ブラッド・スター・ルビー


 白い月の光を受けて、ラジュアはそこに立っていた。
 その胸には、赤く輝くブラッド・スター・ルビーが、深々と突き刺さっていた。
 「ラ……ジュア」
 呆然ともらした妹のつぶやきに、彼はにっこりと微笑みかけた。
 「何故…」
 「お前を斬った瞬間に、目が覚めた」
 兄は答えた。
 「勇猛果敢な戦の神とて、親族殺しは罪となさるらしい。例え義兄妹でも」
 そのまま、ゆっくりと両膝をつく。
 「それとも…愛する者を傷つけた報い、かな…?」
 「ラジュア!」
 ウリーラは弾かれたように、彼に駆け寄った。だが、ほんの数歩の距離を行く間に、ラジュアは倒れていく。
 言葉はそれ以上なく、彼は、動かなくなった。
 「ラジュア…ラジュア!!」
 抱き起こすと、胸元から、黒い剣の柄だけが、草の上に落ちた。
 「どうして…どうしてだッ!何故…何故死んだ!」
 何も言えずに、ディアスはそっと彼女の肩に手を置く。
 何が起こったのか、分からなかった。ラジュアの剣が、背後からウリーラを斬りつけたところまでは、彼も見ていた。だが、吹き飛ばされた彼女を助けて、次に顔を上げた時にはもう、すべては終わっていたのだ。
 自ら死を選んだのか、それとも…?
 「ラジュアの馬鹿!こんな…こんな、剣なんか!!」
 ディアスの手を振り払い、ウリーラはブラッド・スター・ルビーの柄を無造作につかんだ。
 「ウリーラッ」
 一瞬で、真紅の刀身がよみがえる。柄にはまったルビーと全く同じ色の輝きが、刃に宿る。しかし、それは形のない揺らめく炎の刃ではなかった。
 人の手で作り得る形とは明らかに違う、華奢にして大胆なデザインの刀身は、今までの色とはまったく異なっていた。人の血の赤ではない、もっと純粋に濃い、赤い色。
 「そう…そう、なのか」
 握りしめた剣を見下ろし、ウリーラはつぶやいた。
 もう、この剣が彼女を支配することはない。それだけではなかった。彼女は剣を右手に持ったまま、左手を広げてディアスの肩へとかざした。
 「戦神シルトよ」
 「ウリーラ…?」
 きょとんとするディアスに悪戯っぽく笑いかけた後、ウリーラは頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
 「勇猛なる戦士に、御手の熱きお力を貸したまえ」
 彼女の掌から、ふわりと赤い光が広がる。二人の体を苛んでいた苦痛がみるみる引いていく。傷は、跡形もなく癒えていた。
 「これは、一体?」
 「さあね」
 彼女は立ち上がった。
 「それよりも、立て、ディアス。傷は治っただろう」
 「え?」
 ぎょっとして見上げた彼女は真剣な顔をしていた。剣を構え、ディアスに突きつける。
 「何をしている?赤の盗賊が、まだ一人残っているぞ。忘れたわけではあるまい?」
 「今さら、何を」
 しかし、反論しようとした彼の頭上をかすめて、ブラッド・スター・ルビーが風を切った。
 「返り討ちにされたくなければ、わたしを倒せ。親兄弟の仇を討て!」
 「……分かった」
 澄み切った緑色の瞳に見つめられ、ディアスも立ち上がった。
 低い呪文のつぶやきが、夜の森を満たし始めた。

 月が中空にかかる頃、東の空が白み始めた。夜がゆっくりと明けていく。
 霧のかかった林には、荒い息遣いと、打ち合わされる剣の音だけが響いていた。
 ウリーラもディアスも、もはやぼろぼろになっていた。二人ともすでに呪文を使う精神力さえなく、ただ無言で戦い続ける。汗と霧で、じっとりと体中が濡れている。
 どれぐらい、経っただろうか。
 「あ…っ!」
 草の葉に溜まり始めた朝露に足を取られ、ウリーラが地面の上に転がった。とっさに起き上がれない彼女を、すかさずディアスが押さえつけた。手を離れた赤い剣は濡れた草の上を滑り、近くの木の幹にぶつかってその刃を収めた。
 馬乗りになり、ディアスはウリーラの首の皮ぎりぎりの場所に剣を突き立てる。
 「これで…っ、どうだ」
 「よくやった、ディアス」
 ウリーラは満足そうに笑った。
 「さあ、早くとどめを刺せ。そうすれば、ウラネリアに戻れるだろう」
 ディアスは小さくうなずいて、地面から剣を引き抜いた。そして、下向きに構え直し、再び彼女めがけて突き立てた。
 ウリーラのほほに、かすかに赤い線が走った。
 「……これで、終わりだ。仇は討った」
 ディアスは自分に言い聞かせるように言った。
 「赤の盗賊は死んだ。父上も母上も、姉上たちも…これで、きっと満足なさるだろう」
 そして剣を抜き、鞘に収めた。立ち上がり、倒れたままの彼女に背を向ける。
 一歩踏み出した彼に、ウリーラが半身を起こして声をかけた。
 「何故だ、ディアス。何故、わたしを殺さない!?」
 「ブラッド・スター・ルビーは聖剣だ」
 ディアスは、答えた。
 「君は戦神シルトの聖戦士だ。赤の盗賊は、もう、どこを探してもいない」
 「だが…だからといって、何と言って街へ帰るんだ。わたしの首もなしで!」
 「ウラネリアへは、もう帰らない」
 そのまま、マルニアの町とは逆方向に歩き出す。
 「どこへ行く…ディアス」
 振り返りもせず、みるみる遠ざかっていく。黒いマントの後ろ姿が、次第に朝靄の中へと溶けていく。
 濡れたまま、草の上に座り込んだウリーラは叫んだ。
 「わたしを置いて、どこへ行く!」
 返事はなかった。
 「ディアス!」
 ブラッド・スター・ルビーを抱いてうずくまる彼女を、昇ってきた太陽の光が優しく包み込んだ。

