第五章 天の翼と闇の爪(3)
光が収束し、ようやく目が開けられるようになっても、そこはまだ光に包まれているかのような白さだった。
雪のように純白の羽根がひらひらと辺りを舞い、幻想的な光景が広がっている。地面から這い出た不死者の群れはきれいに浄化され、跡形もなく消え去っていた。
そして何より、ベルフォードとウィーダの間に割って入るかのように、一人の天使がそこにいた。
薄桃色に輝く髪、すらりとした手足、大きく広げられた汚れのない翼。
だが、彼女は何やら恥ずかしそうにうつむいて、困ったように眉を寄せていた。
「お前は…」
シャウラたちが驚きの声を上げるよりも早く、タカとリィネが彼女に駆け寄った。
「天使様!また来てくださったのですね!」
「……天使さまァ?」
ランディが頬を引きつらせながら言い返す。
「そいつが?」
「ああ、そうだとも!」
きっぱりと言い切るタカ。
「おれの腐った足も、この方が治してくれたんだ。みんなも見たろう、今の奇跡を!」
「いや、ま、そりゃそうなんだけど」
そして、ランディはウィーダを見た。シャウラたちも、天使と王子とをただ見比べている。
一方で、ベルフォードは突然の出来事に凍り付いていた。
「なぜ…っ、天使がこのようなところに!」
「そりゃ、こいつが俺たちの仲間だからさ」
実に楽しそうに、ぽん、クザンはベルフォードの肩を叩いた。
「仲間ッ…!?」
「いやぁ、さすがにウェグラーの手下だけはあるなぁ、お前。あの光で消えなかったとはね」
「そんなことはどうでもいいッ!」
怒りもあらわに、吸血鬼は人間の手を払いのけた。
「天は…神は、地上には介入しないのではなかったのか!何故、天使がここにいる!」
「それは」
紅を引いた唇が動いて、凛とした声を発した。
「私が堕天使だからですわ」
その声に、ウィーダが顔を上げる。
「その声は……ミラノか?」
「はい」
振り返りはしなかったが、彼女ははっきりとそう答えた。
「お傍を離れました事、どうかお許しください。ですが」
ちらりと肩越しに主人を見て、泣き笑いのような顔を見せる。
「申し開きは、後ほどでよろしいですか?」
しばらくの、沈黙。
だが、すぐにウィーダは口を開いた。
「分かった。許す」
短く言い切って、彼は槍を構えた。
「さあ、シャウラ!」
「…そうだな」
呼びかけられて、シャウラが苦笑する。
「呆然としているなどと、私らしくもない…この上もないチャンスだというのにな」
「くっ」
ベルフォードが一歩退いた。
強大な魔力をもって不死者を操る術を持っていても、相手が天使では全て無に返されてしまう。自分自身とてアンデッドなのだ。
一瞬にして逆転した状況に、吸血鬼はまた一歩、静かに後退した。
「逃げる気か」
厳しく問うシャウラに、ベルフォードは少しばかり引きつった笑みを返した。
「逃げるとは人聞きの悪い…態勢を立て直す、と言ってもらおうか」
「逃がすものか」
すぐさま、彼は魔法を唱えられる姿勢に入った。研ぎ澄まされた魔力が、雷の形をとってシャウラの指先に集まる。
「ゆくぞ、ベルフォード!」
黄金色の光がほとばしる。
ベルフォードは霧に姿を変えて避けようとしたが、それは叶わなかった。
ミラノが手をかざすと、まるで金縛りにでもあったかのように、吸血鬼の体は動かなくなっていた。動かない心臓めがけ、金色の矢が突き刺さる。
「ぐわっ…!」
苦悶にのけぞっても、その足は1ミリも動かない。
いつの間にか、足元に、ゆらめく影のようなものが絡み付いていた。青白く透き通ったソレは、人の手の形をしていた。
「ご覧なさい」
ミラノが静かに告げる。
「例え死者の亡骸を弄ぶことが出来たとしても、魂までも汚れはしません…決して、あなたを許しはしませんよ」
次第に数を増やす亡霊たちの手が、しっかりとベルフォードの足を捕らえる。
それ見て、タカが、リィネが、そしてサファがそれぞれの武器を構えた。
「みんなの恨み…」
「思い知れ、ベルフォードッ!!」
矢が、魔法が、槍が、次々と動けぬ死者の王を襲う。やがて、がっくりと膝をついた魔物に、シャウラが言った。
