双天の剣

第六章 砂漠の王(3)

 満天の星、落ちる太陽。
 西の空から朱が消えるごとに、吹き抜ける風は冷たさを増していく。
 見上げなくとも夜空の見えるバスラム城の広間は、次第に濃くなる闇を映して灰色に染まりつつあった。
 「これが…王城?」
 約束の時間通りにたどり着いた一行は、砂に覆われた残骸を眼前にしていた。魔物に襲われて破壊し尽くされた建物は、十何年もの間砂嵐にさらされて、まともな場所は石の床だけしか残っていない。あとは崩れ落ち、風化されて、原型の分からない瓦礫だけがごろごろと転がっていた。
 「シャウラ!」
 積もった砂を踏みしめて、ウィーダが石床に立った。
 「私だ、来たぞ!どこにいる!?」
 よく通る王子の声は、反響することなくすっと消えていく。
 が、それに呼応するかのように、広間の中央にぽっ、と一つの炎が灯った。
 「よく来てくれた」
 みんなが見守る前で炎は人の形となり、一呼吸おいてから魔人ファランキオの姿となった。
 そして、その傍らにはシャウラが立っていた。胸を張り、翼を広げたグリフォンの姿もある。
 「お兄ちゃん」
 クプシの顔がぱっと明るくなった。彼女を迎えるかのようにシャウラは一歩踏み出し、無言のまま剣を抜いた。
 「!?」
 とっさに彼女の腕をつかんで引き戻し、アシルはきっと相手をにらみつける。
 その前で、シャウラはゆっくりと円を描くように切っ先で空を切った。
 「あっ…」
 その光景を目にした者が、みな一様に息を呑んだ。
 黒い刀身から零れ落ちたのは、血の雫ではなかった。剣の先が通った軌跡には銀色の残像が弧を描き、それは一瞬の間を置いて、キラキラと星のように瞬き消えていった。
 「これが」
 悠然と微笑んでファランキオが言った。
 「バスラム王家に伝わる名剣、ムーンシェイドだ。どうだ、美しいだろう?」
 星を飛び散らせながら、慣れた手つきで剣を鞘にしまう。
 「魔人将軍ウェグラー様の呪いにより、あのような姿になっていただけだ。これが本来の姿。そして」
 ラードラの背から長い包みを取り上げて、それをほどいた。大ぶりな銀色の槍がその手に握られる。
 「これは、ガルダン王家に伝わる名槍、シャイニーフェイバーだ。知っているな、ウィーダ王子」
 呼びかけられたウィーダは、身を乗り出してうなずいた。
 「…見える」
 「えっ?」
 まぶたは閉じられたまま、しかし顔を上げ、まっすぐに彼は歩き始めた。
 「ウィーダ様っ」
 あわててミラノが追いかける。
 「見えるって、一体どういうことです?」
 「光が見えるのだ。私の目には闇しか映らないが…あそこが、あの一点が輝いているのが分かるのだ」
 指差した先には、ファランキオの握る槍があった。
 「やはりそうか。これは、お前のためだけにあるのだな」
 ファランキオは満足そうにうなずき、両手で槍を掲げた。
 「受け取りに来られるがいい。お返ししよう、ウィーダ王子よ」
 「ありがとう」
 王子に迷いはなかった。白銀の槍は、魔人の大きな手からウィーダに渡される。柄を握り、ウィーダは少し驚いたような顔を見せた。
