ブラッド・スター・ルビー


 少女一人だけを残して全滅した村を後にし、埃っぽい街道を歩き出して二日。三人は港町マルニアにたどり着いた。初めて見るのだろう、大きな町の活気と喧騒に、小さなアルビレータは可愛らしい歓声をあげた。
 夕方だったのでとりあえず宿を取った後、ディアスとウリーラはアルビレータをつれて海岸沿いの市場へ向かった。
 「やあ、可愛いお嬢ちゃんだねー」
 気さくな町の人々が、店のものを興味深そうに眺める少女に声をかけてくれる。
 「あんたたちの子供かい?それにしちゃ大きいような…」
 「何言ってんだい!い、妹だよッ!」
 ウリーラが心持ち赤くなった。
 「落ち着いて、ウリーラ」
 ディアスはにこにこと愛想良く八百屋の店主に笑いかけた。
 「ところで親父さん、ちょっと相談があるんですけどね」
 「何だい、兄ちゃん」
 売り物に手を伸ばしてはウリーラに叱られているアルビレータを見ながら、彼は小声で尋ねた。
 「誰か、小さな子供を可愛がってくれる人はいませんか?」
 「えっ…あの子かい?」
 親父の目が丸くなる。
 「あの子たち、姉妹なんだろ?それをどうして…」
 ディアスは、街道沿いの村で起こった惨事をかいつまんで説明した。人の良さそうな八百屋の親父はたちまち涙ぐみ、がっちりと彼の肩を抱いた。
 「分かった!そういう事なら任せとけ。色々つてを当たってみるから、少し待ってくれるか?」
 「ありがとうございます」
 「それじゃ、また二、三日したら顔出して見てくれや」
 親父はばんばん、とごつい手でディアスの背中を叩き、それから少女たちに声をかけた。
 「お嬢ちゃんたち、今日は大サービスだ。何でも好きな物、一個ずつ持ってっていいぜ。兄ちゃんもな」
 「わーいッ!」
 アルビレータが素直に歓声を上げた。
 「…ありがとうございます、ほんとに」
 結局三人はりんごを一つずつもらって店を出た。ウリーラが果実を拭いてやると、早速アルビレータはディアスの肩車の上でそれを齧りはじめた。
 「いつ汁が垂れてくるかと思うとスリル満点だな、これは」
 情けない顔をする彼に、ウリーラはけらけらと屈託なく笑う。
 「それじゃ、オレンジ辺りにしときゃ良かったな」
 「あたし、オレンジも好きー!」
 頭上から降ってくる明るい声に、ディアスも笑うしかない。
 だが、次の瞬間、アルビレータの小さな手から、りんごがぽろりと落ちた。
 「どうした、アルビレータ?」
 地面に落ちる前にそれを受け取り、ディアスの頭上に差し上げようとしたウリーラは、少女ががたがた震えているのに気がついた。
 「ウリーラ……ディアス…怖い…あたし、怖い!」
 小さな少女は顔を伏せ、ディアスの頭にしっかりとしがみつく。
 「降ろそう」
 急いでディアスはしゃがみ込んだ。何かに脅えるアルビレータを、ウリーラがしっかりと両手で抱きかかえる。
 「一体どうした…」
 その時。
 無遠慮に人込みを割って、一人の男が現れた。
 精悍な顔立ちの、背の高い、赤毛の男だった。茶色い目には冷酷な光が宿り、口元にはあからさまな嘲笑が浮かんでいた。
 腰に、大きく黒い剣の柄。
 「ラジュア!」
 ウリーラの声に、ディアスは即座に立ち上がった。アルビレータを抱く彼女をかばうように、両手を広げて立ちふさがる。
 「まだ明るいぞ…何しに来た、ラジュア」
 彼女が問うと、ラジュアはにやりと笑った。
 「今夜の獲物の予告だ」
 「何?」
 「今までずっと俺を忘れず追いかけて来てくれた礼だ。今夜、月が昇ったら、町の西の外れにある林の中へ来い。美しいものを見せてやろう」
 そしてそれだけ言うと、彼はくるりときびすを返した。
 「お…おい、待て!」
 追いすがろうとしたディアスを振り返りざまにきっとねめつけ、彼は答える。
 「子供なんぞ連れて、いい御身分だな。おままごとは今日限りで終わりだ。分かったか、クソガキ」
 「な……ッ!」
 思ってもみなかった台詞に驚いて動けなくなるディアスの目の前から、赤の盗賊は一瞬で姿を消した。
