最期の歌



 戦歌(2)

 その夜、トゥティアの王城では、盛大な祝宴が催された。被害は大きかったが、何と言っても敵国の皇太子を倒したのだ。居並ぶ人々の顔は、疲れてはいたけれどみな明るく、大広間は笑い声で満ちていた。
 「皆の者、よくやってくれた」
 王はそう言って、杯を高々と差し上げた。
 「よくぞ皇太子デュリートを討ち取ってくれた。これも、テュリアの婚約者、シャライのおかげだ」
 どっと歓声があがった。シャライは王の左隣に立ち、困ったように自分の盃ばかり見つめていた。婚礼用のきらびやかな衣装をまとっている自分の姿に、困惑しているかのように。
 「今夜の宴は帝国に勝っただけではない。我が娘、トゥティア王女テュリアの婚礼の宴でもある。皆の者、テュリアの花嫁姿をよく見てやってくれ」
 その言葉と共に、大広間の重い扉がゆっくりと開かれた。
 人々の口からため息が漏れた。
 大粒のアメジストのような神秘的で美しい少女は、紫と銀で彩られた衣装で飾られていた。この時のために、ずっと前から用意してあった花嫁衣裳。わずかにうつむき、頬を染めた王女は、誰が見ても文句のつけようがないほどの美しさだった。父親ですら言葉を忘れ、呆然と立ち尽くすばかりだった。
 だが、花婿の目は彼女を見てはいなかった。花嫁の手を引いている人物に、彼の心は向けられていた。
 アイティーアは、王女の手を引き、親衛隊長としての最後の務めを果たしていた。長い髪を結い上げ、男装している。彼女のそのきりりとした姿のみを、彼は見つめていた。
 花嫁が、長いヴェールを引きずりながら、広間の中央まで来た時だった。
 ただひたすら、アイティーアだけを見つめていたシャライの手に、誰かの手がかかった。その手は彼の手から無理矢理盃を取ろうとしたため、彼は相手も確かめず、無意識のうちにそれを振り払った。
 「あっ」
 小さな悲鳴を聞いて、シャライは初めて自分の手を相手とを見た。盃の中になみなみと注がれていた酒はあらかたこぼれ、彼の胸や袖にかかっていた。すぐ傍では、一人の侍女が小さくなっている。
 「も、申し訳ございません、シャライ様っ」
 彼女は真っ青な顔で平伏した。
 「グラスを…預からせて頂こうとしたのですが、こぼしてしまいましたっ」
 必死で謝る。幸い、広間にいる客人たちは、テュリアの方にばかり注目していて、壇上の花婿の事などまるで見てはいなかった。
 「すまない、僕の方こそ…」
 悪かった、と謝ろうとして、片手を上げた。
 「シャライ、それは一体、何だ?」
 王が声をかけた。
 「赤い染みが出来ているぞ」
 「赤?」
 こぼした酒は、白いシェリー酒。シャライの衣装は白と青。赤い色など、どこにも使われていない。
 シャライは不思議に思いつつ、うっすらと赤く染まった袖をまくり上げた。そこには、デュリートの髪で編んだ腕輪をつけているはずだった。
 「………これは」
 色は、明らかに髪から滲み出していた。シャライは盃を置いて、急いで腕輪を外した。酒に濡れたデュリートの髪は、シャライの手の上に赤い色を残した。
 「まさか…おい、お前、すぐにこのシェリー酒を持て」
 「は、はい!」
 王の言葉に、侍女は慌てて別のグラスを差し出した。二人はそれを受け取り、赤い髪の腕輪を浸した。数度揺するうちに、酒は毒々しい赤に染まり、髪の色は白く変わった。
 「これは、どういうことだ!?」
 「奴は…」
 うろたえる王に、シャライは答えた。
 「このデュリートは、影武者だったのです!」
 そして、彼は迷うことなく壇上から駆け下りた。
 花嫁は、もう彼の近くまで来ていた。だから、愛する花婿が迎えに来てくれたものと思って、満面の笑顔を浮かべた。居並ぶ人々も、美しい姫君ばかり見ていたので、誰もがそう思ったに違いない。
 しかし、シャライは彼女のことなど見ていなかった。差し伸べるテュリアの腕をすり抜け、広間中央のテーブルに置かれていたデュリートの首の前に立った。
 全員が見ている前で、彼はボトルの酒をデュリートに注ぎかけた。白いテーブルクロスはみるみる赤く染まり、逆に赤い髪はどんどん色を失っていった。
 「やはり…偽者か!」
 幻の術を使わなくとも、顔形の似た者を使えば、死んでも立派に影武者として通用する。よく見れば、その目は精巧に作られたガラスの義眼だった。首の持ち主は、デュリートではなく、炎の種族ですらなかったのだ。
 「目まで入れ替えるとは…だまされた!」
 シャライは怒りにまかせて首を叩きつけた。そばにいた妙齢の婦人が小さな悲鳴を上げた。そして、それと同時に大広間のドアが開かれた。
