第六章 砂漠の王(2)
「とんだ茶番だと思わないか」
二人が追いつくのを待っていたのか、壁にもたれてシャウラは言った。仮面に覆われていない口元には、人を嘲るような笑みが浮かんでいた。
「あの老人の話が真実なら、私は正真正銘の愚か者だ」
仮面に手をかけ、それを外す。金色の前髪が顔に落ちて、影を作った。
少し離れたところでは、人々が楽しげな声をあげて行き交う街路がある。だが、シャウラは家の陰に隠れるように立って、地面を見つめていた。
「この国を守るべき立場でありながら、民を手にかけて喜んでいたとはな」
「それはお前のせいじゃねーだろ?」
ランディが言う。
「お前は操られてたんだ。知らなかったんだからしょうがねぇだろ?」
「結果が全てだ」
その傍らで、アンディは言葉もなく立ち尽くした。何を言っても、気休めにしかならない事は分かっていた。
彼はもう、王子ではない。この町の人々にとっては、憎むべき魔人にしかすぎない。
「奪ったものを返せるのならば、償うことも出来るだろう。だが、もう遅い」
「シャウラ…」
「どのみち、ここに長居は出来するつもりはない。しっかり休んでおけ、夕方にはまた出発する」
そこまで言って、彼は目を細め、何かを確認するかのように顔をあげた。
二人がその視線の先を追うと、街路の向こうの建物の後ろに砂煙がもうもうと舞い上がっているのが見えた。それはみるみるうちに大きくなり、すぐにボコッ、という鈍い音とともに膨れ上がった。
「…砂蟲か!」
町の人々から悲鳴があがった。
魔人将軍の残した魔力は、自然も動物たちも激しく変えてしまった。無害だったはずの小さな虫も、巨大化して人を襲うのだ。
不気味な砂色の芋虫は、建物をぶち壊し、街路へと踊り出た。大きくなり過ぎた体は街路いっぱいに広がり、押された建物がミシミシと嫌な音を立てる。
「逃げろーッ!」
「早く、こっちへ!」
たちまち町は混乱の中へと叩き込まれた。
ランディとアンディはうなずきあい、シャウラを振り返って言った。
「オレたちだけで何とかする」
「シャウラはここにいて下さいね」
「お前たち?」
止める間もなく、二人は砂蟲めがけて駆け出していった。
軽い身のこなしで建物の上に立ち、ランディは刀を構えた。アンディが祝福の呪文を唱えると、銀色の刃がほのかに輝きはじめる。
「くっ…大丈夫か!?」
刀はやすやすと柔らかい蟲の横腹を切り裂いていく。ところが。
胴体の三分の一の深さに及ぶ傷をつけられても、魔物は弱まるどころか、むしろいきり立って大きくその身をよじらせた。
「うわッ!」
「ランディ!」
シャウラは剣を抜いた。振り落とされたランディが、今度は胴体の下敷きになりそうになっている。
咄嗟に蟲の眼前に踊り出て、シャウラは魔剣をふるった。
「ふしゅううぅぅ…!」
顎が動いた。マントのはしに食いつき、引きずり倒そうとする。
「このっ…!」
剣の先から血の雫が舞う。マントが破れるのも構わず、力任せに口から剣を押し込んで、シャウラは蟲を両断した。
一方で胴体をまっぷたつにされ、ようやくその動きが止まる。体液が流れ出して、なんともいえない苦い臭いが辺りに漂い始めた。
「ランディ、無事か?」
薄黄色い体液にまみれた剣を二、三度振ると、刀身から滲み出た鮮血がその汚れを洗い落とす。地面に赤い血溜まりが描かれる。
「あ〜あ、参った参った」
あっけらかんと答えながら、ランディが姿を見せた。
「ッたく、きったねぇなぁ」
「すみません、結局手伝ってもらってしまって」
「構わん」
シャウラはすっと剣を上げ、それからいつもの通り、流れるような手つきで鞘に収めた。
その時。
「魔人だ」
遠巻きに様子を見守っていた人垣の中から、そんな声がした。
「魔人だ!」
「シャウラだ!」
「しまった…!」
マントは破れてしまっていた。朝の光で、まぶしいほどに長い金髪が輝く。それとは対照的に、全ての光を吸い込んでしまうような漆黒の衣服。血をまとう魔剣。
誰もが忘れられない、彼の姿。
振り向くと、誰もが憎しみをあらわにして彼を見つめていた。
「うわっ…こっち見たぞ!」
そして、その一声で。
わあああッ…!!
