双天の剣 第二幕
〜Princess of Flare〜

第五章 黒の狂戦士(後編)

 「ああああああああああっっ!!」
 それは、人の声というよりも、咆哮だった。
 手に持った斧を振りかぶり、アシルは吠えた。獲物を見つけた肉食獣のように、その顔をひたとシャウラの方へ向ける。そして、力いっぱい斧を振り下ろした。
 ガキン、と鈍い音がした。
 鉄の刃が通りに埋め込まれた石を割る。えぐられた欠片が、乾いた音と共に転がって、シャウラのブーツに当たった。
 「何という…力だ」
 だが、感心している暇などなかった。アシルは再び斧を持ち上げ、濁った瞳で狙いを定めていた。
 「待て、アシル!」
 「無駄だ」
 声をかけたウィーダに、クザンが告げた。
 「今のヤツには、何も聞こえてねえ」
 「では、どうすれば」
 言葉を遮るように、また斧が空を切る。風が鳴る先に、カリンがいた。
 「逃げろカリン!」
 だが、彼女の足は動かなかった。これが、初めての実戦だった。他の仲間たちにとっては取るに足らない相手でも、彼女には一匹倒すのも精一杯だったのだ。吐き気をもよおしそうな生臭い血の匂いと、振るうほどに重くなる剣とが、カリンの体力をみるみる奪い取っていた。
 「カリン…ッ!」
 動けない。間に合わない。
 「きゃああああ…ッ!?」
 その時、間に黒い影が割って入った。烏の羽が、むしり取られて宙を舞う。
 「しっかりして下さい!」
 すんでのところでカリンを地面に突き倒し、暗黒司祭は叱咤した。仮面を縁取っていた黒い羽根が、重い斬撃を受けて無残に切り取られていた。
 「あの」
 「下がっていてください。彼は、あなたの手に負える相手ではありません」
 きっぱりと、しかし優しく告げる声に、ウィーダとクザンが振り返った。
 「その声は…」
 「よそ見してる暇なんかありませんよ!」
 カリンを立たせながら、彼は言う。アシルの次の一撃が、すでに高々と頭上にかかげられている。
 「全くだ…!」
 フォルドが剣を構えた。
 騎士団長である彼の長剣は、最高級の品質の鋼を選び抜いて作られたものだ。だが、その美しい銀色の刀身に鞘を付けたまま、フォルドは狂戦士と対峙していた。
 「こいつは、私が倒します」
 「フォルド!?」
 「ご心配なく、殿下」
 振り下ろされる斧を受け止めるために、油断なく待ち構えながら、騎士は答えた。
 「殿下の友人、殺しはしません!」
 
 二度、三度と容赦のない打撃が加えられる。
 フォルドが右目を失って半年。かなり慣れたとはいえ、まだ遠近感には若干の狂いがあった。それでも、この戦いにミスは許されない。もし、わずかでも体に受けてしまえば、致命傷になるのは間違いないからだ。
 腕の一本や二本ぐらいなら、やすやすと持っていかれそうな程に重い攻撃を受け止め、長剣がみしっ、ときしんだ。渾身の力でアシルを振り払い、また次の一撃を待ち構える。
 いくら狂戦士と言えども、完璧ではない。フォルドは、左目を見開いて、チャンスが来るのを待っていた。
 そしてまた、新しい斬撃を受ける。
 バリッ、と鈍い音がした。
 「…ッ!」
 度重なる攻撃に耐えかねて、鞘が割れた。裂けた金属片が、まっすぐに狂戦士の顔へと向かう。
 だが、アシルは、それを避けなかった。ただ、フォルドを叩き潰すことだけを考えて、さらに斧を押していた。
 「あうぅッ!?」
 鋭利な鉄片が、少年の額を切る。飛び散った赤い飛沫が、まばたきすることなく見開かれていた目に入る。
 「今だ!」
 クザンが叫んで飛び出した。それと同時に、フォルドが長剣の柄で、アシルの拳を打ちつけた。
 重い音がして、巨大な戦斧が大地に落ちる。
 「うがああああああッ!!」
 狂戦士は吠えたが、すでに後の祭りだった。肝心の武器は両手から離れ、背後からはがっちりと羽交い絞めにされている。
 尋常ではない力を振り絞って、クザンの腕から逃れようと暴れてみても、相手も素人ではない。首までがっちり固められたまま、両足が宙に浮いた。
 「鎖を!」
 暗黒司祭の命令で、すぐにアシルの両手足に頑丈な鎖がかけられた。がっちりと縛られ、もはや身動きもままならなくなったアシルを見て、残っていた魔物たちもあわてて退却を始めた。
 「戦闘は、終わったのか?」
 「はい」
 尋ねるウィーダに、カリンがうなずく。しかし、その傍らで、シャウラが言った。
 「だが、これからが肝心だ」
 「ああ…そうだな」
 彼らに一体何が起こったのかを確かめるため、バスラム王女の親衛隊長のなれの果て――狂戦士アシルは、布を噛まされ、唸りながら館へと運び込まれた。

