金色の髪の毛が揺れる。頭につけた白い羽が揺れる。
空のように澄みきった青い瞳の美女が、子供たちに風船を配る。一緒に渡されたビラには、こう書いてある。
楽しい楽しい夢のステージ、ビックリ仰天のサーカスのお知らせ!
「うわぁ、これ本当!?」
驚いて群れ集まる子供たちに、彼女はにこっと笑って指を振る。
ヒ・ミ・ツ。まだ、ヒミツよ。
そう言いたげにウインクして、踊り子は次の角を曲がっていく。
その足取りは軽く、踊っているかのように楽しげに、青い靴で石畳を踏んでゆく。
どこまでも、どこまでも。
角を曲がったところで、青年は思いっきり正面からぶつかられた。
「おッ…と」
自慢ではないが、この町の衛兵を務めているほどだから、体は人より頑丈だ。逆に、ぶつかってきた相手の方が弾き飛ばされてよろめき、道路の上にへたり込んでしまった。
吹き飛んだ衝撃で、手に持っていた荷物をばら撒いてしまう。ビラが散らばり、いくつもの風船が一斉に空に舞った。
「おい、大丈夫か?」
あわてて駆け寄り、手を差し出す。しかし、地面の上に座り込んでしまったきり、派手な人影は動かなくなってしまった。
「お、おい…」
片膝をついて顔を覗き込む。柔らかな色の金髪を水色のヘアバンドでまとめあげた少女は、青い目を見開いたまま、呆然と座り込んでいた。彼が目の前まで顔を持って行っても、その視線はまるで動く様子がない。
「すまない、大丈夫だったか?」
呆けてしまうほどに大きなショックを与えてしまっただろうか?
「おい…どこか、痛むのか?」
恐る恐る手を伸ばして、彼女の肩に触れてみる。
その途端、少女は瞬きをした。相変わらずどこを見ているのかよく分からない瞳のまま、ぎくしゃくと立ち上がる。そして、まるで彼のことなど眼中にないかのように手を伸ばし、地面に散らばったビラを集め始めた。
何なんだよ。
心配してやってるのに、返事の一つもしないとは。青年はわずかに眉をしかめ、彼女の背後に立った。
案の定、ビラを拾いながら後ろ向きに歩いてきた彼女はお尻から青年にぶつかり、また前のめりにつんのめって倒れた。
「おい、何やってんだよ、お前は」
どんくさ過ぎるのか、それとも何も考えていないのだろうか。
腹も立つが、それよりもここでいつまでもビラをばらまかれ続けるのは困る。青年は小さくため息をついて、足を踏み出した。
もたもたしている彼女を尻目に、青年は何十枚とあったビラをさっさと拾い集めた。軽く束ねて差し出すついでにちらりと見ると、サーカス開演のお知らせが色とりどりのインクを使って描かれていた。
「ほら、これで全部だ」
「………」
目の前に突き出されるビラの束。少女はそれを見て、ようやく自分より頭一つ分背の高い青年の顔を見上げた。
「どうした?要らないのか?」
せかすようにさらに突き出すと、彼女はふるふると首を振った。細い手を差し出して紙の束を受け取り、その中から一番きれいな一枚を選び出す。
どうぞ。
言葉はないが、顔が笑った。
「え?」
さっきまでの気が抜けたような顔とは、まるで別人だった。
にっこりと微笑んだ少女は、とても可愛かった。
「こ…これを、俺にか?」
こくり。
仕事用の笑顔なのだろう。それでも、彼女は、満面の笑みで青年に微笑みかけ、ビラを差し出した。
彼は、うろたえた。
先程までは、わずかとはいえ、どちらかというとこの女に対して怒りの感情を抱いていたはずだ。だが、今はどうだ。
「お、おう、貰っといてやろう」
ビラを受け取ると、冷んやりとなめらかな指が、青年の無骨な指に触れた。それだけで、心臓までもが冷たい指に触れられたかのように、跳ねた。
子供ではないのだから、それが何を意味しているのかぐらいは理解できる。意思や理性でどうにかなる感情ではないことも、知っていた。
一目惚れ、というやつだ。
「おい、あのな」
こうなったら、抵抗しても仕方がない。
「?」
せめて名前ぐらい聞いてやる。青年が口を開くと、彼女はあらぬ方向に顔を向けた。
「お姉ちゃん!」
「お姉ちゃーん!!」
こういう時に一番手強いのは、何も知らない子供たちだ。
「お姉ちゃん、ボクにもビラ頂戴!」
「ちょうだい、ちょーだい!」
雰囲気もへったくれも大人の事情もあったものではない。どこから湧いたのか知らないが、数人の子供たちが、派手な衣装の彼女を見つけてわらわらと集まってきた。
「あ、おい」
青年はたちまち人の輪の外へとはじき出された。
彼女はといえば、にっこりと優しい笑顔を浮かべて、子供たち一人一人にビラを渡し、頭をなでてやっている。そのまま歩き出したのか、二人の距離はどんどん離れてゆきはじめた。
まさか、子供の中に割って入るわけにはいかないだろう?
彼は呆然と立ち尽くし、次第に遠ざかっていく彼女を見つめた。
一体、俺はどうすればいい?
ガラにもないが、胸が切なくなる。思わず握りしめた拳の中で、紙がくしゃっと乾いた音を立てた。
「…そうだ」
サーカスだ。サーカスに行けば、また彼女に会える。
沈みかけた気分が一気に晴れて、衛兵は一人、にんまりと微笑んだ。
さあ、ご覧下さい!
一座の花形スター、レイチェルの華麗なるアクロバット!