「哀れだな…」
「くっ…くそっ…!」
どす黒く穢れた血にまみれ、ベルフォードはシャウラを見上げた。
「だが…貴様らの武器では、わたしにとどめを刺すことは出来ぬぞ…」
「ああ、分かっている」
にやり、と冷たい笑みを浮かべて彼は答えた。
「お前を消すのは私の役目ではない。サファノート」
黙ってうなずき、サファが槍をかかげた。
何の変哲もない、ただの鋼の槍だが、まず、ミラノがそれに手を添えた。それからアンディも。
キュウウウン、という小気味よいうなりをあげながら、槍が白く輝き始める。
「二人分の魔力だ。遠慮なく受け取れ」
狙いをつけて構えると、穂先からあふれた力が小さな星となってキラキラと零れ落ちた。
「ま、待てッ!」
さしもの不死の王も、その光景には恐怖した。魂を持たないヴァンパイアに還る場所はない。倒されれば、ただ消えるだけなのだ。
「シャウラ、ウィーダ!お前たち、己の血に秘めた力がどのようなものか、知りたくはないのか!?」
「要らん」
シャウラは一瞬で却下した。
「お前などに聞かなくても、いずれ分かる時が来るだろう」
ウィーダもうなずいて、シャウラの方を見た。
「それよりも早く、魔物にとどめを」
「ああ!」
答えて、サファが槍を振るう。
聖なる力を込められた槍は、まるで紙でも破るかのようにやすやすと黒衣を引き裂き、紫色の体を突き抜いて、地面にまで深々と突き刺さった。
それと同時に、無数の光球が辺りに弾けた。
「が………ッッ!!」
押しつぶされたかのような、低く鈍いうなり声。
それが、冥王ベルフォードの最期だった。
墓に手向ける一輪の花もない。
しかし、天使が背中の羽根を一本引き抜いて地面に挿すと、それが純白の百合の花に変わった。
手を合わせ、祈りを捧げる仲間たちの後方で、ウィーダは腕を組んで立ち尽くしていた。その傍らには、シャウラとクザン。三人は祈りを終えて、ミラノがこちらに来るのを待っていた。
「すみませんでした」
そう言って、彼女は翼をたたんだ。しおらしく立っている姿を見ると、以前のミラノとなんら変わるところはないのだが、やはり背中に見える白いものがどうしても気になってしまう。
シャウラは口を開いた。
「では…説明してもらおうか。お前が堕天使だというのは、一体どういうことだ?」
「はい…」
ちら、とウィーダの顔を見て、ミラノはぽつり、ぽつりと話し始めた。
「わたしは、その…恥ずかしながら…天上にいた頃は、とんでもない厄介者だったのです」
天使として生まれながら、天使にあるまじき振る舞い。拳をもって暴力を振るい、好き放題暴れ回る。それが、天界でのミラノだった。
当然のことながら、彼女は罰を受けた。
神の手により翼を奪われ、天使としての能力を全て封印されて、ミラノは地上へ落とされた。
「それで、行き倒れになってたのを拾ったのが、俺だ」
北方の国の傭兵だったクザンは、ボロボロになって倒れている彼女を助けた。意気投合した二人は戦いを求め、傭兵として各地を放浪することになる。そして、ガルダンとの戦争に敗れて捕虜となり、揃って奴隷拳闘士となったのだ。
もとからの荒い気性に、人間ではないが故の腕力の高さに、ミラノは一躍花形の拳闘士となった。美しい容姿とは裏腹に、残虐でワイルドな戦いぶりから、『悪魔の女闘士』とも『堕天使』とも呼ばれ、すぐに国王の気に入りとなった。
「それが何故、王子の侍女に?」
尋ねるシャウラに、クザンもうなずいた。
「俺もそこが分からねえ。性格…変わったろ?」
「…はい」
しゅん、とうなだれてミラノはうなずく。話している間も、ちら、ちら、とウィーダの顔色をうかがう様子は、まるで叱られている子供のようだ。
「ある日の試合の後でした。なんとなく…闘技場から、上を見上げたんです」
見上げた先には、高い塔があった。ところどころに小さな窓が開いているだけの、シンプルなものだ。だが、その日は、一番上の窓に人影があるのが見て取れた。
まだ幼い銀髪の少年は、闘技場の方を向いてはいたが、しっかりと目を閉じていた。
(あれは一体…?)
