ブラッド・スター・ルビー


 村はずたずただった。
 「……酷い」
 さすがのウリーラも、原形を留めないままごろごろと転がる死体に言葉を失った。ディアスも青い顔をしていたが、目を逸らさず、はっきりとした口調で言った。
 「酷いだろう、ウリーラ。これが、赤の盗賊だよ」
 「…何?」
 彼女は驚いて振り返った。血の気のない白い顔を黒い髪が縁取り、ディアスはぞっとするほどに冷たい表情を浮かべていた。
 「僕の家族もこんな風にズタズタに切り刻まれたんだ。使用人たちも全て、一人残らず殺された。そう、一人も…犬一匹さえも、残さずね」
 ウリーラを見つめる彼の目は、氷のように澄んでいた。底知れぬ程に深い、憎しみと悲しみがあった。
 知っている。
 彼女は硬直した。
 ディアス…知っている。わたしが仇だと、知っている!
 「誰だろうね、ブラッド・スター・ルビーを聖剣だと言ったのは。あの剣は、持つ者を殺戮へと駆り立てる」
 魔剣だ。
 ウリーラは、その言葉を、まるで夢の中にでもいるかのように、ぼんやりと聞いた。
 殺される。
 それだけが頭の中にあった。
 ディアス……あんたになら、わたしは殺されても構わない。だが、まだ殺されるわけにはいかない。あんた一人では、ラジュアに勝てない…あんたが、殺されてしまう!
 ディアスの目が細くなった。
 「どうしたの、ウリーラ?君らしくもない、そんなに震えて」
 それが、もう一瞬遅れていたら、二人とも取り返しのつかない行動に出ていたかも知れなかった。だが、まさにその時に、二人の間に、小さな声が割って入った。
 それは、幼い子供の泣き声だった。
 風に混じってかすかに聞こえるその声に、まずディアスが、それからウリーラが反応した。
 「誰か泣いてる?」
 「…子供か?」
 二人は同時にその声がする方を向き、それからお互いの顔を見た。
 どちらともなくばつの悪そうな笑顔を浮かべ、そして、真顔に戻った。
 「どうやら、生き残った子供がいるらしいな」
 「探そう!」
 先を争うように走り出す。一際大きな家の裏手にある馬小屋の前まで来ると、泣き声はますますはっきりと聞こえてきた。
 「この中にいるみたいだな」
 乱雑に叩き割られた馬小屋の扉を引っ張って、ウリーラは言った。薄暗い小屋の中には馬や山羊さえも死体となって横たわり、敷き藁が散乱していた。
 「ご丁寧にあいつ、家畜まで殺していったのか」
 「馬が奴の顔を見てたらまずいからさ」
 二人は扉の破片を取り除き、中に入った。獣の体臭と糞便と、血の臭いで、一瞬息を吸うのもためらわれるほどに濁った空気。だが、確かに子供の泣き声はこの中から聞こえてくる。
 「誰かいるんだね?出ておいで」
 ディアスの呼びかけに一瞬声が止まり、それから再び泣きじゃくり始めた。
 「…出られない所に入ってるのかな?」
 「違うだろ」
 ウリーラはふふんと鼻で笑って、一歩踏み出した。
 「赤の盗賊は男だろ?子供にそこまでの区別はつかない、男の声なら全部怖いのさ」
 「えー?」
 不服そうな彼に余裕の笑みを見せ、それからウリーラは優しい声を出した。
 「いい子ね、出てらっしゃい。もう何も怖いことはないわよ」
 また泣き声が止まり、そして再び泣き始める。ディアスがほら見ろという顔をした。だが、今度は、小屋の一番奥にあった積み藁の山ががさがさと動き始めた。
 「ほらね」
 ウリーラは笑って、出てくる子供を助けに藁の山に近付いた。ディアスが見守る中、彼女が藁をかき崩すと、そこからは涙で顔をぐしょぐしょにした小さな女の子が現れた。
 「大丈夫、わたしたちはあなたを助けに来たのよ。もう大丈夫…怖かったでしょう?」
 ウリーラが優しく話しかけると、女の子は彼女に飛び付いて、大声を上げて泣き始めた。藁屑をいっぱい頭につけ、脅えて泣きじゃくる姿は、幼い頃のウリーラによく似ていた。
 「いい子ね、いい子ね…」
 彼女は迷わず子供を抱き上げ、自分の胸に押し当てた。小さな手が、ぎゅっと服を握り締める。
