最期の歌



 不協和音(1)

  戦士よ、聞け、
  勝利は汝と共にある。
  戦士よ、歌え、
  正義は汝の側にある。
  今こそ汝が誇りにかけて、
  祖国を守れ、家族を守れ。
  今こそ汝の戦う時、
  龍の息吹、我らのものなり。
 勇壮なメロディに乗せ、町中にりりしい歌声が響き渡っていた。シャライは城のバルコニーに立ち、リュートを鳴らし、風に託してあちこちに運んでいた。
 だが、見るからにトゥティアは不利だった。小さな国の小さな王都は、城も城壁もそれほど堅固なわけではない。圧倒的な数の寄せ手に迫られ、いつまで持つかもしれなかった。
 半刻も歌い続けた頃、シャライは王に呼び出された。王の私室には数人の要人と王女テュリア、そしてアイティーアといった顔触れが集まっていた。それだけなら別にどうということはないが、室内の不思議な雰囲気に彼は一瞬息を飲んだ。
 部屋の床には大きな魔法陣が描かれ、十三の台座が置かれ、そのひとつひとつに十三の神龍を表す物品が置いてあった。
 小さな松明は、炎の龍コルネフォロス。
 大粒のきらめくオパールは、幻の龍ラサラス。
 ガラスの器に入れられた清水は、水の龍シェダル・ナート。
 氷の柱は、氷の龍アルフィルク。
 緑の葉のついた枝は、木々の龍ミラク・セギヌス。
 しっとりと濡れた土の固まりは、大地の龍ムルズイム。
 美しい鳥の風切り羽根は、風の龍カーフ・レスート。
 全てが黄金に包まれた輝く短剣は、雷の龍サダルメリク。
 銀の縁取りの鏡は、光の龍ベネトナシュ。
 生きた小ネズミがかごに入れられているのは、生命の龍アリオス・サリン。
 漆黒のビロードの布は、闇の龍バーハム・ハッサレー。
 そして、白く乾いた骨が置いてあるのは、死を司る龍ベラトリクス。
 十二の台座の中央に位置する運命の龍スラファトの台座だけには、まだ何も置かれていなかった。だが、その異様な、そして荘厳な雰囲気に、シャライは尋ねずにはいられなかった。
 「これは…一体何なのですか」
 「古より我が王家に伝えられてきた秘術を取り行なうための準備だ」
 王は静かに言った。
 「これにより、神龍を目覚めさせることが出来ると書かれている」
 その手には、古びた表紙の書物が大切そうに抱かれていた。
 「神龍を目覚めさせ、呼び寄せることが出来れば、我らは必ず勝利することができる。帝国など、恐るるに足らぬ」
 国王は自分に言い聞かせるようにゆっくりとしゃべりながら、その書物をシャライの手に持たせた。
 「どうして…これを、わたしに?」
 「神龍を呼び出せるのは、歌い手だけなのだ。召喚の言葉は、全て歌になっているという」
 シャライが持つと、書物は自然に開いた。美しい歌詞が、流れるような旋律がそこに書き記してあった。自分が置かれている状況も忘れて見入ってしまうような、素晴らしい歌が、そこにあった。
 これが、神を呼ぶ歌。見るだけで、旋律は自然と頭の中で奏でられる。シャライは造作なく曲のすべてを覚え、顔を上げた。
 「どうだ、歌えるか?」
 「ええ、大丈夫です。こんな素晴らしい歌は、今までに聞いたことがありません」
 「そうか…それなら、安心して任せられる」
 ティアーグはゆっくりと長い息を吐いた。そして、腰に差した宝剣を抜いた。
 「陛下?何を、なさるのですか?」
 シャライの問いに答えるものはいなかった。テュリアはアイティーアの胸に顔を埋め、周りに居並ぶ者たちも全て顔を伏せた。
 「シャライよ、すべての神龍の頂点に立つ、運命の神龍スラファトにはこのわたし自身を捧げる必要があるのだ。わたしを台座に乗せたら、わたしの前に立って歌を始めてくれ…素晴らしい歌が聞けなくて、非常に残念だよ」
 宝剣は王の喉を掻き切った。
 王が動かなくなると、一人の将軍がその首を切り、台座に乗せた。テュリアの嗚咽が漏れたが、それでも彼女は唇を噛みしめながら父の死に耐えていた。
 シャライはリュートを抱え、十三番目の台座の前に立った。王は、やつれていたが、優しい顔をしていた。
 一刻も早く始めて、一人でも多くの民を救って欲しい。
 そう言っているような表情に、吟遊詩人は意を決して言葉を口にした。
 「それでは、始めます」
 リュートの音色が、静かな部屋に流れる。シャライの歌声はいつもに増して澄み渡り、朗々と響き渡った。周りを見る余裕はなかった。
 最初から、ティアーグ王はこうするつもりだったのだ。
 神龍を呼び出す方法を知り、自分の生命を捧げるつもりだったのだ。だからこそ、シャライとテュリアの婚礼を急がせ、無理と思えた帝国との戦いを始めたのだ。
 シャライは無心で歌い続けた。やがて、歌がクライマックスにさしかかると、部屋の空気が変わった。
 最初に松明が揺れ、それが大きく伸び上がるように脹らんだ。周りの人々がおおっ、と小さな声を上げた。
 他の物品にも変化が現われていた。捧げられたものの上に様々な色の靄がかかり、やがてそれが少しずつまとまって龍の姿を取り始めていた。ティアーグ王の首の上には、王と同じ紫色の鱗を持つ美しい龍の姿が現われた。だが、十三頭のまぶたはかたく閉じられたままだ。
 「これが…これが、神龍なのね」
 テュリアのつぶやきも、シャライの耳には入らない。
 「まだ目覚めてはいないようですね」
 アイティーアが小さく答えた。
 「ええ…でも」
 「何ですか?」
 「あたし……神龍に、目覚めてほしくない…そんな気がするの」
 だが、その言葉を言い終らないうちに、目覚めの歌は終わり、十三の龍はゆっくりとそのまぶたを開いた。シャライが覚えているのは、そこまでだ。
 あとには、ただ破滅と混乱があるのみだった。

