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薄く紅を引いた唇が動いて、言葉を紡ぎだす。
「嘘だ」
オズボーンは、そう答えた。
「嘘ではありません。女神に、誓って」
彼女は胸の前で手を組んで見せる。伏せられた顔には表情がなく、少年はただ呆然と、彼女を見上げた。
「何故だ?どうして、そんな事を言う?」
「今のわたしは、大司教マーロー・レッカート様の婚約者。ここを離れる訳には参りません」
「……それが」
怒りの色を隠そうともしないで、オズボーンは目を吊り上げる。
「それが、嘘だと言うのだ!」
「何故」
今度は彼女が問う番だ。
「女神に仕えるわたしが、嘘など言うはずがありません」
傍らの大司教が、我が意を得たりとでも言いたげにうなずく。
「その通り。虚言は戒律に反します。ましてや、こんな大事な話をしている時に、嘘など」
「それはどうかな」
張り詰めた空気の中に、もう一つ、別の少年の声が響いた。
「俺知ってるぜ。その戒律には、一つ例外があるんだ」
「キューブ!」
カトレアが小さくたしなめたが、もう遅い。スカートの中からいつの間に抜け出したのか、蠍の姿はそこにはなかった。
「闇に与する者は、いかなる手段をもってしてもこれを倒すべし。これって、嘘ついても、何してもいいって事だよね?」
「では、お前たちは」
彼女が笑う。
「自らが、邪悪なる者であると認めるのだな?」
「最初から、生きて帰すつもりなんかなかったくせに」
ソファの上に忽然と少年が現れた。
「結界張ってるの、バレバレなんだよ。それにな」
キューブは、憎々しげに彼女をにらみつけ、吐き捨てるように言う。
「いつまでもサロメ姉ちゃんの格好してんじゃねーよ!ムカつくんだよ!」
「何を、つまらない事を」
サロメの笑顔は変わらない。悠然と少年たちを見回して、勝ち誇ったように答えた。
「わたしは、わたし。誰が、誰の格好をしているって?」
柔らかい栗色の髪を見せつけるようにかき上げる。だが、もう、この場にそんな事を信じている者など、誰もいなかった。
「しらばっくれるのもいい加減にしてよね」
カトレアが言った。
「わたし、もう、これ以上我慢できないわ。いいでしょ!?」
「私も同感だな」
うつむいていたエリスが顔を上げる。一瞬、黒い霧が彼女の姿を包み込む。そして、吸血鬼がその場に姿を見せた。
オズボーンはうなずいた。
「お前の正体、暴いてやるぞ」
小さな拳で宙をつかむと、その中から杖が姿を現す。成長していくように杖は自らを形作り、最後には少年の身長を頭二つ分越えたところで止まった。鉤爪を生やした手の中に握りしめた巨大な紅い石は、持ち主の意思を代弁するかのようにより赤くきらめいた。
「お前たちに、わたしを傷つけることなど出来るものか」
サロメの顔をした誰かが笑う。
「あの時だって、何も出来なかったくせに」
「あの時は、な」
紅玉の中央で、炎のような冥い影がうごめいた。
「今は違う」
少し寂しげに、少年は目を伏せる。
「わたしの知る彼女はちゃんと存在していた。ならばもう、ためらう必要はない」
両腕を交差させて、死霊術師は呪文をつぶやいた。
解放された魔力が竜巻となって、一瞬、部屋の中を吹き荒れた。木製の重いテーブルが、ふわっと持ち上がって、再び床に落ちる。鈍い音が、客間の中に響き渡った。
「本物の彼女を取り戻すまで、容赦はしない」
圧倒的な存在感が、オズボーンの姿を何倍にも大きく感じさせる。
他の魔族たちも、それぞれの本来の姿を現していた。ヴァンパイア、サッキュバス、そしてアンドロスコーピオ。そして、彼らの顔もみな、同じ決意に満ちていた。
「仕方ないわね…マーロー、下がってて」
司祭服の女は、厳しい表情で言った。
「僕は」
「あなたに出来る事は何もないわ」
驚く青年に、にこりともせずに、彼女は続ける。
「もし死んだら、聖人として天界に迎え入れられるようにしてあげるから、安心して」