 「な、なんだ、今の言い草は?」
 あんな言葉を口にする男ではないと思っていたのだが。
 「あの剣のせいだ」
 ウリーラが、胸に抱いた少女の耳をそっと塞ぎながら言った。その顔は辛そうに、まだ震えのおさまらないアルビレータを見つめていた。
 「あの剣は血を吸って赤くなる。それを見ているうちに、もっと…もっと血が欲しいと、思うようになる。そのためなら何でもする…出来るようになる」
 思い出すように、一言ずつ。彼女は続けた。
 「今夜見せてくれるという美しいものとは、間違いなく、わたしとディアス。二人の血だ」
 そして、相棒を見つめる。
 「勝てるかどうか、分からない。負ければ、命はない。それでも、行くか」
 「もちろん」
 ディアスは、しっかりとうなずき返した。
 この時、彼はまだ知らなかった。ウリーラが、胸のうちに一つ、ある決意をしたことを。

 アルビレータへ。
 ディアス兄ちゃんとウリーラ姉ちゃんは、大切な用事があるので出かけてきます。朝になったら帰ってきます。
 でも、もし、朝になっても帰って来なかったら、昨日りんごをくれた八百屋のおじさんのところへ行きなさい。新しいお父さんとお母さんに会わせてくれるはずだから。
 元気でね。いい子にするんですよ。
 「これでいいと思うけど…アルビレータ、字が読めるかな?」
 「さあ。でも、きっと宿の人が読んでくれるだろう。大丈夫だよ」
 二人は少女の安らかな寝顔を確認し、手紙を枕元に置き、そしてうなずきあった。
 もうじき月が昇る。
 ディアスとウリーラは宿を抜け出し、約束の林へと急いだ。ディアスは父親から受け継いだ黒い鎧と黒い剣を、ウリーラは赤い鎧を着けて。
 白い月が、山の稜線から光を投げかける。
 ラジュアは、待っていた。
 「よく来たな」
 うっそうと茂る木々をバックに、赤の盗賊は立っていた。右手に持った黒い柄から、待ち切れないかのように真紅の炎がほとばしり出た。
 毒々しいまでに、神の剣は赤く、紅く、朱く染まっていた。
 「それでは、はじめようか。神聖なる儀式を」
 「なっ…何が神聖だ!」
 ディアスが憤った。だが、ラジュアの冷淡な目は、ウリーラに向けられている。
 「なあ、ウリーラ。今ならまだ、許してやらんこともないぞ?」
 「何だと?」
 「その男は確か、貴族の息子。お前には不釣り合いな相手だ。そんな男などさっさと捨てて、また俺と組もう。昔のように」
 そう言って唇の両端を上げる彼に、優しい面影はない。
 「断る」
 彼女は答えた。
 「今のお前は、ラジュアではない…ただの殺人鬼だ。赤の盗賊だ!」
 自らをも傷つけてしまう台詞。それを聞いて、ラジュアは嬉しそうに笑い始めた。
 「ほう、お説教か?お前にそんな事を言われるとは思わなかったな!お前だってさんざん殺してきたくせに」
 そして、残忍な笑みのまま、ディアスに視線を向ける。
 「お前の家族も、ウリーラが殺したんだ。おい、知っていたか?」
 「ああ、知っている」
 ディアスは悠然と、微笑みを返した。
 「ウリーラは何もかも話してくれた。僕は彼女を恨んではいない…恨んでいるのは」
 微笑みを浮かべたまま、その掌に、青白いオーラが立ち昇った。
 「その剣だ!」
 オーラは電撃となってラジュアに襲いかかった。だがそれは、ブラッド・スター・ルビーの炎にあっさりとはね返され、ちりぢりになって虚空へ消えた。
 次の呪文を唱え始めたディアスを背後にかばい、ウリーラが剣を構える。
 「さあ来い、ラジュア」
 「お前が俺とやろうってのか?」
 ふん、とラジュアは鼻を鳴らした。
 「まあいい。片付けるのは、そっちの男からだ。お前は引っ込んでいろ!」
 炎が鞭のように伸びる。避ける間もなく風のように伸びて、やすやすとウリーラの体を絡め取ったかと思うと、彼女は傍らの草むらの上に放り出されていた。
 「さあ…貴様をどうやっていたぶってやろうか」