 「大変でございます!」
 駆け込んできたのは一人の衛兵だった。
 「町が…城が、取り囲まれております!」
 「何だと?」
 人々がざわめき始めた。
 「帝国軍か?」
 王の問いに、衛兵は息も荒くうなずいた。
 「城壁のまわりを、びっしりと囲んでおります。それも、物凄い数で……」
 「どういうことだ!」
 誰かが叫んだその時。」
 「教えて差し上げよう、親愛なるトゥティアの諸君」
 ふいに中空から声が聞こえてきた。王も、周りの人々も、テュリアとアイティーアも不安げに辺りを見回した。
 「何者だ!どこに隠れている、出て来い!」
 将軍の一人が剣を抜いて叫んだが、シャライが穏やかな声で制した。
 「風の術で声だけ運んでいるんだ。相手はここにはいない。探しても無駄だ」
 「ふふ、さすがは風のシャライ殿。その通りだよ」
 皮肉っぽい声は、相手のいやらしい笑みまで一緒に運んでくるようだった。シャライは精神を集中しながら言った。
 「あなたはだれだ?帝国の者か」
 「そうだ。この軍の総指揮を任されている氷の将軍、ムラハド・ルグスだ」
 相手の声には勝ち誇った響きがあった。
 「偽殿下の首はどうだったな?随分と、喜んでもらえたようだが」
 「見事な作戦だ」
 シャライは目を閉じたまま答えた。
 「我々はまんまとだまされた。浮かれている間に、すっかり取り囲まれているとはね。本物のデュリートはどこにいるんだ?」
 「会いたければ会わせて差し上げるぞ。ただし、首だけだがな」
 哄笑が大広間に響き渡った。
 「皇太子殿下は帝都においでだ。こんな弱小国を攻めるのに、殿下直々おいでになる必要はない」
 それからムラハドは一つ咳払いをし、厳かに告げた。
 「麗しき運命の姫、テュリア王女殿下よ。そこにいらっしゃるののは分かっている。わたしの声が聞こえておいでなら、返事をお聞かせ願いたい」
 「…はい。わたくしは、ここにおります」
 テュリアは気丈な声で答えた。だが、シャライが見る限り、彼女は血の気の引いた真っ青な顔をしていた。そして、その傍らで姫を支えているアイティーアも。
 「姫にお願いがあるのですが、聞いて頂けますかな?」
 「何でしょう」
 「父上ティアーグ王と、花婿シャライ殿。この、二つの首を持ち、私めのところまでおいで頂きたい」
 静まり返っていた広間が、再びざわめき始めた。
 「そうすれば、この由緒ある城に火をかけなくともいいし、多くの民の血も流さずにすむでしょう。いかがですかな、姫よ?」
 「やらん!」
 突然国王が叫んだ。うろたえ、戸惑うテュリアの側に立ちながら、王は答えた。
 「テュリアはやらんぞ。この国もだ。欲しければ、腕ずくで奪うがいい!」
 その声を聞きながら、シャライは必死であるものを探していた。ムラハドの声を運ぶ風の術師の腕がいかに良かろうとも、町をぐるりと囲んでいる城壁の外から広間まで声を運ぶことは出来ない。声を中継していた媒体がどこかに必ずあるはずなのだ。
 「…これか」
 偽物の首についていた、小さなガラスの耳飾りを取り、彼はりんとした声で言った。
 「ムラハドよ、王の言葉を聞いたな。これ以上、話すことはない。それから、お前たちに聞かせる言葉ももうない。さらばだ」
 そして、彼はそれを床に叩きつけた。ムラハドの声はぱたりと止んだ。これから相手がどう出てくるのかは分からなかったが、シャライは国王を振り返って言った。
 「奴らはすぐに攻めてきます。ご命令を!」
 「町へ出て民を守れ!」
 即座に王は答えた。
 「女子供は城内に入れよ!男は武器を持って戦え!憎っくきラシェードの犬どもを倒すのだ!さあ、行け!」
 騎士たちはときの声を上げ、貴婦人たちはおろおろと退出した。小姓たちが国王の鎧を捧げ持ってきた。
 シャライは派手なだけで重い衣装の上着を投げ捨て、リュートを持って出ていこうとしたが、ふときびすを返してテュリアとアイティーアの元へ走った。アイティーアがテュリアの長いベールを外そうとしていたその側に片膝をつき、彼は早口に言った。
 「親衛隊長殿」
 言われてアイティーアは驚いた。
 「何でしょう?」
 「必ず姫の側にいて、姫を守ってくれ。僕も姫を守る」
 彼はじっとアイティーアを見つめた。だが、すぐに立ち上がり、行かねばならない。
 「頼んだよ、アイティーア」
 そして、シャライは後も見ずに走りだした。


続く

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