双天の剣 第二幕
〜Princess of Flare〜

第三章 足跡(前編)

 団長にしこたま怒られて、カリンはすっかり意気消沈していた。
 仕方がないと分かってはいるが、こうも頭ごなしに怒鳴られまくると、いくら明るい性格の彼女でもさすがに参る。
 「反省したか」
 「……」
 フォルドの言葉に、返事も出来ない。だが、それでも、カリンは泣かなかった。
 小さくうなずいて、彼女はカーペットの上にぺたりと座り込んだ。ぐったりとうなだれた姿に納得し、フォルドは一つしかない目で部屋の中をぐるりと見回した。
 「しかし、まさか、殿下がミラノ殿を置いて行くとは思わなかった」
 主が姿を消した国王の寝室。大きなベッドでは、相変わらず侍女ミラノだけが、静かに夢を見ていた。彼女がいるからこそ、ウィーダも無茶はしないだろうと思っていたが、それは大きな間違いだったようだ。
 「クザン・ディ・ガルダンか…確かに、先王も彼に信頼を置いていた。護衛としても心配はいらんだろう。だが」
 煮え湯を飲まされたような、苦々しい表情をあらわに浮かべて、フォルドは拳を握りしめる。
 「分かっているか、カリン?どんな理由であれ、クザンが殿下を誘拐してしまったという事実に変わりはないんだぞ!」
 「…は、はい」
 「それなのにお前は、いくら殿下に止められたからといえ、出て行くのを許してしまうとは!!お前は……っ」
 また同じことを繰り返しそうになって、フォルドは自分で自分の口に手を当てた。
 「すまん。もう、過ぎた事を言うのはよそう…ミラノ殿の御前でもあるしな」
 その台詞を聞いて、カリンがそっと小さく胸を撫で下ろす。だが、団長は、彼女のそんな些細な様子も見逃さなかった。
 「だがな、お前にはまだ聞くことがあるぞ」
 フォルドは片膝をついて、カリンの顔を間近でのぞき込んだ。黒い眼帯をはめた、隻眼の男の顔には、妙に迫力がある。
 「さあ、殿下たちがどこへ行ったか教えるんだ。知っているんだろう?」
 「い…いえ、そ、それは」
 彼女は視線を外して頭を振った。
 ウィーダに約束したのだ。少しでも、時間を稼ぐと。
 彼がいなくなってしまった事は、部屋の中を見られてしまったらすぐにばれてしまう。だが、行き先を教えなければ、追っ手を差し向けることは出来ない。カリンは、それだけは知られまいと固く口を閉ざした。
 「そうか、知らないか。それなら仕方がない」
 ふいに、フォルドが微笑んだ。これ以上ないというほどの、満面の笑顔だった。
 「それならばなおのこと。責任は、取ってもらうぞ」
 「え」
 「当然だろう?分からないなら、説明してやろう」
 不気味な笑顔を浮かべたまま、彼は続けた。
 「私たちの仕事は何だ?殿下をお守りすることだろう?それなのに、お前は何だ?」
 いまだかつて聞いた事のないような、フォルドの猫なで声。カリンは身震いした。
 「目の前で殿下をさらわれ、その上行き先も分からないと来た。これでは、騎士失格だな」
 「う……」
 「せめて行き先が分かれば、名誉を挽回するチャンスも与えられたかも知れないんだが、な」
 な、のところにアクセントを置いて言い残し、フォルドは立ちあがった。
 「知らないのでは仕方がない。責任を取って…」
 「ど……どう、なるのですか」
 「当然、斬首だな」
 わざと振り返らずに、騎士団長は背中で部下の様子をうかがった。もちろん、そんな事をするつもりなど、さらさらない。ただ、彼女がウィーダの行き先を知っているという確信があったから、こうして揺さぶっているのだ。
 案の定、カリンが唇を噛みしめてうめいている小さな声が聞こえてきた。そのまましばらく悩ませておいて、勿体をつけて振り返る。
 まだ若い女性騎士は、かわいそうなほどにうなだれ、小さくなっていた。
 「さあ、どうする、カリン?」
 「あ…あたし……い、いえ、わたくしは」
 小さな声が答えた。
 「やっぱり知りません」
 「何!?」
 顔を上げて、フォルドをじっと見上げる彼女の唇に、くっきりと赤いものがにじんでいた。
 やっぱり、などと言うことは知っているのだろうが、カリンはそれを拒んだのだ。
 「本当に知らないと言うのか?」
 「はい」
 「だ、だが、カリン」
 「殿下との約束ですから、どうしても破れません。だから、斬首でも…何でも、して下さい」
 きっぱりと、カリンはそう言った。言葉に詰まるのは、今度はフォルドの方だった。
 しばらくの沈黙の後、彼は、騎士団長として尋ねた。
 「本気か?」
 「はい」
 返事は間髪入れずに返ってきた。
 フォルドは、わずかな間だけ考えて、決心した。
 「分かった…」
 低く、つぶやくように言い、それから大きく手を鳴らす。
 「衛兵!」
 すぐに駆けつけてきた兵士たちに、彼は告げた。
 「この女を…地下牢にぶち込んでおけ!」

