エキセントリック・スーパーマジック・ショウタイム
「ヒトクイ」のお話。後編。


 目が覚めたら、いつもと同じベッドの上にいて、いつもと同じ天井が見えて、いつもと同じみんなの声が聞こえた。
 ナニを言っているのか分からないけど、明るくて楽しい声。そして、ちょっとだけ心配そうなシスターの顔。昨日と同じ――でも、あたしは知ってる。
 ここに、お兄ちゃんがいないこと。
 だから、あたしは行かなくちゃ。お兄ちゃんのところへ。

 「おい、ユーゴス」
 今夜の舞台の準備をするべく、重たい大道具を抱えて右往左往している怪力男を見て、サーカスの団長であるカスタリアンは静かにたずねた。
 「ソレは、何だ?」
 長い前髪に隠れて、カスタリアンの目元は見えないが、珍しく不思議そうな顔つきをしている。ユーゴスは足を止め、彼が差し示す方に顔を向けた。
 「お兄ちゃん」
 見ると、自分の足元に女の子が一人、くっついていた。
 「うわッ!?」
 「…お兄ちゃん」
 小さな女の子は、上目使いにユーゴスの顔を見上げながら、ぎゅっとズボンの裾を握りしめてきた。驚いて落としそうになった角材をあわてて抱え直し、彼は青い目を細めた。
 「えーっと……キミ、どこの子?」
 「お兄ちゃんの、妹」
 この辺りのものとは明らかに違う言葉で彼女はそう言い、ズボンを持っていない方の手でまっすぐに青年の顔を指差す。
 「お兄ちゃん」
 お…お、オレが、か?
 助けを求めるように顔をめぐらせると、カスタリアンは肩をすくめて首を振った。その傍らにいるダンサーのレイチェルも、同じように真似をして首を振る。
 「おっ?」
 そこに、ジャグラーのファビエンヌが通りかかって、にこっと笑った。
 「あら、可愛いじゃなーい」
 少女の頭を撫でると、彼女も嬉しそうににっこり微笑み返した。だが、ユーゴスの足元から離れる気はないらしい。しっかりとズボンを握った様子に、ファビエンヌはさらに楽しそうな笑顔を浮かべて、意地悪く尋ねた。
 「隠し子?」
 「違うわーッ!!」

