エキセントリック・スーパーマジック・ショウタイム
「ヒトとマモノ」のお話。その2。


 夜の帳が下りる頃、サーカスのステージは始まる。
 一座の花形ダンサー、レイチェルのアクロバットステージは、今宵も華やかに、きらびやかに、観客を魅了していた。怪力男、ユーゴスとのコンビネーションも調子よく、残すは最後の大技のみ。大きな玉に乗った踊り子は、笑顔でステージを一周した。
 このままシーソーに乗り、反対側に大男が飛び乗って彼女を飛ばす。空中に放り投げられた大玉とレイチェルを受け止めて、拍手喝采、幕となる予定だった。
 難しい技だが、そもそも人間ではない彼らにその程度のことは雑作もない。今までも確実に成功させてきたことだ。
 ユーゴスは、レイチェルがシーソーに乗ったのを見届けて、大仰な振りと共に反対側に飛び降りた。
 馬鹿馬鹿しいほど大きな音がして、踊り子と大玉が宙に舞う。怪力男は、上を仰ぎ見ることなく両手を広げた。
 右手に大玉、左手にレイチェル。玉さえ間違いなく受け止めれば、娘の方は小鳥のように勝手に左手に止まるはずだった。
 「な……ッ!?」
 いつものタイミングより、数瞬遅れた。
 何が起こった?
 嫌な予感に上を見る。観客が、ざわめく。
 「ぐわッ!!」
 ユーゴスは情けない声をあげた。
 空中でバランスを崩した少女が、背中から、彼の頭に降ってくる。間に合わなくて、二人は重なり合って倒れた。
 演目は、失敗か。
 一体どうなるものかと、今度は静まり返った客席が、二人をじっと見守っていた。
 「おい、しっかりしろ!立てるか?」
 ユーゴスはすぐに立ち上がった。しかし、意識が朦朧としているのか、手を引いてみてもレイチェルの反応はない。無理矢理抱き起こすと、焦点の定まらない目がうっすらと開いた。白い肌が、透き通るように蒼白く、冷たかった。
 宙を舞うわずかの間に悪夢でも見たのか。
 「!」
 ユーゴスは、動かないままのレイチェルを自分の胸に抱きしめた。
 そう、彼女は見たのだ。彼もすぐに見つけた。
 次第にざわめきが大きくなっていく観客席の一番前列、ど真ん中の、ステージからでもよく見える場所に、その男は座っていた。
 「あンのジジィ……!」
 昨日の夕方出会ったあの老人が、じっと彼らの方を見つめていた。
 無性にむかつく。
 ユーゴスは、睨み返す。
 愛想もクソもない、文字通り人形みたいな女だが、それでもカスタリアンが大事にしている女なのだ。自分だって気に入っているのかいないのかよく分からないが、とにかく仲間なのだ。
 それをここまで苦しめるような奴は……喰い殺す。
 青い狼が牙を剥いた。
 その瞬間、静かな声がステージ上に響いた。
 「ようこそ、いらっしゃいました」
 ドッペルゲンガーが、両手を広げて語りかけていた。
 「お待ちしておりましたよ……実に、長い間」
 「ああ」
 それに応じて老人が立ち上がる。
 「やっと、見つけた」
 「おい、何を……」
 「まずは」
 カスタリアンが笑って、右手を振った。
 「ご用のないお客様には、速やかにお帰りいただきましょう」
 巨大なサーカスのテントが消える。満席の客が消える。
 「ちょっと、これは一体何なの!?」
 突然なくなった控え室からファビエンヌが飛び出してきた。
 ステージもない。猛獣たちもいない。星空の下、広い空き地に、四人の魔物と一人の人間がいるだけ。
 「大丈夫……みんな、いいステージを見た夢を見て、帰途におつきです」
 「そうじゃなくて!」
 「いいんです」
 老人を前に、ドッペルゲンガーは静かに微笑んだ。
 「ここが、旅の終点」
 その顔は、誰のものでもなかった。
 「やっと、たどり着いた」

