第六章 砂漠の王(1)
ファネルを後にして数日、鬱蒼とした森を抜けた途端に眼前に広がった光景に、シャウラ以外はみな一様に驚きの表情を見せた。
一面の赤い砂。太陽に照らされて、ゆらゆらと陽炎が立ち昇る様は、まるで大地が燃えているかのようだ。風が吹くと、ざらつく感触が肌にまとわりついた。
「これは砂漠か」
ウィーダが言った。
「ああ。少しまた広がっているような気がする」
シャウラは答えて、首をめぐらせた。砂漠と草地のちょうど境界の辺りに小さな町が見える。何年か前に見た時には、あの町はまだ緑の中にあったはずだった。
「しかし、どうしてこんなところが砂漠に?」
「この大陸、そんなに雨が少ないところじゃないぜ」
リィネとタカの質問に、シャウラはうなずいた。
「お前たち、知らなかったのか?」
「だって、その森を越えてこっちに来る事なんかなかったですから」
「それならば知らなくとも仕方ないか」
彼は赤い砂漠を見て、目を細めた。その表情は、怒っているようにも見えた。
「私がまだ幼い頃の話だ。ウェグラーがここで魔法の実験をしたそうだ」
膨大な魔力は暴走し、辺りを焼き尽くして草木の一本も残らなかった。しかも、その影響は実験が終わってもなおこの地に残ってしまった。正常な空気の流れがよどみ、狂った炎の精霊が棲みついて、町は砂漠になった。生き残った人々は、わずかなオアシスにしがみつくように生きるしかなかった。
「オアシスをたどりながら、西へ抜ける。そうすれば、ウェグラーの居城はすぐだ」
そう言って、シャウラは陽炎がゆらめく先を指差した。
「ラードラ、お前は先へ行って待っていろ。分かるな?城に戻るんだ」
「クアーッ!」
グリフォンは一声鳴くと、羽ばたいて空へと舞い上がった。しばらくの間、みなの頭上を旋回していたが、やがてもう一度シャウラに方向を示されて、そのまま消えていった。
「あれ?いいのか?」
「ああ。どうせすぐに追いつく」
そして、懐から顔の半分ほどを覆う仮面を取り出した。何の説明もしないままそれを顔につけ、長い金髪を束ねる。
「我々はまずはあの町へ寄って、砂上船を借りねばならないがな」
「おい、シャウラ…何やってんだ?」
「これか」
アシルの問いに、彼は苦笑とも取れるような笑みを浮かべた。
「この辺りの町の者は、私のことを知っている。魔人として、幾度となくみなを痛めつけてきたのだ」
そして、地味な色のフード付きのマントを取り出して羽織る。
「そんな格好の方が目立たないか?」
「いや、大丈夫だ。みな、熱と直射日光から身を守るためにこのような格好をしている。砂漠に入れば、お前たちもこういう格好にした方が身のためだ」
仮面をつけ、黒い衣服を覆い隠すと、ずいぶん雰囲気が変わる。クプシが足元から見上げて、おっかなびっくりといった声をあげた。
「うわぁ…なんか、シャウラお兄ちゃんじゃないみたい」
「それなら良い。だがな、クプシ」
わずかに歯を見せ、彼女の唇に指を当ててシャウラは言った。
「町に入ったら、決して私の名前を呼んではいけない。他のみなも同じだ。私の仲間だと見なされれば、お前たちにもどのような苦難が降りかかるともしれない」
「マントを十人分。それから、それだけの人数が乗れる砂上船を借りたい」
「はいよ、ちょっと待っとくれよ」
シャウラに言われるまま、ウィーダは宿の主人に告げた。愛想のよい主人は、すぐに手配をしてくれたが、クプシの顔を見て少し不思議そうな顔をした。
「そっちのお嬢ちゃんも、砂漠を渡るのかい?」
「え?う、うん…そうだけど」
「これだけの大人数で、しかもそんな子供をつれて、兄さん、一体どこへ行くつもりだい?」
一瞬答えにつまるウィーダ。その後ろでは、クザンとサファとがシャウラを隠すようにさりげなく並んで彼を後ろへと追いやる。
「あの…知人がいるんです」
ウィーダの横からミラノが答えた。にっこりと微笑んでクプシを抱き上げ、よどみなく嘘をつく。翼は隠しているが、その笑みは天使のものに違いない。宿屋の主人は吸い込まれるように彼女の顔を見つめた。
