第二章 その4『決行はしあさって』
「それで、鼻を…ね」
なぐさめてくれる声を聞きながら、ザーウィンはしょんぼりと肩を落としていた。
鼻をすすっているが、別に泣いているわけではない。さっき自ら倒れて、テーブルでしこたま打ちつけた鼻の奥が、まだジンジンしているのだ。だが、実際のところ、彼は泣きたい気持ちだった。
「だって…しょうがないでしょう?」
「しょうがない、ねぇ」
隣に腰掛けたエディは、小さくため息をついて視線を前に戻した。
二人は今、ヴァーチュの屋敷内の一室に閉じ込められていた。エディと一緒に連れてこられる予定だったアクイラは、少々暴れが過ぎたため、別室でもっと厳重に監禁されている。ものはついでに、鉄扉を破ったのもアクイラのせいにしておいたため、こちらの警備はそれほどではなかった。
「あの二人が、素直にハイなんていう訳がないだろう。ちょっと考えれば分かることを」
責めているわけではないが、核心をついたエディの言葉に、ザーウィンの肩はさらに落ちていく。
「それはそうだけど…」
ニーナとシィクが、あのバカ丸出しの息子と結婚。そう聞いた途端、彼の理性は吹き飛んでいた。
テーブルでの顔面強打もものともせず、再び立ち上がり、ヴァーチュに向かって掴みかかったのだ。もちろん、すぐに配下の者たちに取り押さえられてお話は中断。ちょうど連れてこられたエディと一緒に、この部屋にブチ込まれた。
「どうせ、二人は二人で何か考えてると思うよ?大体、シィクは首将のことが好きなんだから、他の男と結婚なんてする訳がない」
「シィクさんはそうかもしれない。でも…ニーナさんは?」
なんとも恨みがましい目付きで、ザーウィンはエディを見上げた。
「ニーナ?」
「よく肩に乗せてるじゃないか」
身長145センチしかない小柄な野生児は、居心地がいいのか、この身長219センチもあるバカでかい男の背中やら肩やらによくぶら下がっている。その光景を思い出して、エディは答えた。
「あれは、子猫がアスレチックタワーに登って喜んでるのと一緒だな」
「そうなのか?」
「だと思うけど。何をそんなに気にしてるんだ?」
懐かれてはいるけど、おそらくそれ以上でもそれ以下でもない。
しかし、と大男は傍らの日本人を見下ろして、一つの可能性に思い当たった。ゆっくりと、右の拳で左の手のひらを叩く。
「ああ、そうか」
「何だ?」
「お前、ニーナのことが好きなんだな?」
繁華街を歩き回っても、彼らを見たという情報は特に得られなかった。それよりも、いつの間に広がったのか、領主の息子の結婚式の話題が街中にあふれ返っていて、みんなそれどころではない。
「まったく…これ以上、一体どうすればいいというのだ。なぁ、コウ」
ユナイ中将はそう言って、振り返った。
だが、いつもそこにいるはずの人物は、いなかった。
「……コウ?」
ぐるりと360度見渡してみるが、存在感の薄い、冴えない青年の姿はどこにもない。いつからいないのか、どこで忘れてきたのか、まるで思い出せなかった。
「一体…どこに」
今までは何も感じなかったのに、いないと分かると急に不安がひしひしと押し寄せてくる。感情がたかぶる。彼女の周りの空気が、静電気をはらんでぱりっ、と鳴った。
その時。
ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ。
控え目な呼出音が、中将の腕につけた通信機から発せられた。
「わ、わたしだ!」
あわててスイッチを押し、顔を近づける。モニターを開いても、そこは何も映ってはいなかった。
「通じたね…良かった」
だが、ささやくような、低く小さな男性の声がかすかに聞こえてきた。
「今からデータを送るから、受け取っといて。僕からのプレゼントだよ、ハニー」
「ハ…ハニー?」
驚いて聞き返しても、もう返事はなかった。その代わり、小さなモニターに次々と文字が映し出され始めた。図面のような映像も時折それに混じる。見ているうちに、ユナイ中将はそのデータが何なのか、理解した。
「これは、地図か」
近くにあったカフェに飛び込み、テーブルの上に大き目の端末を広げる。通信機に送られてきたデータをそちらに移して確認すると、それは一つの地図になった。
広大な地面の下に隠された兵器の格納庫や様々な実験施設。それらの規模と場所が、大雑把ではあるが書き込まれている。それは、間違いなく、この惑星イズイラムの半分にあたる、領主の私有地に隠されているものだった。
「コルト首将に報告しないと」
彼女はすさまじい勢いでキーボードを叩き始めた。
ヴァーチュ・レクマイヤは、独立を企んでいるだけではない。資金だけでなく、軍事力も十分に持っていた。必要とあれば、連邦と戦争だって始めるかもしれない。
そんなことは、させはしない。