 「軽い…」
 「だろう?」
 かすかに微笑んで、シャウラが彼の隣に並んだ。すっと切っ先を振ると、太陽の光を思わせる暖かな金色の光がこぼれる。その光を感じて、ウィーダが笑顔を見せた。
 「やはり、持ってきてよかった」
 ファランキオも満足そうにうなずいた。
 「ザカリスはこのような物の価値を解さぬ奴だ。もう少しでそれを壊してしまうところだったからな、わしが保護しておいたのだ」
 「感謝する、魔人ファランキオよ」
 シャイニーフェイバーを片手に、ウィーダは高い所から聞こえる声を見上げた。
 「力が溢れてくるのが分かる…これがあれば、ウェグラーを倒すのも楽になるだろう。だが」
 ふと、その眉を寄せて王子は問う。
 「お前はそのウェグラーの部下なのだろう?私たちにこのような力を与えてもいいのか?」
 「それらはお前たちが持ってこそ真価を発揮するもの。それに…お前たちには、やらねばならぬ事がある」
 ファランキオが力をこめて拳を握ると、指の間から炎がもれた。熱い風に吹かれてシャウラが顔を上げると、その眼前で、魔人はみるみるその姿を変え始めた。
 背丈は人の三倍を越えている。肌も髪も炎そのもので形作られた炎の巨人にその身を変えて、ファランキオは豪快に笑った。
 「賭けをしようではないか。お前たちが勝つか、それともわしが勝つか」
 「待て、ファランキオ」
 わずかに驚いたようにシャウラが応えた。
 「我々の仲間として、共に戦ってくれるのではないのか?私にはお前と戦う理由はない」
 「何をふ抜けたことを」
 楽しげに、魔人は答える。
 「お前たちの手助けはした。だが、わしがウェグラー様の忠実な下僕であるという事にかわりはないのだ」
 「何故だ?」
 ウィーダが問う。その顔には、ありありと疑問の色が浮かんでいた。
 「それならば、私に槍など返さなければいいではないか」
 「弱い者をいたぶるのは趣味ではない」
 「だが」
 「それに、賭けだと言っただろう。賞品も用意してある」
 握っていた巨大な手を開く。手の平の上には、一つの人影があった。
 目を閉じて横たわる女性。
 「マ…マァナ伯母さん…?」
 呆然と見上げるシャウラの代わりに、アシルがその名を呼んだ。
 「…あ……」
 思いもかけなかったその姿に、クプシはただ立ち尽くしていた。
 「お…お母さん…なの?」
 「お前たちが勝ったら、彼女を返してやろう」
 ファランキオはそう言って、手の平を閉じた。吹き上げた炎が細く絡まりあい、鳥篭のように彼女を包む。それを上空高く差し上げて魔人は笑う。
 「だが、わしが勝ったら」
 ふいに金色の目が細められた。
 「この女は殺す」
 牙を見せて笑うその顔は、今までの態度とはかけ離れていた。
 「そして、シャウラとウィーダ。お前たちの命も、もらうぞ」
 ぞっとするような、冷たい表情。とっさにシャウラはウィーダの腕をつかみ、数歩退いた。
 「ファランキオ…何故だ。何故、我々が戦わなければいけない!?」
 だが、彼の問いに答えはない。魔人はただ笑い、そして言った。
 「準備はいいか?さっさと始めるぞ!」