 ユーゴスのどこを気に入ったのかは分からないが、その女の子は一日中彼について回った。練習中は大人しくそでで待ち、それが終わると一目散に駆け寄って来て足にしがみつく。夕方のビラ配りにもついて来て、一緒にビラをまいた。
 とても楽しそうなその表情に、何となく追い返せないまま、夜のショウが始まり、そして終わる。
 「さて」
 赤いシルクハットをかぶり直しながら、メンバー全員が揃った楽屋代わりの小さなテントで団長が告げた。
 「もう夜も遅い。いくらなんでも、お家に帰らなきゃな、お嬢ちゃん」
 しかし、彼女は首を振った。助けを求めるようにユーゴスの足に抱きついた少女は、黒い瞳をうるませていた。
 「やだ…お兄ちゃんと一緒にいる」
 「でもね」
 ファビエンヌが膝を折った。柔らかい笑みを浮かべて視線を合わせ、諭すようにそっと語りかける。
 「お家の人がきっと心配しているわよ。本当のお兄ちゃんも待ってるんじゃないの?」
 また少女は首を振る。
 「お兄ちゃんは、お兄ちゃんだけ」
 今にも泣き出しそうな顔で、汗に汚れたズボンに顔を埋める。
 「あのなぁ……」
 もう一体、どうしたらいいのか。途方にくれたユーゴスが呆然と足元を見下ろしていると、ふいに、少女の名前を呼ぶ声がした。
 「キム!」
 サーカスのメンバーが一斉に振り返る。テントの入り口には、驚いたような表情のシスターが立っていた。
 「良かった…無事だったのね!」
 おそらく少女を探し回っていたのだろう、息を切らして彼女のもとへ駆けつけたシスターは、がっくりと崩れるように膝をついた。
 「心配したのよ!…ホントに」
 それきり、うつむいて声もない。自分より小さくなってしまった姿を、少女は決まり悪そうに見下ろした。
 「…しすたー」
 「急に、いなく、なっちゃ、ダメなのよ」
 呼吸が荒いせいか、それとも分からせようとするためにか、ゆっくりと一言ずつ区切って聞かせる。その背中に、サーカスの団長が控え目に言葉をかけた。
 「失礼ですが、シスター」
 「…はい」
 「確かあなたは、孤児院の」
 「はい」
 キムの空いている方の手を握り、シスターはしゃがんだまま団長を振り仰いだ。
 「ご招待、感謝いたします。ですが、そのせいで、ウチの子たちがご迷惑をおかけしてしまったようで」
 「いえ」
 あごに当てている手のせいで、下から見上げてもカスタリアンの表情はうかがい知れない。
 「このお嬢ちゃんは、シスターの所の子供さんだったのですね。それならこちらも納得がいきました」
 ただにっこりと、口元だけが笑う。
 「実は彼女、朝からずっとここに来ていたんですよ。それだけ、昨夜のショウを気に入ってくれたという事なのでしょう。わたしたちとしては喜ばしい限りですが――」
 そして、そこから先を異国の言葉に変えて、彼は言った。
 「シスターを心配させてはいけないよ。それは、分かるだろう?」
 「………」
 右手はユーゴスのズボン、左手はシスターの手をしっかりと握ったまま、キムはうつむいた。
 「…ごめんなさい」
 長い長い沈黙の後、ぽつり、と絞り出すように答える。その頭を撫でて、カスタリアンはシスターを見た。
 「今の言葉は、謝罪の言葉。彼女は十分に反省しています。どうか、今日のことは許してあげてはもらえませんか」
 「…そうですね」
 シスターは小さくうなずいた。殺すように静かにため息を吐いて立ち上がる。その顔には、まだ憂いが濃く残っていた。
 「ですが」
 彼女の心配はまだ晴れてはいなかった。
 「その、実は…この子の兄もいなくなってて…まだ、見つからないんです」
 その瞬間、ユーゴスの顔が、微妙な角度で引きつった。

 知らなかったのだ。
 あの男の子が彼女の兄で、この国でたった一人の血の繋がった兄で、それを失ったら彼女が天涯孤独になってしまうだなんて。
 「結局、喰ったのか」
 カスタリアンの言葉に、ユーゴスはうなずいた。
 満月の夜は体が疼く。人でないこの身体ゆえに、人を喰わなければその滾りが抑え切れない。だからこそ、自ら望んで鎖に繋がれ、檻に収まっていたというのに、目の前に美味そうな子供が現れてしまったのだ。
 我慢は出来なかった。
 「で?殊勝にも反省しているという訳か?」
 「いや」
 その言葉には首を振る。ぼさぼさの青い髪を無造作にかき上げ、どこの誰とも知らない顔を作っているドッペルゲンガーを見た。
 「ただ、ちょっとだけ後味悪かったかなと思って」
 「…そうだな」
 二人の背負う夜空には、ほんのわずかだけ欠けた十六夜の月が浮かんでいた。
 「わたしも別に、お前の餌にするために子供たちを招待した訳ではなかったんだが」
 「…すまん」
 そのまま、化け物二匹は黙り込む。
 この町で、あと一月は興行を続ける予定だった。また、満月の夜は来る。
 その時、あの子はどうしているだろう?
 兄を喰い殺した憎いはずの相手を、自らの兄だと言い張って聞かない可哀相な娘は――どうなるのだろう?

