんと休んで俺を安心させてくれ」
 「サファお兄ちゃん…」
 クプシは青年を見上げた。
 外からは、死者ために捧げられるアンディの祈りの声が静かに響き始めた。
 「分かったけど」
 彼女はすねたように唇をとがらせてサファに言った。
 「小さい小さいって言うのはやめて欲しいの。確かにあたし、背は低いけど…もう十二になったんだから」
 「あ、そうなのかい?そりゃあ悪かった」
 笑いあう二人。
 アンディが静かに祈りの言葉を捧げ始めた。

 「あれは、グリフォン?」
 「魔獣までいるのか…!?」
 リィネとタカは、家々の上を旋回し、咆哮をあげるその姿を見て、絶望を感じていた。
 一度は天使に助けられたとはいえ、この港町まで来るのは並大抵のことではなかった。それなのに、さらに今度はあんなモノまでいるなんて。
 だが、少しずつグリフォンに近づいていった二人は、すぐに人の声も聞こえてくることに気がついた。
 「お疲れ。お前らも早く中入れよ、また連中が増えたら厄介だぜ」
 「だが、ラードラは中には入れないぞ」
 「屋根にでも上げとけばいいんじゃねーの?」
 「…踏み破らなければいいが」
 「おいおい」
 こんな暗い町で、笑い声が上がる。
 二人は顔を見合わせた。
 「誰…?」
 「まさか」
 あの人が帰ってきたの!?
 リィネは思わず駆け出した。
 「待て、飛び出すな!敵だったらどうすんだ!」
 とっさに彼女の腕をつかみ、タカは自分の方へ引き寄せた。どんな時でも油断はならない。こんな時に笑っていられるなんて、人の言葉こそしゃべってはいるが、魔物ではないという保証はないのだ。
 「ラードラ!」
 凛とした声が名を呼ぶと、魔獣はその声に鳴いて応え、一軒の屋根の上に足を下ろした。
 「ほら見ろ」
 彼はリィネに指し示した。
 「魔獣に言う事聞かせてるんだ。人間じゃない」
 「………」
 みしみし、と音をさせて、居心地悪そうにグリフォンは屋根の上を歩く。
 「でも…確認してみなくちゃ」
 彼が帰ってきたのかもしれない、という思いがリィネを突き動かしていた。
 「大丈夫、もしダメだったらすぐに逃げるから」
 「でも」
 しかし、次に彼らの耳に届いたのは、失われた生命を悼む祈りの言葉だった。
 優しく力強く、そして哀れみに満ちた声は、あの天使の姿を思い出させるに十分だった。
 「わたし…行くわ」
 タカもうなずく。そして、二人は物陰から顔を出した。  一人の神官が聖書を手に、折り重なる亡骸に祈りを捧げていた。その周りを取り囲むように、数人の青年がじっと立ち尽くしていた。
 薄い陽光にきらめくのは金の髪と銀の髪。それから、黒々とした鋼色の髪に、くしゃくしゃの赤毛の青年。
 あの人は、いない。
 リィネはさらに足を踏み出した。
 砂利を踏む音に気が付いて、背の高い銀髪の青年が振り返った。
 まぶたを閉じたままの顔を見て、一瞬ぎょっとする。が、彼女はすぐに気を取り直して彼らの前に立った。
 「あの…」
 「誰だ、お前?」
 尋ねるより早く、赤毛の青年が言った。
 「この町の人間か?」
 「あ、いえ」
 「それでは、ファネル村の生き残りか」
 びっくりするほど冷たい顔で、金髪の青年が言葉を継ぐ。
 「は、はい…そうです」
 その声が、さっき魔獣を呼びつけていた声と同じだと気付いて、リィネは少し恐ろしくなり始めた。
 この人たちは、一体…?