「この子を預かっていたんですけど、返して欲しいと連絡がありましたもので」
「ふ〜ん…」
「後ろのは護衛だ。私はこの通り目が見えぬし、この辺りは色々と物騒だと聞いたのでな」
ウィーダがそれに合わせると、宿屋の主人はようやく納得したようにうなずいた。
「まあね、用心はしといてもし過ぎるってことはねぇ。最近は少し落ち着いてるけどな」
飲み物を用意しながら主人が笑う。
「ちょっと前までは金髪の魔人がよく出没してたんだ。来るたびに町の人間を一人殺しやがる。全く無表情で、不気味なヤツだったが、最近は来なくなったよ。どっかで冒険者にでも倒されたんだったらいいんだが」
「…そうか」
ウィーダは詰まりそうになる声をごまかしながら返事をした。
彼ならここにいる。罪を認めて、今はみなのために戦っている。
言いたくても言えないことを飲み込み、彼は笑顔を作った。
「他の魔物はどうだ?何か出るのか?」
「あまりいないね。西の城の廃墟には、なんか棲みついてるって噂だが、特に悪さしてるとも聞かねえからな。多分噂だろ」
「ふーん…なるほど、分かった。参考になった、ありがとう」
「いやいや。そのお嬢ちゃんが無事に親御さんのところへ着けるといいな、と思ってさ」
目を細めて、とても大切なものを見るような優しい顔で少女を見て、宿の主人は言った。
「ありがとう、おじちゃん」
にっこりと笑ってクプシが答える。
「お気遣い、感謝いたしますわ」
「じゃ、そこら辺で休んでてくれ。船の準備が出来たら知らせるから」
「すまないな」
大丈夫、シャウラのことはばれていない。
ほっと胸を撫で下ろしながら、ウィーダはテーブルについた。
砂上船というのは、砂に沈まないよう車輪の代わりにそりが付いている馬車のようなものである。砂の上を滑っていきやすい様に形が船型をしているので船と呼ぶだけで、実際は獣に引かせて進む。
砂漠にあふれた魔力によって巨大化した二匹の砂鼠は見た目よりもかなり足が早く、一晩の間に二つオアシスを飛ばして、一気に砂漠の中央辺りまで走った。その分、船に乗っている人間がかぶった砂の量もなかなかのものであったが。
「お風呂!お風呂入る!」
明け方近く、オアシスの町にたどりついたクプシは開口一番そう言った。
頭からすっぽりマントをかぶっていても、細かい砂はどんどん入ってくるのだ。クザンに抱かれて船を降りた彼女は、地面に降りるなりマントを脱いだ。髪の毛に触ると、さらさらと音を立てて砂粒が落ちる。
「ウチのお姫様もこうおっしゃってることだし、まずは宿屋でも探すかね」
「そうだな」
適当な場所に船をつないで、一行は町の中へと足を運んだ。
明け方は、砂漠では適度に涼しくて一番心地よい時間帯である。大通りには露店が並び、人々がごった返していた。
「にぎやかだな。私が想像していたのよりも人が多いようだ」
ウィーダがシャウラに寄り添いながら言った。
「気をつけなければならんな」
マントの前をぐっと押え、低い声でシャウラが答える。その周りをクザン、サファ、タカといった背の高いメンバーがさりげなく取り囲む。
「まあ、これなら大丈夫だと思うけどな」
あまり背の高くない他のメンバーがさらにその周りにつく。
ミラノは、昨夜一晩眠れなくて足元がおぼつかないクプシを抱き上げた。
「大丈夫?すぐに宿を探しますから、そうしたらゆっくり休むといいですわ」
「…うん」
眠い目をこすってうなずき、そしてふと、こちらを向いている視線があるのに気が付いた。
「……?」
見ると、すれ違う人々が、ちらりちらり彼らの方を見ている。クプシはぎょっとして、ミラノの首筋にしがみついた。
「なんか…みんな、こっち見てるよ」
「…そうですね」
眉を寄せ、彼女はシャウラの方と、町の人々とを見比べた。
今のシャウラは、ごく普通の青年にしか見えない。日焼けを防ぐために仮面をつけて歩いている者も多いのだ。そんなに目立ってはいない。
