双天の剣 第二幕
〜Princess of Flare〜

序章 式典

 その夜、ガルダンの城下は浮き足立っているように見えた。
 市場の明かりは遅くまで煌々と夜を照らし、人々もそわそわと行き交っている。酒を酌み交わす酔っ払いたちの大声も、今夜ばかりは大目に見てもらえた。
 半年前、魔物の襲撃を受けて、この街と城とは見る影もなく破壊し尽くされた。武勇で鳴らした国王も、たった一人の王子も命を奪われ、誰もが希望を失った。だが、順調に、街はよみがえりつつある。
 もう一人の、生まれた時に死んだと噂されていた王子が生きていて、見事に魔物を倒して国王の仇を取ったからだ。
 王子の名は、ウィーダ・デル・ガルダン・オルト。
 そのまぶたはいつも閉じられて、生まれながらに何も見ることは出来ないが、人々はみな知っている。聡明で穏やかなこの青年が、天にも認められた勇者である事を。そしてその証拠に、彼の傍らに仕える女性が天より使わされた人ならざる高貴な生き物であることも。
 だから、誰もが明日を待っていた。
 夜が明ければ、ウィーダ王子は国王となる。
 正式に王位継承の儀式を行い、名実共にこの歴史あるガルダン王国の王として即位するのだ。
 若くて新しい王の誕生を祝い、街の明かりはいつまでも消えなかった。

 早朝、ウィーダ王子の親衛隊長にして、同時に女官長も務めるミラノ・アルラーシュは、誰もいない廊下を足早に歩いていた。目指す場所は宝物庫。ここに、ガルダン王家に古くから伝わる貴重な聖槍が納められていた。もちろん、即位の式典の折には、新しい王の手になくてはならないものだ。
 だから、最も王子の信頼の厚い彼女は、たった一人鍵を持ち、地階の奥深くにある扉へと向った。
 「よォ」
 が、誰もいないはずの扉の前には、先客がいた。
 「久しぶりだな、ミラノ」
 「……?」
 一瞬身構えたミラノだったが、それがよく見知った顔である事にすぐに気付き、肩の力を抜いた。
 「なんだ、あなたでしたの」
 「なんだじゃねぇだろ。久々に、顔見に来てやったってのによ」
 「よく、ここにいると分かりましたわね」
 彼女は顔をほころばせた。ポケットから鍵束を取り出し、彼に背を向けたまま無造作に鍵穴に差し込む。
 「でも、わざわざこんな所までおいでにならなくとも、ウィーダ様と一緒にお待ち頂ければよろしかったのに」
 重々しい音を立てて、鍵が回った。軽く押すと、扉が嫌そうにきしみながらわずかだけ隙間を開ける。この城も、宝物庫もかなり手荒く破壊されたため、まだ完全には修理が終わっていなかった。少しゆがんだままの扉は、それでもミラノの力に抗えず、ゆっくりと開いていった。
 「相変わらず強ぇな」
 小柄な青年は、ミラノの背中を見ながらつぶやいた。
 彼女は、人間ではない。ごく普通の女性に見えるが、実は天使なのだ。それも、神にではなく、勇者たるウィーダに仕えるために天界を追放された、特別な堕天使だ。
 だから、彼には邪魔だった。
 扉が十分に人ひとり通れるほど開いたのを見計らって、彼は懐から小さな翡翠の香炉を取り出した。驚くほどのスピードで火口を取り出し、一欠けの香に火を入れる。白い煙が、頼りなげにたなびいた。
 「!」
 何の匂いも漂ってくるわけではなかった。だが、ミラノはその存在に気がついて振り返った。
 「それは」
 彼の掌の上にある物体を見て、表情が驚愕から恐怖に変わる。
 「どうしてあなたが、そんなものを…」
 「悪ぃ」
 一言謝って、青年は香炉を足元に置いた。ミラノが数歩踏み出せば、楽に手が届く距離だった。
 しかし、彼女は、そのままその場に両膝をついた。
 「持ってる…の……」
 意思に逆らい、まぶたが閉じる。香炉から立ち昇る、彼女にしか感じ取れない香りが、強烈な眠気を誘っていた。
 ぐらつく体を支えきれず、床に両手をつく。そうやって我慢出来ていたのもわずかの間だけで、ほどなくミラノは、床に倒れた。
 「ホント、悪いって思ってる」
 彼はそう言って、静かに彼女の上を通り過ぎた。扉の隙間から体を滑り込ませ、ほどなく目的のものを見つけて再び廊下へと戻る。
 天使はぐったりと横たわったまま、ぴくりとも動かなかった。
 「…まさか、死んじゃねぇよな?」
 顔の前に手をかざしてみると、規則正しい寝息が掌にかかった。彼は、自分の腕に抱いた聖槍と、昏々と眠り続ける友人とを見比べて、ぽつりとつぶやいた。
 「悪ぃ…必ず、後で返しに来るから」
 そして、足音一つ残さずに、青年はその場を立ちさった。
 後には、香りのない煙をくゆらせる香炉だけが残った。

