双天の剣 外伝
魔天の虜


 ガルダンの王都から少し馬車に乗る。小さな村を抜けて山を越え、ペトロニアへと向かう。そこで砂漠を渡るキャラバンに便乗させてもらい、一気に東へと抜ける。
 そういう予定だった。
 だが、アンディの目論見はもろくも崩れ去りつつあった。山道に差し掛かった馬車が、山賊に襲われたのだ。
 「うわあぁ…っっ!」
 突然の怒号に混じって御者の悲鳴が聞こえた。脅えた馬が暴れだし、小さな馬車は乱暴に揺られ、横倒しになる。同乗していた中年の男性は、頭でもぶつけたのか、一言うめいたきり動かなくなってしまった。
 「まったく、物騒ですねぇ」
 この辺りに山賊が出るという噂は聞いていなかった。だが、邪魔をするのなら何とかしなければならない。アンディは幌の布を押しのけて、乱闘の現場へと顔を出した。
 「ウゴクナ」
 その瞬間、予想通りではあったが、目の前に刃の切っ先が向けられた。
 「………」
 目だけを動かして、彼に武器を突きつけている相手を見上げる。視線が合うと、相手はもう一度言った。
 「ウゴクナ」
 ぎこちなく微妙なイントネーション。黒い髪の荒くれっぽい男は、明らかにこの辺りの人間とは顔立ちが違っていた。独特の風貌に思い至り、アンディは内心首をひねった。
 東国人が何故、こんな場所で山賊などしている?
 考える間もなく、倭語と思われる言葉と共にアンディは捕らえられた。
 暗黒魔法を使えばこんな山賊程度どうという事はないが、彼はハルン老司祭の顔を思い出していた。彼のための旅でもあるというのに、それをいきなり血まみれにしてしまうのは気が引ける。
 仕方なく大人しくしていると、乱暴に体をまさぐられ、まず腰につけていた財布が取り上げられた。だが、彼らはそれだけでは飽き足らないのか、懐に手を入れて、古びた聖書をつかみ出した。
 「待って下さい、その本だけは…!」
 言いかけて、ふと考える。これは、覚えたての倭語を使ってみるチャンスかもしれない。
 彼はゆっくりと考えながら、倭語を口にした。
 「待って下さい。その本を、返してください」
 そう言った途端、彼を捕らえていた男たちの顔色が変わった。
 上手く通じたらしい。驚いた表情で、しかし捕らえた手はゆるめることなく、彼らは言った。
 「お前、言葉が分かるのか?」
 「少しなら」
 「では、頼みがある」
 血が止まりそうなほどきつく掴んでおいてそれはないだろう、と思ったが、アンディはうなずいた。
 「俺たちは困っている。言葉が分かるなら、助けてくれ」
 そしてそのまま、彼は山賊のアジトへと連れ込まれた。

 短く刈った鋼色の髪、少し日に焼けた肌。どちらかというと可愛らしい顔立ちに見えるのは、茶色の瞳が大きくて、まだ幼げな印象を強く残しているからだろう。
 いかつい男たちに膝をつかせて、少年はさも当然のように立っていた。
 「お前、オレたちの言葉が分かるのか?」
 それなのに、アンディを見下ろす顔は不安に曇っていた。
 「はい」
 「良かった」
 そして、答えた途端に、その顔がぱっと笑顔になる。
 その瞬間、アンディはある光景を思い出した。
 ――アンドリューだよね。本当の、アンドリューだよね?
 あの日、あの時。
 自分の祖父をこの手で殺し、赤く塗れた刃を持って振り返った暗殺者を、不安な面持ちで見つめている少年がいた。
 丸く柔和な顔立ちを彩る、父親譲りの美しい銀髪と、母親譲りの澄んだ緑の瞳。自分とまったく同じ顔。
 「君は」
 鏡ではない証拠に、少年は、彼が何もしゃべっていないのに、口を開いた。
 「アンドリューだよね。本当の、アンドリューだよね?」
 アンドリュー・クレイトン、今回の標的。だが、その名前が本当の名前ではなかった事を、暗殺者は心のどこかで分かっていた。
 同じ顔の双子の兄弟は、周囲の人たちを困らせて遊ぶために、お互いの名前を入れ替えて呼ぶのだ。ラザフォードがアンドリューで、アンドリューがラザフォード。二人でおしまいだよ、って言う瞬間までは、絶対に誰にも本当の名前を言っちゃダメなのだ。
 例え、途中で二人が引き裂かれたとしても。
 あの日、あの時、さらわれた方が弟のアンドリューで、残された方が兄のラザフォードだった。けれど、二人は約束を守り続け、名前を偽り続けていた。
 そう…思い出した。だから僕が、僕こそが、アンドリュー・クレイトン。
 「うん」
 血塗られた弟が答えた。その途端、汚れのない兄は、ぱっとその顔を輝かせた。
 「ああ、やっぱり!?良かった…!」
 だが、あまりにも闇に染まっていた時間が長過ぎた。鏡に映したように、弟は形だけの笑顔を浮かべて、兄に刃を向けた。
 「それじゃ、おしまいにしよう」
 遊びもおしまい、そして、仕事もおしまい。
 わずかに、かすかに、胸の奥に芽生えた痛みさえも殺して、暗殺者は笑った。
 ――そう、僕は笑っていた。
 あの笑顔を殺して、僕は笑っていた。
 兄を、ずっと心配してくれていた、ずっと待っていてくれた、忘れないでいてくれた、魂を分けた兄を、自分の兄を――!
 東国の、見も知らぬ少年の顔にラザフォードの面影を重ねて、アンドリューは震えた。
 ようやく自らの罪を知った。