 今までの相手とは違い過ぎた。
 ファランキオはあまりにも強く、大きかった。近付こうにも、手の平から鞭のように炎が延びて誰の攻撃も受け付けず、かといって魔法でも大したダメージは与えられなかった。
 シャウラの雷の魔法はあまり効果がなく、ウィーダの氷の魔法はあっさりと相殺される。天使とはいえ、もとより魔力より腕力の方が自慢のミラノもあまり魔法の連発は出来ないし、一番魔力の強いクプシは炎系の魔法しか使えないのだからどうしようもない。彼女が撃ち出すファイアーボールは、炎の魔人に吸収されてしまうのだ。
 「このままでは…負けます」
 聖なる力で防御壁を張りながらアンディが言った。
 「何か…何か、打開策を考えないと」
 だらだらととめどもなく流れ落ちる汗を拭うこともままならないまま、彼は両手を掲げてみなを守り続ける。だが、それも時間の問題であるのは明らかだった。熱気に押されて、アンディの腕がかすかに震えていた。
 「どうした?もう終わりか」
 ファランキオは嘲笑った。何人かを確認するように目で追って彼は言う。
 「まだ本気を出してない者もいるようだが、そんな調子でウェグラー様が倒せるものか」
 「くうっ…!」
 はね飛ばされ、倒れていたシャウラが立ち上がった。
 「本気でないだと?そんな…はず」
 しかし、振り向くと、どうすれば効果的な攻撃が出来るのかも分からず、仲間たちはただうろたえているばかりだった。片膝をついているウィーダ、それに寄り添うミラノ。いつも元気なクプシでさえも、杖を握りしめて呆然と地面を見つめている。
 「お前たち…ッ!」
 このままでは。
 そう思った瞬間、アンディの膝が崩れた。防御壁が弱まったその隙をついて、魔人が腕を振るった。
 「アンディッ!」
 大きな炎の球が、彼の目の前に迫る。だが、アンディは避けようともせずに両手を広げた。まるで、自分一人で受け止めてみせるとでも言うかのように。
 「いやーッ!!」
 悲鳴があがった。
 リィネが両の拳を握りしめ、力の限りに叫ぶ。
 そして、彼女がすうぅ、と息を止めた瞬間、ばしゃあっ、と派手な水音がした。
 「えっ?」
 一番驚いたのは、今まさに、炎に包まれようとしていたはずのアンディだった。
 頭から見事にびしょ濡れになった彼は、人形のようにゆっくりと首をめぐらせて、背後を見た。一瞬で彼を包み込んだ水の幕が弾けて、激しい業火を消し止めたのだ。
 「あ…あの、わ、わたし…」
 当のリィネは、自分が何をやったか理解できない、といった顔でアンディを見つめていた。
 傍らには、呆然と口を開けたままのサファ。タカが、にっ、と笑った。
 「やっと出来るようになったな」
 うろたえる幼馴染の肩をぐっとつかんで、タカは言った。
 「次は、今のをあいつにぶつけるんだ。出来るか?」
 だが、ぶるぶると震えるように頭を振って、リィネはうつむいた。
 「それは…」
 ついて来るとは言ったものの、今の彼女に出来るのは、それが精一杯だった。
 誰かを傷つけるのが怖い。それが例え敵であっても。
 「今のは…何も考えてなかったから」
 手持ちのカードの中で、唯一ファランキオに対抗出来るのは水の魔法。だが、その力を持つ少女は、自分の意思では仲間を守ることすら出来なかった。
 昔、遊び半分で使ってしまった水の魔法が、いつもそばで見守ってくれていた人を襲ったことがあったから。怯えてしまった少年は、今も彼女に住み着いてしまっている。
 「リィネお姉ちゃん」
 その彼女の腕を引く者があった。
 「あたしと一緒にやろ」
 「クプシちゃん…?」
 大きな瞳が、まっすぐにリィネを見上げた。
 「お姉ちゃんの水の力を貸して。一緒にやったら、きっと出来るから」
 目の前に、クプシの杖が差し出される。おずおずとリィネがそれを握ると、クプシが小さな手を重ねた。
 「魔法を使うのは、怖いことじゃないよ」
 小さな少女はそう言って微笑んだ。
 「悪い人を倒して、大事な人を守るの。そうでしょ?」
 「……」
 リィネの目が一瞬、宙を泳ぐ。そして、タカと視線があった。
 「クプシの言うとおりだ、リィネ」
 救いを求めるような彼女の顔に彼はうなずき、静かに応えた。
 「おれは、一度たりともお前を憎んだことはない」
 次の瞬間、ぴちゃ、と小さな水音がした。
 杖の先に、波紋が広がる。泉が湧くように、丸く、水の鏡が広がっていく。
 「声が…聞こえるわ」
 クプシが笑った。
 「誰か来る!」
 リィネが驚きに目を見開く。
 そして、ごぼごぼっ、と泡立つ水面から、それは現れた。


続く

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