 朝の光は次第に高くなり、バルコニーから差す光の帯が、足元からゆっくりと遠ざかっていく。
 遅い。
 国王の玉座の傍らで、隻眼の騎士はいらついていた。
 ガルダンの国を預かる騎士団も、魔物の襲撃によりほとんどの者が無残な最期を遂げた。そんな中、フォルド・グレイスマールは、右目を失くしただけで、その命を取り留めた。
 どうして、自分は生き残ってしまったのだろう。彼より強い者はもちろんだったが、弱かった者も、勇敢に戦って散っていった。それなのに自分は、目に傷を負った、ただそれだけで気を失って、そのために魔物の目を逃れ、生き延びてしまったのだ。
 先王に殉じて、死んでしまおうかと何度思ったことか。
 だが、新王が彼を救ってくれた。新しい騎士団の団長として彼を任命し、全権を任せて信頼してくれている。その王のために、彼は全てを捧げようと誓った。
 そして、そのための大切な即位の式典を始める時間が迫っていた。
 「遅いですね…ミラノ殿」
 今度ははっきりと口にして、フォルドは敬愛する新王を見た。
 生まれつき目の見えない王は、しっかりとまぶたを閉じたまま、じっと前方に顔を向けていた。表情はわずかに固く、不安げな面持ちにも見えた。
 「民もみな、待っておりましょうに」
 「…そうだな」
 意を決したように答え、ウィーダは立ち上がった。そのまま青年は、玉座を降りて歩き始めた。
 「へ、陛下、どこへ」
 「様子を見に行く」
 何の支えもないが、城内の様子はよく分かっている。まっすぐに宝物庫への道をたどりはじめた新王を、フォルドはあわてて追いかけた。
 「お待ちください。私も一緒に…」
 その時だった。
 中庭で待ち構えていた人々が、突然わあっと声をあげた。
 歓声ではない。それはむしろ、悲鳴に近い声だった。
 「何事だ!」
 ウィーダは即座に振り返った。
 「フォルド、説明しろ!」
 「は、はっ、ただいま!」
 急いでバルコニーに駆け寄り、下を見下ろす。庭いっぱいに集まった人々は、天を見上げて口々に何かを叫んでいた。
 「…上?」
 つられるように、上を見る。二階に位置するバルコニーのさらに上方から、長い金髪が垂れ下がっているのが見えた。
 「何っ…!?」
 さらに見上げると、そこには、異形の獣が浮いていた。
 鷲の頭に馬の胴体。ヒポグリフと呼ばれる、獰猛で人にはなつかないはずの魔獣だった。
 だが、その背中に、人間と思しき影が座っていた。右腕には金髪の娘、そして左手に、朝陽を浴びて燦然ときらめく銀色の槍を掲げて。
 「それは…シャイニーフェイバー!!」
 フォルドが叫ぶと、覆面をつけた騎乗の人物が笑うように目を細めた。
 「コレはもらってくぜ、騎士さんよ」
 「待て、賊め!」
 とっさに剣を抜くが、届かない。バルコニーの手すりに脚をかけ、憎々しげに自分を睨むフォルドに、賊は楽しげに告げた。
 「ウィーダとミラノにヨロシクな――即位おめでとう、って言っといてくれ」
 「何をふざけた事を…!」
 魔獣が翼をはためかせて旋回した。聖なる槍がこぼす銀色の軌跡を残して、そのまま男は上空へと消えていく。
 「……くそうッ!!」
 大切な秘宝が。あれがなければ、ウィーダ王は…!!
 フォルドはぎりぎりと歯を食いしばりながら、その姿が完全に消えるまで見送った。そして、報告をすべく急いでウィーダの元へ駆け戻る。
 「どうだった?」
 「賊です!」
 立ち尽くしたままの主人の足元に膝をつき、フォルドは叫ぶように告げた。
 「魔獣に乗った賊が、宝物庫よりシャイニーフェイバーを奪って逃げました!!」
 「何!?」
 途端に、ウィーダの顔色が変わった。普段は穏やかや表情しか見せたことがない新王が、あからさまに驚きの表情を浮かべていた。
 「では、ミラノは?ミラノはどうした」
 「それが…その」
 そこまでは分からないし、頭も回らなかった。フォルドは床に額をこすりつけた。
 「も、申し訳ございません!それは、まだ」
 「ミラノがどうなったか、すぐに確認してくれ」
 「はっ、ただいま!」
 隻眼の騎士は弾かれたように立ち上がった。