 思わず固まってしまった彼女を腕組みして見下ろし、金髪の青年は言った。
 「では、サファノートが言っていたリィネという娘はお前のことか」
 「え…っ?」
 「違うのか」
 「あっ、そ、その」
 まったく感情の見られない声色に、うまく返事ができない。
 「どうなんだ?」
 「おいおい、シャウラ」
 その青年の肩を、鋼の髪の毛の青年がつかんだ。
 「もう少し愛想してやれよ。脅えちゃってんじゃねーか、カノジョ」
 「しかし」
 「ほら、あっち見てみろよ」
 彼の指差す先では、強張った表情のタカが、今にも矢を放ちそうな勢いでボウガンを握りしめている。
 「おい、そこのにーちゃん」
 シャウラを押しのけ、ランディは気さくに声をかけた。
 「心配しないでこっち来な。そんな物騒な獲物は片付けてさ」
 「………」
 「心配性なにーちゃんだな」
 とりあえずボウガンは下ろしたものの、タカはあからさまに疑惑の表情を浮かべてランディを見つめ返していた。
 「まあ、その気持ちも分からなくはねーけど」
 「大丈夫だろ」
 アシルがにっ、と歯を見せた。
 「ほら、来たぜ」
 ぽたっ。
 乾いた砂利に、水滴の落ちる音が聞こえるような気がした。
 それほどの大粒の涙をあふれさせ、リィネは立ち尽くしていた。
 開け放たれた窓には、明るいハシバミ色の髪の青年が、これまた驚きを隠せないといった表情で立ち尽くしている。
 「リィネ…無事だったのか」
 「サファ」
 つぶやきがもれる。それはすぐに、大きな声になった。
 「サファあ……!!」
 「リィネ!」
 駆け寄って抱き合う二人。人目もはばからず大声で泣くリィネに、タカが苦笑する。
 それでも、しばらくの間、恋人たちは離れる事が出来なかった。

 翌朝早く、シャウラたちは出発した。
 リィネやタカの話から、彼は今度の相手がまた、養父ウェグラーの部下である事を知った。
 冥王ベルフォード。不死の魔人、ヴァンパイアだ。普段はウェグラーの居城で惰眠を貪っていることが多いのだが、一度動き出すと、己の欲望が収まるまで人間をいたぶり続ける厄介な相手だった。
 だが。
 ファネルに戻る道には、全くと言っていいほど、敵の気配がなかった。
 時折見られる亡骸も、近づいたからといって急に起き上がって攻撃してきたりはしなかった。
 「おかしい…まさか、奴はもうファネルを引き上げたのか?」
 顔を見合わせるシャウラとサファに、タカが首を振った。
 「そんなはずはないと思うけど…もしかしたら」
 彼は自分の足を見下ろして言った。
 「あの方のおかげだろうな」
 「あの方?」
 「天使だ」
 その言葉に、リィネも強くうなずいた。
 「本当です…確かに、この辺りでわたしたち、天使さまに助けられたんです」
 二人は、あの瞬間の話を始めた。
 薄い陽光を浴びて、薄桃色に輝いていた髪の毛。紅を差した唇は自信に満ち溢れた笑みを浮かべ、淡い珊瑚色の瞳は優しく二人を見つめていた。
 純白の翼を広げ、ゾンビたちを昇天させたその様を、彼らは語る。
 「すごい美人だったし…その、天使にむかってこういうのもアレなんだけど、スタイルも凄くて」
 そしてタカはそこまで言って、ふと、周りの人間たちが変な顔をしているのに気が付いた。
 「………」
 シャウラは唇に指を当て、何か考え込むような仕草で押し黙っている。アンディとランディはお互いの顔を見合わせて眉を寄せているし、サファでさえ、なにやら怪訝そうな顔つきをしている。クプシが何かを言おうとしたらしいのだが、アシルにぐっと口を押えられ、そのままうなずいて、黙り込んでしまった。
 「…どうしたんだ、みんな?」
 クザンにいたっては、タカが視線を合わせようとすると、きまり悪そうな顔をして、ぷいと横を向いてしまった。