 忘れていたはずの幼い頃の記憶が、ウリーラの中に甦りつつあった。
 あの日――彼に、拾ってもらった日。わたしもこんな風に、抱きついて、しがみついて、ただ泣いていただけのあの日。
 「ディアス」
 彼女は女の子をなでながら言った。
 「今夜はやっぱりここに泊めてもらおう」
 「何だって?」
 ディアスがぎょっとして聞き返した。
 「だって、ここには…」
 「この子の目に触れないように、それを片付けておいてくれ。ゆっくり行くから」
 「それはいいけど、でもやっぱり泊まるのは…」
 ウリーラは振り向いて彼を見た。自分が今、どんなに気弱な表情をしているのか、ディアスの反応を見なくてもよく分かっていた。
 「この子と離れたくないんだ。それに…ディアス、あんたに話したい事がある」
 それは、唇からぽろっと出た言葉だった。
 何を言ってるんだ、わたしは。
 だが、頭は麻痺したように、次に出る言葉を止めることはなかった。
 「今でないと言えないような気がするんだ…頼む」
 「……分かった」
 うなずき、答え、先にディアスは馬小屋を出ていった。
 わたしは一体、ディアスに何を言うつもりなんだろう…?
 彼女は子供を抱きしめて自問した。答えは、出なかった。

 「それで、話って何だい、ウリーラ」
 ディアスは椅子に座り、ランプの火を見つめながら尋ねた。ウリーラは彼に背を向け、ベッドの中の小さな少女を寝かしつけている最中だった。
 壁についた血の染みには、ディアスのマントがかけてあった。
 彼の問いにしばらく黙った後、ウリーラはようやく口を開いた。
 「わたしには、兄がいるんだ」
 突然の台詞に、ディアスは驚いた。
 「お兄さんが?」
 彼女は振り向くことなく、じっと子供の寝顔を見つめたまま続ける。
 「兄も孤児だ。わたしたちに、血の繋がりはない。義兄妹というやつだな…一人きりで泣いてたところを、拾ってもらったんだ」
 「それで、兄と…」
 「そうだ」
 安らかな寝息を立てる女の子にそっと毛布をかけ直し、ウリーラは立ち上がった。
 「優しくて、明るくて、おまけに顔もいいし、申し分のない兄貴だったよ。わたしたちは、そこら辺の血の繋がった兄弟よりも、よっぽど仲が良かった」
 彼女の言葉は、全て過去形だった。
 「兄の名は、ラジュア。わたしの、たった一人の家族」
 ラジュア。
 ディアスはその名を心の中で繰り返した。
 確か、傷だらけで気を失っていたウリーラが、目覚めた時に呼んだ名だ。あの時彼女はうなされていたが、間違いなく彼を呼んでいた。
 「そして、今は」
 ウリーラの言葉は途切れなかった。
 「赤の盗賊だ」
 ディアスは顔を上げた。淡いランプの光に照らされて、彼女の顔はぼんやりとしか見えなかった。
 「じゃあ、今、ブラッド・スター・ルビーを持っているのは…」
 「わたしの兄、ラジュアだ」
 彼女はそれ以上、光の輪の中に入って来ようとはせず、立ったまま言った。
 「顔を見たことがあると言ったな。なかなかいい男だったろう?」
 「あ…ああ」
 あの時の事を思い出す。自分に魔剣を突きつけていた、背の高い男。しかしディアスの記憶の中では、哀しい目をしていた。人間を、こんな風に切り刻んで喜ぶ人間の顔ではなかったはずだ。
 あの彼が、人殺しを?やっぱり、あの剣に取りつかれて…
 だが、そんなディアスの思考には構わず、ウリーラは話し続けた。
 「そして、その時に、先に逃げた女がいたと言ったな」
 見上げると、ウリーラはじっと彼を見つめていた。
 ……あの時のラジュアの目と同じだ。
 「その女はな」
 ディアスはびくりと体を震わせた。
 何を言うつもりだ、ウリーラ。
 聞きたくなかった。
 今、目の前にいる彼女こそが、自分の倒すべき仇だとディアスはとうに知っていた。だが、本人の口からだけは、そのことを聞きたくなかった。
 聞けば、僕は、君を殺さなければならなくなる。それは君だって分かっているだろう。それなのに、何故、言うんだ!?
