エキセントリック・スーパーマジック・ショウタイム
「ヒトとマモノ」のお話。その1。


 さーあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
 子供も大人も、みんなおいで。楽しい時間の始まりだよ、面白い夢が見られるよ。
 サーカスが来たよ!さあ、みんなで、見に行こう!!

 「宣伝、ご苦労さん」
 赤いマントにシルクハット。派手な出で立ちの団長は、仲間の肩を叩いた。
 黄昏迫る街路の雑踏、最後の風船を受け取った子供が、親の元へと駆けて行く。にっこりと笑って手を振って、青い髪の青年が振り返った。
 「これで今日はおしまい、と。全部はけたぜ」
 「反応はどんな具合だ?」
 「上々だな。今回も大入りになるんじゃねーの?」
 ぼさぼさの髪を楽しげにかき回して、嬉しげに言う。
 彼らはサーカスを生業としている。たくさん宣伝して大勢の客を呼び、曲芸を見せるのが仕事だ。だから、街の人々に興味を持ってもらうことから始めなければならない。
 それを、何度も何度も何度も何度も繰り返す。もう、回数も忘れてしまうぐらいに。
 「こっちも終わったわよ」
 その時、二人の後ろから、二人連れの女性が近づいてきた。
 「この街も景気悪くないし、楽しめそうねぇ」
 少し年かさの、赤銅色の髪の女性が、紙巻煙草を手に笑う。もう一人の金髪の少女は、ゆっくりと顔をめぐらせ、辺りを見回していた。
 「よし。それでは、戻ろうか」
 そんな彼女の手を引いて、団長は仲間たちを促した。
 「明日からは、また忙しくなるぞ」
 街外れの広場に設営したテントへと、夕暮れの街を歩き出す。
 エキセントリック・スーパーマジック・ショウ。それが、彼らのサーカス団の名前。
 風変わりな、という名前に恥じることのない極上のショウを見せる彼らの正体は、実は、人間ではない。人の姿によく似てはいるけれども、彼らは魔物――闇の世界に住まう者たちだ。
 その魔物たちは、数え切れないほど多くの街を、村を、国を渡り歩き、大勢の人間たちに出会い続けてきた。
 あるものを探すために。

 団長カスタリアンに造られた存在である踊り子のレイチェルは、操り人形である。笑えと言われれば笑い、泣けと言われれば泣くが、ただそれだけ。命令されたことはきちんと実行できるが、それ以外のことはまったく出来ないお人形なのである。
 したがって、買い物を命令された場合、ちゃんとサーカスのテントまで戻ってこられるよう、道順を覚えながらゆっくりと歩く。必要なものは全部メモに書いてあるので、目的の店にたどり着いたらにっこり笑ってそれを差し出すだけだ。
 いつもそうして来たし、今までだってそうだった。それで、何の不都合もなかった。彼女はいつも通り、籠にパンを詰めてもらって店を出た。
 大丈夫、帰りの道順もちゃんと分かる。
 迷わずに、まっすぐに。正しく、自分の主人の下へと帰るだけ。
 夕暮れ、黒く重たげな自分の影を引きずって、レイチェルはひたすら歩く。街外れの広場には、帰るべきテントがある。ふと足元を見ると、誰かが帰りを待っていてくれたのか、一人分の影が長く、彼女の方へと伸びていた。
 団長だ。
 少し遅くなると、彼はいつも心配そうに待っていてくれるから。
 長い間の経験からそう判断して、彼女は顔を上げた。
 だが、違っていた。
 「何だ、意外と早かったな」
 無愛想な声はいつも通り。
 ぼさぼさの青い髪に不機嫌そうな表情を浮かべ、狼男のユーゴスは面倒くさそうに声をかけた。むき出しになっている二の腕の筋肉が如実に物語るとおり、彼はいわゆる力技を担当している。アクロバットではよくコンビを組むが、レイチェルは、何となく、この粗雑な大男が苦手だった。
 「何いつまでも、ぼーっと突っ立ってんだ?トロくさい女だな」
 ユーゴスの方も、彼女が苦手だった。いくら人形とはいえ、カスタリアンの魔力によって生み出されたモノである。もう少し何か反応しても良さそうなものだが、レイチェルからは、いつも何も感じなかった。
 けなしても嫌な顔一つ浮かべない彼女を睨みつけ、彼は仕事に戻ろうと足を踏み出した。
 まったく、カスタリアンの奴も、こんな出来損ないの何がいいのやら。
 テントの傍らに置いてあった丸太を持ち上げ、振り返る。彼女は、まだそこに立ち尽くしていた。
 「おい。まだ居たのか」
 うんざりとした口調で言いかけて、ふと気付く。
 いつの間にそこにいたのか、一人の老人が少し離れた場所から、じっとこちらを見つめている。レイチェルは、無言のまま、その老人を見つめ返していた。
 「……客か?」
 片手で丸太を鷲掴みにし、ユーゴスは目を細めた。
 「悪いな、じいさん。今日はまだ、準備中なんだよ。ステージは明日の夜からだ」
 しかし、老人は首を横に振った。
 ゆっくりと何かを確かめるかのように首を振り、顔を上げてひたと踊り子を見据える。
 「レイチェル」
 しわがれた声が、その口から紡ぎ出された。
 「やっぱり……レイチェル、なんだな?」
 かすれて、今にも消え入りそうな低い声。深く刻まれた、顔の皺。年老いた男は、しかし、はっきりと彼女の名前を呼んだ。
 「……は」
 その言葉に操られるかのように、人形が、口を開く。
 「あ、な、た、は」
 青い目が、丸く大きく見開かれた。パン籠が、草の上に落ちた。偽りの表情しか持たない彼女が、驚きに顔を歪めていた。
 「……レイチェル?」
 驚きに目を見開いたのは、彼女だけではなかった。
 もう何十年と一緒にいるが、彼女の声を聞いたのは初めてだ。ユーゴスは持っていた丸太を投げ捨てて、足音も荒く彼女に近づいた。
 「おい、どういうことだ。何だ、あのジジィは!?」
 乱暴に細い肩をつかむ。しかし、返事はなかった。
 「…………!」
 操り人形の糸が切れる。
 少女の形をしたものは力を失い、柔らかな体は崩れ落ちる。倒れそうになったレイチェルを慌てて抱き上げて、ユーゴスはぎり、と歯を噛みしめた。
 「ジジィ……てめぇ、何者だ?」
 人に在らざるモノが持つ、鋭すぎる眼光。だが、それに臆する事もなく、老人はわずかに口元を曲げて応えた。
 「また来る……わしは必ず、また来るぞ」
 かすれていたが、しっかりとした声でそう言い残し、彼はユーゴスに背を向けた。