 わたしは、約束を守れなかった。
 自らに課した誓いを、たった一人愛する人を、守りきることが出来なかった。
 その罪は、何をもっても贖えるものではない。けれど、まだ、取り戻すチャンスがわずかでも残っているのならば。
 もしも、まだ、許されるのならば……

 「話してもらおうじゃねぇか」
 レイチェルを抱えたまま凄むユーゴスに、ファビエンヌがうなずいた。
 老人とカスタリアンはわずかに視線を交わし、それから二人の方へと顔を向けた。
 「一番最初は、50年……いや、それ以上前の話になるかな」
 「50と、4年だ」
 魔物の言葉を老人が訂正し、話は続く。
 「わしと、レイチェルは事故にあった。その時、この男が現れた」
 落盤事故にあって、身動きの取れなくなった人間の恋人同士。特に男の方は、ひどい怪我を負ってしまった。
 人通りもない山奥の道で、助けも呼べないまま、死を待つだけの二人。
 そこに現れたのが、カスタリアンだった。
 「そして、わしを助けるのと引き替えに、レイチェルにとんでもない要求をした」
 しわがれた声で、しかしあくまでもその口調はきつく、不躾に指を突きつけて、人間は言った。
 「彼女に……自分の玩具になれ、と」
 それも、三年後に、という中途半端な期限付きだった。
 その場ですぐに、という方が、まだマシだったのかもしれない。だが、カスタリアンは彼女に三年の猶予を与えた。
 恋人と共にありながら、自らには夢も希望も存在しない三年間。
 一体、どんな気持ちでその期間を過ごした?
 すべてを隠して、笑っているだけではなかった。時折、気が抜けたように呆然としている事があった。何が悲しいのか、一人でひっそり泣いている事があった。
 「もしも……もしも、の話なんだけどね」
 突然そんな話をし始めた時もあった。
 「わたしが不治の病で……あと一年ぐらいとかで死んじゃうとしたら……どうする?」
 彼には、その理由が分からなかった。
 彼女がいなくなってから、初めて知ったのだ。最後に残された一通の手紙が、すべてを教えてくれた。
 「まさか」
 魔物たちの顔色が曇った。だが、それを一笑に付して、老人は笑った。
 「まさか、だと?お前たちは魔物だろう……それぐらいのことで驚くか?」
 「だが、こいつは」
 「そんなことはしない、ご立派な魔物、とでも言いたいのか?」
 みなの視線の先に立つ顔のない青年は、唇を引き結んだまま、黙ってそれを聞いている。そこからゆっくりとレイチェルへと視線を移しながら、老人は言った。
 「それでも……それでもまだ、永遠の生命でも与えられて、お前に可愛がられて楽しく暮らしているのなら、諦めもつくと思った」
 いまだ焦点の合わない、虚ろな目を半開きにしたまま、人形のような少女は天を仰いでいた。
 言葉もなく、力もなく、ただユーゴスの腕に抱かれたまま――自らの意思を失い、カスタリアンの魔力によってだけ生かされている、キレイなだけのお人形。
 「それなのに、この様は何だ?」
 かすれた声はあくまでも冷たくカスタリアンを糾弾する。
 「レイチェルをそこまでいたぶって、これ以上、何が望みだ?」
 「やめて!」
 ふいに、ファビエンヌが叫んだ。
 「カスタリアンは」
 言いかけたところで、老人と目が合った。誰に対しても揺らぐ事のない強い視線に、思わず顔を逸らし、それでも彼女は言葉を絞り出した。
 「……カスタリアンは、わたしを救ってくれたわ」
 赤銅色の長い髪が、首を振るのに合わせて左右にゆらゆらと揺れる。
 「わたしは魔物だけど……元々は人間ですらなかった。ただの、モノでしかなかったのに」
 「それにな、ジィさんよ」
 ユーゴスも口を挟んだ。
 「こいつは、レイチェルをいたぶった事なんか一度もねぇ。こんなナリになっちゃあいるが、いつでも自分の側において、ずっと可愛がってるんだぜ?」
 「それならば、何故」
 何故、どうしてこんなことに。
 こんな、姿に。
 重苦しい沈黙の末、カスタリアンが口を開いた。
 「わたしのせいだ」
 シルクハットをゆっくり脱ぐと、淡い色の柔らかな髪が下りて、彼の表情を隠した。
 「そもそも、一番最初に、わたしがあの事故を起こした」
 「な……に?」
 一人と二匹の視線が集まる先で、青年の口元は、嘲笑とも苦笑とも取れるように、歪んだ。

