第二章 その2『潜入!』
その二人は、カップルには見えなかった。
ストレートの長い黒髪が美しい女は、すらりとして背が高く、きりりとした表情で辺りを見渡していた。水色のスーツが水色の瞳に映えて、モデルのように立ち方さえも凛々しい。白いヒールが、より彼女の背の高さを強調し、存在感を増していた。
その傍らに立つのは、実に地味な青年だった。ぺたんこのローファーのため、身長は彼女より15センチは低く見え、穏やかな茶色の髪も、とりたてて特徴のない顔立ちも、妙に印象が薄かった。飾り気の無い白いシャツにこれまた地味なグレーのスラックス。人物と言うより、もはや風景の一部といってもいいほどの存在感のなさだった。
「では、とりあえず、繁華街にでも行ってみるか」
彼女はそう言って、青年の腕に自分の腕をからませた。
その途端、彼女に声でもかけようかと思案していた男がぎょっとした顔つきになった。
「ゆ…」
幽霊か!?
信じられないものを見た、という顔つきで、彼と彼女とを見比べて、ナンパ男は首をひねりながら立ち去った。
だが、それに気付く風もなく、彼女は腕を組んだ青年にやたらきっぱりと告げた。
「そう緊張するな。普通のカップルに見えなければ、怪しまれるぞ」
「そ、そ、そうは言っても…」
十分に、すでにおかしいような気がします。
しかし、上官にそんなことは言えないもんだから、彼はせめて自然な表情が出来るように、と心に命じて微笑んでみた。
ぎこちなかった。
ぎこちない、というより、ぎぎこちなかかったって感じであった。それは、見ている方も同感の様子であった。
「さ、行こう」
ただ一人、彼女だけが、颯爽と髪をなびかせ、タクシー乗り場へ向かう。いつの間にか組んでいた腕は離れ、やっぱり彼女は一人で歩いていた。
「どこまで?」
「この近辺で一番の繁華街まで。観光に来たのでな、人のたくさん集まりそうな所へ」
「はいよ!」
さっと乗り込んだ彼女に、威勢良く運ちゃんが答え、これまた颯爽と車は宙港を出て行く。そう、爽やかな一陣の風のように。
「ああっ、ちょっと…ぐらい待ってくれたっていいじゃないですか…」
またも風景の一部と化してしまった青年は、呆然と走り去っていくタクシーを見送るしかなかった。
…また忘れられてしまった。
「僕は、あなたの補佐官なんですよー」
よー、よー、よー…。
一応。
虚しく響いたこだまに、心の中で一応、と付け加え、彼は新しいタクシーを拾うことにした。
彼が手を上げている事に気付いてもらい、扉を開けてもらうまでに、30分かかった。
そんなこんなで、とにかくユナイ中将は、イズイラムで随一と言われる繁華街のど真ん中に到着した。
なるほど、娯楽と観光で成り立っている星だと言われるだけのことはある。美しいレンガ造りの街路に、様々な店がびっしりと建ち並んでいる。見渡す限り、ここは商店街のようだった。
「さすがに、人も多いな…」
彼女はあたりをきょろきょろと見回しながら歩き始めた。
特にあてはないが、あの6人ならさぞかしこの街でも目立っただろう。誰かが見ているかもしれない。そう考えて、手近なアイスクリームワゴンに近づいた。
「いらっしゃい、お姉さん」
お店のおっさんが、ユナイを見て早速に相好を崩した。
言っておくが、女装している今の彼女はかなり美人の部類に入る。そんな美女は、1分ほど真剣に悩んで、やたらと真剣な声で注文した。
「ストロベリーとチョコチップのダブルで。あ、カップではなく、コーンで」
「毎度あり!」
サービス過剰気味に盛り付けられたアイスを受け取る。しかし、彼女は相変わらずにこりともしなかった。
そう。実は、すごく緊張しているのだ。
常に男物の軍服を身につけ、プライベートでも男装をしているユナイ中将は、どんな任務も男としてこなしてきた。だから、男性としての立居振舞しか出来ないのである。
しかし、コルト首将の命令により、今回は怪しまれないようにカップルとして潜入するべく、女装してきた。そして――メチャクチャ緊張していたのである。
ぺろり、とアイスをなめて、彼女は眉を寄せた。
周囲の様子に気を配りながら、異様にはりつめた雰囲気を漂わせながら、ゆっくりとアイスを食べる。
「ところで、主人」
「は?」
普通、観光客の女性はそんなしゃべり方はしないものだが、それに気付くゆとりもなく、彼女は尋ねた。
「最近、この辺りで変わったことはないか?」
単刀直入すぎる。案の定、おやじの頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。
「か、変わったこと…?」
「そう。最近来た、変な観光客など見なかったか?」
「い、いや…」
どっちかっつーと、それはあんただが。
そう言いたいところをぐっとこらえて、おやじは曖昧な営業スマイルを浮かべた。
「いやー、特に見ないねぇ」
その時。
低く穏やかなエンジン音を響かせて、一台の車が、二人のそばを通り過ぎていった。