 「おい。一体ありゃぁ、どういうことなんだよ?」
 そう尋ねても、シルクハットを目深にかぶった団長は唇を引き結んだまま、答えない。
 「ただの人形だと思ってたんだがよ。違うのか」
 寝台に横たえられた少女は、目覚めない。青い狼は乱暴に自らの頭を掻きむしり、いらいらと二人を見比べた。
 人間の姿を映す魔物、ドッペルゲンガーのカスタリアンは、ユーゴスの古い友人だった。顔がない故に何を考えているのかよく分からないところもあったが、それなりに、彼はこの友人が好きだった。
 だからこそ、いきなり一体の人形を持ち出してきて、人間の世界で見世物をして渡り歩こうと言われた時も、そんなに深くは考えなかったのだ。
 「出来の悪いお人形を育ててるんだとばかり、思ってたぜ」
 「――レイチェルは」
 ドッペルゲンガーというものは、自らの姿を持たない。顔もなければ、声もない。それらを人間から奪い、代わりに恐怖と絶望を与えてそれを楽しみ、自らの糧にする。
 だから、いつぞやに奪った誰かの唇が動き、誰かの声が答えた。
 「わたしのものだ」
 「お前の……ね」
 ユーゴスは目を細めた。
 五十年余りもの間、その美しい容姿は衰えることはなかった。その代わりカスタリアンから与えられる魔力が尽きれば、彼女は指一本動かす事さえもままならない。文字通り、言葉通りの操り人形そのものなのだ。
 それ故に、心も無かった――はずだった。
 「じゃ、あのジジィは何なんだよ」
 間違いなく、初めて見る顔だった。それなのに、レイチェルはあの老人に反応し、名前を呼んだ。それも、今までに見せた事のない、感情のある表情を見せて。
 「生きてた時の知り合いじゃねえのか?」
 ウェアウルフの知らない、誰かの仮面をかぶった顔はぴくりとも動かない。
 「それも」
 そこから目を逸らさずに、ユーゴスは重ねた。
 「恋人か、旦那か……そんなところだろう?」

 わたしは、約束を守れなかった。
 たった一つの約束を、守りきることが出来なかった。
 その罪は、何をもっても贖えるものではない。けれど、まだ、償うチャンスがわずかでも残っているのならば。
 もしも、まだ、間に合うのならば……

 長いまつ毛が震えた。
 重苦しい沈黙の中、彼女はゆっくりとまぶたを開いた。
 その気配に感付いて先に彼女の元へと駆け寄ったのは、カスタリアンではなく、仲の悪いはずのユーゴスだった。
 「おい。気が付いたか」
 「…………」
 ぽっかりと空のように見開かれた青い瞳が、彼の顔の上で焦点を結ぶ。レイチェルは二度、三度と瞬きをして彼を見つめ返した。
 「何か言え」
 「……」
 だが、その強引な要求には応えず、彼女はゆるゆると首を振った。
 「何でだよ。さっきはしゃべってたじゃねぇか」
 「ちょっと」
 肩をつかんで、揺さぶる。そうしようとした矢先に、ユーゴスの頭にぐっと力が加えられた。
 「何、イジメてんの。可哀相じゃないの」
 いつの間に来ていたのか、ジャグラーのファビエンヌが彼の頭に手のひらを載せていた。
 「だけどお前、こいつは」
 「なんだか知らないけど倒れたんでしょ? だったら、少しは優しくしてあげようとか思わないの!? このバカ犬!」
 「なッ……なんだとォ!?」
 長身の男が立ち上がる。それを悠然と見上げて、ファビエンヌは笑った。
 「今日も公演はあるのよ、バカ犬。ちゃんと休ませてあげないと、あとでどうなっても知らないんだから」
 「その通り、だな」
 カスタリアンもわずかに唇の端を持ち上げて、立ち上がった。
 「ファビエンヌ、レイチェルを頼む。わたしは、動物たちの様子を見てくる」
 「はいよ、団長さん」
 レイチェルの手を引いて立ち上がらせるジャグラーの脇をすり抜け、カスタリアンは狭いテントを出て行った。その背中を黙って、しかし拳を握りしめて見送るユーゴスに、彼女は声をかけた。
 「心があると思うんなら……ホントに、もう少しぐらい、優しくしてあげてよね」
 そして、レイチェルの細い肩を抱くようにして、ファビエンヌも背を向けた。
 最後にちらりと振り返った人形の目は、心なしか少しすまなそうに、ユーゴスを見ていた。


次回興行に、続く。

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