よく顔を確認する間もなく彼は引っ込んでしまった。それ以来、ミラノには塔を見上げる癖がついた。
少年が顔を見せる日もあるし、窓が閉まっている日もある。奴隷仲間に聞いても、誰もが知らないと答えるその少年が気になって、やがてある日、闘技場まで彼女をねぎらいに来た国王に尋ねた。
「陛下…質問がありますが、よろしいでしょうか?」
「何だ?」
「あの…闘技場から見えるのですが、城の東側に塔がありますよね?あの塔のてっぺんに…」
言いかけて、ミラノが王を見ると、彼は苦渋に満ちた顔つきで彼女を見据えていた。
「あの塔に何か見えたか?」
「あ…そ、その…男の子の顔が」
「…そうか」
大きな溜息を吐いて、国王はいつもとは違う、どこか疲れた様な顔を見せた。
「人間離れしているのは拳の腕前だけかと思ったら、視力もすさまじいのだな、お前は…」
確かに、普通の人では窓に何かが見えたにしろ、子供、それも男の子の顔とまで判別はつかないだろう。だが、国王はまた溜息を吐いてがっくりと肩を落とした。
「聞いてくれるか、ミラノ。あれは、実はわしの息子なのだ」
「えっ…?」
王子は一人だと聞いていた。それも、その王子はまだ生まれたばかりで、王妃や大勢の侍女たちに囲まれて大事に育てられているはずだ。まさか。
「もしかして、先に亡くなられた王妃様の…?」
「あれを生んだせいで、ソファラは死んだ。あれは呪われている、目も見えぬ。無気味な瞳の色をしているのだ」
それで、あんなところに幽閉されているのか。
「それならば、殺せばいいと思うだろう?」
呆然とするミラノに、父親は笑って見せた。
「だが、殺せぬ…大きくなるに従って、どんどんソファラに似てくるのだ…」
重苦しい沈黙。誰もいない闘技場の地下室で、ミラノはじっと国王を見つめるだけだ。
が、ふいに、彼は目の前の奴隷を見て、何かを思いついたかのように微笑んだ。
「そうだ…ミラノ、お前なら出来るかもしれぬ」
「は?」
「お前、あれの教育をしてくれぬか?お前が鍛えてくれたなら、少しは強い人間になれるかもしれぬ」
「私が…ですかぁ!?」
子供の世話なんて、何と面倒くさいことを。
「しまった、そんなこと聞くのではなかったと、正直言ってその瞬間は後悔しました。でも、ウィーダ様を間近で見て、私には分かってしまったのです。この子供こそ、何をおいても私が守り、育てていかなければならない大切な人であると」
本来なら天使は神にだけ忠誠を誓うものだが、天から追放されたミラノに足枷はない。だから、彼女は幼い王子に忠誠を誓い、今まで仕えてきたのだ。
そして、彼女の罪は許された。
ロザリエラを倒したために空間の狭間をさまよっていた彼女に救いの手を差し伸べたのは、他ならぬ神だったのだ。
「大いなる父は、私を許し、再び翼を与えてくださいました。天使としての力も見ての通り、封印を解かれたのです。その上で、私は再び地上に戻された…さきほども言いましたが、また天界を追放されて堕天使とされたのです」
「何故だ?」
「シャウラ様とウィーダ様は特別なのです。古の盟約により、お二人には生まれた時に特別な祝福が与えられているのです。ですから、天はそれ以上手を出すことはかなわない。ご自身の力をもって、魔を倒していかなければならないのです」
それを聞いて、シャウラが眉を寄せた。
「待て、ミラノ。お前の過去の話は分かったが、そこから先が分からない」
さらに続けようとするミラノを制して、彼はたずねた。
「ベルフォードも言っていたが、私とウィーダが特別、というのは一体何の事だ?お前は知っているのだろう?それならば、教えてくれないか」
「…そうですね」
一瞬の間をおいて、ミラノはうなずいた。
「いつか折を見てお話しようと思っていたんです。お二人のことについて」
まずシャウラ、そしてウィーダをゆっくりと見つめ、一呼吸してから言葉を続ける。
「まず…私のような天使や、逆に魔人たちと交わって、その血と力とを受け継ぐ人間が生まれることがあるのはご存知ですよね。あまり数は多くないですけれども」
「ああ」
相槌をうつシャウラ。
「そして、そのようにして生まれた光の力を持つ子供と、魔の力を持つ子供が交わった場合は、というと、これは二つの力が相殺してしまい、力は消えるか、もしくは濃い方の血の力が受け継がれる事になります。しかし、例外があります」