最新型の超高級リムジン。その長さは、10メートル…いや、20メートルは軽く越えていた。優雅にクラクションを鳴らし、アイスクリームワゴンの斜め向かいにあるブライダルサロンの前に到着する。
「何だ、あれは?」
「ああ、お坊ちゃんの車さ」
呆然とその光景を眺めるユナイに、おやじが答えた。
「お坊ちゃん?」
「イズイラムを治めてる領主様の息子、ジュルネイ坊ちゃんのリムジンだ。今年の花嫁がいよいよ決まったらしいな」
「今年の花嫁?」
なにやらよく分からない言葉に、彼女は目だけで振り返って尋ねた。
「毎年の恒例行事さ。坊ちゃんは、誕生日ごとに新しい花嫁さんをもらうんだ。いいよねぇ、モテる男は」
そういうおやじは、非常に楽しげな顔つきをしていた。中将は話の続きを促しながら、リムジンに視線を戻した。
後部座席のドアが、黒服の男たちの手によってうやうやしく開かれ、中から――その、お坊ちゃんとやらが出てくるのかと思えば、引きずり出されてきたのは、ちょうど人間一人がスッポリ入る大きさの布袋が2つ。実際に中には人間が入っているらしく、抱えられてもごもご動いている。
「……あれは一体」
「おっ?今年は二人か!?」
怪訝そうなユナイの様子なんかまるで気に留めるふうもなく、おやじは嬉しそうに言った。
「よっぽどお気に入りの子がいたんだな!二人か、いいねぇ、盛り上がるねぇ」
「おい、ちょっと待て。あれは」
片手でおやじの胸倉をつかみつつ、彼女は袋から目を離さずにいた。
おそらく、花嫁とやらになる予定の女の子が二人、あの袋の中に入れられているのだろう。黒服たちが大切に抱えて、ブライダルサロンの中へと運び込んでいく。運搬が終わると、サロンからは他の客が追い出されて、店のシャッターは下ろされてしまった。
「あれは…どう見ても、犯罪じゃないのか!?」
「いや」
掴まれたことを意にも介さず、おやじは首を振る。
「結婚式まで、どの子が花嫁になったのかは極秘なのさ。だから、毎年あんな感じだよ。別に犯罪じゃねぇ、坊ちゃんの花嫁に選ばれるのは女の子にとっても名誉なことさ」
「しかし、重婚は」
「この星じゃ、犯罪じゃないね」
明らかに、わくわくと。
心弾むようなイベントを目の前にした子供のように、中年の男は嬉しそうな表情をしていた。
「そうか…そんなものなのか?」
しかし、と彼女は首をひねった。
名誉なことの割には、あの袋、異様に暴れていたような。
そう。あの暴れぶりは、どこかで…どこかで見たような。
ボトッ。
首をひねり過ぎて、上に乗っていたストロベリーアイスが落ちた。
「ああッ…アイスがッ!!」
「構わん!今日はいいもの見たからサービスしとくぜ!」
間髪入れず、おやじがアイスを追加してくれた。ついでにもういっちょ、レモンシャーベットもオマケにつけてくれた。
アバンティ・コウは、実は、お財布を持っていなかった。
タクシーに乗ってからそれに気がつき、そのまま警察へ直行。現在、留置所の中にいた。
「でもなぁ…」
軍人の身分にありながら、あろうことか無賃乗車でブチ込まれ、彼は困り果てて座り込む。
潜入捜査なのだ。身分がバレては困るのだ。口が裂けても、本名は名乗れないのだ。
ましてや、どのツラ下げて、ツレ、それも実は上官とはぐれたなどと言えるだろうか。
異様に悩みまくり、葛藤しまくり、妙に助けて欲しそうなのに黙秘を貫くしかない彼に、警察官たちもほとほと困り果てていた。観光客には親切に、がこの星の警察のモットーではあるのだが、これではどうにもして上げようがない。
「一体どうしたら…いいんだろう……」
ブツブツブツブツ。低い呟きが、留置所に響く。ちょっと、コワイ。
その時、考えあぐねた警官の一人が、彼の牢の扉を開いた。
「君、出なさい」
「え?」
「いい方法、考えついたから。ほら、こっち来て」
言われるまま、連れて行かれた先には、何故か求人広告が置いてあった。
「これは…?」
「臨時のアルバイト。これでお金稼いで、無賃乗車分と、罰金分とを支払ってくれたら、それでいいコトにするから。ね、悪くないだろ?」
それは、宴席のウェイターのアルバイトだった。どうやら来週に非常に大規模な宴会があるらしく、人手が必要らしい。研修中もバイト料が出るという好条件に、コウは一も二もなくうなずいた。
「ありがとうございます。やらせてもらいます!」
「それじゃ、紹介状書くからちょっと待ってて」
「はい!」
警察のありがたい好意を噛みしめながら、彼は天のめぐり合わせに感謝した。
大規模な宴会なら、領主とやらも出てくるかもしれない。そうすれば、6人の行方について、何か分かるかも。
となれば、これも立派な任務の一部。
ぐっと拳を握りしめているところに、ふいに質問が来た。
「で、君、名前は?」
「アバンティ・コウです」
あ、言っちゃった。
目を丸くして口をふさぐ彼の顔を見て、警察官がプッと笑った。
「その様子だと、それが本名?いいのかい、仮名にしとく?」
「いえ…いいです」
しょぼんと肩を落として、コウはサインを書いた。