 「起きよ、吟遊詩人」
 懐かしい声に起こされ、シャライは目蓋を開いた。目の前には優しげな顔立ちの青い髪の青年が立っていた。彼だけではない、何人もの人がシャライを取り囲むように立って、じっと見つめている。
 何が起こったのかシャライが思い出すのに、それほどの時間はかからなかった。
 神龍を目覚めさせる歌を歌い、神龍を呼び出し、そして歌が終った途端、激しい衝撃が城を襲ったのだった。足元から突き上げるように大地が揺れ、激しく風が吹き荒れ、雷が鳴った。石造りの壁ががらがらと音をたてて崩れ、アイティーアやテュリアの悲鳴が聞こえる中で、精神力を使い果したシャライは魔法陣の中央で気を失ったのだった。
 シャライは起き上がって辺りを見回したが、きれいなまま残っているのは魔法陣の中だけで、外側は瓦礫がうずたかく積み上がっていた。そして、その下に、テュリアのものとおぼしき紫色の髪とドレスの端と、流れ出る赤い血が見えた。
 「あれはまさか……テュリア姫」
 返事はなかった。シャライの顔から血の気が引く音がした。
 「アイティーア…アイティーアは!?」
 「待てっ」
 駆け出そうとした彼を、赤い髪の男がつかんで止めた。人間離れした力に捕らえられ、シャライは魔法陣の中央に引き戻された。
 「何をする、放してくれ!」
 「今お前に去られては困る。我らはお前に呼び出されたのだからな」
 男は言った。その言葉にシャライは居並ぶ男女の顔を見回した。ドラコリーラに住む十三の種族の、その典型的な姿をした十三人は、いずれも驚く程の美男美女ばかり。見つめるシャライの前に、リーダー然とした運命の種族の女性が進み出た。
 「吟遊詩人シャライよ。我らが何者か、分かろうな」
 「は……はい……」
 間違いなく、彼らは人間ではない。そう…彼らこそが、シャライが呼び出した相手なのだ。
 彼は片膝をついて、人の姿を取っている運命の神龍スラファトを見上げた。スラファトは紫の瞳で彼を見つめ、困ったように言葉を続けた。
 「お前の主人は、大変なことをしてくれた」
 苦々しい、あまりにも思いつめた、苦しげな表情。ため息を押さえながら、彼女は言う。
 「ティアーグ王の気持ち、このわたしにはよく分かっている。だが、これは許されぬ行為なのだ」
 「スラファトよ、ゆっくり説明している暇はないぞ」
 風の神龍カーフ・レスートが彼女の肩を叩いた。
 「分かっている」
 スラファトはため息をつき、シャライの側にしゃがんで彼の顔を覗き込んだ。優しく見つめる彼女を呆然と眺める彼の心に、女神の声は直接響くように聞こえた。
 「我らを目覚めさせれば、それだけ世界に満ちる力は強くなるのは誰もが知っていること。だが、同時に我ら十三人が目覚めれば、世界に満ちる力はどれほどになるか分かるか、シャライよ?」
 「いえ」
 シャライは頭を振った。
 「想像も出来ぬ程、強いのではありませんか?」
 「そう、強い。お前たち人間の心身では、とても耐えられぬ程にな」
 寂しそうな声に、吟遊詩人ははっとして顔を上げた。スラファトは彼の顔を見ないまま、どこか遠くの方に語りかけるように言った。
 「シャライよ、お前は召喚者。我らの力と魔法陣によって永遠に守られる。だが、魔法陣の外にいたものは違う。受け入れられる以上の力を受けて、その心身は壊れる」
 「何ですって……!」
 「時は一刻を争う。シャライよ、我らを再び眠りにつかせるのだ。早ければ早いほど、多くの人を救うことが出来る」
 スラファトは頭を下げた。そして、他の龍たちも。
 「その書物に我らを眠らせる歌も書いてある。頼む、お前しかいないのだ」
 神と崇めるものたちが、頭を下げている。その光景に畏怖を覚えながら、シャライはリュートと書物を持って立ち上がった。
 「分かりました。ですが、一つお願いがあります」
 「お前の愛する女なら」
 間髪を入れず、風の龍カーフ・レスートが答えた。それはシャライが一つだけ、教えてほしかったことだった。
 「ここから逃げだす事は出来た。少なくとも生きてはいる」
 歯切れの悪い言い方だったが、それでもシャライは安心した。アイティーアは生きているのだ。龍が言うのだから、間違いはない。
 彼は落ち着いた気持ちでリュートを抱え、曲を奏で、そして歌った。
 「……シャライよ」
 神龍たちは、まぶたを閉じた。やがて、その姿がおぼろげな靄のようになり始めた頃、龍の一人がつぶやいた。
 「我らはな……はるかなる昔、龍同士で果てしなく戦い、傷つけあった。眠らねばならなくなったのは、その罰なのだ。罰として、まどろみながらお前たち人間を守るように、命じられたのだ……永遠にな……」
 誰に?心のなかに浮かんだシャライの疑問に、その龍は黙って答えなかった。
 「シャライよ、お前になら、いずれ分かる……永遠に生きるものになら」
 そして、龍の声は聞こえなくなった。
 シャライは目を開いた。龍はもういなかった。彼は立ち上がり、書物を拾って魔法陣の線を越え、足を踏みだした。


続く

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