紫翼の天使
序章 〜 蟲 〜


 「このっ、泥棒どもーっ!」
 パン屋の親父が怒鳴りつける。下町の雑踏の中を、数人の人影が駈け抜けていく。彼らの手には、それぞれの戦利品がしっかりと握り締められていた。
 「今度来てみろ、絶対捕まえてやるからな〜!」
 親父の声を振り切り、驚く通行人の間を擦り抜けて、やがて彼らは町外れの古びた家に着いた。家というよりボロ小屋に近い。ちょっと突風が吹いたら今にも崩れてしまいそうな建物だが、彼らにとっては大事な隠れ家だった。
 「よし…いいだろう」
 小さな盗賊軍団はボロ小屋の前で盗んできたパンを広げた。頭に巻いた布を取ると、どれもこれもみんな十歳前後の子供ばかりだ。リーダー格の少年は赤毛で、額にバンダナを巻いている。
 「出てきていいぜ、みんな」
 彼が言うと、傍らの小屋の扉が慎重に開かれた。急いで開けると壊れてしまうからだ。
 「うわあ、おいしそう!」
 中から出てきたのはみすぼらしい姿の小さな子供たち。彼らはぞろぞろと小屋の前に出てきて並び、よだれを垂らさんばかりの表情で戦利品を見つめた。
 「さあ、食っていいぜ。いつもの通り、順番にな」
 赤毛の少年が言うと、小さな子供たちから順に戦利品に手を伸ばした。汚い手に一つずつパンを持ち、顔をほころばせる。
 「ありがとう、お兄ちゃんたち」
 「堅く焼いてある奴は取っておけ。柔らかい奴から食うんだぞ」
 「うん、キューブ兄ちゃん」
 数人の小さな子供たちは、数人の大きな子供たちに見守られながら、がつがつと食事を始めた。赤毛のキューブの指示で、大きな子供のうちの一人が近くの河原に走った。川の水を壷に汲み、戻ってくる。
 「ちょっと汚ねえな…しょうがねえか」
 「いいよ、兄ちゃん。僕ら、それより汚いのいつも飲んでるから」
 「…そうか?腹壊すなよ」
 「大丈夫だよ」
 小さな子供たちは笑った。それを見て、今までずっと心配そうな顔をしていたキューブもようやく表情をゆるめた。
 「ゆっくり食えよ。腹減ってるところに急にモノを食うと、吐いちまうからな」
 「大丈夫だよ。ほんっとうにキューブ兄ちゃんは心配性だな」
 「何とでも言え」
 仲間たちに笑われながら、それでも少年は幸せそうだった。やがて小さな子供たちの食事が終わり、保存用の堅いパンは大事そうに布にくるまれ小屋の中へと運び込まれる。
 「それじゃ、ぼちぼち帰ろうかな」
 その様子を見届けて、大きな子供の一人が言った。
 「あ、僕も。いいかな、キューブ」
 「ああ、もちろん。協力ありがとう」
 少年は手を上げた。彼の仲間たちも同じように手を上げ、一人ずつその場を去っていく。小さな子供たちとキューブだけが、そこに残った。
 「ねえ、遊んでよ、キューブ兄ちゃん」
 「ああ、いいぞ。何しようか」
 子供たちに引っ張られ、キューブは立ち上がった。太陽が傾くまで遊んで、ねぐらに帰る鳥の声を聞いて、やっとキューブはさよならを告げる。それは、辛い時刻でもあった。
 「ねえ、きっとまた来てよ。お願いだよ、お兄ちゃん」
 「また来てくれるんだよね?」
 小さな子供たちは涙ぐむが、彼を引き止めることは決してなかった。幼いとはいえ、自分たちが置かれている立場は分かっているのだ。
 「俺は必ずまた来る」
 キューブは言った。子供たちの視線を痛いほど背中に感じながら、何度も振り返り手を振りながら、彼はゆっくりとその場を後にする。
 彼は町に家があった。血は繋がっていなかったが、貧しいながらも心のこもった食事と暖かい寝床を用意してくれる家族がいた。
 だが、この子供たちにはそれがない。彼らを守ってくれるべき親たちは、とうの昔に死んでいた。孤児となり、行くあてのない子供たちは、廃屋になっていたこの小屋に住みつくようになった。
 残念ながらこの町には孤児院はない。それを作れるほど豊かな町でもなかったが、だからこそ町の人は黙ってそれを許してくれた。キューブたちがパンを盗むのも、この子たちのためだと町の誰もが知っているし、だからこそパン屋の主人も目をつぶってくれているのだ。
 …でも、いつまでも続けられるものではない。
 暮れ始める空を見上げて、少年は考えた。
 もし、あいつらに見つかったら――厄介なことになる。
 みんなが安心して暮らせるようになるために、急ぐ必要があった。
 キューブは人込みの中へ戻っていった。

