ブラッド・スター・ルビー


 一体どれぐらいの間、こうしていたのだろう。
 高熱で汗をかいてうめいていた時もあったし、悪寒で歯を鳴らしていた時もあった。それさえも朦朧として、本当にあった事なのかどうか、忘れかけている。
 何はともあれ、今は何となく気分がいい。目でも…開けてみようかな。
 ディアスは病床にあった。刀傷はそれほど深くはなかったのだが、あの男の剣には毒が塗ってあったため、昼夜の別なくうなされ続けていた。もちろん本人はそんな自覚もないまま、夢と現実の狭間をうつらうつらと行き来するだけ。
 彼がようやく意識を取り戻し、まぶたを開いたのは、傷を負って丸一週間後の真夜中のことだった。
 ……ここは、どこだ?
 部屋の中は月の光に照らされ、ぼんやりと青く、薄暗かった。窓が半分ほど開いて、カーテンが風に舞っている。冷んやりとした空気を吸い込み、次第にディアスの頭ははっきりとしてきた。
 そうだ。ウリーラを追って来た奴らに襲われて、怪我をして…それで、僕は寝ていたのか。意外と傷が深かったのかな。
 色々なことを考えながら、彼はゆっくりと首を巡らせた。いつもの宿屋なら隣にもう一つベッドがあって、そこに相棒の少女が眠っているはずだった。
 「…ウリーラ?」
 そっと呼びかけてみるが、返事はない。ベッドはあったが、そこはもぬけの殻だった。毛布はさっきまで人が眠っていたかのような形に盛り上がっていたが、部屋の中に人の気配はなかった。
 こんな夜中に、一体どこへ?
 そう思った瞬間、窓のところで小さな物音がした。
 「?」
 何だろうと思う間もなく、半開きの窓から部屋の中へ、人影が一つ、ひょいと飛び込んで来た。
 ど…泥棒?
 ディアスは体を固くした。毛布の下で、そっと脇腹の傷口に手を伸ばす。じっとしていれば痛みはないが、起き上がっても大丈夫かどうかは分からなかった。
 薄暗がりの中で、侵入者は悠然とサイトテーブルの上を探り始めた。カーテンが揺れ、差し込んで来た月の光が横顔を照らし出す。相手の姿を盗み見たディアスは、息を呑んだ。
 赤い仮面…!
 確かによく見てみれば、髪も赤いし、着ている服も赤ではないか。ディアスは恐怖にすくみながらも、剣を求めてそろそろと枕元に手を伸ばした。
 それには気付かないのか、赤い姿の侵入者は腰につけた袋から、何やら小さく平たい、銀色に光るものを取り出して、彼の方に向き直る。そして、少し首を傾げるようにして、言った。
 「気がついたのか、ディアス?」
 「え?」
 聞き慣れた声に、ディアスは伸ばしていた手をびくっとして引っ込めた。
 どうして、僕の名を…?
 聞き返すこともままならず凍り付いた彼は、その次に赤の盗賊が起こした行動に、もっと面食らうことになった。
 「…良かった!」
 そう言うなり、盗賊はディアスに抱きついてきた。赤く短い髪の毛が、鼻をくすぐる。
 「まさか…ウリーラ?」
 「あっ、そうか」
 ディアスの声で、相手は体を起こした。赤い仮面を取ると、そこにはいつものウリーラの笑顔があった。
 「わたしだ。驚かせてすまない」
 「…びっくりしたよ」
 彼は、ほんの少し涙ぐんでいるようにも見える少女の顔を見ながら、ためていた息を吐いた。ウリーラもほっと安堵の溜息をつき、それからおもむろに、先程の銀色のものを自慢げな顔つきで取り出した。
 「それは何?」
 「薬草。あんたの傷を治す、一番の特効薬。夜光蘭の葉さ」
 そう言って、彼女は毛布をめくり上げた。手際良く包帯をほどき、傷口をあらわにする。
 「あいつら、毒を使いやがったんだ。ほら、自分で見えるか?」
 彼は、ウリーラに肩を支えてもらって半身を起こした。月明かりの下、剥き出しの自分の腹を見ると、一部分だけが不自然にどす黒く変色していた。
 「ひどいだろう?毒を使うなんて、剣士の風上にもおけないな…これならその場で倒せなくとも、傷を負わせるだけでいいからな。ちゃんと治療をしないと、そのうち傷口が腐って、死ぬ」
 「腐る…!?」
 「あんたは大丈夫だよ、そんな顔するなって」
 顔面蒼白になったディアスに、ウリーラは優しく微笑みかけた。
 「一日一回、この葉を傷口に貼り付けておくと、こいつが毒を吸い出してくれる。こうやって」
 彼女の細い指が、傷口から黒いよれよれのものをそっと引き剥がした。新しい銀色の葉は傷口にぴたりと貼りつき、そこにまた、丁寧な手つきで新しい包帯が巻かれる。
 「あと三日もすれば完全に良くなる。安心して寝ててくれ」
 「うん」
 ディアスに毛布をかけると、ウリーラは赤い鎧を脱ぎにかかった。
 「……ところでさ、ウリーラ」
 いきなり目の前で始まった着替えシーンを見ないように、彼は窓の外を見ながら尋ねた。
 どうして、赤の盗賊と同じ格好をしてるの?
 本当はそう言いたかったのだが、実際には唇からは別の言葉がこぼれていた。
 「夜光蘭て、高価だろ。何枚ぐらい…使った?」
 「…一週間分だから、八枚、かな?それがどうかした?」
 「お金どうしたの」
 ウリーラが、一瞬体を固くする。
 「僕らの持ち物、全部売り払っても足りなかったんじゃないのかい?」
 「盗んできたんだよ」
 ちょっとだけ肩をすくめて、彼女は答えた。
 「そのうち機会があったら言おうと思ってた。わたしは、あの服屋の娘じゃない」
 「それは…何となく、分かってた」。
 彼がうなずくと、ウリーラは一息おいて、さらに話を続けた。
 「あの親子とはたまたまあそこで一緒になっただけで…わたしは、本当は孤児なんだ」
 それは知らなかった。
 ディアスは振り返った。ウリーラは普段着に着替えてベッドに腰かけ、じっと彼を見つめていた。
 「あんたみたいに恵まれた人には分からないかもしれないけど…わたしは、生きてくために何でもやった。スリだって、盗みだって、詐欺だってやった。人殺しも」
 緑色の目は澄んでいた。ガラス玉のように澄み切った瞳に射抜かれて、ディアスは不思議な安心感を覚えていた。
 が、その緑色がふと曇り、彼は途端に不安になった。少女は目を逸らした。
 「軽蔑するだろ?盗賊稼業なんて」
 悲しんでいる。寂しがっている。
 ディアスは思った。
 昔の彼ならば、盗賊など虫ケラ程度にしか考えなかっただろう。だが今は、彼女が素直に自分が盗賊だと言ってくれているのが妙に嬉しかった。
 「軽蔑なんてしてないよ」
 彼は答える。
 「そうしなければ、ならなかったんだ。それに、君が盗賊でなければ、僕は今ごろ死んでいた…感謝しているよ」
 「……ディアス」
 ウリーラは驚いて彼を見た。思いがけない台詞に呆然としている。
 「結構、言うようになったな」
 「そうかな?」
 「そうだよ」
 彼女はほっとしたように笑って、それからベッドに潜り込んだ。
 「ま、今はこれぐらいにしとこうか。朝起きられないのは困るが、夜起きられないのはもっと困るからね」
 「そうだね」
 言われてディアスも目を閉じた。
 「明日も頼むよ、ウリーラ…でも」
 彼は、ぽつりと言った。
 「赤の盗賊の真似するのだけは、やめてくれよ」
 返事はなかった。ただ、規則正しい寝息が応えただけだった。