 「ねぇ、どうしたの?」
 リィネが尋ねると、ウィーダ一人がきょとんとして聞き返した。
 「どうかしたのか?」
 「いや、何でもない」
 それを遮り、シャウラはタカの肩を押した。
 「タカ。その天使…他に特徴は?」
 顔をぴったりと寄せ、ささやくように尋ねる。タカは驚きながらも、必死で記憶を手繰り寄せた。
 「髪の長さは肩ぐらいまでで…ゆるいウェーブがかかってた。それから…ええと」
 「背の高さは?」
 「それはちょっと…」
 「大体でいいから」
 殺した声が、妙に切羽詰っている。
 「そうだな…リィネより、少し高かったかな」
 「……そうか」
 不思議そうな顔をするしかないタカを置いて、シャウラは仲間たちの方を振り返った。
 「お兄ちゃん…もしかして」
 「ああ」
 心配げな少女の頭をなで、彼はうなずいた。
 二人が言う天使の容姿は、ことごとく、彼女の容姿と一致していた。
 次元の狭間に消えていったウィーダの侍女、ミラノに。
 赤みがかった銀の髪の毛など、そうそう見かけるものではない。染めているにしても変わった色だとシャウラが思っていたほどなのだから、相当に珍しい。
 本人なのか、別人なのか。
 そもそも、翼が生えていたとはどういうことだ?
 「それって一体…?」
 「分からん」
 小さく答えて、彼はウィーダを見た。
 ウィーダは、ミラノの容姿を知らない。分かるのは身長や体格、髪型ぐらいのものだ。だから、天使の話を聞いてもただ微笑んでうなずいているばかりだった。
 シャウラはクプシを抱き上げて、その耳にささやいた。
 「このことは、ウィーダには言うな。他のみなにもそう伝えておいてくれ」
 「うん」
 天使が彼女であってもなくても、はっきりしたことが分からないうちに教えてしまったら、きっとまたウィーダはうろたえる。
 それよりも。
 「あ、みなさん」
 リィネが声を上げた。
 「見えました…あれが、村です」
 指差す先には、小さな窪地と、その中にぽつんぽつんと並ぶ家々が見えた。
 遠目に見ても明らかに荒れ果てた様子に、自然と彼らの足が早くなった。

 「遅い」
 シャウラの顔を見るなり、男は言った。
 「実に遅かった。おかげで」
 尖った爪の先で、自らの足元を指す。  見なくとも分かる。変わり果てた姿の村人たちが、その足元に何人も倒れ伏している。
 動く者はもちろんない。ただ、嫌な腐臭がただよってくるばかりだ。
 「遊ぶモノがなくなってしまった」
 笑うと、口元に鋭い牙がのぞいた。文字通り、不気味な紫色の肌に、血の透ける赤い目。憎憎しい笑い顔は、見る者を無駄に不快にさせるだけの代物だった。
 「きっ…貴様ァ!」
 思わずいきり立つタカを、シャウラが制した。
 「落ち着け。飛び出していっても奴の思うつぼだ」
 「クソッ…!分かってるよ」
 そんな彼に、不死者の王はゆっくりと声をかけた。
 「お前は相変わらず冷静だな。実に面白くない」
 返事はしない。シャウラはただ、黙って相手をにらみ返す。
 「ウェグラー様も手を焼くわけだ。ご自分の手で育てたくせに、殺せと仰っているぞ」
 「知っている」
 「だが…それが何故かまでは知るまい?」
 ベルフォードは、シャウラの眉がぴくり、と動いたのを見逃さなかった。
 嫌な笑みを浮かべ、不死者は言葉を連ねる。
 「高貴な人間は、流れている血が違うそうだ」
 そう言って、彼はゆっくりとシャウラ、そしてウィーダを見つめた。
 「お前たち二人は特別なのだ。お前たちの血には、他人とは違う力が秘められている。覚醒すれば、その力は魔人将軍をも凌ぐと言う」
 もったいぶって頭を振り、肩をすくめてみせる。