コウ補佐官が行方不明になっていることはもうすっかり忘れて、彼女は任務に集中していた。
「やっぱり、でしたね」
ユナイ中将から送られてきたデータを見て、カンティ補佐官は納得してうなずいていた。
「ちょっとお金持ってるからって、それだけで独立したいなんて言うはずないと思ってたけど、やっぱりすごい軍隊を備えてるみたいですよ?」
そう言って、アリストテレスの最高責任者であるコルト首相を振り返った。
あまり、顔色がよろしくない。
「今朝のメシもまずかったな」
「シィクさんのご飯と比べちゃ、賄いのおばちゃんが可哀相です」
「そうだな」
執務室のソファにだらしなく腰をおろして、首将はがっくりと肩を落としている。
「で。どうします、イズイラムの件は?」
「みんな無事なんだろ?」
「おそらく、そうでしょうねぇ」
カンティは、ユナイ中将からの通信の最後に付け加えられていた一文を見ながら答えた。そこには、信頼性は高そうだが、通信してきた相手が誰かは分からない、と記されていた。
「少なくともミザールは無事ですね」
「そうか!」
その言葉に、ようやく明るい表情を取り戻して、首将は立ち上がった。
「ミザールが無事なら、女の子は間違いなく無事だな!」
軽い足取りで自らモニターに向かい、自らキーボードを叩いてユナイ中将に指示を出した。さすがに顔を見せての通信は無用心に過ぎるので、文字だけの指令だが、彼はニコニコと内容を伝えた。
「領主の一味を確保。軍隊は、サクッと壊滅しとけ」
ほどなく、了解の二文字が返ってきた。
コルト首将の指示は、実は別の場所でも思いっきり傍受されていた。
「りょうかーい」
窓枠に座り、黄昏ていく夕焼けの空を見上げながら、彼はニコニコと返事をした。しかし、その方向には、誰もいない。
「決行はしあさってにするよ。準備もあるし、きっとザーウィンもその方がいいって言うだろうから」
誰がいるという訳でもないのだが、彼は外の風景に向かってつぶやく。端から見れば、ちょっとアヤシイ独り言だ。しかし、そんな事は気にしない主義だ。ぱちんとウインクして、ついでに投げキッスもオマケする。
「OK、OK…え、僕?」
相手に名前を聞かれて、ふと困惑したように眉を寄せる。
「イヤだなぁ、僕の声を忘れたのかい?いいよ、特別に教えてあげよう…と思ったけど」
彼はふと振り返り、誰もいない部屋の中をじっと見た。実際は、その壁をすり抜けた廊下のほうを。
まっすぐこちらへ近づいてくる人物がいるのを、彼の目は捉えていた。
「人が来る。今はここまでだよ」
低く呟いて、彼は通信を切った。そのまま、何事もなかったかのようにまた空を見上げて、背中で部屋に入ってくる相手を迎えた。
「ミザール」
ノックもなしに扉を開き、入ってきたのはプリーティアだった。相変わらず派手な服を着た彼女は楽しげに、弾んだ声で呼びかけた。
「今からちょっと、いいかしら?」
「何でしょう、マダム?」
これまた、彼女に負けじと極上の笑顔を浮かべて、ミザールは振り返った。
「ジュルネイの結婚式用に、新しいドレスを買いに行きたいのだけれど、一緒について来てくれないかしら?」
「僕でよければ」
さらに、ニッコリと。
長い金髪をさらりとかき上げると、赤い夕陽に照らされて、赤銅色の残像がまぶしく光る。視覚的な効果を存分に発揮しながら、彼は優雅な足取りでプリーティアに近づいていった。
「あなたの服も買ってあげるわ。どんなのがいいかしら」
「マダムにお任せしますよ…っと」
ふいに、ミザールの足がもつれた。
左手で右目を覆い、急いで態勢を立て直すが、体の自由が微妙に効かなくて、右手がふらふらと宙をつかんだ。
「あれ…なんか、ちょっと、めまいがする」
「いけないわ、ミザール!」
あわててプリーティアが肩を貸した。豪華なベッドに彼を座らせ、心配そうに顔をのぞきこむ。
「大丈夫?お医者様を呼びましょうか?」
「いえ…しばらく寝ていれば治ります。医者に来てもらうほどのことじゃない」
「そ…そうなの?」
片目を押さえたまま、ミザールは少し弱々しく微笑んで見せた。儚げな笑顔が、これまた年上のマダムのハートを直撃する。
「お願いします。少しだけ、一人でゆっくり眠らせて」
「…分かったわ」
彼女は何度もうなずき、そそくさと部屋を出た。
「何かあったら、すぐに言うのよ?…それじゃ」
「ええ」
ミザールがうなずくと、扉がゆっくりと閉められた。足音が名残惜しそうに、ゆっくりと遠ざかっていく。
大丈夫…しばらくは、戻ってこないだろう。
それを確認して、彼は、右の耳にゆっくりと指を入れた。そこからずるずると電源コードを引っぱり出して、枕元のコンセントに差し込む。青いはずの右目が赤く点滅し、同時に視界もちかちかと点滅した。
「…久しぶりに使ったから、電圧下がっちゃったな」
自嘲気味につぶやいて、目を閉じる。
