ブラッド・スター・ルビー


 赤の盗賊の凶行は、それから毎夜、続いた。ウラネリアの民は助かったと思ったに違いないが、マルフィニアの住人にとっては眠れない夜が始まることになった。
 ウリーラとディアスは毎日盗賊の手がかりを求めて街中をうろついていた。
 「昼間はどこかで寝てると思うんだけど…」
 ディアスの意見に、ウリーラはうなずいた。
 「いくら無敵になってるとはいえ、一晩にあれだけの大立ち回りを演じて、それから重い金貨をかついで帰るんだ。疲れないはずはない」
 「ああ」
 その日も一日、スラム街まで足を伸ばして歩き回った挙げ句、二人は気晴らしに市場を見にやって来ていた。
 夕方の市場は活気に満ち溢れ、買物客でごった返している。
 「この街には、こんなに人がいたのか?」
 ディアスが驚嘆の声を上げた。
 「何だ、ディアス?そんなにびっくりして。もしかして、市場に来るのは初めてか?」
 「そうだよ」
 ぽかんとした顔つきのまま彼が答えると、ウリーラはくすくすと笑った。
 「本当にお坊ちゃんなんだな。よーし、わたしがこういう所の楽しみ方を教えてあげるよ」
 「うん、頼む」
 最近彼女はよく笑う。そんなことを考えながら、ディアスは少女の後ろに立って歩き始めた。人込みの中をぬって行くと、さっそく香ばしい香りが漂って来た。
 「何か、いい匂いだな」
 「あの屋台だ。ほら」
 ウリーラの指差す先では、箱みたいな小さな店の中で、おばさんが串に刺した肉を焼いていた。
 「あれが、屋台」
 「腹減ってんじゃない?ちょっともらっていこうか」
 彼女は言うが早いか、ディアスの手を引っ張って屋台の前に立った。
 「おばちゃん、2本ね」
 「あいよ、ありがとッ!」
 にこにことおばさんから串を受け取り、彼女は連れを振り返る。
 「はい、ディアス、お勘定」
 「え?」
 「2本で銅貨2枚だよ。ほら、早く」
 せかされるまま、彼は思わずお金を払ってしまった。
 「はい毎度」
 それから、彼女を振り返る。
 「両方、僕が?」
 「いいじゃん。ガイド料だよ」
 ウリーラはぺろっと舌を出した。出会った頃には何があっても笑うことのなかった緑の瞳が、今は雄弁に、もうかっちゃった、と喜んでいる。
 「分かったよ」
 彼も微笑んだ。
 「でも次からは…む」
 払わないからな、という台詞は、口の中に突っ込まれた串のせいで飲み込まれてしまった。
 「熱いうちが美味しいからね。冷めないうちに、食べちゃいな」
 素直で、邪気のない笑顔。ここ数日で、彼女は如実に変わったように思える。ディアスはそれを何となく嬉しく感じながら、串から肉を取って食べ始めた。
 「うん、美味しい…けど、立ったまま食べるのは行儀が悪いぞ」
 「いいのいいの。屋台の食べ物は、立って食べるのが礼儀だよ」
 「へーえ」
 串を食べ食べ、二人はまた歩き出した。
 市場に並んでいるほとんどのものが、ディアスには初めて見るものだった。固まりのままの肉も、生の魚も、丸ごとの野菜も、彼の目には新鮮に映る。そしてウリーラは、いちいち驚く彼の反応を笑いながら楽しんでいた。
 果物屋の前に来た時だった。
 「へぇ、果物はそのまま売ってるんだ」
 ディアスの言葉にウリーラが応じる。
 「ああ。果物はこのまま食べられるからな。例えば、これなんか」
 白い手がひょい、と伸びて、店先の黄色い果物をつまみ上げた。そしてそのまま、その果物はぱくりとウリーラにかじられてしまった。
 「うん、甘ーい!」
 「ウリーラ!」
 「お客さん!」
 ディアスと店の親父が同時に声をあげる。だが彼女は動じることなく、今度はディアスの口にそれをおしつけた。
 「……」
 「なっ、美味しいだろ?」
 ディアスは黙ったまま口の中のみずみずしい果実をかみ砕いて飲み込み、それから店主を振り返った。
 「これ、おいくらですか?」
 「銀貨1枚だよ」
 「じゃ、これを」
 財布の中から1枚、銀色のコインが逃げていく。
 ウリーラはというと、あらぬ方を向いて残りの果物を食べている。代金を払ってディアスが振り向くと、彼女は横目で彼を見て、それからにこっと笑った。
 「ウリーラ」
 「なぁに、ディアス?」
 笑顔の彼女は、本当に可愛らしかった。
 「欲しいんなら欲しいと、どうして先に一言言わないんだい?」
