双天の剣 第二幕
〜Princess of Flare〜

第五章 黒の狂戦士(前編)

 「何だって、こんな下品なところに」
 フォルドは終始、不満顔だった。それもそのはず、彼は頑強に城に戻る事を主張したのだが、他の誰一人としてそれを聞き入れてくれなかったのだ。その上、主人たる王子は恐ろしげな魔獣に平気な顔でまたがり、得体の知れない妖精などを肩に乗せ、挙句の果てに歓楽街として名高いイルクラチアへと向ったのだから、納得出来るわけがない。
 だが、それもまた、ウィーダの意思なのだ。帰りたければ一人で帰れ、などと言われてしまったら、ついて来るより他に選択肢はなかった。
 「…それに、遅い。こんなに客を待たせるとは、どういうことだ」
 ごてごてと派手な装飾の施された、実に居心地の悪い部屋で、フォルドはいらいらと館の主人が現れるのを待った。何よりも、そこかしこに邪悪な紋章が描かれているのが許せない。それでも、怒り出したいのをこらえ、じっとソファに腰を下ろしている。
 その一方で、王子と拳闘士と騎士見習いの三人は、窓からの夜景を楽しんでいた。まだうら若く、ガルダンの外を知らないカリンにはまぶしい夜の街がものめずらしくて仕方がない。ウィーダは窓を開け、通りのざわめきと涼しい夜風を頬に受けてくつろいでいた。
 「いやー、こんな非常時じゃなかったら、ちょっと遊んで行っても良かったんだけどなぁ」
 あまつさえ、クザンがそんな事を堂々と言っているのが耳に入り、フォルドのいら立ちがさらに増す。
 「カジノですか?」
 「そっちも、悪くねぇけどな」
 主君だけではなく、今度はカリンにもおかしなことを吹き込む気か、この男は。もう、我慢できない。
 フォルドが剣の柄に手をかけた時、ようやく客間のドアが開いた。
 「待たせた」
 無表情で表れたのは、長い金髪をなびかせた青年だった。その声を聞いて、すぐさまウィーダが振り返った。
 「シャウラか」
 「ああ」
 そのままシャウラは大股で部屋の中央まで来て、フォルドの真正面に遠慮なく腰を下ろした。クザンが手を引き、ウィーダをシャウラの隣に座らせる。確認するように手を伸ばすウィーダに自分の顔を触らせて、シャウラの表情がかすかに緩んだように見えた。
 「元気そうだな、シャウラ」
 「ああ」
 相変わらず無愛想に答えて、シャウラは部屋の中をぐるりと見回した。見慣れた大男の他には、騎士と思しき男女が一人ずつ。やはり、正式に王ともなれば、それぐらいの供は従えているものなのだろう。だが、明らかに足りない人物がいる。
 「それで、お前は何故ここへ?」
 「君に会いに来たんだ」
 ウィーダは少し顔を伏せて答えた。
 「力を借りたい…助けて欲しい」
 「ああ」
 聞かなくても、答えは分かった。
 「ミラノに、何かあったのだな?」
 「そうだ」
 勇者のために天を捨てた堕天使が、ウィーダの傍を離れることはないからだ。
 ウィーダは、あの日の朝から始まった出来事を、重い口で話し始めた。
 ミラノにかけられた呪いの事、奪われた聖槍とティアの事、そして、シャウラに会うために行った森で出会った、黒装束の賊の事を。