「な、何だって…!?」
だが、返事はなかった。次の瞬間、彼女と、魔族たちの間で、激しい魔法の応酬が始まってしまったからだった。
その嵐の余波に叩きつけられて、マーローは部屋の片隅でうずくまるより他はなかった。
神殿の廊下は、何故か、しんと静まり返っていた。
「おかしいな」
先に立って歩くシェーンベルグは、角からそっと顔をのぞかせ、慎重に様子をうかがいながらつぶやいた。
「何故、誰もいないんだろう?」
「面倒くさくなくていいじゃないか」
その後ろから悠然とついて歩くラファエルが笑う。
とっくに死んだはずの聖騎士と、大神殿に侵入して捕らえられた悪魔のことは、誰もが知っている。その二人が揃って歩いているのを見たら、大騒ぎになるのは間違いないと覚悟はしてきたものの、逆に誰もいないとなると少々気味が悪かった。
「何を言ってる!」
思わずシェーンベルグは後ろを振り返ってたしなめた。
「お前の仲間がここの人々を皆殺しにしたんだったら…」
「そんな事は絶対にしない」
彼の言葉を途中で遮り、ラファエルはふと表情を硬くする。さらに言葉を続けようとする聖騎士の口を両手でふさぎ、耳元に口を寄せた。
「静かに…誰か来る」
「…!?」
ほどなく、慌しい足音が近寄ってくるのが彼にも聞こえた。一つは軽く、もう一つは少し重く、不規則だった。片方が極端に遅くて、もう片方がそれに合わせている感じだ。
「………」
ラファエルとシェーンベルグはじっと耳を澄ませ、壁に張り付いてもっとよく様子を探ろうとした。だが。
「…あ」
シェーンベルグが、突然情けない声を漏らした。
「どうした?」
「手が」
聖剣カテドラルを握った彼の両手が、ぶるぶると震えていた。
「いや、違う、剣が…勝手に!」
白銀に輝く刀身が輝いて、ぐん、と聖騎士を引いて動き出す。完全に剣に引きずられていくシェーンベルグをとっさに引き寄せ、ラファエルは叫んだ。
「手を離すんだ!」
途端に剣は宙を舞った。角を曲がり、その姿を消す。
「一体どうしたんだ…!?」
「帰るべき場所を見つけたんだ」
呆然とする聖騎士に、悪魔は答えた。
「ぼーっとするな、追うぞ!」
人影のなくなった廊下を確認しながら、二人は走る。だが、彼女の足はさほど早くはないために、時折彼は足を止め、一瞬ずつ待たなければならない。
「ご、ごめんなさい」
神殿の最も奥にある反省房から、入り口付近にある客間までは相当の道程がある。サロメは息を切らせながら、先を見て言った。
「でも、その次の角を曲がったら、もうすぐそこだから」
「大丈夫か?」
「…な、何とか」
胸を押えながら二、三度大きく呼吸をする彼女を、ガイラーは複雑な心境で見つめていた。
自分が人間だと思っているから、走っただけで息があがる。記憶が、戻らないから。
一体、どうすればいい?
また走り出した彼女を追って、ゆっくり走る。
自らの姿さえ失ってしまったサロメを、どうすれば助けられる?
短い赤毛をなびかせる後ろ姿に、ガイラーは自問自答する。体を鍛える方にばかり身を入れて、あまり魔法は得意としていなかったから、何をどうすればいいのか分からない。
「……」
狼は目を伏せた。
その時、手に持った鉄剣がふいに声を上げた。
「何ボーッとしてる!」
「あ?」
「二人とも、前だ!前を見ろ!」
はっとして立ち止まる。
二人の目の前には、空を切る一本の剣があった。
眩しいまでの白銀の輝きが、切っ先をこちらに向けて、真っ直ぐサロメを目指していた。まるで自分を貫こうとしているかのような勢いで飛んでくる刃にすくんだのか、彼女は立ちすくんだまま動かない。
「カテドラル…そうか」
ガイラーはつぶやいた。
「手を出せ、サロメ!その剣を、取るんだ!!」
「えっ!?」
サロメが思わず聞き返す。鋭い刃をきらめかせた剣は、彼女の前で、狙いを定めるかのようにくるくると回転している。自分の意思で動いている剣を、一体どうやって取れというのだろう?