 両親を殺されてから半年、アルビレータは新しい養父母にもすっかり慣れて、ささやなかながら幸せな生活を送っていた。
 野菜や果物を作るのを仕事にしている養父母は、優しい。まわりの町の人々も、優しい。だが、小さなアルビレータには、二つだけ、寂しいことがあった。
 一つ目は、自分の本当の父母が死んでしまったこと。村から出た時にはよく分からなかったが、もう二度と会うことは出来ないのだと、今は分かる。
 そしてもう一つは、あの時自分を助けてくれた、優しいお兄ちゃんとお姉ちゃんが、突然いなくなってしまったこと。
 養父母は、一応、事の次第は知っていた。だが、まさか両親を失ったばかりの小さな娘に向かって、あの二人は赤の盗賊を倒しに行ったんだよ、とは言えなかった。確かにあれ以来、赤の盗賊は現れなくなったが、二人も帰っては来なかった。それはつまり、二人も死んでしまったという事に他ならない。
 それを口にすると、優しい養父母の顔が曇るので、アルビレータも最近は彼らに関する質問もしなくなりつつあった。
 ただ、いい子にするんですよ、という手紙の約束は忘れてはいない。彼女は今日も両親と一緒に果樹園に出て、樹木の手入れをしていた。手入れとはいっても、まだ小さい彼女のこと、実のところは果樹園を行ったり来たり走り回っているだけだ。
 「アルビレータ、もうすぐ終わるから、お家に戻っててちょうだい」
 「はーい」
 母親に言われて、彼女は果樹園を出た。畑の縁を、小さな虫を追いかけながら歩いていると、ふと彼女を照らす太陽の光が遮られた。
 「?」
 目の前に、黒いブーツ。それからどんどん上を向いて、アルビレータは満面の笑みを浮かべた。
 「ディアス兄ちゃん!!」
 「久しぶりだね」
 相変わらずの真っ黒ないでたちの彼は、微笑んで少女を抱き上げた。
 「元気だったかい、アルビレータ?」
 「うん!」
 小さなアルビレータは喜んでディアスの首に手を回し、柔らかいほっぺたをくっつけて尋ねた。
 「ねぇ、ウリーラ姉ちゃんは?どこにいるの?」
 「ウリーラ?」
 「うん」
 無邪気に微笑む彼女を見て、彼は一瞬返答に困った。
 まさか、あれから一度も顔すら会わせていないなどと言えば、少女は寂しがるだろう。
 最後の最後で、自分の気持ちに整理をつけられなくて、置き去りにしてしまっただなんて、とても言えるわけがない。ましてや、それをいまだに後悔し続けているなんて。
 「ウリーラはね」
 ディアスは慎重に言葉を選びながら答えた。
 「今は大切な用事があって、ちょっと遠い所へ行ってるんだよ」
 「ちょっと遠い所?」
 アルビレータはきょとんとしている。
 「じゃあ、お姉ちゃん、来ないの?」
 「いつかきっと来るよ」
 ディアスは彼女の頭をなで、優しく言った。
 「用事が済んだら、きっとウリーラもアルビレータに会いに来るさ」
 「本当?」
 「ああ、きっとね」
 風が吹いてきて、二人の髪をなびかせる。足元の草がざわざわと鳴る。
 ディアスは、振り返った。
 「用事、終わった」
 懐かしい声がした。
 「あの剣、ちゃんとシルトの神殿に返してきたから」
 いたずらっぽい緑の瞳、丸い顔をふちどる柔らかい赤毛。アルビレータは喜んで手を伸ばした。
 「ウリーラ姉ちゃん!」
 「元気そうだな、アルビレータ」
 ウリーラは少女を抱きしめ、ほおずりした。
 「新しいお父さんとお母さんに会わせてくれるかな?」
 「うん!」
 元気よく答えて、アルビレータは地面に飛び降りた。果樹園めざして、駆け出す。
 「こっち、こっちだよー!」
 「ちゃんと前見ないと、転ぶぞ!」
 転がるように走っていく少女の姿を心配そうに見送るウリーラ。ディアスは、そんな彼女の横顔を見つめて、小さく尋ねた。
 「どうして、返したの?」
 「どうしてって」
 彼女はちょっとすねたように口を尖らせて、答えた。
 「あれがあったら、おまえの側にはいられないかな…と思って」
 その目は真剣だった。
 「許してくれと言える立場じゃないのは分かってる。だけど…おまえの側にいたいんだ。わたしを、一人にしないで欲しいんだ」
 精一杯の言葉。
 「だめか?」
 ディアスは、首を振った。
 「僕で、いいのか」
 「ディアスがいいんだ」
 果樹園に入っていたアルビレータが出てきて、二人に手を振った。その後ろには、彼女の両親が立っている。
 二人は、果樹園に向かって、歩き出した。



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