 王都ガルダンから馬車で丸一日。街道沿いの小さな村に、その噂があった。
 「まさか、こんな近くに」
 「俺も予想外だ」
 上品なたたずまいの、身分の高そうな青年と、ごつい体格の粗雑そうな大男。ちょっとアンバランスな組み合わせの二人は、こんもりと茂った森の入り口に立っていた。小さな丘を覆うように木々が生え揃っているが、そんなに大きなわけではない。
 見た感じを仔細にウィーダに説明し、クザンは尋ねた。
 「どうする?少し入ってみるか?」
 「もちろん」
 魔獣のくせに、やたらと賢くて人間によく懐いたグリフォンがいると、街道を通る人々の間でちょっとした噂が流れていた。人間を見ても全く襲う気配を見せず、何かを確認するかのようににおいだけ嗅いで立ち去ってしまうというのだ。
 グリフォンに限らず、野生の魔獣がそんな振る舞いをするはずはない。人間は、ただの獲物に過ぎないからだ。かといって、魔獣を飼いならすには時間も手間もかかる。金持ちの道楽だとしても、手が込み過ぎている。そうなれば、答えは一つしかない。
 「そんなグリフォン、ラードラ以外に存在しねぇよな」
 「ああ…私もそう思う」
 ウィーダはうなずいて、風の音に耳を傾けた。目の前にある木々が揺れて、静かなざわめきが広がっている。
 「向こうから出てきてくれりゃ、手間がかからなくていいんだけどな」
 クザンはぼやきながら、ウィーダの手を引いた。
 「まぁいい、行ってみよう。足元に気をつけろよ」
 「ああ。すまない」
 下草を踏んで、二人は歩き出した。
 が、ものの数歩も行かないうちに、ウィーダの服が木の枝に引っかかってしまった。
 「クザン、すまない」
 「いや、こっちこそ。俺の注意が足りねぇな」
 そうして歩き出しても、また少し行くと、どうしても何かにつまずいたり、ぶつかったりしてしまう。クザンは、ウィーダの髪の毛にからまった蜘蛛の巣を取りながら、ため息をついた。
 「ミラノはやっぱりすげぇな」
 「どうして?」
 「自分も歩きながら、お前の事も全部見てたんだよな。こんなこと、全然なかっただろ」
 半年前に一緒に旅をした時は、まるで不自由など感じなかった。いつも彼女がそばにいてくれたから。
 「……確かに」
 盲目の王子は顔を伏せた。
 「私は…一人では、満足に歩けもしないということか」
 「まぁ、俺も大雑把だからな」
 大きな男は豪快に笑って、そのまま、軽々とウィーダを肩に担ぎ上げる。
 「ここは、特別に足元悪いからな。これで行こう」
 「し、しかし、これではお前が」
 「なーに、お前なんか全然重くないぜ」
 ウィーダは決して小柄な方ではない。確かにクザンはこうやって、彼を担いだまま、二階の窓から飛び降りて王城から脱出するという所業もやってみせた。造作もないといえば、そうなのだろうが、担がれた方としては複雑な気分だった。
 「私は守られてばかりだ」
 力強い足音を聞きながら、王子はぽつりとつぶやいた。
 「え?何か言ったか?」
 「いや、何も」
 だが、王として即位しなかったのは、もしかしたら良かったのかも知れない、と思い始めていた。