 家に戻ると、暖かいスープの匂いが部屋中に満ちていた。が、キューブは顔を出した途端にまずお玉で一発殴られた。
 「キューブ。あんた、一日中どこをほっつき歩いてたの?」
 「痛えよ、姉ちゃん」
 姉代わりのティムは、文句を言うキューブの鼻先に小さな紙切れを突き付けた。
 「はい。今日の分の請求書」
 「えー!マジかよ!」
 「随分安くしてくれてるわよ」
 「まぁ…そりゃそうだけど」
 彼は紙切れを受け取り、ティムの顔を見上げた。
 それは、今日のお昼に盗んだパン代の請求書だった。事情を知っているから半額にしてくれてはいるが、それでもティムとキューブにはちょっとキツい金額だった。
 「まったく…盗まなくったって、もっとちゃんとお願いすればいいでしょう」
 「だってあのオッサン、俺が店入ったらスグ怒鳴るんだぜ」
 「前科があるからね」
 ティムはくすくす笑って弟に背を向けた。
 「まあいいわ。頑張ってまた稼げばいいもの。で、あの子たち、元気にしてた?」
 「ああ。そろそろ新しい服が欲しいとこだな」
 「…それは盗んじゃダメ。町の人みんなに言って、古着を譲ってもらえばいいわ」
 「そうする」
 言われて彼はうなずいた。
 三年前、怪我をしてぼろぼろになって倒れていたキューブを助けてくれたのはティムだった。親がいないと言ったら、弟にしてくれた。それ以来、二人きりの家族だ。あまり彼女にばかり心配をかけるわけにはいかない。
 「もう少しこの部屋が広かったら、みんな引き取って一緒に暮らせるのにね」
 「…そうだな」
 キューブは顔を上げた。
 本当は、二人暮しでもちょっと手狭だ。だが、格安で貸してもらっているから文句は言えなかった。
 「俺なら…もうどこ行ったっていいんだけどな」
 「何か言った?」
 弟のつぶやきを聞きつけて、姉はぷりぷりと唇を尖らせた。中身の少ない、薄いスープがボウルに注がれる。
 「い、いやぁ、何も…」
 「それならいいわ。さ、あったかいうちに食べましょう。パンを持ってきて」
 「ああ」
 言われる通り、キューブはパンを入れておく布袋をつかんでテーブルの上に置いた。だが、少し軽い。出してみると、二人分にはとても満たなかった。
 「姉ちゃん、もうこれだけしかねえよ。明日の朝飯はパン抜きか」
 「お仕事忙しくて、買いに行く暇がなかったのよ。我慢して頂戴」
 ティムはそう言って顔を伏せた。それは彼女のいつもの癖だった。買いに行く暇がなかったのではない、パンを買う金がなかったのだ。キューブはしばらくの間ためらい、そして尋ねた。
 「なあ…姉ちゃん。俺、もうホントに体大丈夫だし。そろそろ働いてもいいだろ?」
 「だめよ!」
 姉の口調は鋭かった。
 「それだけはだめ。まだ…本調子じゃないでしょう?分かるわよ、それぐらい」
 「でも、俺」
 「いいから!」
 こうなると、彼女は引き下がらない。今までも、いつもいつもそうだった。頑ななまでにキューブを甘やかすのだ。それがティムのたった一つの望みであるようにも見えた。
 キューブはしぶしぶうなずいた。
 「…分かったよ。でも、姉ちゃん、無理すんなよ。倒れたりしたら、俺、困るから」
 「あんたは心配しないでいいのよ」
 ティムはまるで自分に言い聞かせるように小さな声でもう一度言った。
 「…食おうぜ」
 「ええ、そうね」
 油分が少ないスープはすでに冷め始めていた。二人は黙ったままそれを口に運んだ。小さなパンをちぎり、分け合って食べる。
 貧しい暮らし。それでも、二人は幸せだった。

 翌朝早く、この小さな町には似つかわしくない一団がやってきた。
 銀色に輝く鎧兜、誇らしげに天を指す金色のクレスト。上等な馬を並べ、長剣を帯びた男たち。ここからそう遠くはない、リンツの都の聖騎士たちだった。
 「町の住民諸君に尋ねるが」
 おっかなびっくり、珍しいものを見るような様子で集まってきた人々に向け、彼らは馬上から声を上げた。
 「最近、この近辺で盗賊が出没しているという話を聞いた」
 盗賊。その一言を聞いて、住民たちはざわついた。  「我々はその盗賊を捕らえに来たのだ。捜査に協力してくれたまえ」
 そして、聖騎士たちはぐるりと人の群を見渡した。人々は互いの顔を見合わせ、口々に何事か話し合っている。が、誰も騎士たちとは目を合わせようとはしない。あまつさえ、そそくさとその場を後にしようと踵を返すものもいた。
 「待ちたまえ、諸君」
 その様子を見て、騎士の一人がさらに大きく声を張り上げた。
 「何か知っていて隠し事をするなら…諸君らも罪に問われることになるぞ」
 ざわめきはさらに広がった。
 「盗みは罪。それを隠し立てする者、虚偽を並べる者も同じだ」
 あまりにも当然といえば当然のこと。だが、それでもやっぱり町の人々が何かを訴える様子はなかった。
 確かに被害者はたくさんいる。それと同時に、この中には盗賊の親たちもいた。事情を知っていればこそ、誰もが口をつぐむ。
 しばらく待って、やがて騎士たちは告げた。
 「何も知らないと言うならそれもいいだろう…」
 大げさに肩をすくめ、頭を振って彼らは言った。
 「だが、我々も法を犯してのうのうと暮らしている者を野放しにしておくわけにもいかない。我々は、この町を調査する」