 「わたしとしては…神代の昔から伝えられてきたお伽話だと思っていたのだがな。ウェグラー様は無邪気にもそれを信じていらっしゃる。だからお前を息子としたのだよ」
 人間界に巣食う魔物どもを統括する魔人将軍をも凌ぐ力。
 それはすなわち、魔界のボスである邪神ソルや、天界にいる神にすら匹敵する力ということになる。
 「ま…わたしは信じないがね」
 ベルフォードはふと、真顔になった。
 「だが、そのような伝説を持つ人間の血、賞味する機会もまたとない」
 すうっ、と左手を開いて差し上げる。
 それに呼応するように、ごぼごぼ、とシャウラたちの足元でくぐもった音がした。
 ボコッ。
 土色の腕が、地面から突き出す。
 「やっ…!」
 クプシが悲鳴を上げた。だが、少女が飛び退くよりも早く、その手は彼女の足首をつかんだ。
 「くッ!?」
 彼女を救おうと踏み出したアシルの足も、さらに新しく生えてきた腕に絡め取られてしまう。
 ボコ、ボコと鈍い音がする度、怨みに満ちた腕は増えるばかり。そればかりか腕だけでなくその全身を地面から起こした死者たちは、シャウラたちの動きを全て奪おうとするかのように、腕に、首にと腐った腕を伸ばしてくる。
 「いやあぁぁ!」
 眼前に迫るゾンビに、恐怖がフラッシュバックする。リィネが叫んだ。
 「いけません、落ち着いて!怖がったら調子づかせるだけです!」
 神官の呼びかけも聞こえないのか、彼女は息が続く限りの悲鳴を上げ続ける。感情が伝染し、ラードラもけたたましい鳴き声を上げ始めた。
 「ラードラ!静かにしないか!」
 「クアアアアアッ、クアアアアアッ!!」
 「うっ…ううっ…」
 我慢強いクプシも、すでに瞳いっぱいの涙をためている。シャウラが近付こうにも、すでに彼も死体に捕らえられ、身動きはままならない状態になりつつあった。
 「ベッ…ベルフォードッ!!」
 「わたしは、頭の足りぬザカリスやロザリエラとは違う」
 吸血鬼はにやにやと笑って答えた。
 「安心しろ、シャウラ。お前は、一番最後だ」
 もはや誰も、ベルフォードに触れることすら出来ない状況の中で、彼は悠然と歩を進めた。そして、唇を噛みしめて耐えるウィーダの前に立った。
 「最初はやはり、お前からかな?」
 冷たい手を伸ばして、王子の顔に触れる。尖った爪が頬を引っ掻いて、薄い傷をつけた。
 「私に触れるな…不浄のモノめ」
 「強がりを言っていられるのも今のうちだ」
 わざと音を立てて舌なめずりするベルフォード。
 その時、そばにいたクザンがふいに口を開いた。
 「おい、お前…そいつに手を出したら、本気で消されるぜ」
 「ほう?」
 彼の脅しに、楽しげに吸血鬼は応えた。
 「誰がわたしを消すというのだ?お前か?指一本動かせぬくせに何を言うか、この人間風情が」
 「ふふっ」
 だが、ゾンビに絡みつかれながらも、クザンは自信たっぷりに笑った。
 「人間、ね。確かに人間じゃ、この状況は覆せねぇけど。人間じゃなかったらどうかな?」
 「何?」
 驚くベルフォードを無視して、彼はわずかに首を動かし、天を仰いだ。
 「この意地っ張りが」
 こんな状況下で、クザンは笑いながら呼びかけた。
 「お前の気持ちは分かるけどよ、時間がねぇだろ、時間が」
 一体誰に?
 仲間たちも、そしてベルフォードも、誰もがそう思った。
 呆然とした顔が、いくつも彼の方を見ている。だが、気にする様子もなくクザンは続けた。
 「いい加減に助けろよ。早くしねぇと、お前の大事な王子様が死体になっちまうぜ」
 一瞬の間。そして、返事があった。
 「……分かっていますわ」
 聞き覚えのある声。
 そして、辺りはまぶしい光に包まれた。



続く

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