 地下牢に昼夜の別はない。いつでも暗く、わずかな蝋燭の明かりだけが壁を照らしている。正体はよく分からないが、隅の方でネズミか虫か何かが立てる音だけが妙に大きく聞こえて、不気味だった。
 少女は冷たい石のベッドの上に膝を抱えて座っていた。
 知らない間に眠っていたらしい。気が付いたら、パンと水が格子の中に入れられていた。いつも食べている物とはまるで違う、ぼそぼそと粉っぽい、不味い代物だった。二口も食べられないまま、床の上に置いてある。
 あたし…どうなるんだろう。
 カリンは膝の間に顔をうずめて、頭の中でそればかり繰り返していた。
 王子の役に立ちたかった。両親の仇を――両親を殺した、魔人たちを倒してくれた人のために。
 団長だって、分かってくれると思っていた。それなのに、まさか、本当に牢に入れられることになるとは、思ってもいなかった。
 フォルドの言う事はよく分かる。仮にもウィーダは新王になるべき人なのだ。行かせてはならなかったのは、分かる。だが。
 「……殿下」
 あたしは一体、どうすれば。
 その時、静まり返った地下牢に、靴音が響いた。
 規則正しく石床を叩き、その音はまっすぐカリンの閉じ込められている扉の前までやってきて、止まった。蝋燭の光が彼女の座っている場所まで届いた。
 「……?」
 彼女が顔を上げると、そこには大柄な男性の影があった。騎士団長、フォルドは、足元のトレイに目を落として、淡々とした様子で尋ねた。
 「どうした、カリン。食事を取っていないのか」
 「…食べられませんでした」
 「そうか」
 表情ひとつ変えることなく、彼は胸元から何かを取り出した。ぼんやりとした光を反射して、銀色に光る。
 それを格子の前にかざして、フォルドは言った。
 「こっちへ来い。いいものをやろう」
 「いいもの?」
 カリンは立ち上がり、彼に近付いた。薄暗い中でよく見えなかったが、近付くとその形が何かはっきりと見えた。
 「これは…鍵?まさか、もしかして」
 だが、フォルドはそれには答えないまま、格子の間から鍵を差し込んで落とした。チリン、と澄んだ音が廊下に響く。カリンはあわてて膝を折り、鍵を拾い上げた。
 「団長。どうして」
 「お前はこれから脱獄するんだ」
 困ったような顔をして、フォルドは答えた。そして、背中に下げていた背負い袋を一つ、扉の前に置いた。
 「旅に必要な物はここに入っている」
 「え?」
 「これもやる。だから、早くここから出て行け」
 カリンは、拾った鍵と荷物と、上司の顔をと代わる代わる見つめた。彼が意図していることが、全く分からない。
 「あの…わたくしに、一体どうしろと?」
 彼女が尋ねると、フォルドは顔を背けた。
 「いくらお前が規律違反を犯していようと、私の一存でお前を処分するわけにはいかない」
 失った右目は眼帯に覆われている。彼の表情も、分からなかった。
 「ましてや、ご自分の命令を守った事でお前が処分されれば、殿下も悲しまれよう。だからといって、他の騎士の手前、お前の行為を許す訳にもいかん…分かるな?」
 「はい」
 「だから、脱獄してしまえと言っているのだ。城を出ろ」
 途端に、カリンの表情が曇った。
 「まさか、除隊…ですか!?」
 せっかく騎士見習いになれたのに。あの人の役に、立てると思ったのに。
 仕方がないといえばそれまでだが、それでは、もう二度とウィーダの近くにはいられなくなってしまう。カリンは肩を落とし、手に持った鍵を見つめた。
 「それは、嫌です」
 首を振って、フォルドに鍵を返そうとする。しかし、彼はその手を押しとどめた。
 「違う。そういうことではない」
 「それじゃ、どういう事ですか?」
 「…私に全部言わせる気か」
 苦虫を噛み潰したかのような嫌そうな表情を浮かべて、フォルドは彼女を見つめる。しばらく睨みあった後、彼は、もう一つの背負い袋を足元に置いた。
 「お前は責任を取るために脱獄して、殿下を追うんだ。私は、それについて行く」
 「え」
 「え、じゃあない。お守りしないとならんだろうが!」
 なるべく低く声をひそめながら、しかしフォルドはカリンを怒鳴りつけた。
 「早くしないか!誰かに見つかりでもしたら、この状況を何と説明するのだ!」
 「は…はいッ!分かりました、団長ッ!!」
 少女はあわてて敬礼した。そして、鍵を錠前に差し込んだ。
 小気味よい音がして、錠が開く。廊下に出たカリンは、フォルドの用意してくれた荷物を持って、静かに歩き出した。
 「すまんな、カリン」
 その後ろ姿を見ながら、彼は小さくつぶやいた。
 落ち度は私にもあったのだから、彼女一人に責任を押し付けられるはずもない。
 「何はともあれ、すべては殿下を見つけてからだ」
 フォルドは少し間を置いて、彼女の後を追った。


続く

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