 あの時、賊が何かを投げつけたのを見て、クザンはとっさにウィーダをかばった。だが、投げられた物は、ただのかんしゃく玉だった。
 地面に落ちて、派手なだけの音を立てる。うっすらと白い煙が立ち昇り、火薬の臭いが広がる。賊はすでに、かなり離れた場所に移動していた。これだけ距離が開いてしまうと、さすがのクザンでも、一瞬で追い詰めるのは無理だった。
 「お前…ッ!」
 向うの思い通りにあしらわれたのが悔しくて、クザンはウィーダを抱えたまま、噛みつくように吠えた。
 「このまま逃げるのかよ!」
 立ち去りかけた背中が、ふと立ち止まる。つかませた棒切れを包んだためか、いつの間に覆面は取れていた。
 せめて、振り返らせることが出来れば、顔を見ることが出来る。クザンは叫んだ。
 「待てよ、この卑怯者が!!」
 言葉に反応して、賊が拳を握りしめた。
 「お前、まともに戦えないのかよ!!」
 肩も拳も、ぶるぶると震えている。明らかに、屈辱に耐えているその様子に、クザンは容赦なくたたみかける。
 「しかも、相手にするのは女ばっかりか?眠らせたり、さらったり、大した腰抜け野郎だな!!」
 次の瞬間、賊が振り返った。
 黒く輝く鋼色の髪、怒りに満ちた茶色の瞳。幼さの抜けきらない、少し甘い顔立ち。
 「……ランディ」
 クザンは、彼の名を呼んだ。
 賊は、また背中を向けた。今度は、迷うことなく、歩き出す。黒装束は、すぐに木立に紛れて見えなくなった。
 「クザン」
 そして、そんな事など分からないウィーダは、動かなくなってしまったクザンにつかまって問う。
 「今、何と言った?」
 「ランディ…だよ」
 「そこに、いるのが?」
 クザンは首を振った。衣服越しに筋肉が動くのが分かって、ウィーダにも意味が伝わった。
 「もう…行っちまった」
 「どこへ」
 「知るかよ、そんなの!」
 いら立ちを隠そうともせず、彼は叫んだ。
 「でも、間違いない…あれは、ランディだ。ミラノに呪いをかけたのも…ティアをさらったのも、全部あいつだったんだよ!」
 「そんな…ッ」
 クザンの襟元をつかんでいたウィーダの手が震えた。
 「見間違いではないのか?彼が、そんなことをするはずがない!」
 一緒に旅をして、戦った。感情が豊かで、すぐに笑ったり怒ったりするような少年だった。そう…彼はまだ少年と呼んでも差し支えない年頃なのだ。
 それが、何故。
 信じられなくて、知らず知らずのうちに、ウィーダは力を入れすぎていた。反論してくれないクザンに、のしかかっていた。

