FLY ROUND


第三章 その2『最後の一発』

 「取り押さえろ!」
 警備員の怒号が響いた。
 「あらよっと」
 指先で手錠を回しながら、アクイラは黒服を避けてテーブルの上に飛び乗った。その足を捉えようと、一斉に手が伸びる。だが、この狂犬を素手で捕らえることが可能な人間の方が、どうかしている。
 足技だけでサクサクッと3人蹴り飛ばし、降り際にテーブルクロスをマントのように引っ張って翻す。
 「うわッ…!?」
 大きな白い布が視界いっぱいに広がって、後続のガードマンたちがわずかにひるむ。次の瞬間には、見えない場所からやたらと重いパンチが繰り出され、彼らは次々と倒れていった。

 エディが大きな丸テーブルに片手をかけると、ザーウィンはさっ、と頭を抱えてしゃがみこんだ。
 「ほい」
 フリスビーを投げるように、ちょっと手首のスナップを効かせてくいとひねる。すると、丸テーブルはまさにフリスビーと化してザーウィンの頭を上を越え、宴会場の空を舞い、そのまま飛んでいった。横一列に並んでこっちへ向かっていた警備員たちを、左から順番に次々となぎ倒す。うっかりドミノかと間違えるほどに、イイ感じの倒れ方だった。
 「よし」
 エディのつぶやきを聞いて、ザーウィンが立ち上がる。
 「それじゃ二人を…」
 ――ゴウッ!!
 激しく風を切る音とともに、フリスビーが戻ってきた。
 エディは事も無げに、ぱしっと片手で受け止める。
 「エディ…?」
 いやーな気配に振り向くと、目の前に机のフチがあった。ちょっと遅れていたら、ザーウィンの後頭部直撃だ。
 「さ、もう1回いっとくかな」
 笑ってテーブルブーメランを構えるエディ。
 「お前、今、何か誤魔化さなかったか?」

 青ざめたプリーティアは、目の前の美青年に取りすがろうとした。しかし、彼は優しい笑顔を浮かべてその手をやんわりと押し留め、シルクのハンカチを取り出した。
 「申し訳ありません、マダム」
 「ミ…ミザール?」
 「僕は、あなたのようなご夫人を傷つけたくはない。けれど」
 柔らかなハンカチを紐のようにねじり、あくまでも優しく、プリーティアの手首に巻いた。
 「これも上からの命令なのです。ああっ、僕は…僕は、本当はこんなこと、やりたくないのに!」
 言いながら、指は一時も休む事なく、彼女の両手首を合わせて縛り上げてしまった。
 「おい、ちょっと待てッ!」
 あまりにソフトなやり方だったので出遅れてしまったヴァーチュが、あわてて妻とミザールの間に割って入ろうとする。しかし、あわてず騒がず、ミザールは、軽く右肘を上げた。
 ごきん、と鈍い音がした。
 「おっと、失礼」
 きれいな角度で、肘があごに入った。
 「ぐはあっ…!?」
 人のものとは思えない、異様に固い肘鉄により、ヴァーチュはゆっくりと仰向けに倒れていった。
 「あ、あなたッ?」
 「失礼、マダム。今のは…事故です」
 きっぱりとそう言い切って、ミザールは微笑んだ。その手は、しっかりと二人の犯罪者を捕らえていた。

 この騒ぎは、イベントではない。本当に本気で、暴れん坊たちが暴れているのだ。それが分かって、事情の分からない客人たちはパニックに陥っていた。
 「あわてないで、大丈夫です!こちらから出られます、前の人を押さないで!ゆっくり!!」
 その中で、ウェイター姿のコウ補佐官は、冷静に彼らを誘導し、宴会場から避難させていた。一般市民を戦闘に巻き込まない。これも、大事な軍人のお仕事だ。
 「大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
 「え、ええ、大丈夫よ…」
 転びそうな老婦人を支えて、出口まで案内する。その一方で、この乱闘を撮影しようと群がるプレスの一団を蹴散らすことも忘れない。
 「報道関係のみなさんも、避難して下さい!怪我しますよ!」
 「おい、押すな!」
 「いいから、外へ出ててください!」
 他のウェイターたちを率いて、やや乱暴にカメラマンたちを押し出す。
 「全員出したら、みんなも外へ…」
 その時、人垣の中からにゅっと腕が伸びてきて、補佐官の手をつかんだ。
 「馬鹿者!私まで…押し出すな!」
 男性にしては白くて華奢な爪。
 「中将!?」
 あわてて引っ張ると、むさ苦しすぎる男性のカタマリの中から、ちょっとヨレヨレになった美青年が出てきた。プレスの腕章こそしているが、紛れもなく、彼の大切な上官だ。
 「よく、ここへ」
 「話は後だ」
 彼女はキッ、と眉を吊り上げ、ステージの上をにらんだ。
 「首将と連絡はついている。アリストテレスの正規艦隊がイズイラムを目指してる…早く、この場を始末するんだ!」