威勢のいいアナウンスと共に、彼女は満面の笑顔でステージに進み出た。色とりどりの照明に照らされて輝く金色の髪に、たっぷりの白い羽を飾り、大歓声を浴びて両手を振る。
衛兵の青年は、その姿に見惚れていた。
踊るように軽やかにロープの上を渡りきれば安堵と驚嘆のため息をつき、怪力男に投げ上げられれば恐怖と興奮で胸を躍らせる。一瞬たりとも彼女から目を離せない。無邪気な子供のように息を殺してただひたすら見つめ続け、はっと気がつくと彼女の出番は終わっていた。
「レイチェルっていうのか…」
その後の出し物を見るともなく、爪を噛みながら青年はつぶやいた。
彼は、あまり恋愛経験が豊富な方ではなかった。自分が彼女を好きなことは分かったし、名前も分かったが、そこからどうすればいいのかは皆目見当がつかない。
右親指の爪を一通り噛み終えて、いらいらと左手に移る。
サーカス団員なのだから、ここでの公演が終わったら、また次の街に行ってしまうのだろう。そうなれば、もう会えなくなる。
それだけは…それだけは、イヤだ。
勢い余って食いちぎってしまった爪の欠片を足元に吐いて、青年は顔を上げた。いつの間にかサーカスのステージはすでに終わって、興奮冷めやらぬざわめきと共に、他の観客達はテントを後にしようとしていた。
「よし」
青年は膝を叩いて立ち上がった。
何事も、やってみなくちゃ分からない。
ステージ用の大テントを出た彼は、一大決心をして歩き始めた。他の観客とは逆方向、つまり、スタッフ用の小さなテントが立ち並ぶ裏手の方へと。
むっとするような獣の臭い。猛獣たちは大人しく、彼女が今日の食事を持ってきてくれるのを待っている。
慣れた手つきで、順番に餌と水を檻の中へと入れてやると、獣たちは一目散に喰らいついた。食べる様子を観察して、レイチェルは獣たちのチェックを行う。特に、問題はない。
今日の仕事はこれで終わり。彼女は道具を片付けて、テントの外へと出た。後は自分の部屋へと戻って休むだけだ。
「レイチェル…さん」
その背中に、ふいに声がかけられた。
まぎれもない自分の名前を呼ばれて、彼女は当り前のように振り返る。だが、そこに立っていたのは、見覚えのない人間だった。
「レイチェルさんだね」
間違ってはいないので、レイチェルはうなずく。大柄な青年はぎこちない笑顔を浮かべた。
「あの…いきなりで悪いんだけど、今、ちょっといいかな?」
しかし、その台詞が意味するところを、上手く汲み取れなかったらしい。レイチェルは、ぶつかって座り込んでいたときと同じように青い目を大きく見開いて、じっと青年の顔を見つめ返す。
それが疑いの眼差しかと思って、青年はあわてて頭をかいた。
「覚えてないのか?昼間、ビラ配ってる時に俺とぶつかっただろ」
「………」
返事は、なかった。
ただ彼女は、瞬きを繰り返しながら、彼を見ているだけだった。困っているようにも、何かを考えているようにも見えない。
「……おい?」
「失礼ですが」
ふいに、二人の間に男性の声が割って入った。
「うちの者に、何かご用ですか?」
静かな、それなのに妙な威圧感のある声だった。
青年が振り向くのと同時に、レイチェルも首をめぐらせてその声の主を見た。ランプの灯りに照らされて、赤い衣装が闇の中に忽然と現れたかのように見える。赤いシルクハットを目深にかぶったその男は、このサーカスの団長だった。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや」
口調こそ穏やかだが、団長の声はわずかに硬い。青年は首を振った。
「その…大した用事じゃないんだが、昼間に彼女とぶつかってしまってな」
「あなたと?」
「そう。で、その時は満足に詫びも入れられなかったからさ」
下心があったとは言えないが、今言ったこともあながち嘘ではない。彼女とは、まだ一言も口をきいていないのだ。
少々ぎこちない説明に納得してくれたかどうかは分からないが、団長は口元をゆるめた。
「そうでしたか。それは、うちの者が粗相をして申し訳ありませんでした」
そして、彼女を手招きして自らの傍らに立たせた。
「レイチェル。お詫びを言いなさい」
こくり。
相変わらず無表情のまま、彼女はうなずく。そのまま、深々と腰を折って頭を下げた。
「いや…その、そこまでしてくれなくてもいいんだ。俺も不注意だったし」
「いえ。これは、少々抜けておりますから」
焦る青年に、団長は静かに答えた。
「口もきけないものですから、ご迷惑をかけたのではありませんか?本当に申し訳ない」
「あ…いや」
ちらりと見ると、レイチェルは顔を上げて、またじっと青年の方を見つめていた。その唇は、固く閉ざされて動く気配はない。
何もしゃべらなかったのは、口がきけなかったからなのか。
「俺の方も、悪かったから。そんなに謝ってもらう必要はねえんだ」
別に、嫌われていたわけではなかった。仕事と関係ない時には無表情なのも、おそらくそのせいなのだろう。
心のどこかに引っかかっていた違和感を拭い、青年は笑顔を見せた。
「怪我とかもなかったみたいだし、大丈夫ならいいんだ」
とりあえず、また一つ彼女のことが分かった。今日はこれでよしとしよう。
「それじゃ、俺はこれで」
「よろしければ」
そう言い残して背中を向けようとした彼に、ふと思い出したかのように、団長が声をかけた。
「またここに、遊びにおいでください」
「え?」
少し驚いたが、願ってもない申し出に振り向くと、シルクハットの青年は真顔で答えた。
「たくさん声をかけてやれば、いつかしゃべれる様になるのではないかと思うのです」