 柔らかいベッドに横たえられた天使は、静かに寝息を立てていた。
 「ミラノ…」
 主人の呼びかけにも応えることなく、ただ昏々と深い眠りについている。桃銀の髪をそっとなでて、ウィーダは背後の臣下たちを振り返った。
 「原因は分かったか?」
 「はい」
 年老いた学者が一歩進み出て、古びた本を開いて恭しく差し出した。
 「ここに書いてございます」
 だが、ウィーダはそれを読むことは出来ない。フォルドに目配せされ、老学者はあわてて本を自分の方へと向け直した。
 「えー…燃え残った灰を調べましたところ、この香にはあるモノが含まれておりました」
 ゆっくりとページをめくる。
 「それは、この地上には生えてはおらぬ花でございます」
 そこまで言って、学者は言葉を切った。上目使いにウィーダを見上げ、彼の言葉を待つ。新王から何か反応が返ってくるのを期待しているようだったが、ウィーダはただじっと黙っているだけだった。
 「続きを早く」
 フォルドに急かされ、学者は渋々といった様子で再び口を開いた。
 「この花はミッドナイトロータスと呼ばれておりまして、魔界にしか生えておりませぬ。そして、これで作った眠り香は、人ではない者に効くのでございます」
 「人ではない者…」
 その言葉を聞いて、ウィーダは眉を寄せた。
 「では、相手はミラノだけを狙ったということか」
 「そういう事になりましょう」
 学者が重々しくうなずいて、本を閉じた。
 「そして、もう一つ、重要なことがございます」
 「何だ」
 目の見えない国王の前に、今度は翡翠の香炉が差し出された。
 「その香には呪いも込められていた様子にございます」
 「どんな呪いだ?」
 「ミラノ様の…御目が覚めぬよう」
 「!」
 ウィーダは息を飲んだ。
 「それは……本当か」
 数歩進み出た彼は、学者の方を向いて膝をついた。伸ばした彼の手を、フォルドが止めた。
 「詳しい事はもっとよく調べて見ねば分かりませぬ。しかし、明らかに何らかの手が加えられておりまする。香の火が消えましても、効果が続いておりますのがその証拠」
 宝物庫の前で倒れているミラノが発見された時、香の欠片はとっくに燃え尽きていた。それなのに、どんなに呼んでも揺さぶっても、叩いてみても彼女は目覚めなかった。学者たちが調査のために、彼女の側から香炉を持って行ってしまっても、確かにそれは変わらなかった。
 「そうか…そうだな」
 ウィーダはベッドの方に向き直り、力なく投げ出されたミラノの手に触れた。
 魔界にしか咲かない花で作った、呪いのかけられた眠り香。それは――魔獣に乗った賊が残していった物。
 彼は、半年前の魔物の襲撃を思い出していた。
 それは、全ての魔物を統べる者、魔界の主である魔王の腹心、魔人将軍ウェグラーの仕業だった。魔界だけではなく、人の住むこの地上までも手に入れようと、牙をむいて襲いかかって来たのだ。それも、非常に強力な切り札を持って。
 バスラムという小国の王子、シャウラ・ラー・バスラム。
 神をも倒すといわれる、勇者の資格を持つ彼を誘拐して、魔人として育て上げていたのだ。
 結局ウェグラーの野望は叶うことなく、同じく勇者の資質を持つウィーダと、人の心を取り戻したシャウラによって打ち倒されたのだが――
 「分かった。とりあえず、みな下がってくれ」
 嫌な考えを打ち払うように頭を振って、ウィーダは臣下に告げた。フォルドを除く全員が、ぞろぞろと王の寝室を後にする。
 「陛下」
 最後に残った騎士団長がそっと呼びかけると、新王は首を振った。
 「まだ、王ではない。王子でいい…そして、お前も下がってくれないか」
 「は…失礼しました」
 だが、思い悩んでいるウィーダの顔を見ていると、どうしても一人残すことは出来なかった。
 「しかし、殿下」
 「フォルド」
 たしなめられたのかと思った。だが顔を上げてみると、王子はじっと彼の方に顔を向けていた。
 「魔獣に乗った賊は、確かに人間だったのか?」
 「はい、それは間違いなく」
 隻眼の騎士は朝の光景を思い出して、答えた。
 「殿下とミラノ様によろしく伝えてくれと言っておりました…お二人の事を、知っているのでしょうか?」
 「どうやら、その様だな」
 ウィーダは寂しげに顔を伏せた。
 彼とは一緒に長い旅をした。しかし、魔人将軍を倒した後、シャウラは魔物たちと共にどこかへと消えた。
 魔獣を操れる人間。魔界の花を摘める人間。そして、ウィーダとミラノのことをよく知っている人間。
 そんな事をする人物ではないことは、ウィーダ自身が良く分かっていた。それなのに、その条件に当てはまる人間を、シャウラ以外に知らない。
 いつになったら目覚めるのか分からない侍女の手を握り締め、王子は、うつむくしかなかった。


続く

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