 何故か急に黙り込み、うつむいてしまったアンディに、少年がぽつりとつぶやいた。
 「…やっぱり、山賊なんかに協力はしてもらえねぇのかな」
 同じように不安げな顔をしていた山賊たちだったが、ふと、一人が古びた聖書を取り出した。
 「坊ちゃん。この男、この本が相当大切なようです。これを取り上げておけば、言う事を聞いてくれるのでは?」
 「モノジチか?…しょうがねぇな。おい、コラ」
 手下に手渡された本で、青年の頭を軽く小突く。驚いたような顔で、アンディは顔を上げた。
 「そういう事だから。この本、燃やされたくなかったら、イヤでも付き合ってもらう。いいか?」
 ちょっと悪戯っぽい、茶目っ気のある笑顔で、少年は言った。
 山賊の仲間になどなったら、ハルン司祭はきっと嘆くだろう。だが、とりあえず聖書は取り上げられてしまったし、この少年を何とかしてあげたい、という気持ちの方が先に立った。
 だから、アンディは微笑んで答えた。
 「はい」

 後からゆっくり話を聞いてみると、山賊の少年は、魔物の策略にはまって倭国からここまで吹き飛ばされてきた被害者だったことが分かった。とりあえず食うにも困っているから山賊をしているだけであって、根っからの悪者ではない。
 さらに、少年はこう名乗った。
 宗家第二十六代目柴紋流忍法術家元頭子龍崎聖天丸乱月。
 名前が長過ぎて最初はよく分からなかったが、よくよく聞いてみれば、聖書を渡すべき相手、宗家第二十五代目柴紋流忍法術家元頭子龍崎轟天丸園月の息子だったのだ。
 こちらの言葉を教えてやりながら旅費を貯め、いつかは聖書と共に彼を東国へ送り返してあげよう。アンディはそっとそう心に決めて、山賊たちと生活を共にし始めた。
 今なら、ハルン司祭の言葉も分かる。
 誰かを救うことで、自分が救われることもあるのだ。

 ただ、困ったことが一つだけあった。
 どうやらまだ彼は、闇の世界から解放してもらえた訳ではないらしい。そうでなければこれは、天から与えられた罰なのだろうか。
 「あとはお前だけか」
 その日、襲った相手は恐ろしく強かった。山賊の手下たちは軒並み倒され、乱月にさえ片膝をつかせた青年がいた。
 「くそうッ…」
 負けん気の強い少年は、まっすぐな目で青年を見上げる。押えた肩口から一筋の血が流れ出ていた。
 「オレの負けだッ!さあ、とっとと殺しやがれ!」
 青年の連れらしき子供たちが止める間もなく、剣が振りおろされ、血の雫が円の軌跡を描く。
 その瞬間、アンディは駆け出していた。
 「待って下さい!」
 暗黒司祭としての能力が危険を告げていた。あの漆黒の剣は、ただの剣ではない。明らかに強力な呪いの類いがかけられているのは間違いなかった。あれで生命を奪われれば、どれほどの苦しみを味わうことか。
 それを分かってなお、アンディは、乱月と青年の間に割って入った。咄嗟に止めた切っ先が、彼の前髪を少しだけ切る。
 だが、恐ろしいことなど何もない。
 「どっ、どうか…この人を助けてあげてください!」
 このまま切り捨てられても構わない。ただ、乱月さえ助かるのならば。
 そうなのだ。
 たった三ヶ月の間に、アンディは自分の中で芽生え始めていた感情に気がついていた。
 それは多分、普通の人たちが愛情と呼ぶものなのだろう、ということも分かっていた。
 「お願いです。どうか、この人を許してください」
 そして、その気持ちを口にしてはならないことも、許されない感情である事も、よく分かっている。昔、彼を抱いていた下衆どもと同じ世界に、乱月を連れて行く訳にはいかないのだ。
 「山賊をしていたのには理由があるんです。だから、どうか!」
 その代わり、アンディは頭を下げる。
 一度は裏の世界の頂点まで垣間見たくせに、今は乱月のためならば生命でさえも簡単に賭けられる自分が嬉しかった。
 この恋が自分に課せられた罰だというのならば、喜んで受けよう。
 自らの罪を振り返りながら、アンディはそう思う。


 いつでも闇はそこに在り、僕を見つめている。
 一言、応と言いさえすれば、甘美な優しさで包み込み、すべての欲望を叶えてくれるだろう。すべての夢を、現実にしてくれるだろう。
 だが、まだだ。まだ、駄目だ。
 僕は、まだ、そこには帰れない。そしてきっと、もう二度と帰らない――




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