 「だって、見てたら食べたくなっちゃったんだもん」
 悪気のない口調に、ディアスはがっくりうなだれた。
 「頼むから…そういう突飛な行動は」
 よしてくれ。
 そう言う前に、ふいに彼女がすっとディアスの腕に自分の腕をからませた。そのまま、まるで仲の良い恋人同士であるかのようにぎゅっとしがみつき、にっこり微笑んで彼を見上げる。
 「ゴメンね、ディアス。許してちょうだい」
 聞き慣れない女言葉と、満面の笑顔。ディアスは、思わず自分の顔が熱くなるのを感じた。
 「なっ…い、いきなり何言い出すんだよ、ウリーラ」
 あわてて引っぺがそうとする彼の手を、少女は優しく包み込んだ。小さく柔らかく温かい感触に、思わず唾を飲み込むディアス。
 しかし、次にウリーラの発した言葉は、小さなささやきではあったが、冷静ないつもの彼女のものに戻っていた。
 「離れるな、ディアス。誰かが…わたしたちを狙っている」
 「えっ?」
 「振り向くな。今から、人気のないところまでおびき寄せるから」
 「わ、分かった」
 腕を組んだまま、しかしディアスは少々落胆の色を隠し切れずにいた。
 今のは、演技だったのか…。
 背後から二人を狙っている連中とやらのこともそれなりに気になったが、やはり、彼女の行為が演技だったことの方が、気になるのだった。

 いくつかの路地を曲ると、そこは行き止まりだった。
 ウリーラはディアスにくっついたまま、無言でレンガの壁を見上げた。彼女一人ならば楽々登れるし、このまま追ってをまき、ディアスを連れて逃げることも出来た。
 だが、彼女は逃げようとはしなかった。
 「…ウリーラ」
 背後からひしひしと迫って来る殺気に、ディアスは不安げな声を出した。
 「君、何か人の恨みを買うようなことをしたの?」
 「さぁね。ディアスは?」
 「多分、してないと思う」
 二人は手を離し、ゆっくりと後ろを振り返った。逆光でよく見えなかったが、どうやら二人組の男のようだった。
 「誰かな?」
 「人違いだといいけど」
 小さくささやきを交わした後、意を決して追手の方に向き直る。
 「お前たち…何者だ!」
 黙ったまま、こちらを舐めるように見つめていた彼らに、ディアスが凛とした声を張り上げた。生まれながらに持つ品位と誇りが一瞬相手をたじろがせた様だったが、彼らはすぐに口を開いた。ディアスの問いに、答えたわけではなかった。
 「貴様…その黒い髪は、染めてるんじゃねえのか?」
 「何だと?」
 「その髪の毛、本当は赤いんじゃねえのかと聞いている」
 「な…ッ!?」
 ディアスは呆然と立ち尽くした。
 しかし、その斜め後ろに立っていたウリーラはもっとうろたえ、完全に色を失っていた。
 この二人は…わたしを、追って来たのか。
 彼らが動くと、横顔に光が差した。中年の男の方は片目が潰れ、顔に大きな傷が走っていた。もう一人は左手が途中からない若い男。彼女は、二人の顔を思い出していた。
 まさか…あの時の。
 「……一体何の事だ。説明しろ」
 そんな彼女の様子に気付くわけもなく、ディアスは問う。二人の男は手に手に剣を構え、じりじりと詰め寄って来ながら答えた。
 「説明しろだと?とぼけるのもいい加減にしろ、この殺人鬼め」
 片目の男がそう言って、ぺっと唾を吐く。
 「貴様らだろうが、俺の妻と子供を殺したのは!そうじゃないのか、赤の盗賊!!」
 ディアスの顔から、血の気が引いた。
 「僕が…赤の盗賊?」
 「違うとでも言いたいのか?それとも兄ちゃん、あんた、あの小娘に騙されてるとでも?」
 言われるまま、彼は少女を振り返った。硬直したままの彼女に、容赦なく怒号が浴びせかけられる。
 「貴様は間違いなく、赤の盗賊だな?その赤毛、見覚えがあるぞ!」
 「髪を切ったところで、体格で分かるんだ。さあ、何か言ってみろ!」
 ウリーラは二人の男を見つめ、それからディアスを見た。ディアスの目は、真っ直ぐに彼女を見詰めかえしていた。
 「ディアス……」
 知られた以上は、どんなに有能で、おまけに愛想と金払いがいい相棒とはいえ、殺さなければならない。ウリーラは、腰の剣にそっと手をかけた。
 思えば、この剣も、ディアスが買ってくれたものだ。
 そう思うと――手を添えてみても、何故か、柄を握れない。
 「わたしは」
 その時、再びディアスがくるりと振り返り、二人の男に向かって言った。