 「ランディが、か」
 シャウラは、全てを聞いても、やはり表情を変えなかった。そのまま、あごに手を当てて考え込むような仕草を見せた。
 「シャウラ?どうした?君は…何か知っているのか」
 「…ああ」
 ウィーダが尋ねると、彼にしては珍しく、歯切れの悪い声で答えた。そして、肩越しに入ってきた扉を振り返った。
 そこに立っていたのは一人の暗黒司祭だった。不吉なほどに黒い衣を身にまとい、烏の羽で飾られた悪趣味な仮面をかぶっている。わずかに、口元と指先がのぞいているだけのその姿は、まるで魔人のようだった。
 シャウラの視線を受けて、暗黒司祭はうなずいた。
 「お、おい、あいつは一体…」
 「ここの領主だ、気にするな」
 恐る恐る尋ねるクザンをさらりとかわして、シャウラは口を開いた。
 「それよりも、ランディのことだが」
 バスラムの王女クプシが行方不明なこと、そして、それにランディが深く関わっているという事実。さすがに、チェリコから得られた情報の全てを話す、というわけにはいかなかったが、シャウラは簡潔に、要点だけをかいつまんで説明した。
 話を聞き終えたウィーダは、指を組んでうなだれていた。
 「では…やっぱり、ランディが」
 証拠が揃いすぎていた。どうにも、それ以外の選択肢が見当たらない。
 「そう考えるのが、今のところ、一番自然だ」
 シャウラは淡白に返事をした。
 「だが、理由がない」
 部屋の中が、静まり返った。
 確かに、ランディの行為の一つ一つを結ぶ糸が見当たらない。何のために聖槍を盗み、ティアをさらい、クプシを連れて消えたのか。
 「殿下」
 その時、ふいにフォルドが口を開いた。
 「お言葉ですが、この者たちの言うことを、信用なさるのですか?」
 「どういう意味だ」
 少しむっとしたように言い返すウィーダに、騎士団長は冷静な口調で答えた。
 「失礼ながら私には、このような胡散臭い場所にいる方々の言うことを全て真実だと思うことは出来ないのです。ましてや、この街の領主は魔人の手先…暗黒教団に属する者だと聞き及んでおります」
 彼の言葉を、仮面の領主はじっと身じろぎもせずに聞いている。シャウラはその様子を見て、それからゆっくりとフォルドを振り返った。
 「では、お前は我々の言うことが、嘘だというのか」
 「そこまでは申しておりません」
 まったく表情を変えようとしない魔人の公子を、騎士はにらむように見つめていた。ウィーダがいなければ、今にも切りかかっていきそうな厳しい顔つきに、クザンが苦笑して口をはさんだ。
 「おいおい、フォルド。その顔じゃ、ケンカ売ってるようにしか見えないぜ?」
 「全くだ」
 ウィーダが同意する。
 「シャウラも従妹を奪われているのだ。嘘をついて、何になる」
 「それは」
 フォルドが言葉を切って、うつむく。誰もが、口ごもったのだと思った。
 しかし、次に顔を上げて告げた言葉は、思ってもみなかったことだった。
 「事件の黒幕が、そのランディという者だった場合です」
 「…どういう事だ?」
 意味が分からなくて、クザンが聞き返す。
 「失礼ながら」
 騎士はじっとシャウラの様子をうかがいながら続けた。
 「もしシャウラ殿が、ランディとやらと組んでおられたら、説明はつきます」
 「私が、ランディと?」
 「その者の仕業に見せかけて、バスラムの王女たるクプシ姫を誘拐する。その一方で、ミラノ殿を眠らせ、ウィーダ様をおびき出す」
 何のために、と聞く者はなかった。その代わり、音を立ててウィーダが立ち上がった。
 「フォルド。それ以上言うならば、この私が許さないぞ」
 「殿下はお人が良過ぎるのです」
 しかし、フォルドも引かなかった。
 「お優しいのはいい事ですが、相手をお選び下さいませ!」
 「フォルド!」
 その時、慌しいノックの音が、客間に響いた。
 「司教様!」
 領主が扉を開くより早く、小間使いらしい少年が転がるように飛び込んできた。
 「大変で、ございますッ!」
 胸を押さえながら、一息ずつ吐き出して、彼は告げた。
 「魔物の…群れが、街を、襲って」
 「何!?」
 今まで一言も口を聞かなかった仮面の男も、さすがに驚いたのか声を上げた。
 この街は、他の場所とは違う。イルクラチアが、荒野の真っ只中にぽつんとあっても襲われる事がないのは、魔物にとってもおいしい汁の吸える、邪教の支配する場所だからだ。
 カリンが急いで窓に駆け寄り、外を見て叫ぶ。
 「ホントだ…いっぱいいる!」
 窓を開けると、悲鳴と咆哮が流れ込んできた。
 「だから申し上げたのです」
 その状況で、フォルドだけが驚いていなかった。真っ直ぐに主君に腕を差し伸べ、彼は言った。
 「さあ、殿下。早くその男から離れて!」
 しかし。
 「シャウラ」
 ウィーダは、傍らにいる友人に声をかけた。
 「魔物を倒しに行くんだろう?」
 「当然だ」
 かすかに笑みを浮かべて、シャウラは立ち上がる。
 「魔物相手に、暗黒神官ばかりでは分が悪いだろう。助けに行かなければな」
 「そういう事だ、フォルド」
 王子はにっこりと微笑んだ。
 「心配してくれるのは分かるが、私は彼を信頼している。お前も、じきに分かる」
 そして、呆然とするフォルドを置いて、彼は歩き出した。
 「よし、久々に暴れるか」
 「ま、待って下さい、殿下」
 何だか妙に嬉しそうなクザンと、少し緊張したような面持ちのカリンがそれに続く。二人の顔に、迷いなどまるでない。シャウラと供に、何の躊躇もなく外へと駆け出していった。
 暗黒司祭が、一人残されたフォルドを見ていた。
 「…ち、違う!私は…そんな、つもりでは」
 「ええ、分かっていますとも」
 思わず口をついて出た言葉に、仮面からのぞいた口元が微笑んだ。
 「それよりも、今は街の人々を。手伝ってくださいますよね?」
 想像していたものよりも、ずっと穏やかで優しい声に、フォルドは素直にうなずいた。

 数は多くとも、雑魚は雑魚。
 群れをなして人々を驚かせた魔物たちも、二人の勇者の敵ではなかった。襲いかかって来るのを容赦なく蹴散らして、ようやく彼らは見つけ出した。
 魔物を率いてこの街を襲った、張本人を。
 「今度は、お前か」
 シャウラはつぶやいた。
 真っ黒な鎧に、赤い髪。その顔を、彼らは知っていた。
 「アシル」
 彼の体格では到底持てるはずのない巨大な戦斧を両手に構え、大通りをまっすぐに歩いてくる。
 「アシル…なのか?」
 「そうだ」
 ウィーダの問いに、シャウラは答えた。
 「だが、あの顔は…」
 半分閉じかかったまぶた。その下に見える目は、何も見ていないようだった。この混乱しきった状況の中で、何にも反応することなく、ただ歩いている。
 「あれは、やばいな」
 クザンが言った。
 「闘技場で見たことがある。あれは、狂戦士の顔だ」
 戦士としての能力を極限まで高めるために、人としての心を捨てた人間。情けを持たず、恐怖を知らない、生きた兵器と化した狂戦士は、自分が死ぬまで戦いをやめることはない。
 「一体、誰を敵として認識するかが問題なんだが…」
 「我々だろうな」
 シャウラがぽつりとつぶやいたその瞬間、アシルのまぶたが開いた。


続く

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