クモの子を散らすように、人々は逃げ出した。
泣きわめき、許しを乞いながら。
「お、おい!待てよ、みんな!」
だが、誰もランディの言葉に耳を傾ける者はいない。ほんの数瞬後には、そこは無人の閑散とした街路と化していた。
ウィーダたちのいる宿屋のドアが、バン、と音を立てて開かれた。何事かと問う間もなく、数人の町人がばたばたと駆け込んできて、またバン、と扉を閉ざす。
息を殺して外の様子をうかがう彼らに、老人が声をかけた。
「みな、どうした?」
「ヤツだ!」
若い男が吐き捨てるように答えた。
「あの魔人、戻ってきやがった」
「何だと?」
その言葉に驚いたのは、老人だけではなかった。
振り返ったウィーダが声をあげた。
「魔人とは…まさかシャウラか?」
「ああ、そうだ!」
力強くうなずく町人たちに、ウィーダたちは一様に顔を曇らせた。
「あいつ、何をやらかしたんだ?一体」
「分かりませんけど…とにかく顔がばれてしまったのでは」
ひそひそと相談する彼らの向うでは、扉にかんぬきがかけられ、机と椅子がバリケードよろしく積み上げられ始めていた。
「うわ!何やってんだ、あんたら?」
「あんたたち、旅の人だろ?だから知らないんだよ」
びっくりして尋ねるサファに、中年の女が答えた。
「恐ろしい魔人が来たのさ。殺戮と血に飢えている魔人がね。死にたくなければ、こうやって魔人があきらめて帰ってくれるまで、じっと隠れて待つしかないのさ」
「そんな…」
それでは、今頃シャウラは、誰もいなくなった町の中にぽつんと一人取り残されているというのか。
「いいからこっち来い、サファ」
バリケードの前で立ち尽くすサファを捕まえ、クザンが強引に座らせた。ぐっと肩を引き寄せ、耳元で言う。
「迎えに行くつもりならやめた方がいい。今、この状況で奴を連れてきてみろ。町の人はどうなる?」
「でも、シャウラは」
「あいつなら平気だろ…冷たい言い方だけどな。そのぐらい、自分だけでも乗り切れる奴だ。アンディたちも一緒なんだし」
それよりも、と大柄な拳闘士はあごをしゃくってテーブルの向うを示した。
「あっちの心配した方がいいんじゃねぇか?」
天使の腕にしがみつき、震えている少女。
遠目から見ても分かるほどに、クプシは蒼白になっていた。老人の話を聞いていた時からかなり動揺している様子だったが、シャウラが出て行き、それが原因で人々が脅えていると聞いて、さらに落ち着きを失っている。
「すみませんが、ご老人」
ミラノがとうとうクプシを抱えなおして立ち上がった。
「私たち、部屋に上がって少し休ませて頂いてもよろしいでしょうか?長旅を続けてきましたので、この子も疲れております」
「お、おお、そうじゃった」
固い表情になっていた老人がたちまち顔をゆるませた。
「王女様はお疲れじゃったな。続きはまた後でお話し致しましょうな」
小さくうなずくクプシ。
「それでは、失礼致します」
ミラノが一礼すると、一緒にクザンとアシルも立ち上がった。クザンに引かれて、ウィーダも立ち上がる。
「俺たちはもう少しここで様子をみてる」
サファとタカ、リィネが心配そうに言うと、ウィーダがうなずいた。
「その…例の魔人について、何かあったら知らせてくれ」
「最初からそのつもりだ」
「さ、早く行った行った」
三人にうながされ、クプシたちは二階の客室へと入った。
「少し眠った方がいいのではありませんこと?」
ベッドに横たえられ、そう尋ねられた少女は、ミラノの手を握ってまた首を振った。
「お兄ちゃんが心配だよ…あたし」
「大丈夫だ、ランディとアンディが一緒にいるはずだ。それに、恐れられているのなら、傷つけられる心配はあるまい?」
「うん…でも」
伏せられた目が宙を泳ぐ。しばらくして、彼女は、思い切ったように自分の襟元に手を差し込んだ。
取り出されたのは、少し大ぶりなペンダント。トップの部分は革でくるまれ、幾重にも紐がかけられている。それを震える指先でほどいて、クプシは中身を取り出した。
三日月をあしらった紋章に、バスラム王国の文字。
「これね、お母さんがくれたの…ホントは、開けないようにしてずっと持ってなさいって言われたんだけど」
息を呑むみなの前で、彼女はそれを外した。裏返すと、マァナ・イナ・バスラムという名前が刻んであった。
「これは…お母様のものですわね」
うなずいて、クプシは言葉を続けた。
「いつもね、お母さん言ってたの。いつか、王子様があたしを迎えに来るんだって」
幼い娘に何度も何度も言い聞かせられた、お伽話のような本当の話。今思えば、それは、シャウラが戻って来ることを願ったマァナが、自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
「だから、シャウラお兄ちゃんが来た時は、嬉しかった。最初はちょっと怖かったけど…お母さんが言うんだから、この人は本当に王子様だって思ったの」
だから、母に言われるまま、必死で彼について来たのだ。
「それなのに…お兄ちゃんは…お兄ちゃんは……」
