第三章 その1『そして』
結婚式の朝が、ついにやってきた。部屋の扉が、静かにノックされる。
「おはようございます」
ロックの外れる音とともに扉が開き、レクマイヤ家の侍女がしずしずと入ってきた。その手には、明らかに礼服とおぼしき衣装があった。
「おはようございます」
すでに起きていたエディは、にっこりと穏やかに返事をした。その傍らで、ザーウィンがぽっかりとバカみたいに大きな欠伸をしている。
ここ2日、彼らは大人しかった。逃げ出すことをあきらめたのか、素直にヴァーチュの要求にも従うようになり、もう暴れることもなかった。
ミザールは最初からプリーティアに対して協力的だし、ニーナとシィクも、ジュルネイに向かってあまり嫌な顔をしなくなっていた。
「着替えをお持ちしました。今日は、こちらを」
「ああ…そういえば、結婚式だったね」
エディは立ち上がり、にこやかに愛想良く彼女の手から二人分の着替えを受け取る。その顔を、メイドはじっと見上げていた。
大人しいのは見せ掛けだけかもしれん。あれでも彼らは軍人だ…注意は怠るなよ。
主人からは、きつく、そう言われている。
「ん?どうした?」
しかし、目の前の男性はどこかのほほんとしていて、危険な様子は感じられなかった。
「俺の顔に何かついてる?」
「い、いえ」
彼女はあわてて頭を下げた。
「お式は午前10時からです。それまでに、ご朝食をお済ませください」
そのまま、そそくさと部屋を出る。ぱたん、と静かな音とともにドアが閉められるのを確認して、エディは振り返った。
「だってさ、ザーウィン」
「ああ」
ザーウィンはしっかりとうなずいた。
結婚式の最中に乗り込んで、にっくき相手から花嫁を奪う。
う〜ん、なんて美味しいシチュエーションなのだ。男のロマンってヤツじゃないか!燃える…これは、燃えるぞ!
ぐッ、と拳を握りしめた彼の顔は、完全にゆるみ切っていた。
「出ろ」
一方、狂犬のお迎えは屈強なガードマンが5人という、盛大なものだった。
TシャツにGパンといういつもの格好に、いつものように5つの銃口が突きつけられる。
「何もしねーって」
素直に両手を頭の後ろで組んで、アクイラは廊下に出た。
「知ってるよ。今日はニーナとシィクの結婚式なんだろ?いくら俺でも、そんな時に暴れねーって」
大嘘だけどな。
内心、ぺろりと舌を出しながら、彼はうながされるまま礼服に着替え、車に乗せられる。後ろ手にはめられた手錠をガチャガチャ言わせながら、アクイラは黒服たちをねめつけた。
コイツらから、のす。
そのためには、顔を覚えておかなければならなかった。
新郎の母親は、若いツバメを連れて、一足先に会場に着いていた。やたらめったら広いホールでは、ウェイターたちが忙しそうにテーブルセッティングを行っていた。
「ちょっとシャンパンでももらってこようかな」
ミザールはプリーティアのそばを離れ、ウェイターの一人に声をかけた。
「そこのお前。ちょっと」
「はい……あ」
呼ばれて立ち止まったウェイターは、一瞬だけとても驚いたような顔をしたが、すぐに真顔に戻った。
「何でしょう?ミザール少佐」
「シャンパンを二人分…って」
カッコよくすましまくって声をかけたミザールが、今度は一瞬だけ固まった。
「コウ補佐官…だったよね?何してるの、こんなとこで?」
「アルバイト」
きっぱり。
二人は笑顔で見つめあいつつ、凍りついた。
「ま、まぁいい…とにかくシャンパンだ。飲み物をくれ、ウェイター」
「かしこまりました、お客様」
引きつった笑顔のまま、コウ補佐官が厨房へと下がっていく。それを見送りながら、ミザールはぐるりと会場を見回した。
「おかしいな…」
コウ補佐官がいるなら、近くにユナイ中将がいるはずなんだけど、どこにも見当たらない。
もしかして、こいつ、本気でアルバイトか?