 翌朝、キムはサーカスに来た。
 「今度はね、ちゃんとシスターに言ってきたの」
 満面の笑顔でみなに告げる。
 「サーカスのお手伝いしてくるのってちゃんと言ったから、大丈夫なの」
 「あら、いい子ねぇ」
 ファビエンヌはそんな彼女をにこにこと迎え入れ、早速ユーゴスの目の前に突き出してきた。
 「ほら。可愛い妹ちゃんがそう言ってるわよ。声でもかけてあげなさいよ」
 「……むぅ」
 ユーゴスは腕組みをし、眉間にシワを寄せてキムを見る。彼としてはそれなりに怖い顔をしているつもりだったが、少女は顔を輝かせて、その足元に擦り寄ってきた。
 「えへへぇ…お兄ちゃん」
 そして、目ざとくシャツのほころびを発見して甲高い声を上げた。
 「お兄ちゃん、シャツ、穴開いてる!あたしが縫ってあげるよー!」
 「お…お、おぅ」
 憎悪も、恨みも、恐怖も、何も感じない。彼女がユーゴスに対して持っている感情は、ただ愛情だけだ。無邪気な笑顔で容赦なく触れられて、人喰いの狼はぎこちなくシャツを脱いだ。
 「いい子ね」
 ファビエンヌがそっとカスタリアンに耳打ちした。
 「でも、どうしてなのかしら?あいつ、食べたんでしょ?」
 「さあ」
 相変わらず表情を見せない団長は曖昧な口調でその場を立ち去ろうとする。
 「ねぇ、カスタリアン!あの二人を、ずっとこのままにしておくつもりなの?」
 「……さあ」
 傍らに立っていた無口な金髪のダンサーをあごで呼びつけながら、彼は答えた。
 「人間の考える事は、わたしには分からない」
 最初から、住んでいる世界が違うのだから。
 「少し出かけてくる」

 エキセントリック・スーパーマジック・ショウは順調に興行を続け、ついに、この町での千秋楽がやって来た。
 一月も経つと、それなりにキムも変わっていた。裏方の仕事だけではなく、衣装を着てステージに立つこともあったし、時には猛獣たちの背に乗ってお客さんを驚かせる事さえあった。
 困っていたはずなのに。
 出番を終えたユーゴスは、キムに背中の汗を拭ってもらいながら考え込んでいた。
 今は、この子といることが心地よい。だが、その期限も今日まで。それも、月が昇るまでだ。
 黒く艶やかな髪の毛をかき回して、大男はにやっと笑った。
 「お疲れさん。よく頑張ったな」
 「?」
 「千秋楽って意味、分かるか?」
 子供にはちょっと難しい言葉だ。案の定、困ってうつむく少女に、ユーゴスはゆっくりと答えた。
 「この町でショウを見せるのは、今日で終わりってことだ。俺たちは、また次の町へ行く」
 「え?じゃあ…」
 「お前は連れて行けない」
 定住者と放浪者。そして、人間と魔物――最初から、住んでいる世界が違うのだから。
 何か反論しようとして口を開きかけたキムは、やがて黙ってうなだれた。
 「……お兄ちゃん」
 「よく手伝ってくれたのにな。悪いな」
 柄にもなく、少し寂しいなどと思う。だが、そんな考えを振り払うようにユーゴスは頭を振った。
 「他のヤツの顔を見ると余計寂しくなる。ショウが終わる前に、帰りな」
 オレが、狼になる前に。
 それに応えて、キムが言葉を発した。
 「――っ――って」
 「えっ?」
 しかし、ふいに巻き起こったフィナーレの大歓声と拍手で、控え目な声は聞き取れない。
 「今、何て?」
 聞き返すユーゴスに顔を近づけるべく、彼女は彼の胸に飛び込んだ。
 「つ――てって」
 「よく聞こえないよ」
 小さな体を、たくましい腕で抱きしめて、青年は尋ねた。柔らかな唇が、耳たぶに触れた。
 今度は、騒音の中でも、ちゃんとその言葉が聞き取れた。
 「――!!」
 今、何て。
 ユーゴスは自分の耳を疑った。凍りつく彼に、もう一度、キムは重ねて言う。
 「あたしを、お兄ちゃんのところへ連れて行って」
 そして、今、ゆっくりと、月が昇る。