 「く…くそッ!」
 ステージの上、二人の花嫁に挟まれて、ジュルネイは歯ぎしりをした。
 ついさっきまでは、幸せの絶頂にいたはずなのに。
 見下ろす宴会場は阿鼻叫喚の地獄だった。むさ苦しい男たちが我が物顔に暴れまくり、招待した客は逃げ惑っている。頼みの綱の父親は白目を向いて倒れているし、母親は気が抜けたように立ち尽くしていた。
 「くそッ…くそ、くそ、くそッ!!」
 唾を吐き、怒りもあらわに手袋を投げ捨てる。
 だが――まだ、俺には彼女たちがいる。
 そう思い直して、ジュルネイは両手を広げた。そのまま、力任せに二人の背中を抱いて、引き寄せる。
 いくら軍人とはいえ、女は女。それに、二人は医者と言語学者だと聞いた。頭脳労働担当なら、力はそんなにないはずだ。
 「あ…」
 案の定、二人は驚いたように、小さく可愛く声を上げた。
 そうそう、それでい……
 だが、次の瞬間、彼は自らの誤りを悟った。
 「触るな!!」
 怒号一閃。目にもとまらぬスピードのパンチが、みぞおちに入った。
 ニーナの拳は、常人の動体視力ではとてもではないが見ることは出来ない。返す拳でテンプルにも一発、そのままジュルネイはへなへなと膝から崩れ落ちた。
 「まったく…手袋汚れちゃったヨ」
 つまらなさそうに言って、彼女は男の汗のついてしまった手袋を外した。
 「シィクのドレスは、汚れてない?」
 「うん、大丈夫」
 それを聞いて、ニーナはにっこりと微笑んだ。
 「良かったー。首将に見せる前に汚したんじゃ楽しくないもんね」
 そう。二人がジュルネイに逆らわず、じっとしていたのは、せっかくのドレスを汚したくないから、という理由があったからなのだ。
 「でも、あたしは面倒くさいからもういいや」
 長くてフリフリの裾をがばっと両手でつかんで、歩き出すニーナ。行き先は、眼下の乱闘会場だ。
 「いっくよ〜!」
 言うが早いか、ステージを蹴って、空中高く飛び出した。
 真下には、ザーウィンとエディがいる。
 「ちゃんと拾ってねー!」
 楽しそうに叫んで、彼女は落ちて行った。

 ウェディングドレス姿の彼女が、頭上から降ってくる。
 「ニーナさん!」
 ザーウィンは、とっさに両手を出した。軍人にしては非力な彼だが、それにもましてニーナはちっちゃい。十分、支えられる。
 あれが…この腕の中に、こう、スポッと。
 そう考えると、自然と気合も入るってもんだ。彼は衝撃に備えて、腰を落として待った。
 だが。
 「エディ、取ってぇー!」
 「はいはい」
 ご指名を受けたエディが片手を出して、ボールでも取るかのようにひょいと受け止める。腕の上で軽くバランスを取った後、ニーナはぽんと床に飛び降りた。
 「ニ、ニーナさん?」
 「あー、窮屈窮屈」
 言うが早いか、頭のベールをぽいと捨て、長いドレスの裾をビリビリと破り始める。
 「あ…あ、ああああぁぁ!」
 思わずザーウィンは叫び声を上げた。
 「せ、せっかくのドレスが!」
 「え?いーじゃん、別に。動きにくいし」
 さっぱりと答えながら、襲いかかって来る警備員を一人、サクッと投げ飛ばす。ついでに懐から頂いた銃を構えて、彼女はにっこり笑った。
 なんと言うか…コレはコレで刺激的。
 「イヤ、違う!」
 ザーウィンは頭を振って、ショートになってしまったウェディングドレスから視線を引き剥がし、別方向へ顔を向けた。
 「と、とにかく!制圧だ、制圧!!」
 「もうほとんど終わってるけど?」
 冷静なエディのツッコミ。
 まだ立っている警備員はいるにはいるけど、さすがに戦意も喪失したのか、呆然としている奴も多い。領主夫妻の身柄もミザールがちゃっかり押さえているし、もうほとんど用事は終わったかのように見えた。アクイラは暴れ足りないのか、片っ端から物品破壊にいそしんでいるようだったが。
 「…そうだな」
 3人は、ステージの上を見上げた。
 その後ろから、ユナイ中将とコウ補佐官も駆けつけて来た。