 数日後、ディアスの傷も完全に治ったため、二人はマルフィニアの街を後にした。赤の盗賊がここを捨て、さらに北へと向かったという噂を聞いたからだった。
 一緒に並んで歩きながら、それにしても、とウリーラは思う。
 この男、意外と食えん奴だな。見かけは品の良いお坊ちゃんで、お人好しで…
 「どうしたの?僕の顔に、何かついてる?」
 ディアスが彼女を見た。
 「いや。ただ、こうやってよく見ると、あんたなかなかイイ男だな、と思って」
 途端に、ほほがかあっと赤くなった。
 …だまされやすくて、からかい甲斐がある。だが、分からない。
 「なっ、何言ってんだよ、いきなり」
 黒い目はうろたえ、彼女に救いを求めてきた。真っ直ぐな光は、しかし嬉しいとはっきり言っている。
 この目が、ウリーラには分からなかった。
 どうしてだ、ディアス?まさかまだ、知らないわけはないだろう?
 わたしが赤の盗賊だと、その片割れだと、気付いていないはずはないのに、どうしてそんな無邪気な顔でわたしを見るんだ。
 「…どうしたの、ウリーラ。今度はそんな深刻な顔して」
 ふいに考え込んで返事をしなくなった彼女を、ディアスは不安げにのぞきこんでいた。
 違う。
 その目は、親の仇を見る目ではない、ディアス。それは、ラジュアがわたしを見ていた時の目――愛しい者を見る時の目だ!
 本当は、今すぐにでも、そう言ってやりたかった。だが、万が一、本当にディアスが真実を知らなかったら、と思うと、口に出す事も出来ない。彼女は苦々しげに唇を曲げて見せた後、微笑んだ。
 「なーに、大したことじゃないよ。ただ、ほら、あそこに村が見えるだろ?空も赤くなってきたし、今夜はあそこで泊るところでも貸してもらおうかと思ってただけさ」
 「あっ、なるほど」
 賢いんだか抜けているのか、ちっとも分からない。そこがもっとも食えないところだと、ウリーラは思った。
 「だったらぼーっとしてないで早く行こうよ」
 「ああ」
 二人は歩き出した。丸木橋のかかった小川を越えると、村はすぐそこにあった。
 誰も答える者のいない村が。
 家々からは、かまどの煙が薄く立ち昇っていたが、村はひっそりと静まり返っていた。
 「…何だろう?この村は」
 ディアスはつぶやいてウリーラを振り返った。
 「人の気配がしないな…」
 彼女も首を傾げた。呆然と立ち尽くす二人の間を、風が通り抜けていく。ウリーラは、その風の匂いを知っていた。
 「血の匂いがする…」
 「何だって?」
 ディアスが彼女を振り返った。彼女はじっと息をひそめ、目を細めて、しんとした家並みに視線をくれた。
 「行ってみよう」
 腰の剣を抜く。
 「気を抜くな。何が出るか分からない」
 「…うん」
 二人はうなずきあい、村の中へとさらに踏み込んでいった。

続く

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