 「違う。彼女は、赤の盗賊などではない」
 「何だと?」
 片目の男がうなるような声を出した。
 「残念だが、人違いだ」
 その怒りの形相にひるむことなく、ディアスは胸を張って宣言する。
 「これ以上、変な言いがかりはやめてもらおう。彼女を侮辱するな」
 ディアスが怒っている。いつもなら、彼女が少々破天荒な事をしようとも苦笑いで済ませてくれる温厚な彼が、明らかに怒っているのが伝わってくる。
 ウリーラは言葉もなく相棒の背中を、そして二人の追っ手を見つめた。
 「ならば、貴様も一緒に倒すだけだ」
 若い方の男が言った。
 「赤の盗賊をかばうような奴も、死んじまえばいいんだ!」
 剣が振り下ろされた。
 「ディアス!」
 彼女もとっさに剣を抜いた。
 ディアスが本当に彼女のことを信じてくれているかどうか、自信はなかった。だが、とにかく、彼を守らなければいけない。接近戦では、魔法使いは圧倒的に不利なのだから。
 「貴様の相手は俺だ!」
 しかし、彼女の行く手は、もう一人の片目の男に遮られた。大柄な体に立ちふさがれて、ディアスが見えない。
 「何をする、そこをどけ!」
 「はいそうですかと…」
 男が力いっぱい剣を振りかぶった。
 「通せるか!」
 その瞬間、ウリーラは跳んだ。男は地面に突き立ててしまった剣の柄をあわてて握り締める。
 「ディアスの命が賭かってんだよ!」
 予想外の事態に驚いて動きの鈍くなった男の首に、後ろから蹴りを入れると、相手はあっけなくどっと倒れた。だが、着地したウリーラは、背後のことなどすでに見ていなかった。
 「ディアス!」
 彼は、地面に転がっていた。その脇腹を剣がかすめ、赤い血が土の上へと、流れ出していた。
 ウリーラの動きが、ふと、止まった。その視線は吸い寄せられるように赤い流れを追い、そして、彼女は、剣を構えて舌なめずりをした。
 「それぐらいでは、足りないぞ」
 彼女の台詞に、相手の男も、こちらに顔を向けて倒れていたディアスも、ぎょっとした表情を見せた。
 「足りないとは、一体何が…」
 剣を構え直して尋ねた男に、ウリーラは微笑みかけた。背筋の凍るような、妖しく冷たい笑顔だった。
 出会った時の、彼女を思い出させるような。
 「人というものはな」
 彼女はつかつかと男に歩み寄った。
 「こうやって斬るものだ!」
 刃が横薙ぎに振り払われた。渾身の力を込めた剣は男の横腹に深々と突き刺さり、柔らかい皮膚を裂いて赤い血潮をほとばしらせた。だが、鍛えられた男性の胴体を真っ二つに切り離すには到底至らない。
 「やはり、この剣ではだめか」
 ウリーラはつぶやいた。傷口を押さえてうずくまる男の目の前に赤く染まった切っ先を突きつけ、笑った。
 「だが、お前の血はもっと見せてもらうぞ」
 何のためらいもなく、再び彼女は男の肩に剣を突き立てた。
 真紅の血が、新しい傷口からほとばしる。乾いた土がみるみる赤く黒く染まっていく。
 男はただ白い顔で、それを見つめていた。剣が引き抜かれ、そして再び振り下ろされるのを、霞んだ目で見ている事しか出来なかった。
 ――が、剣は、振り下ろされなかった。
 「ウリーラ」
 その声に、彼女の動きは止まっていた。
 「………」
 振り向くと、剣を杖代わりにして、そこにディアスが立っていた。
 「やめるんだ、ウリーラ」
 「ディアス…ディアス!」
 彼女は目が覚めたかのように驚き、彼に駆け寄った。
 「動くな、ディアス!血が、出るじゃないか!」
 「ウリーラ」
 よろめくディアスを抱きかかえるように支えると、彼は満足そうに大きな溜息をついた。
 「正気に戻ったんだね、ウリーラ…」
 「…正気に戻った?わたしが?」
 ウリーラには、何のことかよく分からなかった。だが、聞き返す前に、ディアスの体から力が抜けた。
 「ディアス!しっかりしろ!」
 二人の追っ手はどちらも気を失って倒れている。逃げ出すなら、今しかない。
 「死ぬなよ、ディアス…頼むから」
 小さな体つきからは想像出来ないほどの力を込めて、彼女はディアスを背負った。ふらつく足で歩き出す。
 しっかりしろ、ディアス。
 やりたい事をしないうちに死んだりしたら、承知しないからな!

続く

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