 シィクは両手を広げて首を左右に振り、目の前の青年に言った。
 「ま、ざっとこんなもんね」
 「く…ッ」
 痛む腹を抱え、両膝をついたまま、ジュルネイは屈辱に唇を噛んだ。
 「お前たちッ…いい気に、なるなよ!」
 「あら?まだヤル気?」
 「ウチの…軍をなめるな」
 そう言って、ポケットから通信機とおぼしき小さな機械を取り出した。震える指で、ボタンを操作する。
 「レクマイヤ軍…全軍出撃」
 バカ息子は、低い声でそう告げた。
 「ああ…そうだ。この、連邦の犬どもを、木っ端微塵にするんだ!」

 ジュルネイの命令を受けて、領主の館はたちまちおおわらわになった。
 広大な庭のあちこちが、秘密基地よろしくぱかぱかと開いて、ミサイルだの戦闘機だのがぞくぞくと姿を現す。どこに隠れていたのか知らないが、完全装備の一個大隊も整列した。本気の軍隊だ。
 「目標!ホテル・リタ・サラサン」
 指揮官が叫んだ。
 「にっくき連邦軍人を倒し、領主様、奥方様、お坊ちゃまをお助けする!全軍、出撃!」
 彼らの傍らから、ミサイルも景気よく発射された。

 市街地に鳴り渡る、けたたましいサイレン。
 互いの顔を見合わせるザーウィンたちとは裏腹に、ジュルネイは勝ち誇ったように叫んだ。
 「もう遅いぞ。今、こちらに向かってミサイルを発射した」
 「な…何ィ!?」
 それに応じて、ミザールとユナイ中将が声を上げた。
 「あの、領地の地下に格納してあったミサイルか!?」
 「そうだ。よく知ってるな」
 「僕の眼力をもってすれば、その程度のことは見抜ける」
 ミザールはめちゃくちゃカッコつけて答えた。
 「対地砲、対空砲…いや、アレは射程距離が短めだから違うな。こちらに来るのは弾道ミサイルだな?」
 「どうして、そこまで」
 「この目で見たからね」
 長い金髪をかきあげ、美しい青い目でジュルネイをねめつける。
 「僕のこの目はスペシャルなんだよ。何だって見えるんだよ」
 そう。その青い右目の奥をよくのぞき込めば、巧妙に隠された機械装置の回路がわずかに垣間見える。半分は生身の身体だが、右半身はメカで出来ているのだ。遠視も透視もお手の物なのだ。
 「威張ってないで、到達時間を計算しろ、バカ」
 アクイラがミザールの首根っこをつかんだ。
 「23分46秒だよ」
 「迎撃する」
 エディがきびすを返した。
 「中佐、どこへ」
 「武器を調達してくる。付き合え、アクイラ」
 「おう!」
 ユナイ中将の言葉に短く答え、二人は宴会場を出て行った。
 「23分38秒」
 実に正確にミザールが時を刻む。ザーウィンはうなずいた。
 「シィクさん、ニーナさん。領主夫妻の確保、お願いします」
 「了解」
 「私たちは?」
 たずねるユナイ中将に、彼は指示を出す。
 「あのバカの確保を」
 「分かりました」
 そして、自分は…。
 今や、サイレンの音に誰もが逃げ出して、がらんとした宴会場を振り返り、ザーウィンは一人つぶやいた。
 「とりあえず、やる事ないなぁ…」

続く。

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