 「ねえ、聞いた?」
 仕事から帰ってきた姉は、ベッドに横になっていた弟に向ってそう尋ねるだけなのに、必要以上に声をひそめた。
 「都から聖騎士が来たんですって」
 「…えっ?」
 思わず飛び起きて、弟は目を細めた。
 「マジか?」
 「ええ。広場で言ってたそうよ。盗賊を捕らえに来たって、張り切ってるそうよ」
 「……マズイな」
 唇に指をあて、彼は考え込む。
 彼の盗賊稼業は町の人たちの善意の上に成り立っている。だが、もし、誰か一人でも、彼のことをしゃべってしまったら――全部終わりだ。
 騎士たちに悪意はない。罪は罪、それを平等に裁き、罰を与えるのが彼らの役目だ。それは理解できるけれども。
 その時、小さな部屋の木のドアが乱暴にノックされた。
 「は…はい!」
 ティムがすっとんきょうな声で返事をすると、すぐに外から尋ねる声がした。
 「キューブという少年がここに住んでいると聞いたが」
 「!」
 引きつった顔で振り返る姉に、弟は悠然とうなずいた。
 「…は、はい、そうですけど」
 「では少し失礼させてもらうよ」
 言うが早いか、ドアが大きく開け放たれる。おろおろと立ちつくすティムはまるでいないかのように無視されていた。
 「君がキューブ君だね」
 「ああ。何か用か」
 「少し聞きたいことがあるんだ。正直に答えてくれたまえ」
 男たちは遠慮もへったくれもない様子でずかずかと入り込んで狭い部屋を占領し、二つしかない椅子にどっかりと腰を降ろした。
 「ここ数か月、この町を荒らして回っている盗賊団のことは知っているな」
 「ああ」
 キューブはベッドの上に胡坐をかいた。もともと生意気な面構えだが、そうやって斜めに相手を見上げると、ますます生意気そうな顔つきになる。
 「何でも盗賊団は赤毛の少年をリーダーにしているとの噂を聞いたんだが?」
 「俺を疑ってるんだろう」
 少年は言った。
 「それならそうとはっきり言いやがれ。俺は、まだるっこしいのは大嫌いだ」
 「そうか、いい心構えだ」
 騎士は威嚇するように腕を動かし、鎧の肩当てをがちゃがちゃと鳴らした。
 「君の言う通りだよ。それで、どうなんだね?」
 「そうだよ、俺だよ」
 「!」
 「――なんて言う訳がないだろ。俺じゃなければ当然違うって言うし、だからってもしソレが俺でも、本当の事は言わねーな、普通」
 騎士はじっとキューブの目を見つめた。赤毛の聡明そうな顔つきの少年は、面倒臭そうに騎士を見つめ返した。赤茶色の目は、揺らぐ事無く自信に満ちている。
 「頭は切れるようだな」
 「サンキュ」
 キューブはにやっと笑った。
 「それで?聞くことはそれだけか?」
 「…そうだな」
 「じゃあ、とっとと帰ってくれ。うちはあんたンとこの神殿とは違って狭いんだよ。大人数で来ても、食わせるものもねえんだよ」
 騎士たちは鼻白んだ顔つきになった。
 「…それでは、失礼する」
 ぞろぞろと、重い音をたてながら騎士たちは列を作り小さな扉をくぐっていく。その時、表で叫び声がした。
 「出たーっ!盗賊団が出たぞ!」
 その瞬間、キューブに質問をしていた騎士が振り返った。少年はにやにや笑いながらそこに座っている。
 「ほら見ろ、俺じゃねえだろ」
 「…そうだな。失礼した」
 騎士は軽く頭を下げた。
 「よし、急げ!盗賊団を捕らえるぞ!」
 「はっ!」
 小さな扉はしばらくの間混雑し、やがて、男たちは一人残らずどたどたと足音も荒く表に走り出ていった。それを見送り、呆然と立っていたティムが青い顔で尋ねた。
 「…どういうこと?盗賊が出たって」
 「正義感に燃えたバカがいるってこった」
 キューブは姉を振り返り、とびきりの優しい笑顔を見せた。
 「どこにでもいるんだよな、そういう奴が」
 そして、毛布の下から一枚の赤い布を出した。盗賊をするときにつける、いつもの赤い覆面。町の人たちが見逃してくれる印。
 でも、聖騎士たちは決して許してはくれないのだ。
 「行ってくる」
 少年は、駆け出した。


続く

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