 彼の手にかかれば、切れた額の傷などきれいに消え去った。はるか高く天にある、光の神に仕える神官である彼ならば、その程度の傷を癒す事など造作もなかった。
 しかし、彼は、同時に魔界を統べる邪神の手先でもある。
 アンディは、みんなの見ている前で、烏の羽で縁取られた不吉な仮面を取った。
 「嘘だろ」
 紛れもない、馴染みの丸顔を見て、クザンがつぶやいた。
 「いえ。どっちも、僕です」
 にっこりと微笑んで、アンディは答える。平穏の魔法が効いて、ぐっすりと眠っているアシルの額をなでながら、彼は穏やかな横顔を見せていた。黒い司祭服が、いやに似合わない。
 「だが、アンディ。それは、あり得ないことではないのか?」
 尋ねるウィーダに、カリンが同意の声を上げた。
 「相反する二神に仕えるなんて、不可能なはずです!どっちかの信仰を捨てなければ、神の力を借りる魔法は使えないでしょ?」
 「それが、出来るんですよね」
 苦笑にも、冷笑にも見える不思議な笑顔になって、アンディは言った。
 「僕は…小さい頃、誘拐されてここに来たんですよ。だから、魔王を信仰する他に、生き残っていく方法はなかったんです」
 身代金目当てで誘拐されたが、彼は親に見捨てられた。用済みになった子供に、選択肢などない。生き延びていくためには、この教団の一員となるしかなかったのだ。
 もともと素質があったのか、アンディは暗黒司祭としての能力を発揮して、たちまち教団の幹部の地位にまで登りつめた。もちろん、それを嫉む者は多く、ある日ついに、その筆頭であるカーチスに罠にはめられ、殺されかけて放り出された。
 「そんな僕を助けてくれたのが、大いなる神の使徒である、司祭様だったんですよ」
 「それで…光の道に宗旨変え、ってか?えらく単純だな」
 半信半疑、といった顔つきのクザンに、アンディは笑った。
 「もともと、こっちの流儀には少し嫌気が差していましたから。丁度良かったんです」
 命を救ってくれた老司祭の導きのまま、彼は聖なる道へと踏み出した。だが、左肩に彫り込まれた邪教の紋章があるために、暗黒魔法を使う能力もそのまま残ってしまった。
 「おかげで、ここの領主として、権力を行使出来るので助かりましたよ。でも、こういう場合、どちらに感謝を捧げたらいいのか、迷うんですけどね」
 「そ、そんないい加減なこと…!」
 「両方にしておけばいい」
 反論しようとするカリンの言葉を遮って、シャウラが言った。
 「例え闇の力でも、必要な時には使えばいい。そうだろう?」
 「ああ」
 ウィーダがそれに応える。
 「ああ、って、ウィーダ様…」
 不安げな声を上げたカリンを、クザンが止めた。
 「昔は悪い奴だったって言うんなら、俺もシャウラも同じだぜ?俺は元は奴隷だし、シャウラなんか魔人だったんだからな」
 そしてそれは、ウィーダが愛するミラノについても同じこと。だが、それを口にするのはぐっとこらえて、彼はカリンの背中を叩いた。
 「ま、そういうこったから、嬢ちゃんもウィーダのことを信頼して、どーんと構えてな」
 「…は、はい」
 分かったような、分からないような。そんな顔をして彼女が上司を見ると、フォルドは真剣な表情で、じっとベッドの上を見ていた。
 「もうすぐ、目を覚ましそうだな」
 穏やかだった寝顔が、苦しげに眉をしかめている。
 二度、三度、まつげが震えて、そしてゆっくりと、大きな息を吐きながら、アシルは目を開いた。