では、一体誰が、と振り返って、ミラノはみなの注目を集めているのが誰か悟った。
「ねえ、もしかして」
同じ事に気付いて、クプシが言った。
「みんな、あたしを見てる…?どうして?」
「分かりません」
困惑した様子でミラノが答える。だが、わざわざ立ち止まり、クプシの顔をつくづくと眺める老人までいる。
「あたし…もしかして、お兄ちゃんに似てる?」
「いえ、それは違うと思います」
従兄妹とはいえ、シャウラとクプシはあまり似ていない。金髪碧眼、面長で整った顔立ちのシャウラとは対照的に、クプシは丸顔、栗色のくるくる巻き毛である。従兄妹だと言われなければ、血の繋がりがあるとは思わないだろう。
「とにかく、早くどこかへ入ってしまいましょう」
そう言ってミラノが老人に背を向けた時。
「お待ちくだされ、お嬢さん方」
びくっ、とクプシが肩を震わせた。ぎゅっと彼女を抱きしめて、ミラノが笑顔を作った。
「はい、何でしょう?」
だが、その口をついて出た言葉は、二人の、そしてみんなの思っていたものとは全く違っていた。老人は、信じられないといった表情で尋ねた。
「もしかして、そちらの小さなお嬢さんは…王女様ではござらぬか!?」
その昔、この辺りがまだ緑にあふれていた頃、ここには小さな国があった。その名は、バスラム。
国王夫妻には二人の美しい姫がおり、国民もみな豊かに暮らしていた。姉姫は見目麗しい旅の詩人を花婿として迎え、可愛らしい王子にも恵まれ、絵に描いたような幸せな生活があった。
十二年前、魔人将軍ウェグラーが現れるまでは。
突然現れて王国の西の端に禍々しい城を作ったかと思うと、多くの魔物を王城に送り込み、多くの民を、そして国王夫妻を虐殺した。強力な魔法をもって王都を焼き尽くし、辺りを砂漠に変えた。
姉姫の婿である詩人も、その戦いの折に死んでしまったが、二人の姫と幼い王子は何とか国を脱出し、助けを求めて海を渡った。
「それきり、お三方は戻っては来られんかったが…しかし、それにしても」
王女たちが生まれる前から、厩番として側に仕えていたという老人は、テーブルをはさんで向かい合った少女をつくづく眺めて溜息をついた。
「お嬢さんは、姫君たちによく似ておられる」
一斉に口を開こうとする仲間たちを制し、ミラノがゆっくりとたずねる。
「もしかして、その姉妹の王女の名前は…ライラとマァナ、というのではありませんか?」
みなが息を飲んで答えを待つ。
「よくご存知じゃな、旅の人」
ぱっと顔をほころばせて、老人は笑った。
「もしかして、こちらの出身の方かな?」
「そう…だ」
ウィーダが眉を寄せる。
「そうに違いない」
クプシの顔は強張っていた。差し出されたミラノの手を爪が白くなるほど握りしめ、彼女はじっと老人の顔を見た。
そして、シャウラも、食い入るように老人を見ていた。
「それではご老人、もう一つ答えてくれないだろうか」
彼の気持ちを代弁するかのように、ウィーダが続ける。
「ライラ王女の息子の方は…名は何と?」
「シャウラ王子と申される」
その瞬間、場の空気がピン、と張り詰めた。だが、老人はそんな雰囲気に気付くはずもなく、言葉を続ける。
「少し前まではその名を騙る不届きな魔人もいたがな。まあ、ライラ姫のご子息ならば、その様なことはするはずがない」
がたんっ。
無言で、シャウラは立ち上がった。
はっ、と息を飲んで、全員が彼を見る。
何も知らない老人も、何事かと言うように顔を上げ、立ちすくむ仮面の男を見た。
が。
「急用を思い出した」
彼はそれだけ言い残すとくるりとみなに背を向け、すたすたとドアに向って歩き出した。
「シャ…あっ、くそ、おい」
あわててランディが後を追う。
「お兄ちゃん!」
「大丈夫です」
今にも飛び出しそうなクプシにそっと微笑みかけて、アンディも立ち上がった。
「僕も行きます。心配しないで」
靴音を響かせて宿を出て行くシャウラについて二人は出て行った。