 人間を喰らうモノ。
 それが、獣として、魔族としての彼の性。いかなる法と理性をもってしても、曲げることは出来ない。
 生きる糧として、証として、人を喰らう。
 目の前に抱きしめた、狂おしいまでに可愛く、愛しい少女が、たまらなく美味そうに見える。血の匂いが、肉の味が、否応なく彼の本能を揺さぶり起こす。
 お兄ちゃん――あたしも、今、そこへ行く。
 少女は確かにそうつぶやいた。
 そう。気付かなかった。
 彼女がお兄ちゃんと呼んでいた者は、確かにユーゴスの中にいた。ユーゴスが、喰われた兄の代わりとなっていたわけではなかったのだ。
 次第に人の顔を捨て、獣の貌へと変わっていく男の顔を見ても、少女は微笑んでいた。
 「ク…ククッ」
 覚悟が出来てないのは、オレの方だったんじゃないか。
 喉の奥で笑って、狼は牙を見せた。
 子供になんか――負けられねぇ!

 ステージの灯りが落ちる。
 そでに戻ったカスタリアンたちは、薄暗い中にぽつりと、ユーゴスが座っているのを見つけた。辺りに漂っているのは、間違いなく今流れ出したばかりの血の匂い。
 ファビエンヌがカンテラを差し上げると、床は赤く濡れていた。
 「ユーゴス、あなた…ッ、まさか!」
 「へへ」
 同じように赤く染まった握りこぶしで口元を拭い、青年は笑った。
 「これ。悪いけど、返しといてくれ」
 反対側の手で無造作に何かを突き出す。やはり赤く血にまみれたそれは、人の姿をしていた。
 「これは…」
 怪力男の片手ならば軽々と持ち上げられる程度の小さな体。カスタリアンが受け取ると、力を失った首ががくんと折れた。
 「キム!?」
 「心配すんな。ちゃんと生きてるよ」
 ユーゴスは答えた。
 「まったく…喰えるかよ、そんなモン」
 言い捨てて、ふらつく足取りで立ち上がる。その腰からは、青い毛並の太い尻尾が姿を見せていた。魔力が乏しい時に見せる半人半獣の姿へと変わりながら、よろよろとテントを出ていく。ふと立ち止まって、ぺっと吐いた唾には、まだ血が混じっていた。
 「ちょ、ちょっと、大丈夫なの?何があったのよ!?」
 あわててファビエンヌが後を追う。それを見送って、カスタリアンは自分に預けられた少女を見下ろした。
 飛び散った血で汚れた胸の上に、紐で吊るされた白く小さな欠片が乗っかっていた。
 「これは…」
 それは、間違いなく、狼の牙だった。
 しかも、強力な魔力が惜しげもなく注ぎ込まれていた。類い稀なる強運を与え、あらゆる災いから少女を守り抜くための力が。
 「あいつが、自分の牙を?」
 不思議なことも起こるものだ。
 魔物は口元だけでふと笑い、そして彼女をシスターの元へ送るべく、踵を返して歩き出した。

 数ヵ月後の話になるが、少女は別の場所で助けられていた両親と再会し、無事、故郷へと戻れる事になる。
 罪滅ぼしか、はたまた別の理由かは知らないが、人喰い狼が自ら折った牙の力は、伊達ではなかったということだ。
 とにもかくにも。
 片方しか牙のない青狼がいるサーカスがあったら、それが彼らのサーカスだ。エキセントリック・スーパーマジック・ショウ。覚えておいて損はない――かも、しれない。


次回興行へ、続く。

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