「はい、どうぞ、お客様」
「あ、ああ…」
グラスに口をつけながら、ミザールはひたらすら上官を――もとい。美しい男装の麗人を探しまくっていた。
で、その男装の麗人だが、その時、ホテルのロビーにいた。
星を上げての一大イベントとなるジュルネイの結婚式。それは星中に中継されることとなる。そのため、ロビーは報道関係者でごった返していた。
悪いが、彼にしよう。
そう決めると、ユナイ中将は一人の男性の後ろにそっと立った。大きなカメラボックスを肩からぶら下げ、マスコミ用の腕章パスを付けている。おあつらえ向きに、ツレはいない。
待つこと15分。そのカメラマンが、人ごみを離れてトイレに向かう。
さらに待つこと5分。むさ苦しい顔つきだったはずのカメラマンは、黒髪をたばねた端麗な容姿の美青年に取って代わられていた。
後は、会場が開かれるのを待つだけだ。
ユナイ中将は、左腕の腕章を確かめながら、じっとその時を待った。
「お美しいですわ…」
周りにいた女性たちから、ほぅ、とため息がもれる。
シィクも内心、こっそり驚いていた。
大きな姿見の中に立つ自分の姿は、かなりイケていた。青みがかったプラチナ・ブロンドと、澄んだ青い瞳に映えるよう、かすかにブルーの入ったサテンのウェディングドレス。背も高いし、スタイルもいい彼女の長所を生かしきった極上のデザインは、流れるようなシルエットを生み出していた。その白と淡いブルーのコントラストの中で、きゅっと引き締められたローズピンクの唇に、嫌でも視線が吸い寄せられてしまう。
これは、大マジでコルト首将に見せたいわ。
彼女はじっと鏡を見ながら心の中でつぶやいた。
この格好なら、あの鈍感な朴念仁でも…!
その時、遠慮なくドアが開いて、ちっこい方の花嫁さんが飛び込んできた。
「どう、どう、シィク?」
これまたキュートであった。
大ぶりの花を模した飾りをあちこちに付け、まるで動くお人形だ。大粒のエメラルドのような瞳が、興奮してきらきらしている。
「うわ!」
二人はお互いの格好を見て叫び声を上げた。
「シィク、きれえぇー!!」
「ニーナ、かッわいいー!!」
そのまま、ひしと抱き合う。
「ジュルネイなんかどうでもいいから、シィクと結婚したいよアタシー!」
「同感!」
ほのぼのとした光景に、衣装さんやメイクさんもぷぷぷと笑った。
「あ、でもやっぱり重婚だからダメだぁ」
「そうね〜」
仲良しこよしの二人は笑いながら離れて立ち、改めてお互いの格好を眺めあった。
こんな任務も、たまにはいいかもね。
笑っていない目が、お互いにそう言った。
ざわめきが大きくなる。
ステージの左端に、司会者が現れたからだ。
もうすぐ10時になる。年に一度の大イベント、ジュルネイ・レクマイヤの6度目の結婚式が始まる。
「お二人を見るのは久しぶりでしょう」
ザーウィンとエディを傍らに置いて、領主ヴァーチュ・レクマイヤは自信たっぷりにそう言った。
「素晴らしいですよ、見違えます。私も驚きましたよ」
「…あの二人は、元から可愛いです」
何故か怒っているザーウィンの言葉に、おっさんは優雅に首を振った。
「そりゃ分かってますけど、おそらくあなた方の予想以上ですよ。惚れてしまうかもしれませんよ?」
もう惚れとるっちゅーねん。
心の中でツッコミつつ、眉をピクピク震わせるザーウィンに変わって、エディがやんわりと言葉を受けた。
「そうですかー、それは楽しみです」
いっそ冷徹なまでの理性総動員による、見事な社交辞令。ちっとも笑ってないが、声はあくまでも穏やかだ。その一方で、ザーウィンの背中をきつーくつねっていたりする。
「さて、皆様…」
その時、会場の照明が一段階暗く落された。司会者にスポットライトが当てられる。
「お待たせいたしました。これより、我らがイズイラム領主、ヴァーチュ・レクマイヤ様のご子息、ジュルネイ・レクマイヤ様の結婚式を執り行います」
わあッ…!!