 「シャウラ……ウィーダ」
 のぞき込んでくる顔を見て、意外にしっかりとした口調でアシルは言った。
 「俺は…」
 体を起こそうとして、自分の手足に枷と鎖がつけられているのに気付く。すぐにその理由が分かったのか、素直にベッドに横になって少年はつぶやいた。
 「そうか、俺…暴れてたんだ」
 顔が、寂しげに曇った。大きく一息吐いて、脅えるように尋ねる。
 「俺、もしかして……誰か殺した?」
 「いや」
 シャウラがいつもの無表情のまま、首を横に振った。
 「我々は全員無傷だ。心配する事はない」
 「そうか…良かった」
 彼の答えに、アシルは笑った。それでも、やはりその顔はどこか寂しげだった。
 重苦しい沈黙が、辺りを包む。言いようのない重圧に必死で耐えているような悲痛な面持ちに、誰も口をきけないでいた。
 「………俺」
 やがて、長い長い沈黙を破って、アシルは自ら口を開いた。
 「大変なことを…してしまった」
 「クプシちゃんのことですね?」
 穏やかな口調で、アンディが続きをうながす。少年は大人しくうなずいて、言葉を続ける。
 「俺は親衛隊長なのに、王女を守れなかった…それどころか、みんなを、殺してしまった」
 「それは、一体どういう」
 「王女が…魔物に」
 そこまで言って、なぜかアシルは突然息を飲み込んだ。
 「…アシル?どうしました?」
 「ランディだ」
 何かを思い出したかのように、ふいにその名を告げる。だが、言いながら、アシルの目は驚きに見開かれていた。
 「そうだ…全部、ランディのせいなんだ」
 まるで誰かに操られているかのように、彼の意思とは無関係に唇が動いている。少年の表情は、明らかに違うと言っていた。
 「王女をさらったのも、王女の親衛隊を殺したのも、全部あいつがやったことだ、って……違う!」
 最後の一言だけを辛うじて自分の言葉で絞り出し、アシルは周りで見ている友人たちを見回した。あっけに取られた顔が、呆然と彼を見下ろしている。
 「アシル、何を言っている?」
 さすがのシャウラも驚いたのか、不思議そうな表情で尋ねてきた。
 「ランディじゃないんだ」
 首を振りながら、アシルは言った。だが、すぐに自分の言葉を否定して続ける。
 「いや、ランディなんだ…違うんだ」
 悔しげに、苦しげに、彼は繰り返す。
 「違うんだ…俺が言いたいのは…ランディは、あいつは」
 思い通りにならないいら立ちからか、額にじっとりと汗がにじみ始める。次第に、目の焦点が定まらなくなりつつあった。
 「もう分かりました、アシル」
 その汗を拭いて、アンディが彼を押し留めた。
 「落ち着いてください。大丈夫です、落ち着いて」
 「ランディじゃ…ないんだ」
 「分かっていますから」
 両肩に添えた掌から、暖かく柔らかい光があふれ出す。司祭は優しく微笑んで、少年に告げた。
 「ランディは悪いことなどしていない。僕たちも、信じていますよ」
 「……ああ」
 その言葉に、ようやく落ち着いた顔を見せて、アシルはまぶたを閉じた。だが、眠りに落ちることを拒んで、激しく頭を振った。
 「どうか、みんなを助けてくれ」
 目を閉じたまま、自分の台詞を確かめるように彼は唇を動かす。慎重に言葉を選んで、ゆっくりと。
 「俺たちはだまされた」
 誰に、と尋ねる事は出来なかった。アシルの心は、間違いなく誰かに操られている。禁じられている事をしゃべろうとすると、彼の意思とは関係なく別の言葉が出てしまう。
 だから、全員がじっと黙って、アシルが自ら話すのを待った。
 「敵は、女の……魔人」
 眠そうなまぶたをわずかに開いて、彼は告げた。
 「俺たちはだまされたんだ。だから、どうか、あいつらを…ファランキオの娘を助けて…くれ…」
 そして、重いまぶたが閉じる。
 後には、思わぬ言葉に、ただ顔を見合わせるウィーダたちが残された。
 「ファランキオの…娘?」


続く

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