「それがベルフォードの言ってたお伽話、ってヤツか?」
クザンが口をはさむ。ミラノは大きくうなずいた。
「そうです。ごく稀に、二つの力が相殺せずに混じりあい、両方の血をもってさらに力を増す…それが、お二人なのです」
そして、彼女は代わる代わる二人を見つめた。
「ただ…」
「ただ?」
「普通の人を超える力を持つために、心身に何らかの異常をきたす事が多い、とも聞いております」
かすかに驚きの表情を見せているシャウラと、最初からじっと立ち尽くしたまま、無言のウィーダ。ミラノは黙ったままの彼を見て、少しさびしそうに顔を伏せた。
「シャウラ様…ウィーダ様。私がお話出来ることは以上です。よろしいでしょうか…?」
「ああ。私はな」
シャウラはそう言って、傍らのウィーダを見た。
まぶたを閉じたまま、彼は唇を引き結んでいた。何かを我慢しているかのようなそんな表情に、みるみるミラノの顔が曇っていく。
「おい、ウィーダ。何か言う事はないのか?」
「…色々とあり過ぎる」
低い声で彼は応えた。
「だが、一つだけ聞こう」
脅えるように固まったミラノの肩に手を置いて、ウィーダは尋ねる。
「もう二度と、私の側から離れないと誓えるか?」
「…は、はい!」
たちまち天使の顔が輝きに満ちた。
「もちろんです、ウィーダ様!」
そのまま彼女は主人に抱きついて、無邪気に笑った。
「何があっても離れません…ウィーダ様が神に召されても、それから後も、ずっとご一緒に」
「うわ」
クザンが苦笑して、シャウラに耳打ちした。
「こいつ、死んでも永遠についてくるつもりだぜ?」
「いいではないか。何がいけないのだ?」
真顔で答えるシャウラに、さらにクザンは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「…分かった分かった。お前もアレだからな、それでいいってコトにしといてやるよ」
「おい待て、どういう意味だ?」
しかし、クザンは笑うばかりで答えなかった。
「それでは、元気でな」
そう言って背中を向けたシャウラに、リィネが手を伸ばしかけた。
「…リィネ?」
タカがとっさに声をかけると、彼女はびくっとしたように伸ばした方の手を反対の手で押えた。
「どうしたんだ」
「わたし……」
しばらく前にサファに言われたことを思い出し、うつむいてしまう。
「俺はシャウラたちと一緒に行く。今回の礼をしたい」
自分もついて行く、と言ったのだが、それはあっさりと却下された。それもそのはず、彼女は戦うことが出来なかったのだから。
魔法は使える。普段から、練習はしていた。だが、実際に戦場に立った時、リィネは震えて何も出来なかった。タカに引っ張られ、サファの後ろに隠れ、守られて震えているだけだった。
あんなに小さいクプシでさえ我慢していたのに、わたしは…わたしは、怖くて泣いてしまった。
「…でも、やっぱり一緒に行きたい」
小さな声で、彼女は言った。
「え?今、何つった?」
「シャウラさんたちと一緒に行きたいの…ダメかな?」
「サファと約束しただろ?ここで待ってるって」
「うん…」
「あいつと離れたくないからっていうのは、なしだぜ。みんなの足手まといになるのは分かってるだろうが」
幼馴染だからこそ、タカはきつい事を言って止めてくれる。リィネの目に、また涙がにじんだ。
「分かってる…でも、みんなが頑張ってるのに、わたし、何も出来ないで待ってるだけって嫌なの」
「でもなぁ」
「今度はちゃんと戦うから…ごめんね、タカ」
そして、彼女は駆け出した。
「待って、シャウラさん!やっぱり、わたし、一緒に行きます!」
もうすでに歩き出していた影が立ち止まって振り返った。
「おい、本気か?」
タカの問いにうなずいて、リィネは足を踏み出した。
「わたし、強くなる…頑張りますから、よろしくお願いします」
頭を下げる彼女を、彼らは何も言わずに笑って迎え入れる。
「あ…おい、待てリィネ!」
タカもあわててそれを追った。
「しょーがねーなぁ、全く!」
そんなこと言っても、片思いでも、守ってやらなきゃならないんだから。
お気に入りのボウガンを抱えなおして、彼もシャウラたちを追った。