 さらさらと柔らかな金色の髪、澄み切った空の青い瞳。彼女は、美しかった。
 見た目だけではなく、その心も澄んでいた。数多いる人間の群の中、ころころとよく笑う彼女の姿は、いやでも魔物の目を惹きつけてしまった。
 彼女が欲しい。
 この世界に自分というモノが存在するようになって、久しい。だが、今までに、こんな感情を抱いた事はなかった。
 彼女が欲しい。この手の中に抱きしめたい。傍にいて、自分を見て欲しい。
 そのためには、どうすればいい?
 魔物は悩んだ。魔力を使えば、無理矢理にでも振り向かせることは出来るだろう。しかしそれでは意味がない。
 だが、だからといって、恋人のいる女性の心を奪うには、恋愛の駆け引きというものの経験が圧倒的に不足していた。それに何より、彼には足りないものがあった。
 顔が――自分には、顔がない。声もない。
 全部、他人から借りてきた偽物だ。昨日と今日とでまったく違ってしまう、いい加減な代物ばかりだ。そんなもので、人の心をつかめるはずがない。
 では、一体どうすればいい?
 ゆっくり考えている暇はなかった。彼は魔物でも、彼女はごく普通の人間。その命には限りがある。急がなければ、あっという間に年老いて、死んでしまう。見守っているだけでも、刻々と彼女の時間は失われていくのだ。
 そんな時、魔物の目の前で、二人はあの山道のトンネルへと向かった。

 少し古いし、そこまでの道程が分かり辛いので使う人はあまりいないが、トンネルを抜ければ街道沿いに行くよりも近道になる。夕闇も迫ってきていたし、急いで帰ろうと考えたロイドとレイチェルは、迷わずそちらの道を選んだ。
 姿を隠したカスタリアンがついて来ていた事になど気付くはずもなく、彼らは歩く。
 その途中、岩盤が固かったのか、完全には削り取られないままの大きな岩が天井から突き出している場所があった。少し腰をかがめて、その下をくぐる。
 何の心配も、疑いもないまま、無防備に。
 本来ならば、落ちてこないはずの岩。だが、それは落ちてきた。
 カスタリアンの魔力に操られるまま、崩れ落ちる岩石は、青年の頭を、肩を、背中を打ち、血に染め、地面に引き倒す。
 「ロイド!」
 殺そうと思った。
 彼女が愛する男を殺そうと、その瞬間は思っていた。
 「ロイド――ロイド!!」
 助けを呼べないように、彼女の方は足だけを押えた。頃合いを見計らって登場し、彼女を助け出せば、きっと何もかもうまく行くと思った。
 「いやッ……いやああぁッ!ロイド、返事を――返事をしてェ!!」
 かろうじて岩の下から出ていた恋人の手を握り、レイチェルは泣き叫んだ。
 愛する人が、目の前で、少しずつ、冷たくなっていく。
 その恐怖に、悲痛に、彼女の顔は歪み、涙をこぼす。
 「いやぁ……ロイド……お願い……」
 違う。
 カスタリアンは首を振った。
 そんな顔をさせたくなど、ないのだ。男を殺そうとすればこうなる事は、最初から分かっていただろうに――わたしは、何と愚かな事を。
 「誰か」
 惨状を前に立ちすくむ魔物の耳に、愛しい女性の声が届いた。
 「誰でもいい……誰か、ロイドを助けて……お願い」
 自分でやっておきながら、その哀願を拒む事は、もはや出来なかった。


次回興行に、続く。

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