 無造作に一歩、ラジュアが前に出た。ディアスは半眼を閉じたまま、剣も持たず、全くの無防備に見えた。
 「ディアス!」
 ブラッド・スター・ルビーが空を切る。
 風すら切り裂く音がして、狙い違わずディアスの首をはねた――、とウリーラは思った。
 だが。
 「何ィ!?」
 炎の刃はしゅうしゅうと不満そうな音をたて、獲物のすぐそばで止まっていた。
 「くそ、貴様ッ」
 ラジュアが剣を引いて退くと、ディアスはにっと笑った。
 「炎属性の攻撃なら、水で防げる…思った通りだ」
 木々の間を抜けて降りそそぐ月の光に照らされると、ディアスの体をうっすらと霧のようなものが覆っているのが見えた。術者の体を守る水の防御壁が、ことごとく魔剣の攻撃を防いでいる。
 勝てるかもしれない、とウリーラは思った。
 ディアスに、ここまでの魔法を使う力があったとは。
 だが、その希望はわずかな間のものだった。切りつけても切れない相手に業を煮やし、ラジュアは叫んだ。
 「生意気な…それなら、これでどうだッ!」
 刃は形を変えた。柄から離れ、巨大な火柱となる。獣のようにディアスに襲いかかり、霧の防御壁ともども彼をすっぽりと飲み込んだ。
 「う…わあぁっ!!」
 「ディアス!」
 ウリーラが悲鳴を上げる。
 ディアスは、すぐに炎の中から吐き出された。しかし、一瞬で熱く煮えたぎった霧はすべて消滅し、呼吸すら出来なくなっていた彼は、力なく地面に膝をついた。
 「魔法など…子供だましの玩具にすぎん」
 ざくり、と深く肉を切る音がした。炎は再び刃となり、ディアスの肩を切り裂いていた。あふれ出した血を吸い、剣はさらに赤く輝き始めた。
 「同じ色だ…つまらない」
 そしてラジュアは剣を振り上げる。
 「安心しろ、ウリーラは俺の妹だ。殺しはしない…だが」
 肩を押さえてうずくまるディアスに顔を近付け、勝ち誇ったような笑みを浮かべて、言った。
 「貴様は、絶対に殺す」
 「やめろ!」
 その時、ウリーラが二人の間に割って入った。
 「もういい、ラジュア!もうこれ以上、人を殺すのはやめてくれ!」
 彼の腰にしがみつき、体ごと止めるかのように。
 「お前の言う通りにする!ディアスとは別れる、だから…だから、ディアスを、助けてくれ」
 「……ほう」
 あからさまに蔑んだ目で、兄は妹を見下ろした。
 「お前がそんな事を言うとはな。それほど、この男が大事か?」
 「何だっていい…もう、本当にやめてくれ。その剣を、捨てるんだ」
 彼女の手が、剣の柄へと伸びる。その途端、ラジュアの顔が変わった。
 「ウリーラ…結局、この剣目当てか!」
 妹を振り払い、剣を振り上げようとする腕に、ウリーラも負けじと飛びついた。
 「離せ!しつこい女だな!」
 「何とでも言えっ」
 容赦なく、小柄な彼女の腹に蹴りが加えられる。それでも彼女は離れなかった。齧りつくようにしがみつき、一本ずつゆっくりと指をはがしていく。
 あの日、彼が助けてくれたように。
 殴られても、蹴られても、決してこの手は離すものか――!
 ラジュアの代わりに、自分の指を一本ずつ割り込ませていく。
 「ウリーラ…ッ!」
 その時、ディアスが立ち上がった。
 「だめだ!そんな事をしたら、また君が」
 「構うものか!」
 あと少し。
 これで、解放される…!
 だが、そう思った瞬間、彼女の後ろから伸ばされていたもう片方の手が、ブラッド・スター・ルビーを掠め取った。
 「馬鹿め!」
 小柄な体はあっという間に投げ飛ばされた。赤い飛沫が草の上に散り、ウリーラはディアスに抱き止められた。
 左肩から右脇にかけて、革の鎧はざっくりと裂かれ、あらわになった背中から赤い血が滴り落ちる。
 「ウ…ウリーラッ」
 「こんなの…平気だ!」
 それでも、彼女は体勢を立て直す。
 「それよりも、奴が来るぞ!」
 ディアスも顔を上げ、前を見た。
 そこに二人は、信じられないものを見た。

続く

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