「早く!」
急かされて、彼女はおずおずと両手を差し出した。途端に、剣が突き出される。
「きゃああッ!?」
切っ先は、サロメの手を狙った。それは過たず、ある物めがけて襲い掛かった。
「アクエリアス高司祭!?」
「なんであいつが!」
廊下の角を曲がった二人は、驚きのあまり逃げるのも忘れて立ち尽くした。剣は迷うことなく、赤毛の女司祭を目指して風を切る。
「あのバカ剣…天使だったら誰でもいいのか!?」
ラファエルはつぶやいて、そしてふと、彼女の傍らに見知った顔が突っ立っているのを見つけた。
「ガイラー?」
ますます訳が分からない。
だが、その時、アクエリアスが差し出した掌めがけて、聖剣が突き刺さった。
女性の悲鳴に混じって、ぱきん、と甲高い音がした。
光が溢れる。
「うわ……!」
彼の背後にいたシェーンベルグが、その眩しさに悲鳴をあげた。
「ラファエル、これは……」
辺りが完全に白一色に染まる。だが、驚いたのは最初だけで、彼はすぐにまぶたを開いた。
目を突き刺すような眩しさではない。優しくあふれ出るような温かい光。
「これが…」
そして、純白の翼。
「本当の、姿なのか…」
ぱきん、と甲高い音がした。
息を飲む彼女の目の前で、白金の指輪が砕けて散らばる。粉々に飛び散った欠片はまばゆい光を放ち、一瞬、部屋の中はすべて白に包まれた。
そして、それが収まった時、そこにサロメはいなかった。
褐色の肌、朱色の髪。夕焼け色の瞳をした大柄な女性がそこにいた。
「しまった…!」
さすがのアクエリアスも、驚きの表情を隠せなかった。思わず見つめる左手の薬指から、頼みの指輪は消え失せていた。
対になった指輪をはめた相手とその姿を交換するという映し身の指輪。それが突然、壊れてしまった。
「…何故だ」
答えは一つしかない。もう一方が壊れたのだ。
だが、何故?
狼狽する彼女の前で、魔族が笑った。オズボーンは目を細め、口だけの笑みを作る。
「やはり貴様か、赤毛の女」
その顔が、ふと真顔になった。
「女神の犬よ、何が目的だ?」
「貴様たちに言う必要などないッ!」
だが、アクエリアスは、年老いた少年の質問を一言で突っぱねた。答えの代わりに、握りしめた指の間から魔法の光をほとばしらせて、彼女は叫ぶ。
「まとめて消滅させてやる!覚悟なさいッ!!」
同時に、背中に翼が広がった。あらゆる光を反射して、きりりと白い聖なる翼。
女神の正義を貫いて、邪悪なる者を滅ぼすために、天使は在る。
アクエリアスは、まぶしい光球を放った。
懐かしい想いは、戻った。
聖剣カテドラルは、アクエリアスが苦心して作り上げた映し身の指輪をあっさりと打ち砕き、それと共に封印をも破壊して、今、主人の元へと戻っていった。
この世のあらゆるものよりも白く儚い純白の翼を広げ、白銀の剣を手にしたサロメは、全てを知って、悲しげに目を伏せた。
「……ごめんなさい」
最初に口をついて出た言葉は、謝罪だった。
「ラファエル。ガイラー…シェーンベルグ、あなたにも」
震える声がわずかに詰まる。
「わたし、また…助けられたのね」
戻ってきた記憶が、容赦なく彼女を責めていた。
自分のために、一体どれだけの人が苦しみ、傷つき、奪われてしまったことだろう。あまりにも久しぶりに会う友人が懐かしくて、疑う事もなく近付いてしまったから。彼女が何をしようとしていたのかも分からず、受け止めてしまったから、過ちが始まってしまった。
「わたしのせいで」
「それは、後だ」
だが、ラファエルが続きを遮った。
「今はやらなきゃならない事があるだろ?」
一瞬の間。そして、サロメはうなずいた。
「アクエリアスを止めなくちゃ」
激情型の彼女のことだ。今、この瞬間にも、オズボーンたちを殺そうとしているはずだ。
幸いにして、客間はもう目と鼻の先だった。厳重な結界が張ってあるのをすぐに見てとったサロメは、すっとカテドラルの切っ先を向けた。
「我が片腕、神の剣よ」
言葉に応えて刃が輝く。
「汝が主人、サロメが命じる。光の縛鎖を切り裂いて、我が前に、扉を開け!」
次の瞬間起こったことは、シェーンベルグの目にもはっきりと見えた。
客間の壁に幾重にも張り付いていた光の糸が、ばっさりと両断されて塵となり、消えていく。そして、光の粒が完全に消えると、今度はすさまじい轟音が辺りに響き渡った。
「おっと、危ない!」
シェーンベルグめがけて吹き飛んできた扉を、ガイラーが拳で叩き壊す。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとう」
つくづく彼らが人でないことを思い知らされながら、聖騎士は頭を巡らせた。壊れて、開きっぱなしになったドアの向うには、もうもうと立ち込める埃だけが見える。
「どうする?シェーンベルグ」
ラファエルが尋ねた。
「危険だが…それでも、一緒に来るか?」
「ああ、もちろん」
瞬時に返ってきたその答えに、悪魔と人狼がにっと笑顔を見せた。美しい堕天使は振り返りはしなかったが、その代わり、静かに言った。
「必ず守るわ。もう誰にも、あなたたちを傷つけさせたりしない」
「信じております」
天使様。シェーンベルグは心の中でそう付け加えた。
真の正義は誰にあるのか、もはや疑う余地はない。
「それじゃ、行くぜ」
そして彼らは、迷うことなく踏み込んでいった。