大きな目から、ぽろり、と涙がこぼれた。
「…悪くないの…悪くないのにッ……」
一度堰を切ると、もう止めることは出来ない。声は言葉を失い、クプシは顔を覆って泣き始めた。
「クプシ…」
ウィーダが、アシルが手を伸ばす。
「大丈夫だ。君たちは二人きりではない」
「俺たちがついてるじゃないか」
小さな手を握り、クザンが応じる。
「どうにかしてやるから…泣くんじゃねぇよ」
「でも…でも」
うろたえる男三人に優しく微笑みかけて、天使が少女を抱きしめる。
「おやすみなさいな」
そう言って、彼女は背中の翼を広げた。白い羽根がふわりと辺りを包み込む。
「疲れたでしょう?今はお眠りなさい…」
「ひどく嫌われたものだな」
呆然と立ち尽くす三人にかけられた声があった。
振り返ったアンディは、その声の主を見て、一瞬息をのんだ。
「あっ…あなたは!?」
彼の台詞に驚いて、シャウラとランディも振り向く。そこにいたのは、人間としては明らかに大柄すぎる男だった。
赤銅色の肌、朱色に逆立った髪の毛。一行の中で一番背の高いサファよりも頭二つ分は背が高く、一番筋肉質なクザンよりも二回りは頑丈な体格をしていた。立派すぎる上半身を惜しげもなくさらしながら、その男は彼らに近づいてきた。
「だっ…誰だテメェ?」
ランディが刀の柄に手をかけた。が、それを片手で制して、シャウラが答えた。
「久しぶりだな、ファランキオ」
「お前も元気そうでなによりだ」
男は言った。彼が近づいてくると、胸に彫りこまれた炎の刺青が、実は本物の炎であるのが見てとれた。朱色の舌が、形のよい筋肉の上を這うようにゆらゆらと揺れていた。
「シャウラ、こいつは?」
「炎の魔人…炎王ファランキオ」
警戒心を剥きだしにする二人とはうって変わって、シャウラはまるで無防備にその魔人を迎える。手を伸ばせばすぐに届く距離まで来て、ファランキオは足を止めた。
「シャウラよ。よい友人を持ったな」
次に魔人の口をついて出た言葉は、ランディたちの予想とは全く違っていた。優しげな微笑を浮かべる魔人を見上げ、ランディとアンディは固まってしまった。
「……?」
「心配する事はない」
二人の態度を見て、シャウラがかすかに笑った。
「ファランキオは他の魔人どもとは違う。何と言えばよいのか…とにかく、私の味方だ。そうだろう?」
「答えにくいことをさらりと言うのではない」
ファランキオは苦笑する。
「まあ、確かに他の連中はお前を目の敵にしていたがな」
「それだけではない。お前は私をかばっていたではないか。剣も教えてくれた」
「要は、お師匠さんみたいなもんか?」
「そうだな」
落ち着いた様子でシャウラは言った。
確かに、この魔人からはあからさまに邪悪な敵意は感じられない。ランディとアンディは互いの顔を見合わせ、それから身構えるのをやめた。
「ですが…あなたが来られたということは、やはりシャウラを取り戻しに来たのではないのですか?」
「まあ、なぁ」
魔人は腕組みをして、アンディを見つめた。
「だが、わしは力ずくでというのは好まん。あくまでも、シャウラの意思でウェグラー様の元に戻って欲しい」
そこまで言って、また苦笑する。
「最初から無理だとは思ってるがな」
「何だ、分かってんじゃねぇか」
その言葉にランディが笑った。
「いい奴だな、お前」
「…少年、それは魔人にとってほめ言葉にはならんぞ」
ますます苦い顔になるファランキオ。が、それもすぐにまた元の笑顔に戻り、シャウラに向って右手を差し出した。
「ところで、まだその物騒な剣を使っているのだな?ちょっと見せてみろ」
「これか」
留め具を外し、ベルトから鞘ごと取って、シャウラは自分の剣を突き出した。
黒い柄、黒い鞘、そして黒い刀身を持つ細身の突剣は、抜くだけで血の雫がほとばしる呪われた魔剣である。斬ったものの血や脂も、一振りすれば魔剣自体からあふれる鮮血によってきれいに流れ落ちるという魔力のこめられた逸品だ。いつから使っているのは覚えていなかったが、それはシャウラの手によく馴染んでいた。
ファランキオは少しだけ鞘を引いて、涙のように血を流す黒い刀身を確認し、再び鞘に収めた。
「やはり、真の姿を取り戻してはおらんな」
ぽつり、とつぶやいて、魔人は左手に剣を持ち替え、思案するような顔つきでシャウラとそれと見比べる。
「真の姿?」
「封印というか、呪いというか…とにかく、元々これはこのような姿をしているものではないのだ」
そして、すっと剣をシャウラの眼前に出した。
何の疑いもなく、シャウラは剣を受け取ろうと右手を差し出す。
次の瞬間、魔人の拳が一閃した。
「ぐっ…!?」
無防備なみぞおちに一撃が加えられて、膝から崩れ落ちるシャウラ。それを軽々と片手ですくい上げ、肩にかついでファランキオは言った。
「少し預かる。今夜、日が落ちたら、バスラム城の跡に来るといい。お前たち、全員でな」
「おい、待てッ!」
突然のことに刀も抜けず、ただ手を差し出すランディ。
二人の目の前で、魔人は炎に包まれる。真紅のゆらめきが消えると、そこにはもう、何もなかった。