数千人に及ぶ客が、いっせいに歓声を上げた。コンサートホールみたいな大きなどよめきが、会場を包む。
「他人の結婚式の、何が一体そんなに面白いんだか…」
ザーウィンのつぶやきは、エディにだけ聞こえたようで、背の高い友人はゆっくりと首を振った。
「さあ、それじゃ私は行かなくては」
ヴァーチュは一人楽しげな笑顔を浮かべ、二人の傍を離れた。親族とはいえ、下座に席を作ったら、ステージにたどり着くまで一体どれぐらいかかるのか分かったものではない。司会者のすぐ近くのテーブルに、ヴァーチュとその妻、プリーティアの席は設けてあった。
なんとなく、おっさんが歩いていくのを目で追う二人。そして、プリーティアの傍らに、ぴったりと寄り添うように金髪の美形がいるのを発見した。
「……あの、バカ!」
「しばらく見ないと思ったら」
女にだけ弱いのかと思ったら、金と権力にも弱いと来たか!?
二人は、頭を抱えた。
司会者による、長々しいジュルネイの紹介の後、ようやく本日の主役であるバカ息子本人がステージ上に現れた。
その途端にまたしても、うおーとばかりに盛り上がる客。結婚式というよりは、やはりお祭り騒ぎのイベントであるようだ。
グレーの髪をオールバックにまとめ、漆黒のタキシードを身につけたジュルネイは、確かにそれなりのカッコ良さではあった。十分にTVタレントとしてぐらいはやっていけるだろう。
しかし、こんなに女の子にキャーって言われるほどのもんじゃねーだろう。
アクイラは、首だけで辺りを見回しながら思っていた。
暗くて広い宴会場。後ろ手の手錠はいまだにはめられたまま、壁際の目立たない席に座らされた彼は、もぞもぞと居心地悪そうに何度も座りなおす。さすがに、両側にぴったりと警備員がついているのでは、少々外しにくい。それに、他のメンバーがどこにいるのかも確認できなくては、いくら暴れたくても出来ない相談だった。
「お客様、お飲み物をどうぞ」
イラつく彼の肩越しに、ワインのボトルが差し出された。目の前のグラスに、なみなみと注がれる葡萄色の液体。好物だ。
けど。飲みてーけど、飲めねーんだよ!!
歯ぎしりすると、背後でカチリと小さな音がした。
「!」
普通なら、誰も気付かないようなかすかな音だろう。しかし、アクイラには、それが、錠が外れた音だと分かった。そういう音は、イヤになるほど聞いている。
思わず、ウェイターを振り返る。小さな金属のひんやりとする感触が、彼の手の中にすとんと落ちてきた。
「お客様、お静かに。もうすぐ花嫁様のご登場ですよ」
そっとささやいてウインクした男は、上官であった。
「あ、ああ…」
なんでこんな所にいるのかは知らないが…助かったぜ。
ニヤリと笑って返して、彼は答えた。
「大丈夫だ。あとは任せろ」
「――それではご登場願いましょう!」
司会者の声が一際大きくなった。
「今年の花嫁――シィク・テイテ様、ニーナ・ルヴィス・アレン様です!」
万雷の拍手とともに、スポットライトが二本、ステージの上に投げかけられた。
そして、メイドに手を引かれ、両側から二人しずしずと現れる。
片方は、青と白に彩られた、とびきりの美女。氷で出来ているんじゃないかと思うような白い頬に青銀の髪。ローズピンクの唇だけが熱を持っているかのように、艶やかに存在感を主張している。
もう片方はオレンジの原色も鮮やかな美少女。ややワイルドなイメージを残しつつ、キュートな可憐さも併せ持つ。少女にも見えるが、どことなく少年のようにも見えた。
「か…」
ザーウィンは、ぽかんと口を開けていた。
「かわいい………」
だから、その瞬間を逃してしまった。
「その結婚、ちょっと待ったァ!」
ミザールが、真紅の薔薇を片手に、めちゃくちゃカッコつけまくって、言った。
ひと息でワインを飲み干したアクイラが、叫んだ。
そしてもう一人、プレスの腕章をつけた、長い黒髪の美青年も叫んでいた。
「しまった…出遅れた!」
ザーウィンが頭を抱える間もなく、エディも立ち上がった。
「二人を返してもらおうか!」
さらに出遅れてしまった。
しかし!しかし、俺は負けない!
イベントの一部と勘違いしているのか、客は笑ったり手を叩いたりしている。だが、警備員たちにとっては予想済みの事態だったのだろう。一斉に立ち上がって動き出す。
その合間を縫って、彼らはステージへと向かって走り出した。