宇宙で一番カッコイイこの僕が、バッテリー切れで倒れるところなんか、誰にも見せられない。
イズイラムでもっとも豪華で高級とされるホテル、リタ・サラサン。連邦軍人、アバンティ・コウ補佐官は、そこで一生懸命バイトしていた。
たくさんのグラスを一度に持って歩く練習、8枚のお皿を一度に運ぶやり方、お客さまへの対応方法。接客業のイロハをみっちり叩き込まれて、わずか半日にして、かなりイイ感じのウェイターぶりを発揮しつつある。ていうか、生まれながらのウェイターと言っても過言でないほどに、異様にはまっていた。
フロア主任も、仕事の覚えの早い彼をいたく気に入っていた。
「コウ君」
「はい?」
「ちょっと、こっちへ」
実際に大披露宴がとり行われる五千人収容可能の大宴会場に、彼を連れて行く。ちょうど、式の主役である二人の花嫁が、会場の下見に訪れたからだった。
「見えるかな?あれが、今回の花嫁さんなんだけど」
会場の端から端まで、一体何メートルぐらいあるのだろう?一段高くなった壇上に、黒服の男たちに混じって、女性らしき姿が確かに見える。けれども、コウ補佐官の視力はさほど悪い方ではないが、いい方でもない。さすがに顔までは分からなかった。
しかし。
「片方は、子供じゃないんですか?」
彼は目を細めて尋ねた。オレンジ色の頭の女の子は、あからさまに背が低い。どう贔屓目に見ても、大人の体型ではない。
「そうだなぁ。坊ちゃんも趣味が変わったのかな?」
主任も腕組みをして、壇上を見る。もう一度視線を戻したコウは、ふと、その子供がこちらを見ているのに気がついた。その手がちょっとだけ掲げられて、指が言葉を形作る。
「え?」
元気だった?
…いや、違う。あれは、「元気だよ」、だ。
コウ補佐官は、目を凝らして相手をじっと見つめた。あの指で表す文字は、連邦の特殊部隊でよく使われる暗号だ。
ということは、あの二人は。
いつの間にか、背の高い、プラチナブロンドの髪の女性もこちらをチラチラとうかがう様に見ている。黒服の男たちは気付いていないようだが、明らかに二人は彼の様子を気にしていた。
「どうした、そんなにじっと見て?」
「あ、いや、可愛いなと思って…もっと近くに行っちゃダメですかね?」
突然主任に声をかけられ、コウはあわてて適当な言い訳を口にした。
「しあさってになりゃ、もっと近くで見られるさ。あまり近づき過ぎると、警備員に撃たれるぞ」
「そ、そうなんですか?」
「当日まで、花嫁が誰かは極秘なんだ。わしらのような関係者だけ、こうやって見せてもらえるんだけどな」
「……へえぇ」
感心したような振りをして、また彼女たちに視線を戻す。もう二人は、黒服に囲まれて、どこかへ連れて行かれようとしているところだった。
コウは、手を振った。二人も、挨拶するかのように、肩越しに手を上げる。これで、会話は十分だった。
決行は?
しあさって。
その夜、アクイラは、領主の屋敷の中を徘徊しまくっていた。
古風な錠前と鉄扉による牢屋は、力技でなければ開かないけれど、カードキーによる電子ロックの扉は技術で開く。それも、音もなく、誰にも気付かれる事なく、だ。
ほどなく目的の部屋を見つけ、同じようにサクッと開錠して、暗闇に紛れ中に忍び込んだ。
「オッス」
「よ」
椅子に座っていたエディが、片手を上げて応えた。
「今回は静かだな」
「こっちの方が得意だからな」
ニカッと笑って、部屋の中を見回す。ザーウィンは、死んだマグロみたいに、ベッドにうつ伏せになって伸びていた。
「アレ、何やってんの?」
「俺が図星刺したもんだから、ショック受けたらしい」
「ふーん」
興味なさそうに一言で終えて、アクイラはふと、真顔になった。
「で?今後、どうするんだ?」
「しあさってに片を付ける」
エディは穏やかな口調で答えた。
「ちょっとしたイベントがあるんだよ。その時に、俺たちはまた、全員集まる」
「ふ〜ん?よく分かんねぇけど」
首を傾げる。メンバーの中で唯一、例の結婚話を知らないアクイラだったが、何かウラがあるのは敏感に察知した様子で、うなずいた。
「それまでは、寝ててもいいのか?」
「むしろ、そうしててくれ」
「ん」
素直に答えて、再び扉に手をかける。その途中で、ふと振り返って彼は尋ねた。
「そういや、ナルシーバカは見たか?」
「いや、見てないけど。どうかした?」
珍しくわずかに眉を寄せて、腕組みをする。だが、すぐに鼻でフフンと笑って見せた。
「頑張りすぎて、電圧下がってんじゃねーかと思っただけ。それじゃ」
そのまま、静かに真っ暗な廊下へと滑り出していく。ガサツなように見えても、機械に異様に強いアクイラは、元通りにロックをかけて、音もなく立ち去っていった。
残ったのは、完全な静寂と、凹みまくっているザーウィンだけ。エディは小さくため息をついて、しあさっての事について、考えを巡らせ始めた。