 しかし、彼は彼女を止められなかった。
 「ラジュアの妹だ」
 「嘘だ!」
 ディアスは反射的に叫んでいた。
 「からかうのもいい加減にしてくれ、ウリーラ!いくら僕がだまされやすいからって、何もそんな事まで言うことないじゃないか」
 「悪いが、本当なんだ」
 そして、ウリーラは微笑みながら剣を抜いた。
 「冗談がきついぞ…ウリーラ」
 剣を構え、テーブルを挟んでディアスに近付く。彼は、それを見ながら、一歩も引かなかった。
 ここで彼女が自分を傷つけることは絶対にあり得ないという自信があったから。
 「剣をおさめるんだ」
 彼は座ったままウリーラを見上げた。
 「おさめろ、ウリーラ!」
 子供が目を覚まさないように、小さな声で言い放ったつもりだった。
 その途端、剣の切っ先が、がつんとテーブルに突き刺さる。
 「危ないじゃな……」
 ウリーラが、泣いていた。
 大きな緑の目から、子供のように大きな涙の粒が、ぽろぽろぽろぽろと零れ落ちた。握り締めた拳が、肩がぶるぶると震えていた。
 「ごめん……ごめん、ごめん、ディアス」
 彼女は立ち上がって近寄ってくるディアスから視線をそらし、うつむいた。
 「あんたの家族を殺したのは、わたしなんだ。一番最初に宝石屋からブラッド・スター・ルビーを盗って来たのもわたしなんだ」
 泣きながら、ウリーラは洪水のようにしゃべり出す。
 「あの剣を持ったら、急に人が殺したくなって…ラジュアにもあんな馬鹿げた仮面なんか付けさせて、人殺しさせて…」
 引きつって、しゃくり上げて、それでも彼女はしゃべるのを止めない。
 「だからだよ、ラジュアがわたしを捨てたのは…そうだろ?こんな、こんな女…ッ」
 「それは、きっと違うよ」
 ディアスは彼女の両肩に手を置いた。
 「あの時のラジュアの目は、君に愛想をつかした目じゃなかった。多分、君を助けたかったんだよ」
 「わたしを…助ける?」
 「それ以上、人を殺さないように、剣を取り上げたんだ。だから、君はもう殺人鬼じゃない。そうだろう?」
 優しく言って聞かせるように、ディアスはウリーラの目をのぞき込みながら言った。
 短い沈黙。やがて、ウリーラは赤い目をこすって、こくりとうなずいた。それを確認して、彼は言葉を続けた。
 「その代わり、今度は彼が剣に囚われてしまった」
 「ラジュアが」
 呆然と繰り返す彼女に、ディアスは優しく、だが厳しい口調で告げた。
 「これ以上、人殺しをさせるわけにはいかない。僕は君のお兄さんを追う」
 「ディアス」
 「でも、あの剣がある限り、一人じゃ勝てない」
 茶色い瞳は穏やかに澄んでいた。
 例え赤の盗賊だったとしても。
 「一緒に来てくれ、ウリーラ」
 君が必要なんだ。

続く

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